禍月の舞*Past Memory 『想うが故に 〝after episode〟』
あの桜を見なくなってから七年目の春が訪れた。
「ルーティング、こっちですよ、こっち!」
「主、俺は任務が……」
現在俺は、クロウ族のシルードに仕えている。当然、俺たちの宿敵である本家ではないわけだが。
「任務ってボクがお願いしたあの件でしょう?」
「あぁ。まだ片付いたわけではない」
「じゃ、今日はボクに付き合うことが任務で」
爽やかな笑顔で、主はさらりと命令を下した。
「……俺は人混みは」
「ほら、ルーティング! あそこにリンゴ飴が売ってますよ!」
屈辱の記憶が甦る。俺は小さく嘆息した。
主と俺はロサリドの春祭りに来ている。ディザード有数の大都市なだけあり、祭りに来る奴らが多い。大きな声でなければ会話にならなかった。
「……俺は甘いものは」
届かないであろう言葉を漏らした時、ある会話が一際大きく俺の耳に入った。
「ほな、おやっさん。わいはワツキに寄ってきますわ」
「あいよ! 族長さんによろしゅうな!」
「しかと、伝えときますわ~」
親方と一緒にいたあいつは……
「ルーティング! ボクの話聞いていましたか?」
「あ、主……いや、その……」
主が俺の前で仁王立ちしていた。
俺はそろそろと背後へ視線を送る。
先刻の二人は、既に人混みの中へ姿を消していた。
「誰かいたのですか?」
刀を持っていなかったな……
だが、あいつの選んだ道なら。あの心は失われていないだろう。
俺は静かに目を閉じる。
「ルーティング……?」
ゆっくりと瞼を上げて、俺を見上げる顔に微笑む。
「少々……懐かしい風が吹いたな、と」
◇ ◇ ◇
こんこん、とある屋敷の窓を拳で叩く。
「入って構わんぞ、ショウゴ」
「はぁ~い」
開いた窓から中へ身を送った。
「あっきーが戻ってきたとか?」
「あぁ、さっき私の所へ来たな」
「どうだったぁ?」
族長の部屋にどかりと座り込む。
「うむ……何というか、親方さんに染め上げられたというか……」
苦笑いを浮かべながら話す族長だが、とても嬉しそうに見えた。
「ってことは、あの独特の訛りがぁ~」
「見事だったぞ」
「そりゃ、まぁ……」
あっきー、みずなちゃんに殴られるなぁ~。「何だそのふざけた口調は!」と切れる彼女が目に浮かぶ。
「あぁ~、そういえばー。たっちゃんの話聞きましたー?」
「リュウジのことか……風の便りでな。ショウゴ、どう思う?」
リュウジはクロウ族の一員となり、オレたちと同じように任務をしているらしい。
「べ~つに、なぁにも。オレっちはむしろ嬉しいかな~」
「嬉しい……?」
親友が
リュウジはあいつなりに考えてのことだろう。ずっとワツキにいたオレが口出しすることじゃない。オレは誰よりあいつを信じているから、むしろ喜ばしいことだったのだ。
「同じように任務をしてる~ってことはぁ」
「うむ……」
まったく、族長は何を期待しているのだろう。
オレはにやりとほくそ笑んだ。
「そのうち、どっかで会えるかなぁ~って」
オレにとって、それが何よりの報せだった。
窓の外へ顔を向ける。
ひらりと一枚の花弁が舞い降りた。
◇ ◇ ◇
「ユウ!!」
「あら、マツザワさん。どうかなさいましたか?」
呼吸を整えながら落ち着いて問う。
「アキラが……村へ戻っていると聞いたのだが……」
ユウは柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。つい先ほど。今なら……神社にいるかもしれません。桜を見に行くと言っておりましたので」
「神社か……ありがとう、ユウ」
身を翻し、再び全力疾走しようとした時。
「あ、お待ちください」
「な、何か?」
ユウは
「アキラさんから頼み事です」
「頼み……事?」
「ええ、マツザワさんに。このお土産を〝ミズナさん〟に届けて欲しいと」
速くなっていた鼓動が、一瞬止まった。
手の中にある物へ視線を送る。
それは綺麗な
「お願い、できますか?」
なかなか答えない私に、ユウが首を傾げて尋ねてくる。
「あぁ。必ず、届けよう」
「はい」
にっこりとユウが微笑んだ。その笑顔を見るのは、七年ぶりだ。
「少し、神社に行ってくる」
「お気をつけて」
目と鼻の先ほどだから、気をつけることもないのだが、彼女はどこへ行く時でもそう言った。それは、アキラが怪我をして村へ戻ってきた日から。
こくんと頷き、私は駆けだした。
◇ ◇ ◇
満開の桜を見るのは、〝あの時〟以来か。
七年ぶりの桜を一人ぼんやりと眺めていたとき、あいつの声がした。
「アキラ……」
様子を見るに、長い石段を駆け上がってきたようだ。息が上がっている。
ふと、あいつの左手を見ると、おれがユウに頼んでおいた品が握りしめられていた。
「お久しぶりでんなぁ、マツザワはん」
あの方の通り名を口にして、懐かしい気持ちが沸き起こる。
おれはユウと族長から、ミズナがその名を封じたことを聞いていた。
「その……口調……」
あいつがあからさまに顔を
そういえば、親方さんの口調は苦手だと前言っていたな。
「ええ感じやろ~? おやっさんのがす~っかりうつってもうた」
「……前より余計にうるさくなった」
あぁ、嫌味を言われるのも久しぶりだなぁ。
昔のおれなら反論していただろう。でも、今は久しぶりのそれに顔を綻ばせていた。
それがお気に召さなかったらしく、ミズナは刀を突きつける。
「笑い事ではない。ふざけるのも大概にしろ」
「おなごがこないなもん、やたらと振り回したらあきまへんで~」
火に油を注ぐとはこのこと。今は自覚してやっていたりする。向きになるのが懐かしい。
「戯けたことを!」
相変わらずおちょくられることが苦手なようだ。
刀を思いっきり振り下ろしてくる。
「危ないいうてんのになぁ」
おれの今の相棒。
ホントに久しぶりだな、こうして喧嘩するの。
喧嘩をしていれば、またリュウ兄が仲裁に来てくれるだろうか。
心の奥で、そんな気がしていた。
「ほれほれ、社の前でそないなもん出しとったら罰当たりとちゃうん?」
「む……」
ミズナは渋々刀を鞘に収めながら、おれから目線を
「あの……」
「なんや?」
「しばらくは、いるのか?」
囁くような声で聞いてくる。
昔から変わらんなぁ。
「せやな。これからはここを拠点にするさかい。おやっさんに認められて、ワツキ専属の商人になれたからなぁ」
言いながら、おれは池の畔へ足を運ぶ。
「……ミズナ、久しぶりに水切りしねぇか?」
あえてミズナと呼び、かつてのおれの口調で問うた。
突然名を呼ばれ驚いているのか、ミズナは瞠目していた。
「やらね?」
「……いいよ、やろう」
可愛らしい笑みを浮かべると、あいつも〝あの時〟のままの口調で返事をした。
おれたちは小石を手に取り、池を見つめる。
今ここに、リュウ兄はいない。
「せーので投げるぜ」
「うん」
「せ~っの!」
同時に放たれた二つの石は、並んで飛び跳ねていく。
おれたちは、歩き出したんだ。
並行だった石の間隔が徐々に開いていく。まるで、おれたちの進む道が分かれたことを示しているかのように。
静かな沈黙が流れる。
「……さてと。仕事に戻りましょか。マツザワはんも任務抜け出して来たんやろ?」
「な……」
「その格好、よそ行きやもんなぁ」
村にいる間、基本的にミズナは道着姿だった。
図星なのか、そのまま押し黙る。
「そないにわいに会いたかったんかぁ?」
意地悪そうな笑みを浮かべると、案の定あいつは向きになった。
「そんなわけないだろう! すぐに戻る!」
そう怒鳴って、足早に石段を駆け下りていく。
「わいもロサリドへ商談に行かんとなぁ」
ミズナの背を見送りながら、ゆっくりと歩き出した。
カラン、カラン、カラン。
石段を一段下りる度に下駄の音が響く。
振り返ると、神木がおれたちを送り出すように、風が花弁を運んでくる。
「ほな、行ってきますわ」
おれは身を翻し、右手を上げた。
風が吹いた。
それは美しく咲き乱れる花弁を空へ運び、ワツキを駆け抜けていく。
春色の雪がこの地に降り注いでいた。
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