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HOME>DISERD ~ 禁を断つ者 ~ 【連載中】

第32記 RANK ZERO

 陽は、青い空高く。雲は、青い空切り裂き。
「今日の修行はここまでだ」
「おうっ!」
 汗が滲む手で握った竹刀を肩に乗せ、アズウェルは風の当たる縁側へと足を運んだ。
 道場に北側の壁はない。いくつもの障子を左右に押しやれば、細長い板の間が姿を現す。その板から伝わるやんわりとした温かさを素足で感じ取りながら、空を仰いだ。
 仄かに白色[はくしょく]を帯びた金色の光が、開け放たれた道場に降り注ぐ。
 夏も真っ盛りだ。
 竹刀でぽんぽんと肩を叩きながら、アズウェルは瞳を細めて太陽を眺める。
「今日もあっちぃーなぁ」
「夏は暑い。当たり前のことをほざくな」
 アズウェルに戦闘のいろはを教えている眼帯男、ルーティングが呆れたように嘆息した。
「暑いからあっちぃーって言うんだよ。暑いときに言わないでいつ言うんだよ」
「くだらん屁理屈だな」
 そう切り捨てると、ルーティングは道場を出て行く。
「なっ! おい、待てよ!」
 慌てて縁側から飛び降り、脱ぎ散らかした草履に足を入れる。足早に歩く師を追って、雑草が覆い茂った草原[くさはら]を駆ける。
 やはり草履というものは履き慣れない。
 何度も足を草に取られそうになりながら、[ようや]く追いついたその肩に手を伸ばす。
「待てって!」
 と、その時。
「うぉ!?
 慌てて後を追ったアズウェルは、前触れもなく足を止めたルーティングに勢いよく鼻をぶつけた。予想外の不意打ちに思わず涙目になる。
「~ってぇ……何だよ。いきなり止まったりして……」
 赤みを帯びた鼻を摩りながら、背後からひょっこりと顔を出し、立ち尽くす師を見上げる。
 普段なら二言三言怒号が降ってくるのだが、ルーティングは何一つ言わず佇んでいる。
 ルーティングの右手には、くしゃりと握り締められた黒紙があった。
「それって確か、アキラやユウが使ってるヤツじゃ?」
 今朝方、ユウがマツザワに飛ばしていた白い鳥の正体  符術の一つ、式鳥[しきどり]だ。[まじな]いが織り込まれた和紙に、ワツキの民は宛名と報せを綴る。それを鳥の形に折って、空へ飛ばすのだ。
「黒って、白より上だっけ?」
 確か、和紙の色は緊急性を示していたはず。急ぎの報せだったということなのだろうか。
 しかしアズウェルの問には答えず、ルーティングは用件のみを低い声音で告げた。
「小僧、族長が呼んでいる。すぐに、行け」
「え、おれ宛だったのか、それ!」
 アズウェルが聞き返した時には、既にその背は数歩先を歩いていた。
「ちょ……待てって!」
 呼びかけに振り返ることもなく、がっしりとした背が洞窟の中へと姿を消す。
 相変わらず、伝えることは最低限だ。
「返事くらいしてくれたっていーじゃねーかよ……」
 それともまだ、打ち解けたわけではないのだろうか。数日前の戦を経て、幾分通じ合えたと思っていたのに。
「そんなもん、か……」
 大きな溜息と共に肩を竦めて、アズウェルもとぼとぼと歩き出す。
 洞窟に入ると、水音と暗闇に包まれる。人一人が通れる幅の洞窟は、湿った石と石を繋ぐように苔が生えていて、気を抜くと足を滑らせてしまう。
 この細道が、村を見守る神社と修行を積む道場の架け橋。本来ならば、村外の者であるアズウェルが知る由もない秘密の通路。
「ディオウは通れないよなぁ。まぁあいつは飛べるからいっか……っと」
 出口だ。
 背後から差し込む光が途切れると同時に、白く光る暖簾[のれん]が現れた。
 それは修業の場への道を覆い隠すようにかかる水の暖簾。洞窟中に水の音が反響しているのは、滝の裏側に隠れているためだった。
「現れやがったな……」
 一人毒づくと、アズウェルは眉間に皺を刻み、光と水で織られた暖簾をくぐる。
 滝の門を通ったのはほんの一瞬だったが、金髪がぺっとりと額に張り付いていた。
 乱暴に髪を掻き上げ、不服そうに呟く。
「はぁ~、ここ通るのだけは嫌なんだよなぁ。……濡れるし」
 でも仕方ないか、と溜息一つ。
 気を取り直し、小鳥のさえずりが響く境内をぐるりと見渡す。
 アズウェルが立っている池の畔から左に、守り神が祀られている木造の社殿。
 その右手。古びた社を見下ろすように、池の向かい側に佇むのは、青々と葉を茂らせた桜の樹。
 更に右。村へ降り立つ[きざはし]を守る朱色の鳥居は、石畳を社と挟んでいる。
 穏やかな風が吹き抜け、神木である葉桜がさわさわと囁く。
 たった数日前は戦地だったことが嘘のようだ。
 大木を眩しげに見上げているルーティングに歩み寄り、アズウェルは不満を吐き出した。
「返事っくらいしてくれたっていいじゃねぇか。何でそんな怒ってるんだよ」
 睨み上げてくる弟子に渋面を作り、決まりの悪そうにルーティングは視線を逸らす。
「……悪い。聞いていなかった。別に、お前に怒っているわけではない」
「え、じゃぁどうして」
「俺は、別件だ」
 アズウェルの言葉を掻き消すように、ルーティングは語気を強める。
「別件?」
「お前はお前で何とかするんだな。次の稽古までに鍛えておけ」
「え? 何、どういうことだよ、それ」
 その問いには答えず、ルーティングは携える相方の鞘を握り締める。
 主から言い渡されている任務は、アズウェル・クランスティの監視。
 だが。
 右手の紙を見つめて、呟いた言葉は。
「後悔は、するな」
 己に対してか、あるいは教え子に対してか。
「え、ちょ、ルーティング!?
 どちらに伝えたのかわからぬまま、ルーティングは石段を駆け下りていった。


      ◇   ◇   ◇

 
 この空気には覚えがある。
 何とも言えぬ緊張感が漂う畳の間。
 紫色の座布団に正座をしていたアズウェルは、張り詰めた空気に固唾を飲んだ。乾いた喉にとって、それは単なる気休めでしかない。
 意を決して、固く瞑っていた瞼を上げると、蒼い両眼に眼光の険しい男が映った。スワロウ族族長コウキだ。
 族長の背後に片膝をついている、黒装束に身を包んだ男。アズウェルの記憶に彼はいなかった。
「先日の一件、誠に世話になった。改めて礼を言う」
 厳かな族長の言葉で、真っ直ぐだったアズウェルの背筋が、より一層ぴんと伸びる。
「い、いえ。元々おれが勝手に首突っ込んじゃったんで……」
 族長を前にすると、どうも言葉がぎこちない。
 やはり、この人は苦手なのかもしれない。
 ディオウたちが共にいるならまだしも、たった一人の呼び出しは初めてだ。
 それもアズウェルの苦手意識に拍車をかけ、自然と目線が下がっていった。
「そなたがこの村に滞在している間、無礼を承知で、そなたの素性を調べさせていただいた」
「おれの……素性……」
「如何にも。この村に害をなす者か否か。一族を束ねる立場として、判断することは当然。例え、我らスワロウ族の恩人であろうとも、素性が知れぬ者を置いておくわけにはいかぬのでな」
 アズウェルの首筋を冷たい雫が滑る。
 暑さ故の汗ではない。族長が発する一言一言の重圧、そして険しい眼光が、アズウェルに冷や汗を生ませたのだ。
「タカト」
「はっ」
 族長に呼ばれたのは男が、一歩前に出る。
 アズウェルに軽く礼をすると、タカトは懐から一枚、紙を取り出した。
 幾重にも折り重ねられた淡緑色の和紙を広げ、低く澄んだ声音で記されている文字を読み上げる。
「アズウェル・クランスティ。出生不明。エルジアでフォアロ族として育ち、フォアロ族族長フェルスに育てられる。後に、聖獣ギアディスと会い、生活を共にする。プロという資格は所持していないが、実力あるフレイテジアであり、エンプロイの……」
 淡々と読み上げられるアズウェルの生い立ち。
 誰であっても、根こそぎ調べ上げられるのは、正直気分が悪い。
 当然、後ろめたいことなど何一つありはしないが、しかしそれにしても。
 一体何処から仕入れてきたのか、身内しか知り得ないはずの内容まで含まれていた。
 口元に苦笑を滲ませつつも、アズウェルはタカトがところどころで取る確認に応じる。
「現在、アキラ・リアイリドの家に滞在。旧スワロウ族次期族長であるリュウジ・コネクティードを師として、稽古をしている。以上です」
「うむ。あまり気分が良いものではないだろうが、これを調べてわかったことがある」
 一度言葉を区切り、族長はアズウェルの双眸を見つめた。
 これで出て行けと言われたら、アズウェルに宛はない。還る場所がないのだ。
 首筋を、背筋を、ひやりとしたものが伝う。
 紅い瞳は全てを見透かしているかのようで。
 それから目を逸らすことも叶わないまま、アズウェルはただ次なる言葉を待った。
「そなたは」
 どくん、と鼓動が跳ね上がる。
「ワツキにおいて」
 どくん、どくん。
 僅かな間が、重圧に変わる。
 どうか、早く、答えを  ……
「お、おれは……っ!」
 はっとして、言葉を飲み込む。声が、出てしまった。
 己の鼓動が全身を揺らし、顔が紅潮する。
「アズウェル? どうかしたのか?」
 どう取り繕えば良いのか。
「お、おれは……」
 必死に思考を巡らすが、言葉にならずに言い淀む。
 ものの数秒。重い沈黙が流れた。
 両手を握り締め、俯いたアズウェルは口を開く気配がない。
 暫く様子を見つめていた族長が、すっと立ち上がった。アズウェルに歩み寄ると、片膝を折り、小刻みに震えるその両肩に手を置く。
 怯える子供を諭すように、コウキは柔らかく微笑んだ。
「安心したまえ。何も、恐れることはない。そなたは善なる者、我らの同志だ」
 一つ一つを丁寧に音にされたものは、決してアズウェルを否定するものではなく。
「え、それじゃ、おれ……」
「今後はワツキで暮らすと良いだろう。クロウ族との戦いが終わったわけではない。力を蓄えることもまた、必要になってくる。このワツキに滞在し、我々と同様の任務をこなし、次なる戦に備えていただきたい」
「は、はい! おれ、頑張ります!」
 その言葉に、族長が力強く頷いた。
 アズウェルの動悸が徐々に静けさを帯びてくる。
 族長の背後へ視線を投じると、相変わらず片膝をついているタカトが、微笑みを浮かべていた。
 歳は恐らくアキラたちより上だろう。
 落ち着いた雰囲気の青年は、純粋に新たなる仲間を歓迎しているようだ。
 嬉しさと気恥ずかしさを織り混ぜた笑顔を、アズウェルはタカトに返した。
「では、アズウェル」
「はいっ」
 表情を和らげている族長は、アズウェルが思うほど怖い人ではなかった。
 もしかしたら、今なら冗談を言えるかもしれない。
 そんなことを考えて、アズウェルはこほんと一つ咳をした。
 そう何度も話を中断するわけにはいかない。しっかりと聞かなくては。
 再び族長へ視線を戻すと、茶色い木の板が差し出されていた。
「我ら一族の仲間である証として、この紋章を渡しておこう。任務を行う際、役に立つだろう」
 正方形に切り抜かれた板の中央には、スワロウ族の象徴である燕が描かれている。
「あ、ありがとうございますっ」
 それを受け取ると、アズウェルはほっと一息つく。
 これで生活は安定するだろう。
 エンプロイが燃えたことにより、アズウェルの生活は大きく変わった。
 働き口を失い、クロウ族から命を狙われ、スワロウ族との戦に巻き込まれたのだ。
 あの時に、スチリディーとマツザワの話に首を突っ込まなければ、今も変わらず、自然に囲まれたエルジアで生活を送っていたのかもしれない。
 だが、後悔はしていない。知らない間に知人が傷付くより、遥かにましなのだから。
 改めて、手の中にある証を見つめる。
  クロウ族との戦いが終わったわけではない。
 族長の声が耳奥で再生される。
 これから、仕切り直しだ。
 毎朝九時からルーティングに稽古を付けてもらってはいるものの、思うような成果は得られていなかった。
 実践不足だ、と。
 そう、ルーティングに言われていた。
 もっと強くならねば。
「アズウェル」
 また誰かが、アキラのようになってしまったら。
「アズウェル、聞いておるか」
「あ、は、はい!」
 少し語気を強くした族長の言葉に、アズウェルの背筋は直立する。
 気が付くと、族長は既に元の座椅子へ戻っていた。
「よく、聞いてほしい。早速で悪いが、任務に赴いてもらう」
 冒頭で念を押し、族長は先刻までとは違う厳かな声音で語る。
 真剣な面持ちで居住まいを正したアズウェルは、次の言葉を無言で待った。
「我々スワロウ族がこなす任務は、必要とする実力ごとに階級が付けられている」
「それは、知ってます」
「うむ。その階級がどのように付いているか、知っておるか」
「いや、そこまでは……」
 首を傾げたアズウェルに悠然と頷いて、族長は部屋の外にも聞こえるような声を張り上げた。
「入れ」
 その一声に応じるように、部屋の[ふすま]が開かれる。
 長い黒髪を[なび]かせ、一礼すると、襖の外にいた女はアズウェルを見つめた。
「マツザワ、どうし」
「今回の任務は」
 驚くアズウェルの言葉を遮り、マツザワは凛とした声で言い放つ。
「階級零番。つまり」
「ランク、ゼロ」
 マツザワの言葉を族長が引き継ぎ、タカトが静かに目を伏せる。
「ランク、ゼロって……? ど、どういうことだよ?」
「我々の任務階級は、必要な実力が判断基準である。数字が小さくなればなるほど、より優秀な者を送り出すことが求められるのだ」
 即ち、階級零番とは。
「最上級任務だ」
 平然と告げるマツザワに、アズウェルは目を剥いた。  
「最……上級ぅ!?
 いきなり最上級などできるものなのだろうか。
 実力に比例した階級とはいえ、零番となる任務は滅多に存在しない。
 未だに目を白黒させているアズウェルに、マツザワが両手を畳につけ、深々と叩頭する。
「私と共に任務を引き受けて欲しい。頼む、アズウェル」
「え、えっと……」
 否、と言える状況ではないことは確かだ。
 頭を[よぎ]る不安はただ一つ。
 また怒鳴られるだろう。
 己の金髪をわしゃわしゃと掻き回しながら、アズウェルは牙を剥き出しにして吠える聖獣を思い浮かべるのであった。

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