禍月の舞*Past Memory 『想うが故に 〝華〟』
「兄さま……」
私は一人、池の
「アキラ……」
呼んでみても返事はない。
目頭が熱くなる。
「置いて……かないでよ……」
どうして気がつくことができなかったのだろう。いつもあんなに近くにいたのに。
「母さま……私どうしたらいいの……」
◇ ◇ ◇
時は少し遡り、昨日の夕暮れのこと。
買い物に行ったはずのユウが、血相を変えて村へ戻ってきた。
「ゆ、ユウ?」
「みずなおねえちゃん……! ごめんなさい、どいてください!」
何かあったのだろうか。
ユウの駆けていく姿を呆然と見送る。
しばらくして、ショウゴさんが村へ帰ってきた。傷だらけのアキラを抱えて。
「アキラ!?」
私が駆け寄ると、アキラは決まりが悪そうに笑みを浮かべた。
「あはは。しくっちゃった。かっこわりぃな」
笑っているアキラに対して、ショウゴさんの表情は暗い。
「ミズナ、ちょっと族長にこれ預けてくれよ」
「え……」
アキラが差し出したのは、普段手放すことなどほとんどない玄鳥。
「お、おれさ。こっちの腕折っちまったみてぇだから。ユウは手入れできねぇからよ」
「あ……あぁ、わかった」
頷いて私は玄鳥を受け取った。
「よろしくな」
再びアキラが微笑む。
「あっきー、ゆーちゃん待ってるから」
「あ、はい」
ショウゴさんに連れられて、アキラは自宅へと帰っていった。
「今、ショウゴさんの声震えていたような……」
気のせいだよね、きっと……
身を翻し、私も家へ足を運んだ。
「父上、失礼します」
「アキラが怪我をしたそうだが」
「あ、はい。全身傷だらけでした。利き腕を骨折したようで、しばらくこれを預かって欲しいと」
そう言って玄鳥を父さまの前に差し出した。
一瞬、父さまは目を瞠る。
僅かの沈黙が長く感じられた。
「……そうか」
玄鳥を手に取り、その目を細める。
「他に何か変わったことは?」
「え、いえ。アキラは特に」
「そうか……」
それきり、父さまは口を開かなかった。
◇ ◇ ◇
今思えば、あの時にショウゴさんも父さまも気付いていたんだ。アキラの異変に。
私だけ、気がつかなかった。
後悔が頭をよぎる。
「今更……追いかけても……」
どこにいるかすらわからない。
「なんで、私に何も言わないで行っちゃうのよ……」
アキラはもう、この村にいない。
私がそれを知ったのはついさっきだった。
◇ ◇ ◇
昨日のことが気がかりで、夕刻、ユウの家を訪れてみた。
いつもより静かだ。アキラは寝ているのだろうか。
「ユウ? いるか?」
「あ……みずなおねえちゃん」
ユウはぼんやりと居間の座布団に腰を下ろしていた。
「アキラは?」
寝ているのだとしても、ユウが夕刻に台所にいないなんておかしい。ユウの両親は随分前に亡くなっているから、家事はもっぱらユウの仕事だったのだ。
「おにいちゃんは……この村にはいません」
「え?」
思わず聞き返す。
「おにいちゃんは……おやかたさんといっしょに、村をでていきました」
それは兄さまを失ったばかりの私にとって、受け入れがたい現実だった。
〝親方さん〟とは、恐らくワツキと外とを結ぶ大商人のこと。
剣術一筋のアキラが、どうして親方さんと一緒に出て行くの?
それに……親方さんって、滅多に村に来ないのに……
「あ……」
昨日の夜、父上が手紙を書いていた。
誰宛かは知らないけれど、急な用事みたいだった。
でも……まさか……
「おにいちゃんが、でていったりゆうは、カタナをふれなくなったからです」
「アキラが……?」
「ごめんなさい。くわしくはショウゴさんにきいてください」
そう言うとユウは微笑んだ。
瞳に大粒の涙を浮かべて。
◇ ◇ ◇
カラン。
突然の足音に顧みると、ショウゴさんが立っていた。
「みずなちゃん、こんなに遅く一人でどうしたの~?」
着物姿に下駄を履き、腰には蒼焔を帯びている。
「……アキラが」
そこまで言い出すが、言葉が出てこない。気持ちが沈み、それと共に俯く。
返事が、ない。
ちらりと目線を上げてみると、ショウゴさんの瞳が揺れていた。
私がそれを見とめたことに気付くと、ショウゴさんは右手で目元を覆い隠した。
「あっきーは、優しい子だよ……」
重い沈黙が流れる。
アキラが刀を振れなくなったのは、兄さまを斬りつけたことが原因だと、父上が教えてくれた。
私が気付かないところで、時は流れていたのだ。
兄さまの跡を私が継げば終わりだと思っていた。そんな簡単なことじゃなかったんだ……
「みずなちゃん?」
気がつくと、ショウゴさんは隣に座り、私の顔を覗き込んでいた。
「自分を責めたらだめだよー。……そぉれっと~」
ショウゴさんが石を投げる。その石は綺麗に水を切って飛んでいった。
「昔これよくやったなぁ。たっちゃんと二人でさ~」
にっこりと微笑み、ショウゴさんは空を仰ぐ。
「こんな、朧月夜だったなぁ。二人でイタズラして、この池の前で水切りしながら、そのいい訳を考えてね~。結局み~んなばれちゃって、ぞくちょーに怒られるんだけど」
「……」
そんなことがあったんだ……。私とアキラも似たようなことしてたっけ。
「たっちゃんもあっきーもね。キミのことを心配していたよ」
「え……?」
「二人とも、自分が出て行くことで、みずなちゃんが自分を責めないか~ってね」
私は何も言えなかった。文字通り、図星を突かれて絶句していた。
「あっきー、そういうところたっちゃんに似てるんだよなぁ。ほんと、あいつの弟みたいでさ」
くすくすと笑みを零すショウゴさんは、どこか寂しげな表情をしていた。
「あ、そうだ。もう一つ、二人揃って言ってたことがぁ」
「なんですか……?」
「それはね~、夢をキミに託すってことだよー」
夢を……私に……?
「ほら、覚えてない? まだあっきーもみずなちゃんも四歳くらいだったから……五年くらい前かなぁ。オレっちたち四人で、約束したじゃん?」
『約束だぞ!』
頭の中でアキラの声がした。
その約束は、遠い遠い昔の記憶。私とアキラが初めて刀を握った日。
「覚えて、ます……」
「今は、もう……オレっちとみずなちゃんだけになっちゃったけどね~」
ショウゴさんは再び石を投げた。今度も鮮やかに飛び跳ねていく。
「だから、オレっちたちは責任重だぁい」
そう言うと、立ち上がって蒼焔を抜いた。
「二人の分も頑張らなきゃね~」
二人の分も……
そっか……初めから私のやることは決まっていたんだ。
「はい」
私も水華を抜く。その刃を蒼焔と交差した。
刀と刀を交えるのは、昔した約束の証。
「さぁ、こんなところにいつまでもいたら風邪引いちゃうよ~」
「……はい」
「戻ろっか」
その笑顔はいつものショウゴさんのものだった。
笑顔で応えて、私たちは石段を下りていった。
◇ ◇ ◇
「次!!」
「ま……マツザワ殿、少し休まれては……」
「私は平気だ。次、出る者はいないのか!?」
あれから数年が経つ。アキラも兄さまも戻ってこない。
でも、私がやることは決まっている。その心は揺らがない。
『父上、お願いがあります』
あの晩、ショウゴさんと話をした後、父さまに自分の気持ちを伝えた。
『名を、封じさせてください』
アキラが玄鳥を封じたように。
兄さまがその名を心に封じたように。
私の名も、その時が来るまで。
『まだ私はミズナとは名乗れません』
強く優しかった二人が、呼んでくれた名前。
母さまに付けてもらった名前。
夢を託された名前。
『スイカを降ろし、己の力で制したときに』
まだ私はスイカを降ろせていなかった。
スイカを降ろし、制御して初めて、その名を名乗れると思った。
だから、それまでは……
ある時は静かに佇む松の如く、ある時は山を切り裂く沢の如し。
その斬り口は淀むことなく澄み渡り、水龍と共に清い流れになる。
〝マツザワ〟はそう謳われた母さまの通り名。
スイカを降ろした母さま。
母さまが亡くなって以来、父さまも兄さまも降ろすことのできなかった水龍様。
私は必ず降ろすから、だからその時まで見守ってください……
「次、出る者はいないのか!?」
「はぁ~い。オレっちとやらなぁい~?」
「お願いします!」
ショウゴさんはあれから程なくしてソウエンを降ろしていた。
今はそのショウゴさんの背を追っている。その先には、アキラと兄さまがいる。
「はじめ!」
強く、強くならなければ。
昔兄さまが教えてくれたことがある。
『失いたくないものは、己の力で守り通せ』
スポンサーサイト
この記事のトラックバックURL
http://diserd.blog111.fc2.com/tb.php/24-80f0afa5