第31記 澄み切った空
暗い部屋を照らす灯りは、僅か一本の蝋燭。
揺らめく灯りの向こうに、長いシルクハットが見える。
「しくじったのか」
「いえ、手は打って来マシタ。なかなかいい手駒になりマスよ」
「そうか。……しっかしてめぇは、十年前もあの紅の龍にやられたんじゃないのか?」
「いえ、今回は。紅の龍……必ずや貴方様の手中に収めてみせマスよ」
不気味な笑い声が石造りの部屋に反響した。
「期待しているぞ」
「有り難きお言葉デス。それよりも……」
玉座で寛 ぐ少年の耳元で、シルクハットの男が囁く。
「……あの男が動いたか」
「紅の龍は配下にされておりマス」
「少々厄介だな」
黒いリンゴを手に取り、忌々しげに少年はそれを投げつけた。
ぐしゃりという音と共に、壁に掛けられた地図に朱色が飛び散る。
「次はここだ」
「仰せの通りに」
瞳を三日月に形に歪め、闇の傀儡師[ は口端を吊り上げた。
◇ ◇ ◇
大地に散乱している欠片を一つ手に取り、ルーティングは低く唸った。
「やはり、傀儡か……」
『十年前と同じだな』
クエンの言葉に、過去の凄惨[ な光景が呼び起こされる。
ピエールが〝本体〟で来たことは未だかつて一度もない。
奴は常に、己の形[ をした〝人形〟で〝遊び〟に来るのだ。
「いつか……」
この手で。
決意新たに、ルーティングは人形の肉片を握り潰した。
◇ ◇ ◇
「役立たずな傀儡師め!」
舌打ちをすると、ネビセは族長コウキを一瞥する。
「次はないと思いな!」
錫杖を地に叩きつけたネビセを、鴉[ たちが覆い尽し、主の姿を霧散させる。
慌ただしく飛び立っていく無数の鴉を睨みつけ、コウキは眉間に皺[ を刻み込んだ。
「二度と来るな……」
『コウキ』
ガンゲツが視線をコウキの後方へ送る。その視線が示す先を顧みる。
其処には、爽やかな微笑を浮かべた栗毛の少年が立っていた。
◇ ◇ ◇
漆黒の鴉が一羽飛んで来た。
『戻れ。傀儡師が破られた。撤退命令だ』
それだけ伝えると、鴉はエレクの肩を鷲掴みにする。
爪が食い込み、反論は許さないという気迫が伝わってきた。
「わかったよ。……命拾いしたね、ミスター・ヒウガ」
口惜しそうに黒薔薇の香[ を聴く。
すっと目を細めた時、エレクは黒き砂となり、風に巻かれて飛んでいった。
「くそっ……!」
大地を覆う黒い砂。
朽ち果てた己の右腕を、左手で握り締める。
エレクは、本気を出していない。
全く歯が立たなかった。
「ユンア……セロ……!」
そして ……
悔しさをぎりっと歯で噛み締め、ヒウガは前方を見据える。
「必ず仇は……!」
憎悪と哀傷が綯[ い交[ ぜになった彼の頬を、穏やかな風が撫でた。
◇ ◇ ◇
「そ……ソウ……」
佇む背中は、何も言わない。静かすぎて余計に怖い。
その背中は確実に怒気を表していた。
「っ……!」
謝らなくてはならないのに、喉が塞がったように声が出なかった。
空気が、凍てついたように痛い。後悔という名の鎖が、ショウゴを締め付けた。
ふいに、ソウエンが口を開く。
『ショウゴ』
抑揚のない声音が、竹林によく通った。
全身がびくりと凍り付く。
自分は、嫌われてしまったかもしれない。
それだけのことを言った。
『眠い』
「え……」
『寝る。当分起こすな』
怒るどころか、いつも通りの態度だ。
予想外のことに、口をぱかりと開けたままショウゴは動けなくなる。
『いいか、起こしたらただで済むと思うな』
「も、もし、起こしたら……?」
『起こしたら、だと? 丸焦げにしてやる』
不機嫌度満点だが、その声は怒っていなかった。
『俺は眠いんだ。もう話しかけるな』
半眼にした瞳をショウゴに向けて、ソウエンは霞[ の如く姿を消した。
一人取り残された形になったショウゴは、微かに囁く。
「どうせなら怒ってくれればいいのに……」
その方がまだいい。
いつもは短気なソウエンが何故怒らないのだろうか。
『僅かでも負い目に感じるなら、二度とするな。餓鬼』
頭の中でぶっきらぼうな声が鳴った。
「やっぱり、怒ってるよね……」
『俺より、後でリュウジに怒鳴られる覚悟をしておけ。間違えても俺に泣きついてくるな』
それを最後に、ソウエンの声は途絶える。
どうやら、今度こそ眠りについたらしい。
「たっちゃんに……クエンに燃やされちゃうかもなぁ~……」
肺の中が空になるまで息を吐き出し、小さく呟いた。
「ソウ、ありがと」
◇ ◇ ◇
笑顔が集まってくる。
マツザワに肩を借りたアキラの姿を見つけて、アズウェルが歓喜の声を上げた。
「マツザワ、アキラ!!」
嬉々として駆け出したアズウェルの後を、ユウたちも追う。
「アキラ、やっぱ生きてた!!」
「あんさんのお陰やで」
「へ……?」
目をぱちくりさせて首を傾げるアズウェルに、アキラはただ微笑みを浮かべるだけだった。
その横で、ユウがマツザワの右腕を治療する。
「じきに、動かせるようになります」
「ありがとう、ユウ」
解毒を済ませると、ユウはアキラへと視線を移す。
その満身創痍な身体を見て、顔を顰[ めると同時に声を荒げた。
「アキラさん! 何ですか、その傷は!!」
「え、あぁ、これはなぁ……」
助けを求めるようにマツザワを見るが、先程泣きはらした彼女の瞳は赤く、睨みつけてくるだけだ。
「マツザワさんも目が赤いし、どういうことなんですか!?」
「ゆ、ユウ。アキラも大変みたいだったんだし……」
大方予想が付くアズウェルが助け船を出す。が、しかし。
「アズウェルさん、貴方もです!!」
「へ?」
「ディオウさんたちがどれほど心配したと思っているんですか!?」
アズウェルがちらりと背後を顧みると、ディオウとラキィが睨みを利かせていた。
恐らく、怒っている。
周り中に睨まれて、背中合わせになったアズウェルとアキラは、どちらともなく溜息をついた。
待つ方も大変なことは、百も承知二百も合点。
とはいえ、当事者も決して自ら危機を招いた訳でもない。
しかしそんなことを言おうものなら、また非難の嵐が降り掛かるだろう。
下手に反論できない二人が思い描いた言葉は、降参の意を示していた。
参った、とはこういう時に使うのだ。
両者は共に右手で頭を掻きながら、天を振り仰ぐ。
「あ……晴れてる」
「ええ天気やなぁ」
二人につられて、ディオウたちも空を見上げる。
「ほんと、よく晴れているわねぇ」
ラキィがくすりと笑みを零[ した。
それに皆が同意する。
今まで黒雲に覆われていたのが嘘のようで。
澄み切った青空が続いていた。
揺らめく灯りの向こうに、長いシルクハットが見える。
「しくじったのか」
「いえ、手は打って来マシタ。なかなかいい手駒になりマスよ」
「そうか。……しっかしてめぇは、十年前もあの紅の龍にやられたんじゃないのか?」
「いえ、今回は。紅の龍……必ずや貴方様の手中に収めてみせマスよ」
不気味な笑い声が石造りの部屋に反響した。
「期待しているぞ」
「有り難きお言葉デス。それよりも……」
玉座で
「……あの男が動いたか」
「紅の龍は配下にされておりマス」
「少々厄介だな」
黒いリンゴを手に取り、忌々しげに少年はそれを投げつけた。
ぐしゃりという音と共に、壁に掛けられた地図に朱色が飛び散る。
「次はここだ」
「仰せの通りに」
瞳を三日月に形に歪め、闇の
◇ ◇ ◇
大地に散乱している欠片を一つ手に取り、ルーティングは低く唸った。
「やはり、傀儡か……」
『十年前と同じだな』
クエンの言葉に、過去の
ピエールが〝本体〟で来たことは未だかつて一度もない。
奴は常に、己の
「いつか……」
この手で。
決意新たに、ルーティングは人形の肉片を握り潰した。
◇ ◇ ◇
「役立たずな傀儡師め!」
舌打ちをすると、ネビセは族長コウキを一瞥する。
「次はないと思いな!」
錫杖を地に叩きつけたネビセを、
慌ただしく飛び立っていく無数の鴉を睨みつけ、コウキは眉間に
「二度と来るな……」
『コウキ』
ガンゲツが視線をコウキの後方へ送る。その視線が示す先を顧みる。
其処には、爽やかな微笑を浮かべた栗毛の少年が立っていた。
◇ ◇ ◇
漆黒の鴉が一羽飛んで来た。
『戻れ。傀儡師が破られた。撤退命令だ』
それだけ伝えると、鴉はエレクの肩を鷲掴みにする。
爪が食い込み、反論は許さないという気迫が伝わってきた。
「わかったよ。……命拾いしたね、ミスター・ヒウガ」
口惜しそうに黒薔薇の
すっと目を細めた時、エレクは黒き砂となり、風に巻かれて飛んでいった。
「くそっ……!」
大地を覆う黒い砂。
朽ち果てた己の右腕を、左手で握り締める。
エレクは、本気を出していない。
全く歯が立たなかった。
「ユンア……セロ……!」
そして
悔しさをぎりっと歯で噛み締め、ヒウガは前方を見据える。
「必ず仇は……!」
憎悪と哀傷が
◇ ◇ ◇
「そ……ソウ……」
佇む背中は、何も言わない。静かすぎて余計に怖い。
その背中は確実に怒気を表していた。
「っ……!」
謝らなくてはならないのに、喉が塞がったように声が出なかった。
空気が、凍てついたように痛い。後悔という名の鎖が、ショウゴを締め付けた。
ふいに、ソウエンが口を開く。
『ショウゴ』
抑揚のない声音が、竹林によく通った。
全身がびくりと凍り付く。
自分は、嫌われてしまったかもしれない。
それだけのことを言った。
『眠い』
「え……」
『寝る。当分起こすな』
怒るどころか、いつも通りの態度だ。
予想外のことに、口をぱかりと開けたままショウゴは動けなくなる。
『いいか、起こしたらただで済むと思うな』
「も、もし、起こしたら……?」
『起こしたら、だと? 丸焦げにしてやる』
不機嫌度満点だが、その声は怒っていなかった。
『俺は眠いんだ。もう話しかけるな』
半眼にした瞳をショウゴに向けて、ソウエンは
一人取り残された形になったショウゴは、微かに囁く。
「どうせなら怒ってくれればいいのに……」
その方がまだいい。
いつもは短気なソウエンが何故怒らないのだろうか。
『僅かでも負い目に感じるなら、二度とするな。餓鬼』
頭の中でぶっきらぼうな声が鳴った。
「やっぱり、怒ってるよね……」
『俺より、後でリュウジに怒鳴られる覚悟をしておけ。間違えても俺に泣きついてくるな』
それを最後に、ソウエンの声は途絶える。
どうやら、今度こそ眠りについたらしい。
「たっちゃんに……クエンに燃やされちゃうかもなぁ~……」
肺の中が空になるまで息を吐き出し、小さく呟いた。
「ソウ、ありがと」
◇ ◇ ◇
笑顔が集まってくる。
マツザワに肩を借りたアキラの姿を見つけて、アズウェルが歓喜の声を上げた。
「マツザワ、アキラ!!」
嬉々として駆け出したアズウェルの後を、ユウたちも追う。
「アキラ、やっぱ生きてた!!」
「あんさんのお陰やで」
「へ……?」
目をぱちくりさせて首を傾げるアズウェルに、アキラはただ微笑みを浮かべるだけだった。
その横で、ユウがマツザワの右腕を治療する。
「じきに、動かせるようになります」
「ありがとう、ユウ」
解毒を済ませると、ユウはアキラへと視線を移す。
その満身創痍な身体を見て、顔を
「アキラさん! 何ですか、その傷は!!」
「え、あぁ、これはなぁ……」
助けを求めるようにマツザワを見るが、先程泣きはらした彼女の瞳は赤く、睨みつけてくるだけだ。
「マツザワさんも目が赤いし、どういうことなんですか!?」
「ゆ、ユウ。アキラも大変みたいだったんだし……」
大方予想が付くアズウェルが助け船を出す。が、しかし。
「アズウェルさん、貴方もです!!」
「へ?」
「ディオウさんたちがどれほど心配したと思っているんですか!?」
アズウェルがちらりと背後を顧みると、ディオウとラキィが睨みを利かせていた。
恐らく、怒っている。
周り中に睨まれて、背中合わせになったアズウェルとアキラは、どちらともなく溜息をついた。
待つ方も大変なことは、百も承知二百も合点。
とはいえ、当事者も決して自ら危機を招いた訳でもない。
しかしそんなことを言おうものなら、また非難の嵐が降り掛かるだろう。
下手に反論できない二人が思い描いた言葉は、降参の意を示していた。
両者は共に右手で頭を掻きながら、天を振り仰ぐ。
「あ……晴れてる」
「ええ天気やなぁ」
二人につられて、ディオウたちも空を見上げる。
「ほんと、よく晴れているわねぇ」
ラキィがくすりと笑みを
それに皆が同意する。
今まで黒雲に覆われていたのが嘘のようで。
澄み切った青空が続いていた。
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第30記 おかえり
ずっと聞こえていた。
心に、響いていた 。
「ディオウ、見て!」
ラキィが空中の髑髏を羽で指し示す。
漆黒の髑髏に亀裂が生じ、黄金の光が漏れていた。その亀裂が、全体に広がっていく。
眩い閃光が、視界を覆った。
「アズウェル……?」
見開かれたディオウの両眼が捉えたものは。
光を纏[ い、徐々に鮮明さを増していく一つの人影。
「アズウェル!」
見えた。見えたのだ。あの金色の髪が。
ディオウの足が無意識にその影へと走り出す。
鼓動が早くなり、己が走っていることすら感じない。
ただ一重に、名を呼ぶ。
ずっと呼び続けていた。
心から、叫び続けていた 。
「アズウェル!!」
「だぁあああ!! いい加減にしろ っ!!」
開口一番、まさかの怒号。
不意打ちを食らったディオウは身体が硬直し、両目を瞬[ かせていた。
「ディオウ、おまえ呼びすぎだ! そんなに何度も叫ばなくたって聞こえるやい!!」
なんと理不尽な。ディオウがどれだけ心配したと思っているのだ。
完全に外野となったラキィとユウは、同情の色でディオウを見つめた。
「な、な……な……」
「だいたいなー、そんなに何度も呼ばれたら、こっちが恥ずかしいんだよっ! まったくディオウはデリカシーってのがねぇんだから」
「おい、まて」
それはいくらなんでも心外だ。アズウェルだけには言われたくはない。
そしてなにより。
「あのな……こっちがどれだけ心配したと思っているんだ、この戯け!!」
「な……!? おれだって出るの大変だったんだぞ!!」
「そもそもお前が一回で! おれの呼びかけに応えれば良かったんだ!!」
「一回目? それいつだよ?」
怪訝そうに顔をしかめるアズウェルに、ディオウの肩がわなわなと震える。
あの時は意識がほとんどなかったのだから、覚えていなくても仕方はない。だがしかし。
「大馬鹿アズウェル !!」
半泣きの叫び声が響いた。
そんな様子を傍観していた者たちがいる。
「あの聖獣、かわいそう」
『キセルのダンナァ。敵に情けかけちゃぁいけませんぜ』
「でも、かわいそう」
スカロウはぽりぽりと人差し指で頭を掻いた。
そうではないのだ。敵に同情されたらそれこそ救いがなくなる。
『不憫だねぇ……』
苦笑いを浮かべ、スカロウは踵[ を返した。
『さっさとトンズラしましょうや。怒りの矛先を変えられないうちに』
保護者の言葉に頷いて、キセルもてこてこと駆け出す。
肩越しに視線を送ると、金髪の青年と純白の聖獣は未だに弁戦を繰り広げていた。
「変な、ひとたち」
ほんのり微笑みを浮かべ、数歩先にいる保護者の元へと足を速める。
『また会いましょうぜ、アズウェルのダンナ』
被っている三角帽子を、片手で軽く持ち上げる。
それが合図だったかのように、骸骨とエルフの少年は姿を消した。
◇ ◇ ◇
蒼い仮面を見つめて、ショウゴは愕然としていた。
「ソウ? ソウ……?」
呼びかけても返答はない。
〝キヨミ〟は空を見上げ、眉根を寄せる。
「ピエール、破られたノカ」
長居は無用だ。
仮面を凝視したまま動かないショウゴに、再び〝キヨミ〟の声で語りかける。
「ショウゴ、その仮面私に渡してくれる?」
だが予想に反して、ショウゴは首を横に振った。
虚ろだったショウゴの瞳に光が灯る。
「違う。あなたは、キヨミさんじゃない」
唇を噛みしめて、ゼノンから蒼い仮面へ 否、変わり果てたソウエンへ視線を移す。
自分が情にとらわれたばかりに。
後悔してもしきれない。
「ごめん……ごめん……ソウ、ごめん……」
だから、お願い。どうか 戻ってきてくれ……
傍らに横たわる蒼焔を手に取り、ショウゴは祈る想いで唱える。
「蒼焔、降臨!」
瞬間、蒼い闘志が空へ立ち上った。
白い長髪を風に靡[ かせ、蒼白い肌の少年が顕現する。
目を瞠[ るゼノンに、少年が厳かに言い放った。
『貴様程度の力で、神を封じられるとでも思ったか。使い手の意志さえあれば、俺たちは何処だろうと馳せ参じる』
「フーン。それは残念ダヨ。コレクションが増えたと思ったのにナ」
〝キヨミ〟の姿を解くと、ゼノンは宙へと舞い上がる。
『逃がすか!』
激昂したソウエンの炎が、ゼノンを捕らえたと思った時。
一枚の黒い仮面が蒼い炎に包まれて落ちてきた。
戦いの終わりを告げるように、火の粉が散っていく。
既にゼノンの姿は、何処にもなかった。
◇ ◇ ◇
「このっ、阿呆商人!!」
マツザワの左手が、アキラの頬を鮮やかに張り飛ばす。
言動とは裏腹に、彼女は瞳を揺らし、顔を真っ赤に染め上げていた。
アキラは頬を摩[ りながら、意地悪そうに微笑んだ。
「なんやぁ? わいが戻ってきてそないに嬉しいかぁ?」
一年前も似たようなことを言った気がする。確か、そんなわけないとあっさり切られたのだ。
しかし、その時とは別の答えが返ってきた。
「……勝手に置いていったら許さないっ」
予想外の返答に一瞬戸惑ったが、彼女の右手が握り締めているものを見とめて、すぐに微笑みを浮かべた。先程とは違う、温かい微笑みを。
彼女の右手に包まれているそれは、アキラが七年ぶりに帰省した時、ミズナ宛に贈った簪[ 。
毒で犯され麻痺している右手では、もうほとんど握力もないだろうに。
肩を震わせ、涙を堪[ えるその姿は、マツザワというよりはミズナの方に近いのかもしれない。
幼き頃の、表情豊かな彼女が瞳の奥に映る。
自分より拳二つばかり身長が低い彼女の頭を優しく撫でて、アキラは小さく呟いた。
「ごめんな、心配かけて」
「ばかっ!」
そのまま、赤面して俯くミズナの頭をそっと抱き寄せる。
ミズナは抵抗せずに、ただただ「ばか」と繰り返していた。
やっぱり感情を表に出す方が、断然可愛い。
そんなことを考えて、初めて安堵感が広がっていく。
命を捨てる覚悟はした。
だが、戻ってみれば、こんなにも温かい場所が待っていたのだ。
帰る場所は、在った。
待っていてくれた人は、ミズナだけではなかった。
「よく、戻ってきたな」
それは、懐かしい声で。
振り向くと、二度と会えないと思っていた憧れの人物が、目の前にいた。
「リュウ兄……」
本当に、戻ってこられて良かった。心からそう思う。
「帰り道を照らしてくれたからなぁ」
顔を綻[ ばせ、アキラは目を閉じる。
瞼の向こうで、金髪の青年と黄金の小鳥が笑っていた。
心に、響いていた
「ディオウ、見て!」
ラキィが空中の髑髏を羽で指し示す。
漆黒の髑髏に亀裂が生じ、黄金の光が漏れていた。その亀裂が、全体に広がっていく。
眩い閃光が、視界を覆った。
「アズウェル……?」
見開かれたディオウの両眼が捉えたものは。
光を
「アズウェル!」
見えた。見えたのだ。あの金色の髪が。
ディオウの足が無意識にその影へと走り出す。
鼓動が早くなり、己が走っていることすら感じない。
ただ一重に、名を呼ぶ。
ずっと呼び続けていた。
心から、叫び続けていた
「アズウェル!!」
「だぁあああ!! いい加減にしろ
開口一番、まさかの怒号。
不意打ちを食らったディオウは身体が硬直し、両目を
「ディオウ、おまえ呼びすぎだ! そんなに何度も叫ばなくたって聞こえるやい!!」
なんと理不尽な。ディオウがどれだけ心配したと思っているのだ。
完全に外野となったラキィとユウは、同情の色でディオウを見つめた。
「な、な……な……」
「だいたいなー、そんなに何度も呼ばれたら、こっちが恥ずかしいんだよっ! まったくディオウはデリカシーってのがねぇんだから」
「おい、まて」
それはいくらなんでも心外だ。アズウェルだけには言われたくはない。
そしてなにより。
「あのな……こっちがどれだけ心配したと思っているんだ、この戯け!!」
「な……!? おれだって出るの大変だったんだぞ!!」
「そもそもお前が一回で! おれの呼びかけに応えれば良かったんだ!!」
「一回目? それいつだよ?」
怪訝そうに顔をしかめるアズウェルに、ディオウの肩がわなわなと震える。
あの時は意識がほとんどなかったのだから、覚えていなくても仕方はない。だがしかし。
「大馬鹿アズウェル
半泣きの叫び声が響いた。
そんな様子を傍観していた者たちがいる。
「あの聖獣、かわいそう」
『キセルのダンナァ。敵に情けかけちゃぁいけませんぜ』
「でも、かわいそう」
スカロウはぽりぽりと人差し指で頭を掻いた。
そうではないのだ。敵に同情されたらそれこそ救いがなくなる。
『不憫だねぇ……』
苦笑いを浮かべ、スカロウは
『さっさとトンズラしましょうや。怒りの矛先を変えられないうちに』
保護者の言葉に頷いて、キセルもてこてこと駆け出す。
肩越しに視線を送ると、金髪の青年と純白の聖獣は未だに弁戦を繰り広げていた。
「変な、ひとたち」
ほんのり微笑みを浮かべ、数歩先にいる保護者の元へと足を速める。
『また会いましょうぜ、アズウェルのダンナ』
被っている三角帽子を、片手で軽く持ち上げる。
それが合図だったかのように、骸骨とエルフの少年は姿を消した。
◇ ◇ ◇
蒼い仮面を見つめて、ショウゴは愕然としていた。
「ソウ? ソウ……?」
呼びかけても返答はない。
〝キヨミ〟は空を見上げ、眉根を寄せる。
「ピエール、破られたノカ」
長居は無用だ。
仮面を凝視したまま動かないショウゴに、再び〝キヨミ〟の声で語りかける。
「ショウゴ、その仮面私に渡してくれる?」
だが予想に反して、ショウゴは首を横に振った。
虚ろだったショウゴの瞳に光が灯る。
「違う。あなたは、キヨミさんじゃない」
唇を噛みしめて、ゼノンから蒼い仮面へ
自分が情にとらわれたばかりに。
後悔してもしきれない。
「ごめん……ごめん……ソウ、ごめん……」
だから、お願い。どうか
傍らに横たわる蒼焔を手に取り、ショウゴは祈る想いで唱える。
「蒼焔、降臨!」
瞬間、蒼い闘志が空へ立ち上った。
白い長髪を風に
目を
『貴様程度の力で、神を封じられるとでも思ったか。使い手の意志さえあれば、俺たちは何処だろうと馳せ参じる』
「フーン。それは残念ダヨ。コレクションが増えたと思ったのにナ」
〝キヨミ〟の姿を解くと、ゼノンは宙へと舞い上がる。
『逃がすか!』
激昂したソウエンの炎が、ゼノンを捕らえたと思った時。
一枚の黒い仮面が蒼い炎に包まれて落ちてきた。
戦いの終わりを告げるように、火の粉が散っていく。
既にゼノンの姿は、何処にもなかった。
◇ ◇ ◇
「このっ、阿呆商人!!」
マツザワの左手が、アキラの頬を鮮やかに張り飛ばす。
言動とは裏腹に、彼女は瞳を揺らし、顔を真っ赤に染め上げていた。
アキラは頬を
「なんやぁ? わいが戻ってきてそないに嬉しいかぁ?」
一年前も似たようなことを言った気がする。確か、そんなわけないとあっさり切られたのだ。
しかし、その時とは別の答えが返ってきた。
「……勝手に置いていったら許さないっ」
予想外の返答に一瞬戸惑ったが、彼女の右手が握り締めているものを見とめて、すぐに微笑みを浮かべた。先程とは違う、温かい微笑みを。
彼女の右手に包まれているそれは、アキラが七年ぶりに帰省した時、ミズナ宛に贈った
毒で犯され麻痺している右手では、もうほとんど握力もないだろうに。
肩を震わせ、涙を
幼き頃の、表情豊かな彼女が瞳の奥に映る。
自分より拳二つばかり身長が低い彼女の頭を優しく撫でて、アキラは小さく呟いた。
「ごめんな、心配かけて」
「ばかっ!」
そのまま、赤面して俯くミズナの頭をそっと抱き寄せる。
ミズナは抵抗せずに、ただただ「ばか」と繰り返していた。
やっぱり感情を表に出す方が、断然可愛い。
そんなことを考えて、初めて安堵感が広がっていく。
命を捨てる覚悟はした。
だが、戻ってみれば、こんなにも温かい場所が待っていたのだ。
帰る場所は、在った。
待っていてくれた人は、ミズナだけではなかった。
「よく、戻ってきたな」
それは、懐かしい声で。
振り向くと、二度と会えないと思っていた憧れの人物が、目の前にいた。
「リュウ兄……」
本当に、戻ってこられて良かった。心からそう思う。
「帰り道を照らしてくれたからなぁ」
顔を
瞼の向こうで、金髪の青年と黄金の小鳥が笑っていた。