DISERD extra chapter*陽炎 --
左手は断崖の壁。右手は霧が立ち込む渓谷。
一歩踏み出す度に、湿気を帯びた赤褐色の土がふわりと舞い上がる。
彼らは山頂から吹き抜ける風の刃に掬い取られ、渓谷の底へと落ちていくのだ。
みしみしと軋んだ音を立てて、荷車がゆっくりと、しかし確実に山頂を目指していた。
この山を越えれば、ジェルゼンは目と鼻の先。
極寒の寒さと、目に見えぬ敵との恐怖に耐えながらの旅路は、決して楽なものではなかった。
◇ ◇ ◇
「行くの」
「しかし、まだカツナリさんが来ていません!」
「まちちゃん、ヤヨイたちの任務は何?」
「それは……」
確実に古文書をジェルゼンに届けること。
即ち。
「商隊を護衛し、ジェルゼンまで送り届けること、です」
「そうよ。予定は変えられないの。ヤヨイたちは任務を遂行するだけなの」
例え、非情な決断であろうと。
例え、己の意志に反していようと。
例え、仲間を 見捨てる結果になろうと。
それが、極秘任務。
普段行う任務とは勝手が違うのだ。
理解しているつもりでは、いた。
だが、あくまで〝つもり〟に過ぎなかったということだ。
「……わかり、ました」
実際に突きつけられた現実を受け入れるには、時間を要した。
しかし、そんな時間は与えられるはずもなく。
「マツザワさん、護衛の人数は揃いましたか?」
私たちは背負わなければならない。
「はい、これで全員です」
その、仲間の命も。
◇ ◇ ◇
カツナリさん……
「無事、だろうか……」
生きて、いるだろうか……。
いや、カツナリさんならきっと。
兄さまと引き分けたことは、夢でも幻でもなく、私自身この目で見たことなのだから。
深く大気を吸い込み、大丈夫だと心で呟きながら、静かに息を吐き出す。
そんなことは気休め程度にしかならない。
わかっている、というのに。
無駄な動作を、私はただただ繰り返していた。
そうしていなければ、負の念に押し潰されそうで。
「マツザワさん、具合でも悪いのですか?」
「い、いえ。そういうわけでは……」
「なら良いのですが。顔色があまり良くないので」
申し訳なさそうに首を傾げる商人を見て、ちくりと胸に痛みが生じた。
この人たちは知らないのだ。
何を運んでいるか。
何が起きているか。
これから、何が待ち受けているのか。
親方さんら一部の商人と、私たち護衛しか知らない極秘任務。
何一つ知らされず、運ぶ駒として扱われる人々。
そう、任務の駒。
その響きが、胸の奥に暗い負の念を生む。
「無理はなさらないでくださいね」
にっこりと微笑みを浮かべた顔が、微かに幼馴染の彼に被った。
無邪気さが、とても眩しくて。
「はい」
護らなければいけない。
何としてでも。己の命を賭 してでも。
そして、知られてはいけないのだ。
この、任務の ……
「まちちゃん、上!」
己の耳に届いたのは、ヤヨイさんの声か、轟音か。
どちらが早いか判断する間もなく、私は左手、断崖の上を見上げた。
視線の先には赤褐色の岩盤を剥き出しにした高い、壁。
遙か上空から、地響きを伴う轟音が押し寄せてきた。
何か、来る。
「まちちゃん、荷車を押さえて!」
言われるがままに、荷車の右手に回る。
ヤヨイさんは二、三歩壁を跳躍すると、左手を上に突き出した。
懐から黒い短冊を取りだし、投げると共に、その音に向かって声を張り上げる。
「火橋 !」
ヤヨイさんの左手を軸として、私たちの真上に深紅の橋が架かった。
その橋の上を通過するのは白い波。
凄まじい轟音と共に断崖を滑り降りてきたのは、真っ白な雪の塊だった。
「雪崩か……!」
炎に照らし出され、淡い桃色の影ができる。
火橋で大半が蒸気と化したものの、両端には滝のように雪が落ちてきた。
「皆、火橋の下へ! 急げ!!」
大声を張り上げても、届くか否か。
各々が身の危険を感じ、火橋の下へと足を運ぶ。
しかし、それを阻むかのような揺れる大地に足を取られ、一人、また一人と地べたにひざまずいた。
「あ、あぶな…… !」
身が震えるほどの地鳴りを携えて、雪の化け物は無表情に商隊の半分をえぐり取った。
「まちちゃん、まちちゃん!」
「……っ……! や、ヤヨイさん……」
気を失っていたのだろうか。
起き上がって周囲を見渡すと、つい先程踏みしめていたはずの大地が、ごっそりと消えていた。
あそこにいた商隊の人は……
「く……!」
ヤヨイさんに言われた通り、荷車を揺れから押さえるので精一杯だった。
スイカを降ろせれば。
襲いかかる雪の大群など、一振りで氷漬けにできるものを。
まだ、私は無力だ。
水華の鞘を強く握り締め、目眩を気力で振り払い、立ち上がる。
「まちちゃん」
「はい?」
声の主を顧みると、腰ほどの高さから、私を真っ直ぐに見据えているヤヨイさんの姿があった。
「何か……」
「これから先は何があっても、真っ先に守るのは自分にして、なの」
「な、何を言うんですか。商隊を護るのが我々の務めだと……」
ヤヨイさんは頭[ を一つ振り、私の言葉を遮る。
「ヤヨイも、自分を真っ先に守るから。約束、なの」
答えない 否、答えられない私に念を押し、ヤヨイさんは上空を仰いだ。
場にそぐわない生暖かい風を纏い、黒い影が降ってきた。
「あの出で立ちは!」
峡谷に金属音が木霊する。
二振りの小刀を眼前で交差させ、ヤヨイさんは三日月のように湾曲した大刀を受け止めていた。
「まさか、内部に敵がいたというのか!?」
黒装束で身を包んだ女は、身丈ほどある大刀を軽々と振り上げる。
華奢な体躯からとは思えないほどの力で、女はヤヨイさんを吹き飛ばした。
「ヤヨイさん!」
駆け出そうとした私の目の前に、女が立ちはだかる。
近くで見れば、確かだ。
女はヤヨイさんと全く同じ服装をしていた。
「やはり貴様は……隠密の……!」
しかし驚いている暇はなかった。
鋭利な手裏剣が雨のように降ってくる。
飛び退くと同時に、水華を抜く。
振り向きざまに後方に斬り込むと、高い金属音が響いた。
「何故、貴様がここに!? ……親方さんたちはどうし」
「一族のために、去[ ね」
「 っ!?」
瞬間、手元で閃光が迸る。
赤い砂利を巻き上げ、爆音が大地を揺るがす。
断崖に叩きつけられ、衝撃で全身に激痛が走った。
「ぐ……っ!」
視界は真っ白。
耳鳴りが響いて五感が鈍る。
遠くの方で、不吉な音が聞こえた気がした。
「まちちゃん!」
ヤヨイさんの声が私を呼ぶのと、身体が宙に浮くのはほぼ同時。
蹴り飛ばされた私は、突如現れた純白の壁を呆然と見上げた。
「ヤヨイさん……? ヤヨイさん!?」
目の前にあるそれは、つい先ほど商隊を襲ったものと同じ。
だが、その大きさは先刻の比ではなかった。
商隊を丸ごと飲み込むほどの巨大な白き化け物。
人は、自然の力には遠く及ばない。
一瞬にして全てを飲み込んだ雪崩は、私にその力を悠々と見せつける。
ヤヨイさんはさっき何と言った。
これから先は何があっても、真っ先に守るのは自分にして、なの
その自分が差すものは、私。
己自身を真っ先に守れと。
ヤヨイも、自分を真っ先に守るから。約束、なの
だから、ヤヨイさんも ……
「ばかだ……私は……!」
傍らに横たわる水華の刀身。
愚かで救いようのない使い手の顔を映して。
這うように身体を引きずり、無言の相方を握り締める。
白刃は手の平に食い込み、朱の糸が冷たい大地に流れ落ちた。
痛みなど、感じない。
感じるのは、やり場のない自分への苛立ち。
ヤヨイさんは、己自身を指す時「自分」とは言わない。
必ず、名だけで言霊にする。
己自身で名を呼ぶ時は、より強固な言霊になるから。
「あの時に、言った〝自分〟は……」
これから先は何があっても、真っ先に守るのは自分にして、なの。ヤヨイも、自分を真っ先に守るから
初任務の時に言われた、言霊。
同じ台詞のはずなのに、記憶は曖昧で。
どうしようもなく、己に落胆する。
「繋がっていたのに……!」
気付いた時には、手は届かない。
そう、言霊は繋がっていて。
約束、なの。まちちゃん、ちゃんと守るから
忘れていた、陽炎の言霊。
一歩踏み出す度に、湿気を帯びた赤褐色の土がふわりと舞い上がる。
彼らは山頂から吹き抜ける風の刃に掬い取られ、渓谷の底へと落ちていくのだ。
みしみしと軋んだ音を立てて、荷車がゆっくりと、しかし確実に山頂を目指していた。
この山を越えれば、ジェルゼンは目と鼻の先。
極寒の寒さと、目に見えぬ敵との恐怖に耐えながらの旅路は、決して楽なものではなかった。
◇ ◇ ◇
「行くの」
「しかし、まだカツナリさんが来ていません!」
「まちちゃん、ヤヨイたちの任務は何?」
「それは……」
確実に古文書をジェルゼンに届けること。
即ち。
「商隊を護衛し、ジェルゼンまで送り届けること、です」
「そうよ。予定は変えられないの。ヤヨイたちは任務を遂行するだけなの」
例え、非情な決断であろうと。
例え、己の意志に反していようと。
例え、仲間を
それが、極秘任務。
普段行う任務とは勝手が違うのだ。
理解しているつもりでは、いた。
だが、あくまで〝つもり〟に過ぎなかったということだ。
「……わかり、ました」
実際に突きつけられた現実を受け入れるには、時間を要した。
しかし、そんな時間は与えられるはずもなく。
「マツザワさん、護衛の人数は揃いましたか?」
私たちは背負わなければならない。
「はい、これで全員です」
その、仲間の命も。
◇ ◇ ◇
カツナリさん……
「無事、だろうか……」
生きて、いるだろうか……。
いや、カツナリさんならきっと。
兄さまと引き分けたことは、夢でも幻でもなく、私自身この目で見たことなのだから。
深く大気を吸い込み、大丈夫だと心で呟きながら、静かに息を吐き出す。
そんなことは気休め程度にしかならない。
わかっている、というのに。
無駄な動作を、私はただただ繰り返していた。
そうしていなければ、負の念に押し潰されそうで。
「マツザワさん、具合でも悪いのですか?」
「い、いえ。そういうわけでは……」
「なら良いのですが。顔色があまり良くないので」
申し訳なさそうに首を傾げる商人を見て、ちくりと胸に痛みが生じた。
この人たちは知らないのだ。
何を運んでいるか。
何が起きているか。
これから、何が待ち受けているのか。
親方さんら一部の商人と、私たち護衛しか知らない極秘任務。
何一つ知らされず、運ぶ駒として扱われる人々。
そう、任務の駒。
その響きが、胸の奥に暗い負の念を生む。
「無理はなさらないでくださいね」
にっこりと微笑みを浮かべた顔が、微かに幼馴染の彼に被った。
無邪気さが、とても眩しくて。
「はい」
護らなければいけない。
何としてでも。己の命を
そして、知られてはいけないのだ。
この、任務の
「まちちゃん、上!」
己の耳に届いたのは、ヤヨイさんの声か、轟音か。
どちらが早いか判断する間もなく、私は左手、断崖の上を見上げた。
視線の先には赤褐色の岩盤を剥き出しにした高い、壁。
遙か上空から、地響きを伴う轟音が押し寄せてきた。
何か、来る。
「まちちゃん、荷車を押さえて!」
言われるがままに、荷車の右手に回る。
ヤヨイさんは二、三歩壁を跳躍すると、左手を上に突き出した。
懐から黒い短冊を取りだし、投げると共に、その音に向かって声を張り上げる。
「
ヤヨイさんの左手を軸として、私たちの真上に深紅の橋が架かった。
その橋の上を通過するのは白い波。
凄まじい轟音と共に断崖を滑り降りてきたのは、真っ白な雪の塊だった。
「雪崩か……!」
炎に照らし出され、淡い桃色の影ができる。
火橋で大半が蒸気と化したものの、両端には滝のように雪が落ちてきた。
「皆、火橋の下へ! 急げ!!」
大声を張り上げても、届くか否か。
各々が身の危険を感じ、火橋の下へと足を運ぶ。
しかし、それを阻むかのような揺れる大地に足を取られ、一人、また一人と地べたにひざまずいた。
「あ、あぶな……
身が震えるほどの地鳴りを携えて、雪の化け物は無表情に商隊の半分をえぐり取った。
「まちちゃん、まちちゃん!」
「……っ……! や、ヤヨイさん……」
気を失っていたのだろうか。
起き上がって周囲を見渡すと、つい先程踏みしめていたはずの大地が、ごっそりと消えていた。
あそこにいた商隊の人は……
「く……!」
ヤヨイさんに言われた通り、荷車を揺れから押さえるので精一杯だった。
スイカを降ろせれば。
襲いかかる雪の大群など、一振りで氷漬けにできるものを。
まだ、私は無力だ。
水華の鞘を強く握り締め、目眩を気力で振り払い、立ち上がる。
「まちちゃん」
「はい?」
声の主を顧みると、腰ほどの高さから、私を真っ直ぐに見据えているヤヨイさんの姿があった。
「何か……」
「これから先は何があっても、真っ先に守るのは自分にして、なの」
「な、何を言うんですか。商隊を護るのが我々の務めだと……」
ヤヨイさんは
「ヤヨイも、自分を真っ先に守るから。約束、なの」
答えない
場にそぐわない生暖かい風を纏い、黒い影が降ってきた。
「あの出で立ちは!」
峡谷に金属音が木霊する。
二振りの小刀を眼前で交差させ、ヤヨイさんは三日月のように湾曲した大刀を受け止めていた。
「まさか、内部に敵がいたというのか!?」
黒装束で身を包んだ女は、身丈ほどある大刀を軽々と振り上げる。
華奢な体躯からとは思えないほどの力で、女はヤヨイさんを吹き飛ばした。
「ヤヨイさん!」
駆け出そうとした私の目の前に、女が立ちはだかる。
近くで見れば、確かだ。
女はヤヨイさんと全く同じ服装をしていた。
「やはり貴様は……隠密の……!」
しかし驚いている暇はなかった。
鋭利な手裏剣が雨のように降ってくる。
飛び退くと同時に、水華を抜く。
振り向きざまに後方に斬り込むと、高い金属音が響いた。
「何故、貴様がここに!? ……親方さんたちはどうし」
「一族のために、
「
瞬間、手元で閃光が迸る。
赤い砂利を巻き上げ、爆音が大地を揺るがす。
断崖に叩きつけられ、衝撃で全身に激痛が走った。
「ぐ……っ!」
視界は真っ白。
耳鳴りが響いて五感が鈍る。
遠くの方で、不吉な音が聞こえた気がした。
「まちちゃん!」
ヤヨイさんの声が私を呼ぶのと、身体が宙に浮くのはほぼ同時。
蹴り飛ばされた私は、突如現れた純白の壁を呆然と見上げた。
「ヤヨイさん……? ヤヨイさん!?」
目の前にあるそれは、つい先ほど商隊を襲ったものと同じ。
だが、その大きさは先刻の比ではなかった。
商隊を丸ごと飲み込むほどの巨大な白き化け物。
人は、自然の力には遠く及ばない。
一瞬にして全てを飲み込んだ雪崩は、私にその力を悠々と見せつける。
ヤヨイさんはさっき何と言った。
その自分が差すものは、私。
己自身を真っ先に守れと。
だから、ヤヨイさんも
「ばかだ……私は……!」
傍らに横たわる水華の刀身。
愚かで救いようのない使い手の顔を映して。
這うように身体を引きずり、無言の相方を握り締める。
白刃は手の平に食い込み、朱の糸が冷たい大地に流れ落ちた。
痛みなど、感じない。
感じるのは、やり場のない自分への苛立ち。
ヤヨイさんは、己自身を指す時「自分」とは言わない。
必ず、名だけで言霊にする。
己自身で名を呼ぶ時は、より強固な言霊になるから。
「あの時に、言った〝自分〟は……」
初任務の時に言われた、言霊。
同じ台詞のはずなのに、記憶は曖昧で。
どうしようもなく、己に落胆する。
「繋がっていたのに……!」
気付いた時には、手は届かない。
そう、言霊は繋がっていて。
忘れていた、陽炎の言霊。
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コメント
- 白い怪物のお話
- ヤヨイさん・・・!!!ΣΣ(゚д゚lll)
はげぴょ…違う。カツナリさんに続いてヤヨイ姉さんまでも。
マツザワ、責任感が強いだけに、きっとすごく自分の無力をかみしめてるんですよね。決して彼女のせいじゃないのに。がんばれまちちゃん。
古文書、ワツキじゃないんですね!!どこだろっ!?某アズ君に関係してそうと思うのは読みこみすぎかしら!?
ああっ 続きが待ちきれないッッ!!
- >>kanayanoさん
- 早速のコメント、ありがとうございます♪
責任感の強い彼女はいたたまれないですね(´・ω・`)
いくら強くても自然にはヤヨイも勝てませんでした……
ワツキじゃないとも言い切れませんし、アズウェル関係とも言い切れませんw
ふふふ、これも重要なキーワードになってきますので、気長にお待ちいただければ幸いです。
続きを楽しみにしてくださってありがとうございます!
陽炎も次回いよいよクライマックスですb