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第25記 猛る炎

 紫のライトが、一つのグラスを照らす。
 ウイスキーの中で氷を遊ばせ、女はカウンター上で寝そべっている黄色い生物に語りかけた。
「リン、今何人抜いてる?」
「んとね。いち、に、さん。三人。あ、いま、じぃちゃが消えた。二人? ……にゅにゅ。ごっつとぉじょー。やっぱり三人にゃの」
 後ろ足で耳を引っ掻き、リンと呼ばれた生物は、その身体を丸くする。
 既に寝息を立て始めた相方を見つめて、女は紅い唇の隙間から細い息を吐いた。
 グラスの半分を占めていたウイスキーを一気に飲み干す。
 頬杖をつくと、空になったグラスを揺らした。
「オヤジ、もう一杯」
 氷とグラスが涼しげなメロディーを奏でていた。


      ◇   ◇   ◇


 暗い。
 此処は一体何処なのか。
 疑問を抱いても、答える者は誰もいない。
「別に、どこだっていいや……」
 絞り出された少年の声が、虚しく反響する。
 何処だろうと、構わない。だが。
  自分は一体誰なのだろうか……


      ◇   ◇   ◇


「冷たい……」
 麻痺した右手でもわかるほどに、マツザワが抱えるアキラの体温は下がっていた。
 何もできない歯がゆさに、血の味がするほど下唇を噛み締める。
 自分の額を、血の気のないアキラのそれに重ねる。
 視界の片隅が紅い光で灯され、目尻から滑り落ちる雫が、紅玉のように輝いた。
「死んじゃ……いやだよ……」
 彼女の左手には、紅の[かんざし]が握り締められている。
 それは、アキラが七年ぶりに故郷へ還ってきた時の手土産。
 受け取ったあの日から、一日たりとも肌身離さずお守りとして持ち歩いていた。
 
  神様、どうかアキラを連れて行かないで……


 祈り続ける妹と眠り続ける弟。
 二つの至宝を背にするルーティングは、一歩も退くことはできない。
 何より自身が、勝利以外は許せないのだ。
 使い手[ルーティング]の意思に共感するように、クエンの両脚を紅い炎が覆う。
 膝を曲げ、渾身の力で大地を蹴った。
 クエンの軌跡を辿るように、炎の大蛇が現れ、敵に牙を剥く。
 大蛇を紅焔の刃に絡めると、ルーティングは縦に大きく斬り込んだ。
「流石デスね。十年前の貴方に引けを取らない刀捌きデス」
 ピエールは紙一重で太刀を避けながら、楽しそうにステッキを回す。
『一瞬であの世へ送ってやるぜ』
 空を舞っていたクエンは、ルーティングの上空へ駆け上がる。
炎天楼[えんてんろう]!」
 クエンを頂点に紅の高楼が出現した。
 [やぐら]の軸はピエール。
 刃に帯びていた大蛇を楼観に差し向け、ルーティングは数歩退く。
縛焔[ばくえん]!!
 大蛇が高殿を縛り上げる。
 鳴り響く轟音。
 それと共に爆風が辺りを吹き荒らした。


      ◇   ◇   ◇


 数多[あまた]の岩が鳴き喚く[からす]たちを叩き落としていく。
 ぐちゃり、と無惨に鴉が潰れる音は生々しい。
「ホント、あんたの亀、むかつくわぁ」
 黒曜の髪をかき上げ、ネビセは錫杖[しゃくじょう]を大地に突きつける。
「ネビセ、貴様の鴉も五月蠅[うるさ]いぞ」
 不死鳥の如く岩の下から舞い上がる鴉らを一瞥して、族長は眼前の亀に命令を下した。
「ガンゲツ、月を落とせ」
『意のままに』
 ガンゲツの闊歩は、大地と大気を揺する。
 一歩踏み出す度に、数羽の鴉が墜落した。
「いくら潰したところで、私の子供たちは死にゃしないよ……!」
 錫杖の[きっさき]を向けて、ネビセがコウキに躍りかかる。
 狙うは、心の臓。
「僅かに遅かったな、ネビセよ」
「遅いのは、あんたさ……!」
 捉えた。
 そう思った時。
「っ……!?
 大地が振動すると共に、地鳴りが響く。
 矛先が、定まらない。
 身体を支えるのがやっとのネビセに、コウキは眉一つ動かさず技を繰り出す。
堕天月[だてんげつ]
 彼らの視界に落ちる巨大な影。
 それに気付いたネビセが上を振り仰いだところで、既に手遅れだ。影の外に出ることは叶わない。
 月にも似た巨岩が、全てを圧し潰した。


      ◇   ◇   ◇


「来るぞ、アズウェル!」
 ディオウの怒鳴り声に応じ、アズウェルとラキィは左右に散る。
 ぶん、と何かが素早く空を斬る音がした。
 先刻まで踏みしめていた場所には、巨大な鎌を持った骸骨が立っている。
「うわぁ、これって死神ってヤツ?」
「精霊だな。だがエクストラを唱える気配など……」
 ディオウが疑問を口にした時。
 骸骨の[あご]がカタカタと上下に動いた。
『はーずれ~! オイラは[ひじり]の霊だぜぃ。聖獣のダンナ』
 青ざめるとは、このことを言うのかもしれない。
 容姿にそぐわない陽気な声は、骸骨の不気味さを更に引き立てる。
 悪寒が背筋を駆け上ったディオウに対し、アズウェルは興味津々に呟いた。
「え、もしかして、闇の聖霊……?」
『金髪のダンナ、いい目してるぜぃ! その通り、オイラは世界でも珍しい闇の守人[もりびと]、スカロウ様よぅ!』
 先程感じた不気味さを訂正し、ディオウは骸骨に侮蔑[ぶべつ]の眼差しを向ける。
「ふん、聖霊ごときが何を言う」
「ディオウ。張り合う所じゃないわ……」
 嘆息したラキィが、額を右耳で抑え首を振る。
 決戦の最中だというのに、全く[もっ]て緊張感のない絵図に[しび]れを切らし、骸骨の背後に立つ少年が口を開いた。
「スカロウ、それは、敵」
 被っていたフードを取り、アズウェルたちを指差す。
「え、おまえって!」
「道理で……聖の霊が出てくるわけだ」
「ちょっと、アズウェル大丈夫なの!?
 口々に言葉を並べる彼らを、めんどくさそうに見つめる少年の名は、キセル。
 彼の耳は横に長く、先端が尖っていた。
『ダンナァ。戦中に余所見[よそみ]はいけませんぜ』
「まずい、アズウェルッ!」
 ディオウが叫ぶ。
 予め予知能力を起動していたアズウェルは、難なくスカロウの太刀を避けた。
「大丈夫! 油断するといてぇ目に遭うってのは、しこたま教えられたから!」
 強大な敵を前にしても、怯まない。
 何故なら己の力を信じているから。
 そしてどのような状況であろうと、戦いの場面では気を抜かない。
 ルーティングに骨の[ずい]まで叩き込まれた教えを、頭の中で繰り返す。
 キセルの背後に紅い炎の塔を見とめて、アズウェルは小刀を構えた。


      ◇   ◇   ◇


 高楼から人影が消える。
 クエンの業火はピエールを確実に捉えた。
 しかし、薄らいでゆく炎の向こうに、あのシルクハットが見えたのだ。
『変わり身か』
 忌々しそうにクエンは舌打ちする。
 ピエールが冷酷な笑みを浮かべ、仰々しく会釈をした。
「助かりマシタよ。お陰でセロ君の火葬ができマシタ」
 自慢の口髭をいじりながら、燃え尽きた黒い塊をステッキで指し示す。
 その灰は吹き抜ける風に運ばれていく。
 [すす]が頬に触れたことを感じ、ルーティングは微かに眉をひそめた。
「私の魔術、ご存じデスよね?」
 沈黙をもって返答したルーティングの目が、突如見開かれた。
『まさか……!』
 クエンも気付き、二人同時に背後を顧みる。
「兄……さ、ま……」
 掠れた妹の声が、彼らの予想を裏付けた。
『くそ!』
 炎のラインを掻き消して、クエンが二人の元へ駆け寄る。
 幼馴染の首を絞めていたアキラを、クエンは容赦なく蹴り飛ばした。
「大丈夫か、ミズナ」
 片膝をつき傍らで囁く兄に、マツザワはそれよりも、とアキラを見やる。
 アキラの瞳はあの時のセロと同じ、闇の色。
 眼光を一層険しくして、ルーティングはアキラを見据える。
 ルーティングが駆けつける前に、既に手は打たれていた。
 傀儡[くぐつ]と化したアキラが、ゆらりと立ち上がる。
 アキラを止めるには身体を殺すか、ピエールを倒すかの二択。
 下手にピエールを狙えば、アキラが盾にされる可能性もある。
「サテ、リュウジ・コネクティード。どう出マスか?」
 紫黒[しこく]に染まった満月を背景に、闇の傀儡師は冷嘲を浮かべた。
 パチン、と竹林に音が木霊する。
 目を[みは]るルーティングたちの前に、黒い[つばめ]が顕現した。
「確か……ゲンチョウと言いマシタか。風神、デシタよね?」
 意志を持たないアキラとゲンチョウが、三人に斬撃を飛ばす。
 ミズナを突き飛ばし、ルーティングは右に身体を捻る。
 大地を[えぐ]る風の爪。
 ゲンチョウが羽ばたく度に、その爪が彼らを襲った。
「クエン!」
 相棒の名を呼び、紅い刃をアキラに向ける。
「兄さま!?
 驚愕の声を上げるマツザワを黙殺し、彼は身体にクエンの炎を[まと]った。
 ここで負ければ、ミズナを庇ったアキラの意に[そむ]くことになる。
 心を、感情を殺し、込み上げてくるものを胸の奥に押し込める。
『リュウ、ゲンチョウのじーさんが相手じゃ俺も手を抜けねぇ』
 重圧を含んだ声音が、事態の深刻さを物語る。
「わかっている」
 短く応えて、右目を細めた。
 せめて、ソウエンが近くにいれば。
 ソウエンとショウゴの気を辿ることは可能だ。
 破壊力ではワツキの中でも水龍様と肩を並べる双子の鬼。片方の力だけでも、ゲンチョウやガンゲツに渡り合うことはできる。
 だが、あくまで渡り合うだけだ。操られている二人を、丸め込むほどの力はない。
 首筋を汗が滑る。
 紅焔を正眼に据え、風と炎が猛る間合いに飛び込んだ。


      ◇   ◇   ◇


 カウンターの上で身動[みじろ]いだ小動物は、目元を尾で覆い、くぐもった声を出す。
「じぃちゃが……くえんの咆哮が聞こえるにょ」
 ガラスが割れる音がバーに響く。
 グラスを握り潰した右手は、流れる鮮血も気にせずに、より強く破片を握り締める。
 苛立を、痛覚で鎮めるように。
「勘弁してくれよ、アヤさん。それ五十七個目だよ」
 またかと言わんばかりに、亭主は肩を落とす。
 懐から出した金貨をカウンターに叩きつけ、アヤはぶっきらぼうに言い放った。
「金はあんだ。次に来る時までに作っておけ」
 五十八個目のグラスを注文すると、リンの首根っこを掴み上げ、席を立つ。
 その腕を伝い、リンはアヤの肩へ移動した。
「どうしゅるにょ?」
「加勢はしない。折角尻尾を掴みかけたんだ。……まだ、戻れない」
 扉を押し開けると、不気味な空が広がっていた。
 不吉を告げるように、暁降[あかときくた]ちの空に雷鳴が轟いた。

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コメント

 こんばんは、仙咲です。

 アキラさん、死んだりしませんよね!?
 精神的な攻撃は、ある意味肉体的な攻撃よりも辛そうです……。
 大好きな二人のピンチなので、はらはらしながら読んでます。

 そしてまた可愛い小動物キャラクターが……!
 一目惚れ(一読惚れでしょうか?)しました。
 また続きを楽しみに読ませていただきます♪
 ではでは!
>>仙咲さん
こんばんは! コメントありがとうございます☆

アキラ……彼の行く末はどうなるのか、死なないように応援してあげてください><
なかなかピエールは手強い奴です。
ミズナも心配するので精一杯な感じですね。
ここはひとつ、八年振りに再会した兄さまに頑張っていただきましょう!

おー、リンに興味を持っていただけて嬉しいです♪
この子の活躍はもうしばらく先ですが、覚えてていただけると幸いです。
ありがとうございますー!
もうちょっとリズムが戻ってきたら、仙咲さんの小説も読みに伺いますね><

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