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HOME>DISERD ~ 禁を断つ者 ~ 【連載中】

第37記 時は移ろい

 テンポの良い声が、樹海に響く。
「急げっ! 逃げるっ! 急げっ! 逃げるっ!」
 長い耳を左右に揺らし、彼は必死に走っていた。
 淡い緑色の小動物を抱きかかえて。
「ちょっとあんた、放しなさいよ!」
「ダメっ! 放したら人間のとこに行くんだろ?」
「そうよ。今みんな襲われているじゃない!」
 甲高い声の応酬が続く。
「ダメダメダメ! リードが本気出してるんだから、行ったら殺されちゃうっ!」
「アズウェルたちが殺されちゃうじゃない!」
「とにかくダメッ! ラキィはおいらがちゃんと守るから!」
「放しなさいったら、放しなさい!」
「だぁーめぇーっ!」
 彼は大声を張り上げ、首を力いっぱい振った。
「リードはエルフなんだぞっ! おいらたちじゃ敵わないって!」
 奇襲の最中[さなか]、ラキィは彼に連れ出されたのだ。
 ラキィより一回り大きいとはいえ、彼も小動物。
 力量は、己自身で把握している。
「とにかく、結界の外まで連れて行くからっ! ラキィは大人しくしててっ!」
「ちょっと、やだ。結界張ってあるの!?
「うん、侵入者を逃がさないようにするために、森中に結界が張られて、永遠にループするようになって……」
 最後まで言葉を紡ぐことなく、彼はくりくりとした双眸を見開いた。
 確かに、大地を蹴っていたはず。
 ところが、今は。
「あの、ラキィ。おいら足が浮いてる気する……」
「放さないあんたが悪いのよ! 落ちたくなければしっかり掴まっていなさい!」
「ちょっと、ラキィ、ダメだってっ!」
 しかし、激昂したラキィが彼の言葉に耳を貸すわけもなく。
 翼のような両耳を羽ばたかせ、森を駆け抜ける。
「飛ばすわよ  っ!」
「ラキィ、ダメ  !!
 半泣きの叫びが、空へ飛び立った。


      ◇   ◇   ◇


 三人の人間を背に乗せ、聖獣は天へ駆け上がる。
 森に入る前は、白雲に覆われていた空から暖かい陽の光が降り注いでいた。
 光を受けて煌く金髪を靡かせながら、アズウェルはぐるりと首を回す。
 視界は悪くない。この明るさと高さならば、かなり遠くまで見渡せるだろう。
「あのさ、ディオウ」
「何だ?」
「妖精の森ってこんな広いの?」
 ディオウから身を乗り出し、アズウェルは一面の緑を見つめた。
「確かに広い森だが、ロサリドより少し大きい程度だぞ」
「でも、森以外何も見えないぜ?」
「何だと?」
 上を目指していたディオウは、一回り旋回[せんかい]し、地上を見渡す。
 西を見ても、東を見ても。北を見ても、南を見ても。
 どの方角を見ても、瞳に映るは緑のみ。
 大陸東南部なら必ず見えるであろうハウル山脈すら、影も形もなかった。
「厄介だな」
「どういうこと?」
「恐らく結界だ。どこかで繋ぎ目を見つけられれば……いや、見つけたとして破る[すべ]はないな……」
 完全に捉えられた。逃げ場は何処にもない。
 追っ手など出さずとも、ディオウの体力が切れるのを待てばいいのだ。
「くそ……回りくどい連中め」
 苛立ちを隠さず毒突いたディオウに、マツザワが遠慮がちに話しかけた。
「ディオウ殿……言いにくいのだが……」
「何だ? 言ってみろ」
「その……気のせいか、木が近づいてきているような……」
 その言葉に、アズウェルとディオウが揃って視線を地上へ向ける。
 やはり見えるものは緑だけ。目を擦り、[まばた]きを何度もしてみたが、やはり緑だけだ。だけなのだが。
 徐々に鮮明さを増していくその緑に、二人は頬を引きつらせた。
「嘘ぉ、マジかよ!?
「エルフ共めっ!」
「ディオウ、来たっ!」
「くっそ!」
 舌打ちをすると、ディオウは更に上空を目指して飛翔した。


      ◇   ◇   ◇


 瞳に大粒の涙を浮かべながら、背後のラキィを庇うようにして、しずしずと後退[あとずさ]る。
「だ、だからダメだって言ったんだよ……」
 怒気を露わに、青年は呟いた。
「チャイ。お前、一緒にいるのは[ごみ]の仲間じゃねぇか?」
「ら、ラキィはゴミじゃないっ! おいらたち森の仲間じゃないか!」
「それは昔の話だ。人間の元に行った裏切り者は、塵に等しい」
 長い耳で頭を抱え、両耳の僅かな隙間から、チャイは眼前に立つエルフを見上げた。
「もちろん、裏切り者を引っ捕らえて来たんだよなぁ? チャイ?」
 今此処で首を縦に振れば、チャイは怪我することなく逃げることができるだろう。
 正直、怖い。元々怖いリードだが、今はどうしようもなく怖過ぎる。
 耳と手で顔を覆っても、肌に突き刺さる怒気に、チャイは畏縮した。
 どうせなら気を失ってしまいたい。
 そんな考えが脳裏で[よぎ]る。
 だが、チャイは首を激しく横に振り、リードを睨み上げた。
「違うっ! おいらはラキィを結界の外に逃がすために、連れて行ったんだっ!」
「チャイ……あんた、馬鹿正直過ぎよ」
 一部始終のやり取りを半眼で見つめていたラキィが、呆れ顔で溜息をつく。
「どうやら、チャイ。お前も処分されたいようだな?」
「ら、ラキィ、走って  っ!」
 ラキィの片耳を掴み、チャイは全速力でその場を離れようとした。
 が、しかし。
「あんただけ逃げなさい」
「え、ちょっと、らき……ふげぇっ!」
 もう片方の耳でチャイを張り飛ばし、ラキィはリードを見据える。
「あんた、変わったわね。昔は誰の言うことだって聞かなかったのに」
「あの頃とは違うんだ。俺は、ヴァルトを捕らえる」
「ヴァルトをどうするつもりなの?」
 ラキィの紅い双眸に剣呑さが宿る。
「お前に答える義理はねぇな」
「そう。……あんた、いつも一緒にいたピュアはどうしたのよ」
 静かに放たれた問いに、リードは答えなかった。  否、答えられなかった。
 答えの代わりに、微かに呟く。
 木々たちに、聞こえないように。ラキィだけに、届くように。
「あのままじゃ、ヴァルトは死ぬぞ」
「わかってるわ。森の呪縛があったもの。それで、今あんたの父親は何してるわけ?」
 この森を統治しているのは、リードの父親であるラスのはず。侵入者抹殺など、彼がするとは到底思えない。陽気な性格のラスは、人に対しても友好的な木の聖霊だったのだ。
 聖霊。[ひじり]の霊は、神の末席に位置するとされる存在だ。
 その彼に、一体何が起こったというのか。
『お前の記憶は、古いんだよ。親父は……封印されてる。俺たちは、もうこの森の統治者じゃねぇんだ』
 耳を通してではなく、直接頭に語りかけてくる声に、ラキィは下唇を噛む。
 それは、柔らかいリードの声。彼女の記憶にある不器用な優しさを秘めた声だった。
 リードは顔を歪めて、空を仰ぐ。
『俺は、ヴァルトを捕らえる。ピュアを解放するために』
 はっと顔を上げ、揺れる深紅の眼差しをリードに向けた。
 ピュアの名を聞いて、今痛いほど彼の気持ちがわかった。
 共に長い年月を過ごしたからこそ、ラキィはその想いを受け止めることができる。
 だからこそ。
「タカトは渡さない。アズウェルたちも殺させないわ」
 その手は汚れてはいけない。リードの手は、血で染まるべきものではないのだから。
「あんたの手は、ピュアやチャイを撫でるためにあるんじゃないの?」
 瞠目するリードに彼女は続けた。
「やることは最初っから決まっているわ。本当の敵を、倒すまでよ!」
 そう堂々と宣言するラキィを見て、チャイはぶるっと身震いした。
 もし今の会話が〝上〟に少しでも伝われば、確実に打ち首だ。
「おいらたちの森も、随分変わっちゃった……」
 耳と手だけでは足りず、ハート型の尾も頭の上に乗せ、震え上がる。
 時は移ろい、権力は奪われ、森に平穏はなくなった。
 だが、変わらないものもある。
 ラキィもリードも、怖いのは昔と全然変わらない。むしろ、気迫が増しているように思う。
 チャイは深く嘆息した。
 怖いのは変わらない。でも、変わらないでいてくれたことが嬉しかった。
 大好きな二人が危険な目に遭うのは嫌だ。傷ついたら嫌だ。
 だから、どうか聞こえませんように。
 身体を丸めたチャイは、心中で何度も何度も二人の無事を願っていた。


      ◇   ◇   ◇


 いくら上空に駆け上がろうが、木々はディオウたちを捕らえんと枝を伸ばしてくる。
 びりびりと大気が振動し、ディオウの顔に苦痛の色が浮かび始めた。
 遂に、自分にも聞こえてきたか。
 森の悲鳴と憎悪。そして哀愁。
 意識しなければ聞こえないはずの自然の声。
 それがディオウまで聞こえるようになったということは、ヴァルトであるタカトがどれだけの重みに耐えているのか。
 想像は容易にできた。
「このままじゃ、タカトが内側から壊されるぞ……」
「そんなっ……!」
 ディオウの呟きに絶句したアズウェルは、腕の中で荒い呼吸を繰り返すタカトを見つめた。
 顔色は蒼白になり、額からは汗が滲んでいる。時々、呻き声と共に、瞳から雫が零れ落ちていた。
 ただ逃げているだけでは、タカトを救うことはできない。
 何とかしなければ。
 拳を握りしめ、アズウェルはごくりと息を飲み込む。
 迷っている暇はない。
「マツザワ、タカトをよろしく」
「あ、あぁ」
 アズウェルは、抱きかかえていたタカトをマツザワに預けた。
「おい、アズウェル何してる。しっかり掴まっていろ」
「ディオウ、二人を頼んだぜっ!」
 ディオウの頭をぽんと一つ叩く。
「アズウェル、一体どうするつも  
 かけられたマツザワの言葉は、最後まで届かない。
 風が吹き抜ける大空に、アズウェルは身を躍らせた。

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コメント

ラキィが森に近づきたがらなかった。
理由があるんだろうなと思ってたんですけど、それ以上の森の過去があるみたいなので・・・気になってます。

「アズウェル・・・また無茶な行動とるのっ」て思いながら
アズウェルの活躍を期待してる自分がいました。
>>CHIEsさん
おぉ、鋭いですね(汗)
ラキィが森に入りたがらなかった理由は、森の過去とちょっと関係があったりします。
その辺りもおいおい断片的に出てきますので、お楽しみにっ!

アズウェル……いわれてますよ(苦笑)
基本的に動いてから考えるタイプなので、無茶ばっかりですね!w
おーい、アズウェル、期待されているぞ、頑張れっ!

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