第44記 戦慄の狼煙
パリィンッ!
ガラスと共に、茶色いウイスキーがカウンターに飛び散った。
酒場の亭主は、既に新しい特注グラスにウイスキーを注ぎ直している。
だが、そのウイスキーが常連客に渡されるのは、ほとぼりが冷めてからだ。今渡せば、再びガラスの破片が飛び散る羽目になる。
「何だ、お前は」
敵意を剥き出しにして、グラスを握り潰した張本人アヤは、眼前の少年を睨みつけた。
大の大人でも畏縮するほど強い殺気を放たれているというのに、少年は全く気にかけていない。
爽やかな微笑みを浮かべ、彼はぺこりとお辞儀をした。
「初めまして。アヤさん、ライリンさん。ボク、シルードっていいます」
「りんたちのにゃまえ、知ってるにょ?」
カウンター上で小首を傾げた小動物に満面の笑みを向け、シルードは一枚の板を示す。
「教えていただきましたから」
掲げられた板に描かれている紋様。
それを認めたアヤの双眸が、敵意とは別の剣呑さを帯びて吊り上がった。
「あたしらに何の用だい?」
「少し、ボクとお話ししませんか?」
「くだらねぇ内容なら死ぬ覚悟しな」
アヤの逆鱗に触れまいと、酒場の客たちは皆口を閉ざす。
一方、当人は臆することなど欠片もない。
「わかりました。肝に銘じておきます」
笑顔を崩すことなく、シルードはアヤの隣に腰を下ろした。
◇ ◇ ◇
森が、揺れた。
地響きに怯えた鳥たちが、一斉に飛び立つ。
木の葉がざわめき、空へ狼煙が上がった。
「森が……」
瞳に映るそれは、森中に輝く粉をまき散らす。
「俺たちの森が……!」
「待て」
「放せ、金髪! 森が、故郷が燃えてんだぞ!?」
駆け出そうとしたエルフの腕を掴み、制止させた青年は、溜息混じりに言った。
「らしくないな。随分取り乱しているぞ、おまえ」
「う、うるさい! 放せ!」
「あー、はいはい」
降参するかのように両の手を上げ、青年はエルフを一瞥する。
「行ってどうする? おまえが行ったところで、あれは消せないぞ」
「どうって……」
「行ったところで、おまえが言ってた敵ももういねぇ。火に囲まれるのがオチだ」
足下に横たわる白き杖を拾う。
それを軽く斜め下に薙ぎ払い、彼は夕闇を照らしている狼煙を見上げた。
「今あれを消せんのは、おれと……」
あと、一人。
肩越しに顧みて、エルフに告げる。
「もうじき、ここに来る奴がいる。おまえの役目はそいつの足止めと、そこにいる奴らを見てることだ。……動くなよ」
異論を許さぬ威圧を放ち、青年は森の中心へと駆けていった。
頷くことすらできなかったエルフに、甲高い声が語りかける。
「ねぇ、リード。アズウェルはどこに行っちゃったの……?」
小刻みに震えながらも、彼女はじっとエルフを見つめた。
問うているのは、青年が駆けていった場所のことではないだろう。
恐らく、彼女が知りたい答えは。
「お前にわからねぇのに、今日会ったばかりの俺がわかるか」
「……そう、よね……」
掠れた声が哀しげに響く。
沈黙する二人に、降り注ぐ光の粉。
茜色に煌めく火の粉は、風に乗って森中を飛び交っていた。
◇ ◇ ◇
突如、背後に立ち上った火柱を見つめ、マツザワは息を飲んだ。
「馬鹿なっ! 誰が森を燃やすなど……!」
胸の奥に、暗い影が落ちる。
無意識に駆け出した彼女の背を、血走った眼が捉えた。
「ヒヒヒッ! 死ね!!」
鋭利な爪が、肩を擦る。
「っ!? 貴様、生きて……!」
「あれくらいでくたばるか、ヒヒッ!」
振り下ろされる爪を、防ぐ時間はない。
「く……!」
「死ね死ね死ね!!」
キィンッ!
痛みを覚悟した時、響いた金属音。
水華は、マツザワの右手に握られたままだ。
彼女を切り裂こうとしたアレノスの爪を受けたのは、水華ではない。
動けるはずもない人物の後ろ姿を見上げ、マツザワは声を荒げた。
「タカト殿!? 何故貴方がここに!?」
「……話す時間は、ない」
低く応えたタカトは、振り向くこともせずに言い放つ。
「この火を、見極めてこい。……一族の担い手として」
「しかし、タカト殿……!」
太い爪を制止している白刃は微動だにしない。
「ヒヒヒッ。ヴァルトが戻ってきた、ヒヒ!」
化け物の両眼を睨みつけ、タカトは細い筆架叉 を振り切った。
力負けしたアレノスが、数歩後退する。
「……こいつは、俺がやる。早く、行け!」
再び得物を構えたタカトに、マツザワは背を向ける。
「すまない、タカト殿。ここは頼む!」
大地を蹴った彼女の胸には、警鐘が鳴り響いていた。
◇ ◇ ◇
疾風が駆け抜ける。
エメラルドの風は、草を殴り、砂塵を巻き上げ疾走する。
「クエン、わかるか?」
『ああ、間違いねぇぜ!』
やっと、見つけた。
欠片も痕跡を残さなかった者が、ようやく尻尾を出したのだ。
「飛ばすぞ!」
『おう!』
彼らの想いはただ一つ。
どうか、どうか。
どうか、間に合ってくれ
◇ ◇ ◇
もし、この炎がただの炎だったのなら。
彼女は獲物を明け渡したりはしなかっただろう。
森を容赦なく焼き払う炎に、彼女の知る温かさは微塵もなかった。
己の知るそれとは全く異なるというのに。
「何だ、この焦りは……!」
だが、違うと叫ぶ心の一方で、確信が彼女を焦らせた。
水華を強く握り締める。
脈打つ警鐘は、相方からも伝ってきた。
「いや、きっと何か! 何かあるはず……!」
会えば、言葉を交わせば、この渦巻く不安は無くなるだろう。
故に走るのだ。真相を確かめるべく。
この火を、見極めてこい。……一族の担い手として
タカトの言霊が、焦りに拍車をかける。
「一族の、担い手……」
それは彼女一人ではないはず。
床に伏せてはいるものの、彼女の幼馴染みもまた、次代の担い手だ。
そして、〝彼〟も。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
肩で息をしながら、火の海を見渡す。
まだ、〝彼〟は此処いる。
揺らぐ炎は紛れもなく〝あの炎〟だった。
大樹を蝕む灼熱の炎。
その色は、夕焼けのような紅ではなく。
「蒼い……」
呟いた彼女の耳元で、聞き慣れた声が響く。
「来てたんだね」
「その声は…… っ!?」
振り返った彼女の全身を、衝撃が貫いた。
身も心も、一瞬のうちに崩れ落ちる。
勢いよく彼女の脇腹から引き抜かれた刃。血糊の隙間からは、蒼い刀身が煌めきを放つ。
霞む視界を、瞳に浮かんだ雫がより朧気にした。
心を埋め尽くすのは、切なる想い。
「しょ……うご……さ……? ど……うし、て……」
それを言葉に紡ぎきることもできず、瞼が落ちる。
動かなくなった同族を、冷え切った眼差しが射抜いていた。
ガラスと共に、茶色いウイスキーがカウンターに飛び散った。
酒場の亭主は、既に新しい特注グラスにウイスキーを注ぎ直している。
だが、そのウイスキーが常連客に渡されるのは、ほとぼりが冷めてからだ。今渡せば、再びガラスの破片が飛び散る羽目になる。
「何だ、お前は」
敵意を剥き出しにして、グラスを握り潰した張本人アヤは、眼前の少年を睨みつけた。
大の大人でも畏縮するほど強い殺気を放たれているというのに、少年は全く気にかけていない。
爽やかな微笑みを浮かべ、彼はぺこりとお辞儀をした。
「初めまして。アヤさん、ライリンさん。ボク、シルードっていいます」
「りんたちのにゃまえ、知ってるにょ?」
カウンター上で小首を傾げた小動物に満面の笑みを向け、シルードは一枚の板を示す。
「教えていただきましたから」
掲げられた板に描かれている紋様。
それを認めたアヤの双眸が、敵意とは別の剣呑さを帯びて吊り上がった。
「あたしらに何の用だい?」
「少し、ボクとお話ししませんか?」
「くだらねぇ内容なら死ぬ覚悟しな」
アヤの逆鱗に触れまいと、酒場の客たちは皆口を閉ざす。
一方、当人は臆することなど欠片もない。
「わかりました。肝に銘じておきます」
笑顔を崩すことなく、シルードはアヤの隣に腰を下ろした。
◇ ◇ ◇
森が、揺れた。
地響きに怯えた鳥たちが、一斉に飛び立つ。
木の葉がざわめき、空へ狼煙が上がった。
「森が……」
瞳に映るそれは、森中に輝く粉をまき散らす。
「俺たちの森が……!」
「待て」
「放せ、金髪! 森が、故郷が燃えてんだぞ!?」
駆け出そうとしたエルフの腕を掴み、制止させた青年は、溜息混じりに言った。
「らしくないな。随分取り乱しているぞ、おまえ」
「う、うるさい! 放せ!」
「あー、はいはい」
降参するかのように両の手を上げ、青年はエルフを一瞥する。
「行ってどうする? おまえが行ったところで、あれは消せないぞ」
「どうって……」
「行ったところで、おまえが言ってた敵ももういねぇ。火に囲まれるのがオチだ」
足下に横たわる白き杖を拾う。
それを軽く斜め下に薙ぎ払い、彼は夕闇を照らしている狼煙を見上げた。
「今あれを消せんのは、おれと……」
あと、一人。
肩越しに顧みて、エルフに告げる。
「もうじき、ここに来る奴がいる。おまえの役目はそいつの足止めと、そこにいる奴らを見てることだ。……動くなよ」
異論を許さぬ威圧を放ち、青年は森の中心へと駆けていった。
頷くことすらできなかったエルフに、甲高い声が語りかける。
「ねぇ、リード。アズウェルはどこに行っちゃったの……?」
小刻みに震えながらも、彼女はじっとエルフを見つめた。
問うているのは、青年が駆けていった場所のことではないだろう。
恐らく、彼女が知りたい答えは。
「お前にわからねぇのに、今日会ったばかりの俺がわかるか」
「……そう、よね……」
掠れた声が哀しげに響く。
沈黙する二人に、降り注ぐ光の粉。
茜色に煌めく火の粉は、風に乗って森中を飛び交っていた。
◇ ◇ ◇
突如、背後に立ち上った火柱を見つめ、マツザワは息を飲んだ。
「馬鹿なっ! 誰が森を燃やすなど……!」
胸の奥に、暗い影が落ちる。
無意識に駆け出した彼女の背を、血走った眼が捉えた。
「ヒヒヒッ! 死ね!!」
鋭利な爪が、肩を擦る。
「っ!? 貴様、生きて……!」
「あれくらいでくたばるか、ヒヒッ!」
振り下ろされる爪を、防ぐ時間はない。
「く……!」
「死ね死ね死ね!!」
痛みを覚悟した時、響いた金属音。
水華は、マツザワの右手に握られたままだ。
彼女を切り裂こうとしたアレノスの爪を受けたのは、水華ではない。
動けるはずもない人物の後ろ姿を見上げ、マツザワは声を荒げた。
「タカト殿!? 何故貴方がここに!?」
「……話す時間は、ない」
低く応えたタカトは、振り向くこともせずに言い放つ。
「この火を、見極めてこい。……一族の担い手として」
「しかし、タカト殿……!」
太い爪を制止している白刃は微動だにしない。
「ヒヒヒッ。ヴァルトが戻ってきた、ヒヒ!」
化け物の両眼を睨みつけ、タカトは細い
力負けしたアレノスが、数歩後退する。
「……こいつは、俺がやる。早く、行け!」
再び得物を構えたタカトに、マツザワは背を向ける。
「すまない、タカト殿。ここは頼む!」
大地を蹴った彼女の胸には、警鐘が鳴り響いていた。
◇ ◇ ◇
疾風が駆け抜ける。
エメラルドの風は、草を殴り、砂塵を巻き上げ疾走する。
「クエン、わかるか?」
『ああ、間違いねぇぜ!』
やっと、見つけた。
欠片も痕跡を残さなかった者が、ようやく尻尾を出したのだ。
「飛ばすぞ!」
『おう!』
彼らの想いはただ一つ。
どうか、どうか。
◇ ◇ ◇
もし、この炎がただの炎だったのなら。
彼女は獲物を明け渡したりはしなかっただろう。
森を容赦なく焼き払う炎に、彼女の知る温かさは微塵もなかった。
己の知るそれとは全く異なるというのに。
「何だ、この焦りは……!」
だが、違うと叫ぶ心の一方で、確信が彼女を焦らせた。
水華を強く握り締める。
脈打つ警鐘は、相方からも伝ってきた。
「いや、きっと何か! 何かあるはず……!」
会えば、言葉を交わせば、この渦巻く不安は無くなるだろう。
故に走るのだ。真相を確かめるべく。
タカトの言霊が、焦りに拍車をかける。
「一族の、担い手……」
それは彼女一人ではないはず。
床に伏せてはいるものの、彼女の幼馴染みもまた、次代の担い手だ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
肩で息をしながら、火の海を見渡す。
まだ、〝彼〟は此処いる。
揺らぐ炎は紛れもなく〝あの炎〟だった。
大樹を蝕む灼熱の炎。
その色は、夕焼けのような紅ではなく。
「蒼い……」
呟いた彼女の耳元で、聞き慣れた声が響く。
「来てたんだね」
「その声は……
振り返った彼女の全身を、衝撃が貫いた。
身も心も、一瞬のうちに崩れ落ちる。
勢いよく彼女の脇腹から引き抜かれた刃。血糊の隙間からは、蒼い刀身が煌めきを放つ。
霞む視界を、瞳に浮かんだ雫がより朧気にした。
心を埋め尽くすのは、切なる想い。
「しょ……うご……さ……? ど……うし、て……」
それを言葉に紡ぎきることもできず、瞼が落ちる。
動かなくなった同族を、冷え切った眼差しが射抜いていた。
スポンサーサイト
コメント
- 今回謎だらけですね。
アズウェルの人格が変わっているし
マツザワは、同族に襲われてる。
もしかしたらショウゴさんではなく
変装の名人だったってオチではないだろうから
何か訳があるんだろうなって思ってます。
- >>CHIEsさん
コメントありがとうございます!
謎だらけですみません……><
ショウゴは残念ながら本人です。
アズウェルの異変も含めて、徐々に明かされていきますのでお楽しみに!
- 毎度のことながら、お仕事に執筆にお疲れ様です…
ついについに、動き出しましたね!
続きが気になる終わり方、この先もますます楽しみです♪
残暑に負けぬよう頑張って下さい(>_<)
- >>古稀さん
おつありさまです!
ようやく、起承転結の起が終わりそうな感じです。
この先も怒涛の勢いで鬼畜街道突っ走りますので、どうぞ宜しくお願い致します。
まだまだ暑いし熱いですね……外に出ると簡単に干物ガエルになれそうですorz
一日も早く秋が訪れることを期待しながら頑張ります!
- どういうことなの……。
シルードきゅんが動いてるぞ、これは戦争だな。
アズウェルもショウゴもバグって、よからぬ空気が漂ってますね。
楽しくなってまいりました、続きが楽しみ。
だがショウゴ、テメーは許さn
- >>銀字さん
こういうことなの……。
シルード、ようやく出てきましたね! さぁて、これからどうなることか。
えぇ、えぇ、そうなんです、脳みそによからぬ虫(バグ)が入りまして……って違う!!w
やっぱりショウゴは許してもらえなさそうですね(汗)
今後どうなるのか、ショウゴの動機も含めてお楽しみに……!