第43記 サガシモノ
視界という名の彼の世界は、黒一色に染まっていた。
「せーんぱぁ~い……前、見えねぇッス……」
「あ、おっきい岩があるの」
返答とは思えない不吉な発言が聞こえた直後、右肩の重さが無くなった。
一拍置いて、重さの代わりに激痛が右膝に走る。
「いっ……!」
膝を押さえ、うずくまる。
視界を漆黒に染め上げていた黒手拭いをたくし上げ、涙目で眼前を見ると、ごつごつとした巨大な岩が佇んでいた。
目隠し状態で歩かされていたカツナリに、鋭い牙を剥いた岩石。
それを睨みつけながら、溜息混じりに両肩を落とす。
「先輩、自分だけ逃げたッスよね……」
「だから岩があるって言ったの」
確かに不吉は届いていたが。
「そうッスね……」
これ以上どう皮肉を言おうが批難をしようが、無駄な抵抗。
長年連んでいるヤヨイの性格を知り尽くしているカツナリは、こめかみを押さえて再度嘆息したのだった。
「はげぴょん、いつまで休んでるの。急がないと、りゅーちゃんが」
「わかってるッス。お松さんは何も知らねぇ。衝突したらまずいことになるッス」
普段なら、ヤヨイの言葉を遮れば、蹴りの一つや二つ飛んでくる。
しかし、彼女は無言で頷くと、再びカツナリの肩によじ登った。
時間が、惜しい。
それはカツナリもヤヨイも、よくわかっていた。
「もっかいやるッスよ、風旋 。先輩、今度は手拭い以外に掴まってくれッス」
「わかった、なの」
ヤヨイから返ってきた素直な言葉。
事態の深刻さを表す相方の台詞を噛み締め、カツナリは呪符を一枚、懐から取り出す。
「風旋!」
上空から、白い風が降りてきた。
両足に白風を纏うと、カツナリは大地を蹴った。
二人が見据えるのは、高い二枚の岩壁が向かい合うようにして切り立つ、双渓谷[ 。
◇ ◇ ◇
「あー、だめだ」
常人には視[ えない白き杖を支えにして、金髪の青年はぐったりと項垂[ れた。
二対の視線を背後から感じてはいるが、形[ 振り構っている余裕はない。
「血ぃー、足りねぇー。貧血だ、ひーんーけーつー」
何とも情けない声に、彼の背を眺めていた一人、リードは頬を引きつらせた。
本当にこの青年が〝伝承〟なのだろうか。
リードがラスから聞いた〝伝承〟は、もっと高貴な存在だったはず。
立っているのも辛くなったのか、青年は大の字に寝ころんでいた。
「あー、力でねぇ……まぁ、死んでねぇからいっかー?」
「呑気だな」
「生きてりゃいいんだよ。何とか繋ぎ止めていれば、どうとでもなるさ。そいつみたいに」
ぐるりと首を回して、青年は冷凍されている小動物へ温かい眼差しを向けた。
精霊の氷は、そう簡単に溶けることはない。
誰かが治療を施せば、助かるだろう。
「しっかし、久しぶりにコレ使うと、やっぱ疲れるなぁ」
傍らに横たわる得物を眺め、苦笑した。
軟らかな表情を浮かべている青年に、リードが問う。
「まだ動けるのか」
「敵倒したじゃん。おれにまだ働けっつぅんか、おまえは」
「いや……アレノスは一体だけじゃない。お前が倒した奴と同格のが一体。それと俺の親父を封じた別格の強さの奴が一体いる」
「マジ?」
一瞬目を瞠った青年は、すぐに渋い顔になる。
「それ、おれじゃないとだめなのか?」
「少なくとも、森の中心にいる現森の主[ は、俺たちじゃ倒せない。並のアレノス……いや、さっきの奴らは出来損ないのアレノスだ。それに殺されかけていた俺たちじゃ……」
敵うのなら、故郷を奪われたりはしないのだ。
爪が掌に食い込むほど強く、拳を握り締める。
押し黙ったリードを見上げ、青年は瞳を細めた。
「〝ロスト〟が今に気付いてくれたら、おれももう少し手伝えるんだけどな……」
微かに呟かれた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
◇ ◇ ◇
エメラルドの風が、まだ雪が残る山頂に吹き抜けた。
大地を雪が覆う中、一角だけ土が剥き出しになっている。
その一角を取り囲む白い絨毯の上には、点々と赤い花びらのような血が散っていた。
「また後手を引いたか……」
『ダメだな。随分前にここを離れちまってる』
落胆の色を隠せない言葉が、頭に直接響く。
同時に、赤褐色の肌をした少年が、男の隣に顕現した。
『族長からもらった情報はそれで終わりか、相棒?』
「手元にあったものは、使い尽くした」
眉間に深く皺[ を刻み込み、男は足下へ視線を落とす。
剥き出しの大地を見据える眼差しは、険しさと共に、憂いが垣間見えた。
「どこにいるんだ……」
何故、聞こえないのだろうか。
そう彼らが苦渋を滲ませた時、白い旋風が降り立った。
「りゅーちゃん、くーちゃん!」
「久しぶりッス、リュウジ、クエン」
ほぼ重なって聞こえた懐かしき声。
白風が吹き抜けると、久しい顔が瞳に映った。
「お前たち……」
しかし、再会を喜んでいる暇[ はない。
できることなら、こんな時に再会を果たしたくなかったというのに。
『おい、まさか隠密まで動いてんのか?』
「久し振りに族長直々に呼ばれたんス」
「まちちゃんたちが引き受けた、零番任務のことで、なの」
薄々感じてはいたものの、改めて実の妹が零番任務を任されたことを聞き、リュウジこと、ルアルティド・レジアは紅い右目を見開いた。
『やっぱミズナが受けてんのか……くそっ!』
ルーティングの相棒であるクエンも、思わず舌打ちをする。
そんな二人の反応を複雑な表情で受け止めたヤヨイは、静かに問うた。
「りゅーちゃん、会えたの?」
沈黙をもって返ってきた答えに、裏付けたくなかった予想が確信に変わる。
間に合わなかったのだ。
重い沈黙を切り開いたのは、火を司[ る名刀〝紅焔[ 〟の化身、クエンだった。
『すまねぇ……俺の力不足だ』
「俺たちは完全に後手だった。もう、手元にアレノスの情報もない」
ここ二日捜し回っていたものは、いつもルーティングたちの上を行っていた。
「衝突は避けられないッスな。恐らく、既に動いているッス」
「まちちゃんたちが、妖精の森でアレノスに遭遇したみたいなの」
アレノスという言葉に、クエンとルーティングが顔を上げる。
『それいつだよ!?』
「タカトか」
スワロウ族直属の隠密。そのトップを担うのが頭領ヨシタダ。
そして、ヨシタダの娘であるヤヨイと、養子のカツナリ、ヴァルト族の生き残りであるタカト。
彼らが隠密の中枢だ。
此処にその内の二人がいるということは、零番任務に同行しているのは残りの一人。
「そうなの。ついさっき、はげぴょんに〝報せ〟が来たの」
「急いだ方がいいッス。妖精の森っていやぁ、木の聖霊ラスの管轄。それがアレノスに乗っ取られているらしいッスから」
「きっと、来るの。まちちゃんたちとぶつかっちゃう前に、急いで!」
悠然と首肯して、ルーティングは宙に印[ を描く。
ほんの僅かな欠片でもいい。
例えそれが目的に辿り着かない道であっても。
『動かねぇよりはずっとマシだぜ』
「行くぞ、クエン」
『おう!』
エメラルドの光を帯びた印から、風が沸き起こる。
風越しに〝報せ〟を届けてくれた二人を見つめ、ルーティングは呟いた。
「カツナリ、ヤヨイ。……礼を言う」
風は術者と相方を乗せて、天を駆けていった。
北東の空。夕闇に染まりゆくその下には、大樹が茂る妖精の森がある。
「時間、ねぇッスな……」
「たかちゃんとまちちゃんなら、大丈夫……なの……」
きっと、きっと。
「そうッスね」
きっと、大丈夫。
そう、信じている。
◇ ◇ ◇
森の主は、一人でいい。
「そう、オレ様だけでいいのよ」
侵入者と反逆者。
どちらであろうが、構わない。
「殺されに来たヤツがいる。ククク……」
静かに佇む男を見据えて、アレノスは不気味な微笑みを浮かべた。
どろどろとした魔力が、垂れ流しにされている。
だが、そんなアレノスの魔力に当てられることもなく、男は残念そうに呟いた。
「ここも、ハズレだねぇ」
「ククク……お前はここで死ぬんだ。よくわかってるな、ハズレだ」
にやりと口端を吊り上げ、アレノスは赤黒い爪を振り上げる。
「死ね!」
赤い飛沫が、舞った。
先刻までアレノスの両眼に捉えられていた男の姿は、何処にもない。
衝撃と共に、耳元で哀しい声が響いた。
「キミはハズレ。用はないよ」
けれども。
「生かしておく、意味もないね」
「せーんぱぁ~い……前、見えねぇッス……」
「あ、おっきい岩があるの」
返答とは思えない不吉な発言が聞こえた直後、右肩の重さが無くなった。
一拍置いて、重さの代わりに激痛が右膝に走る。
「いっ……!」
膝を押さえ、うずくまる。
視界を漆黒に染め上げていた黒手拭いをたくし上げ、涙目で眼前を見ると、ごつごつとした巨大な岩が佇んでいた。
目隠し状態で歩かされていたカツナリに、鋭い牙を剥いた岩石。
それを睨みつけながら、溜息混じりに両肩を落とす。
「先輩、自分だけ逃げたッスよね……」
「だから岩があるって言ったの」
確かに不吉は届いていたが。
「そうッスね……」
これ以上どう皮肉を言おうが批難をしようが、無駄な抵抗。
長年連んでいるヤヨイの性格を知り尽くしているカツナリは、こめかみを押さえて再度嘆息したのだった。
「はげぴょん、いつまで休んでるの。急がないと、りゅーちゃんが」
「わかってるッス。お松さんは何も知らねぇ。衝突したらまずいことになるッス」
普段なら、ヤヨイの言葉を遮れば、蹴りの一つや二つ飛んでくる。
しかし、彼女は無言で頷くと、再びカツナリの肩によじ登った。
時間が、惜しい。
それはカツナリもヤヨイも、よくわかっていた。
「もっかいやるッスよ、
「わかった、なの」
ヤヨイから返ってきた素直な言葉。
事態の深刻さを表す相方の台詞を噛み締め、カツナリは呪符を一枚、懐から取り出す。
「風旋!」
上空から、白い風が降りてきた。
両足に白風を纏うと、カツナリは大地を蹴った。
二人が見据えるのは、高い二枚の岩壁が向かい合うようにして切り立つ、
◇ ◇ ◇
「あー、だめだ」
常人には
二対の視線を背後から感じてはいるが、
「血ぃー、足りねぇー。貧血だ、ひーんーけーつー」
何とも情けない声に、彼の背を眺めていた一人、リードは頬を引きつらせた。
本当にこの青年が〝伝承〟なのだろうか。
リードがラスから聞いた〝伝承〟は、もっと高貴な存在だったはず。
立っているのも辛くなったのか、青年は大の字に寝ころんでいた。
「あー、力でねぇ……まぁ、死んでねぇからいっかー?」
「呑気だな」
「生きてりゃいいんだよ。何とか繋ぎ止めていれば、どうとでもなるさ。そいつみたいに」
ぐるりと首を回して、青年は冷凍されている小動物へ温かい眼差しを向けた。
精霊の氷は、そう簡単に溶けることはない。
誰かが治療を施せば、助かるだろう。
「しっかし、久しぶりにコレ使うと、やっぱ疲れるなぁ」
傍らに横たわる得物を眺め、苦笑した。
軟らかな表情を浮かべている青年に、リードが問う。
「まだ動けるのか」
「敵倒したじゃん。おれにまだ働けっつぅんか、おまえは」
「いや……アレノスは一体だけじゃない。お前が倒した奴と同格のが一体。それと俺の親父を封じた別格の強さの奴が一体いる」
「マジ?」
一瞬目を瞠った青年は、すぐに渋い顔になる。
「それ、おれじゃないとだめなのか?」
「少なくとも、森の中心にいる現森の
敵うのなら、故郷を奪われたりはしないのだ。
爪が掌に食い込むほど強く、拳を握り締める。
押し黙ったリードを見上げ、青年は瞳を細めた。
「〝ロスト〟が今に気付いてくれたら、おれももう少し手伝えるんだけどな……」
微かに呟かれた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
◇ ◇ ◇
エメラルドの風が、まだ雪が残る山頂に吹き抜けた。
大地を雪が覆う中、一角だけ土が剥き出しになっている。
その一角を取り囲む白い絨毯の上には、点々と赤い花びらのような血が散っていた。
「また後手を引いたか……」
『ダメだな。随分前にここを離れちまってる』
落胆の色を隠せない言葉が、頭に直接響く。
同時に、赤褐色の肌をした少年が、男の隣に顕現した。
『族長からもらった情報はそれで終わりか、相棒?』
「手元にあったものは、使い尽くした」
眉間に深く
剥き出しの大地を見据える眼差しは、険しさと共に、憂いが垣間見えた。
「どこにいるんだ……」
何故、聞こえないのだろうか。
そう彼らが苦渋を滲ませた時、白い旋風が降り立った。
「りゅーちゃん、くーちゃん!」
「久しぶりッス、リュウジ、クエン」
ほぼ重なって聞こえた懐かしき声。
白風が吹き抜けると、久しい顔が瞳に映った。
「お前たち……」
しかし、再会を喜んでいる
できることなら、こんな時に再会を果たしたくなかったというのに。
『おい、まさか隠密まで動いてんのか?』
「久し振りに族長直々に呼ばれたんス」
「まちちゃんたちが引き受けた、零番任務のことで、なの」
薄々感じてはいたものの、改めて実の妹が零番任務を任されたことを聞き、リュウジこと、ルアルティド・レジアは紅い右目を見開いた。
『やっぱミズナが受けてんのか……くそっ!』
ルーティングの相棒であるクエンも、思わず舌打ちをする。
そんな二人の反応を複雑な表情で受け止めたヤヨイは、静かに問うた。
「りゅーちゃん、会えたの?」
沈黙をもって返ってきた答えに、裏付けたくなかった予想が確信に変わる。
間に合わなかったのだ。
重い沈黙を切り開いたのは、火を
『すまねぇ……俺の力不足だ』
「俺たちは完全に後手だった。もう、手元にアレノスの情報もない」
ここ二日捜し回っていたものは、いつもルーティングたちの上を行っていた。
「衝突は避けられないッスな。恐らく、既に動いているッス」
「まちちゃんたちが、妖精の森でアレノスに遭遇したみたいなの」
アレノスという言葉に、クエンとルーティングが顔を上げる。
『それいつだよ!?』
「タカトか」
スワロウ族直属の隠密。そのトップを担うのが頭領ヨシタダ。
そして、ヨシタダの娘であるヤヨイと、養子のカツナリ、ヴァルト族の生き残りであるタカト。
彼らが隠密の中枢だ。
此処にその内の二人がいるということは、零番任務に同行しているのは残りの一人。
「そうなの。ついさっき、はげぴょんに〝報せ〟が来たの」
「急いだ方がいいッス。妖精の森っていやぁ、木の聖霊ラスの管轄。それがアレノスに乗っ取られているらしいッスから」
「きっと、来るの。まちちゃんたちとぶつかっちゃう前に、急いで!」
悠然と首肯して、ルーティングは宙に
ほんの僅かな欠片でもいい。
例えそれが目的に辿り着かない道であっても。
『動かねぇよりはずっとマシだぜ』
「行くぞ、クエン」
『おう!』
エメラルドの光を帯びた印から、風が沸き起こる。
風越しに〝報せ〟を届けてくれた二人を見つめ、ルーティングは呟いた。
「カツナリ、ヤヨイ。……礼を言う」
風は術者と相方を乗せて、天を駆けていった。
北東の空。夕闇に染まりゆくその下には、大樹が茂る妖精の森がある。
「時間、ねぇッスな……」
「たかちゃんとまちちゃんなら、大丈夫……なの……」
きっと、きっと。
「そうッスね」
きっと、大丈夫。
そう、信じている。
◇ ◇ ◇
森の主は、一人でいい。
「そう、オレ様だけでいいのよ」
侵入者と反逆者。
どちらであろうが、構わない。
「殺されに来たヤツがいる。ククク……」
静かに佇む男を見据えて、アレノスは不気味な微笑みを浮かべた。
どろどろとした魔力が、垂れ流しにされている。
だが、そんなアレノスの魔力に当てられることもなく、男は残念そうに呟いた。
「ここも、ハズレだねぇ」
「ククク……お前はここで死ぬんだ。よくわかってるな、ハズレだ」
にやりと口端を吊り上げ、アレノスは赤黒い爪を振り上げる。
「死ね!」
赤い飛沫が、舞った。
先刻までアレノスの両眼に捉えられていた男の姿は、何処にもない。
衝撃と共に、耳元で哀しい声が響いた。
「キミはハズレ。用はないよ」
けれども。
「生かしておく、意味もないね」
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コメント
- アズウェルの能力が少しずつ出てくるので、
驚きながらもアズウェルって
スリルを味わうタイプだったかなと思い出してました。
- >>CHIEsさん
はい、主人公アズウェルの力はちょろちょろ出てきます。
スリルを味わうタイプ……なかなか鋭いですね!
その辺りも徐々に明かされていきますので、お付き合いよろしくお願いします><
- なんだかんだで追いついたぜヒャッハー!
はげぴょんじゃ、はげぴょんが出たぞ!
相変わらずヤヨイのイメージはブリーチのやちるだわぁ。
アズウェルの秘められた力がどんどん見えてくるのが禁断編よねぇ。
更なる活躍を期待っ。
- >>銀字さん
わは、遅くまで読んでくれてありがとうー!
うむ、はげぴょん出ました。
否定はしない! だが、これから二人の本性が出てくるので、お楽しみに!
はい、仰る通り、禁断編はアズウェル含め、色んな謎が垣間見えてきます。
ワツキ編より確実に核に近づいていく章なので、丁寧に書いていきたいです。
主人公の活躍を乞うご期待!