第29記 Encore
『ほほ~。これぁ、オカミィ、面白い術をお持ちのようで』
スカロウは顎 を撫でながら、肩の傷が完治したディオウと、治療を施した張本人であるユウを交互に見つめた。
「アズウェルを返せ!!」
『そりゃぁ、無理な注文ですぜ。フォアロ族の生き残りと聖獣の足止め。これがオイラたちの任務なんで』
肩を竦[ めるスカロウには、余裕というオーラが充満していた。
唸りつつも、それ以上動けないディオウは地団駄踏む。
「おい、治療師、いい加減放せ!」
「だめです。ラキィさんがいいと仰るまでだめです」
治療ついでに麻酔もどきを打ったユウは、至って真剣な面持ちで聖獣に言い返した。
当然ディオウの怒りの矛先はラキィに移るわけだが、口では敵うはずもない。
焦りばかりが募る中で、苛立たしげに歯軋りをする。
何故、何もできない。
何故、アズウェルだけは視[ ることができない。
役立たずの千里眼を己で呪い、三つの瞼を強く閉じる。
聖獣などという肩書きはいらない。そんなものは捨ててやる。だから、おれに、おれに王を守る力をくれ……!
突如断片的に甦った記憶に、ディオウは眉根を寄せた。
「今のは……何だ?」
◇ ◇ ◇
何故もっと早くに気付かなかったのだろうか。
古代文字を宙に描きながら、アズウェルは内心で嘆息していた。
「妖精の扉[ !」
金色[ の文字で織り成された扉から、眩い閃光が放たれる。
「な、なんだよ、これ……?」
「朱雀っ!」
扉から出てきた小鳥は、アズウェルの頭に腰を下ろす。夕日のような炎が、驚愕する少年の頬を照らした。
少年は戸惑いの眼差しをアズウェルに向ける。
気のせいだろうか。先程まで感じていた痛覚が和らいでいた。
「お、おまえ、燃えないのか?」
「あぁ、呼び出したおれは燃えねぇよ。おまえは燃えるかも……?」
「げ……」
後退[ る少年を見て、アズウェルが首を傾げる。
「おまえどっかで見たような……」
「おれ、おまえなんか見たことねぇよ」
「う~ん。何か似たようなやつを見たことある気がすんだけど」
「他人の空似ってヤツじゃね?」
半眼で見上げてくる少年は、七歳くらいだろうか。
ボロボロの着物を身に纏[ い、体中の至る所に切り傷があった。
「うーん、わっかんねぇや。それよりおまえさ……そんなにどこで怪我したんだよ?」
「知るか。それがわかれば苦労しねぇよ!」
「へ? おまえ、覚えてねぇの? いくら何でもその脇腹の傷くらい……」
指摘されて初めて気付いたように、少年は自分の脇腹を見つめた。
何かに貫かれたような痛々しい傷には、黒く変色した血がこびりついている。
ずきん、と痛みが走る。
だが、痛んだのは脇腹ではなく、胸の辺りだった。 まるで、心が軋んだように。
数秒の沈黙が、数時間と錯覚するほど長く感じた。
それに耐えきれず、重々しく少年が声を搾り出す。
「……覚えて……ない」
「そっかぁ。じゃあ、おまえも出口なんて知らねぇよなぁ」
いやはや参った、と言わんばかりにアズウェルは頭を掻いた。
小鳥がキュルっとさえずりながら、両翼を羽ばたかせる。
「知らねぇな。別に出口なんていらねぇよ……」
出口が在ったとして、帰る場所など在るのだろうか。
「なきゃ困るだろ」
押し黙った少年の手を取って、アズウェルは歩き出した。
「おい、何すんだ、放せよ!」
振り解こうとする少年を、アズウェルは自分の目線まで持ち上げる。
「おまえさぁ……ずっとこんなところにいるつもりかよ?」
「おれは、帰るところなんてない!」
そもそも自分が何者なのかすらわからないのだから。
その反撃がアズウェルの勘に障ったらしく、抑揚の乏しい声が返ってきた。
「帰るところがない……? 何で髑髏ん中にいるんだか知らねぇけど、おまえワツキのガキだろ? 親だって友達だっているはずだろ、それをおまえ 」
「知らねぇよ! 何も覚えてないんだ! 放せ、ばか!!」
少年はじたばたと手足を動かし、アズウェルの手から逃れようと試みる。
一方、アズウェルは目尻を吊り上げ、ますます握力を強めていった。
「ば……!? てめぇが覚えてなくたって、誰かがおまえのこと心配してるんだよ、ばか!!」
自分より二回り以上も大きい青年が、闘志剥き出しに食らいついてきた。
唖然としている少年に、アズウェルは更にたたみ掛ける。
「いいな、おれが出口見つけたらここから出るんだぞ! こんなところで野垂れ死んで堪[ るか、くれぇの根性なくてどうすんだよ! おれはまだ諦めねぇ。……アキラだって絶対死んでやしねぇよ」
最後の一言だけは弱々しかったが、少年に最も強く響いたものはそれだった。
「あ、アキラ……?」
誰かはわからない。だが、聞き覚えはある。
聞き返したことにより、アズウェルの感情が爆発した。
「そうだよ、死んでなんかいねぇよ! アキラは、アキラは諦めたりしねぇ! ルーティングだって……マツザワだって、諦めてないはずだ! ダークマジシャンだか何だか知らねぇけど、まだ終わりじゃねぇんだよ!!」
捲[ くし立てる言葉に合わせて、小鳥が巨大化していく。
「お、おい、おまえ……頭の鳥が……」
このままでは自分まで燃やされてしまうのではないだろうか。
と、少年が思った刹那。
小鳥がアズウェルの頭上から飛び立ち、全身の炎を解き放つ。
景色が闇色から黄金へと染まるにつれて、少年の意識が霞んでいく。
「あああああ、もう腹立った! こんな真っ暗にしやがって! 朱雀、ワツキごと照らし出せ っ!!」
朧気な意識の向こうで、アズウェルの怒声が頭に木霊していた。
◇ ◇ ◇
「サテ、終演デス」
左手でシルクハットの鍔[ を少し下げ、ピエールが口端を吊り上げた。
「クエン、火力を上げろ!」
『間に合わねぇよ!!』
怒号に叫び返しつつも、クエンは紅の闘志を爆発させる。
完成間近の印[ は、黒光りを放ちながら回転していた。
「おや、リュウジ・コネクティード。このお坊ちゃんを殺すつもりデスか?」
「兄さま、やめて!」
ミズナの悲鳴が突き刺さる。
だが、ルーティングの意志は変わらなかった。
「アキラごと……消し飛ばせ!」
「だめ っ!!」
ミズナの祈るような叫び声が空を切った時。
風が、止んだ。
アキラを殴り飛ばそうとしていたクエンの動きが、ぴたりと止まる。
『アキラ……?』
「ば……か……ナ……」
ピエールの瞳が驚愕の色に染まる。玄鳥によって貫かれた、自分自身の心臓を見て。
玄鳥を逆手に取り、アキラは己の心臓諸共、背後に立つ敵を串刺しにしていた。
「そんな、いや……! アキラぁ!!」
ミズナが左手で口元を覆い、泣き崩れる。
肩で息をしながら、アキラはうっすらと微笑みを浮かべた。
「せやなぁ……まだ終わりやない……なぁ……」
「意識……を……!?」
言いかけたピエールの首が、宙に刎[ ねられた。
『ミズナ、顔を上げてよく見ろ!』
「ぅ……な、何が……」
身体を震わせながら、クエンの言葉に従う。
目を見開くと、視界を歪めていた大粒の涙が頬を伝って零れ落ちる。
瞠目するミズナの瞳に映るものは。
ぐらりと傾いだピエールの向こうに動く、もう一つの影。
目にも留まらぬ速さで躍り出た人影は、片膝を付き、宙で弧を描く額に玄鳥を突き立てた。
「奥義、幻鳥[ 」
微笑みを浮かべていたアキラが、残像の如く薄らいでいく。
「まだ終演やないで。アンコールがかかったさかいなぁ」
「そうデ……スか。意識を、取り戻すとは……大した……ものデスね。マタ……お会いし……まショウ……」
冷笑を浮かべたピエールの体躯が、突如として吹き飛んだ。
◇ ◇ ◇
神々しい火の鳥が、天を覆い尽くす黒雲を霧散させていく。
「上出来です、アズウェル」
くすりと笑みを零し、シルードは発動直前だった魔法陣を掻き消した。
だから言っただろう?
耳の奥で、大天魔導師の声が響く。
「また、笑われてしまいますね」
身を翻したシルードの姿は、瞬く間に風となった。
スカロウは
「アズウェルを返せ!!」
『そりゃぁ、無理な注文ですぜ。フォアロ族の生き残りと聖獣の足止め。これがオイラたちの任務なんで』
肩を
唸りつつも、それ以上動けないディオウは地団駄踏む。
「おい、治療師、いい加減放せ!」
「だめです。ラキィさんがいいと仰るまでだめです」
治療ついでに麻酔もどきを打ったユウは、至って真剣な面持ちで聖獣に言い返した。
当然ディオウの怒りの矛先はラキィに移るわけだが、口では敵うはずもない。
焦りばかりが募る中で、苛立たしげに歯軋りをする。
何故、何もできない。
何故、アズウェルだけは
役立たずの千里眼を己で呪い、三つの瞼を強く閉じる。
突如断片的に甦った記憶に、ディオウは眉根を寄せた。
「今のは……何だ?」
◇ ◇ ◇
何故もっと早くに気付かなかったのだろうか。
古代文字を宙に描きながら、アズウェルは内心で嘆息していた。
「
「な、なんだよ、これ……?」
「朱雀っ!」
扉から出てきた小鳥は、アズウェルの頭に腰を下ろす。夕日のような炎が、驚愕する少年の頬を照らした。
少年は戸惑いの眼差しをアズウェルに向ける。
気のせいだろうか。先程まで感じていた痛覚が和らいでいた。
「お、おまえ、燃えないのか?」
「あぁ、呼び出したおれは燃えねぇよ。おまえは燃えるかも……?」
「げ……」
「おまえどっかで見たような……」
「おれ、おまえなんか見たことねぇよ」
「う~ん。何か似たようなやつを見たことある気がすんだけど」
「他人の空似ってヤツじゃね?」
半眼で見上げてくる少年は、七歳くらいだろうか。
ボロボロの着物を身に
「うーん、わっかんねぇや。それよりおまえさ……そんなにどこで怪我したんだよ?」
「知るか。それがわかれば苦労しねぇよ!」
「へ? おまえ、覚えてねぇの? いくら何でもその脇腹の傷くらい……」
指摘されて初めて気付いたように、少年は自分の脇腹を見つめた。
何かに貫かれたような痛々しい傷には、黒く変色した血がこびりついている。
ずきん、と痛みが走る。
だが、痛んだのは脇腹ではなく、胸の辺りだった。
数秒の沈黙が、数時間と錯覚するほど長く感じた。
それに耐えきれず、重々しく少年が声を搾り出す。
「……覚えて……ない」
「そっかぁ。じゃあ、おまえも出口なんて知らねぇよなぁ」
いやはや参った、と言わんばかりにアズウェルは頭を掻いた。
小鳥がキュルっとさえずりながら、両翼を羽ばたかせる。
「知らねぇな。別に出口なんていらねぇよ……」
出口が在ったとして、帰る場所など在るのだろうか。
「なきゃ困るだろ」
押し黙った少年の手を取って、アズウェルは歩き出した。
「おい、何すんだ、放せよ!」
振り解こうとする少年を、アズウェルは自分の目線まで持ち上げる。
「おまえさぁ……ずっとこんなところにいるつもりかよ?」
「おれは、帰るところなんてない!」
そもそも自分が何者なのかすらわからないのだから。
その反撃がアズウェルの勘に障ったらしく、抑揚の乏しい声が返ってきた。
「帰るところがない……? 何で髑髏ん中にいるんだか知らねぇけど、おまえワツキのガキだろ? 親だって友達だっているはずだろ、それをおまえ
「知らねぇよ! 何も覚えてないんだ! 放せ、ばか!!」
少年はじたばたと手足を動かし、アズウェルの手から逃れようと試みる。
一方、アズウェルは目尻を吊り上げ、ますます握力を強めていった。
「ば……!? てめぇが覚えてなくたって、誰かがおまえのこと心配してるんだよ、ばか!!」
自分より二回り以上も大きい青年が、闘志剥き出しに食らいついてきた。
唖然としている少年に、アズウェルは更にたたみ掛ける。
「いいな、おれが出口見つけたらここから出るんだぞ! こんなところで野垂れ死んで
最後の一言だけは弱々しかったが、少年に最も強く響いたものはそれだった。
「あ、アキラ……?」
誰かはわからない。だが、聞き覚えはある。
聞き返したことにより、アズウェルの感情が爆発した。
「そうだよ、死んでなんかいねぇよ! アキラは、アキラは諦めたりしねぇ! ルーティングだって……マツザワだって、諦めてないはずだ! ダークマジシャンだか何だか知らねぇけど、まだ終わりじゃねぇんだよ!!」
「お、おい、おまえ……頭の鳥が……」
このままでは自分まで燃やされてしまうのではないだろうか。
と、少年が思った刹那。
小鳥がアズウェルの頭上から飛び立ち、全身の炎を解き放つ。
景色が闇色から黄金へと染まるにつれて、少年の意識が霞んでいく。
「あああああ、もう腹立った! こんな真っ暗にしやがって! 朱雀、ワツキごと照らし出せ
朧気な意識の向こうで、アズウェルの怒声が頭に木霊していた。
◇ ◇ ◇
「サテ、終演デス」
左手でシルクハットの
「クエン、火力を上げろ!」
『間に合わねぇよ!!』
怒号に叫び返しつつも、クエンは紅の闘志を爆発させる。
完成間近の
「おや、リュウジ・コネクティード。このお坊ちゃんを殺すつもりデスか?」
「兄さま、やめて!」
ミズナの悲鳴が突き刺さる。
だが、ルーティングの意志は変わらなかった。
「アキラごと……消し飛ばせ!」
「だめ
ミズナの祈るような叫び声が空を切った時。
風が、止んだ。
アキラを殴り飛ばそうとしていたクエンの動きが、ぴたりと止まる。
『アキラ……?』
「ば……か……ナ……」
ピエールの瞳が驚愕の色に染まる。玄鳥によって貫かれた、自分自身の心臓を見て。
玄鳥を逆手に取り、アキラは己の心臓諸共、背後に立つ敵を串刺しにしていた。
「そんな、いや……! アキラぁ!!」
ミズナが左手で口元を覆い、泣き崩れる。
肩で息をしながら、アキラはうっすらと微笑みを浮かべた。
「せやなぁ……まだ終わりやない……なぁ……」
「意識……を……!?」
言いかけたピエールの首が、宙に
『ミズナ、顔を上げてよく見ろ!』
「ぅ……な、何が……」
身体を震わせながら、クエンの言葉に従う。
目を見開くと、視界を歪めていた大粒の涙が頬を伝って零れ落ちる。
瞠目するミズナの瞳に映るものは。
ぐらりと傾いだピエールの向こうに動く、もう一つの影。
目にも留まらぬ速さで躍り出た人影は、片膝を付き、宙で弧を描く額に玄鳥を突き立てた。
「奥義、
微笑みを浮かべていたアキラが、残像の如く薄らいでいく。
「まだ終演やないで。アンコールがかかったさかいなぁ」
「そうデ……スか。意識を、取り戻すとは……大した……ものデスね。マタ……お会いし……まショウ……」
冷笑を浮かべたピエールの体躯が、突如として吹き飛んだ。
◇ ◇ ◇
神々しい火の鳥が、天を覆い尽くす黒雲を霧散させていく。
「上出来です、アズウェル」
くすりと笑みを零し、シルードは発動直前だった魔法陣を掻き消した。
耳の奥で、大天魔導師の声が響く。
「また、笑われてしまいますね」
身を翻したシルードの姿は、瞬く間に風となった。
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第28記 言霊
何も見えなくなった。
ディオウに呼ばれて振り返ったと思ったら、そこは光一つない暗黒の世界。自分の手すら確認できない。
「マジで何にも見えねぇ……」
呟かれた言葉だけが、出口の見えない闇に木霊した。
実に不気味だ。生き物の住む場所ではない気がする。
「誰かいれば……」
出口を聞けたかもしれない。
嘆息して、頭を抱え込む。
耳鳴りにも似た叫び声が、頭に荒々しく叩きつけられていた。
アズウェルは口をへの字にして低く唸った。
「……ディオウめ」
そんなに呼ばなくても、ちゃんと聞こえている。
声色からは必死さが伺えるが、出られないことにはどうしようもない。
「おれだって早く出てぇよ、こんなとこ」
髑髏に呑まれる瞬間、目があったディオウの表情。それを思い出す度に、アズウェルはいたたまれない気分を味わった。
「もうちょい早くに気付いていれば……」
体力の限界と、精神の限界が交わって起きた惨事。
どのような状況でも気を緩めてはいけない。
ルーティングとの修行で、痛いほど身体に叩き込まれたというのに。
「アキラ、死んでねぇよな……?」
渦巻く不安を抱え込み、一人暗闇の中を延々と歩いていく。
足音すら響かない不気味な空間で、名を呼び続けてくれるディオウの声だけが、アズウェルの心を繋ぎ止めていた。
◇ ◇ ◇
さっきまで此処にいて。
今はいない。何処にも。
「そ……ソウ……?」
ただ其処にあるものは ……
哀しみの音を立てて、蒼い刀が地に堕ちた。
「そう。お利口さんね、ショウゴ」
『それが貴様の能力か……!』
ソウエンの表情が怒りで歪む。
「違うわ。私はキヨミよ、ソウエン?」
『生憎だが』
両腕に纏っている炎を集め、キヨミの姿に化けたゼノンを一瞥する。
『一度死んだ人間に用はない。貴様は偽物だ』
仮面を燃やせば、その不快な容姿も元へ戻るだろう。
一気に片付けなければならない。
ショウゴがいつ暴走してもおかしくないからだ。
『……人間は、弱い』
己だけに囁いて、背後のショウゴへ視線を送る。
一度[ 抉[ られてしまった傷は、長い年月[ を経ても赤みを帯びている。僅かでも触れられれば、深紅の涙が流れるのだ。
クエンは人の子に近い、柔の炎。しかしソウエンは違った。
『俺は怒りと哀しみの剛の炎だ』
人の心を照らし、温めることができるクエンとは、双子でありながら相容れない部分がある。
『お前ができないと言うならば、俺がやる』
「そ、ソウ……?」
『あれは偽物だ。仮にあれが〝キヨミ〟の仮面だとしても、容赦はしない』
「だ……め……」
ゆらりと立ち上がったショウゴは、ソウエンの前に立ちはだかる。背後の〝キヨミ〟を庇うように。
『退[ け』
首を横に振るショウゴの腕を掴み、手加減することなく竹林に投げつけた。
『クエンが顕現している限り俺は消えない。甘かったな、外道』
ソウエンの真骨頂だ。
怒りも哀しみも、全てを〝無〟にして。本能のままに、怒りのままに炎を操る。
『貴様は敵だ』
冷たく放った言の葉が、ショウゴの心に刃物と化して突き刺さる。
あの時、あの人は、自分を庇って。
自分は、親友から、幼い女の子から、母親を奪った。
でも、あの人は、まだ、生キテ、イル ……
渦巻くどす黒い思念に支配された使い手[ が、命令を下した。
「ソウエン、やめろ! 炎を消せ!! 消えろ!!」
我を忘れた哀しい怒声が、ソウエンの鼓膜を貫く。
「消えろって。可愛そうね、ソウエン」
狐のような笑みを浮かべる〝キヨミ〟を、ソウエンはこれ以上ない程に目を見開き、音もなく凍り付いていた。
人の子の一言は、其処に宿る想いが強い。
消えろ。
その一言で、ソウエンの炎を封じるのは容易かった。
瞬く間に両腕から蒼い炎が掻き消える。
光源を失った竹林がざわめき、風がソウエンの四肢を縛り付けた。
刀に宿る自然の化身。彼らは使い手がいて、初めて存在意義を成す。
使い手に否定されること。それは存在意義を否定されたことに等しい。
「あなた、もう炎使えないんでしょ? 邪魔だから、私の盾にでもなってネ」
醜い本性を現した偽りの〝キヨミ〟は、指一本動かせないソウエンの額に手を当て、呪を唱えた。
「絶望[ 」
いくら回想してみても、受け入れることなど、到底できない。
「ソウ……エン……?」
ただ、其処に、在るものは。
蒼い、仮面。
◇ ◇ ◇
族長コウキは冷ややかな視線を岩石に送った。
岩石の下から黒い影が伸びてくる。
それは鴉[ になり、更に複数の鴉がネビセを創り上げた。
「無駄って言ってるじゃなぁい? 相変わらず物覚えが悪いのねぇ~」
幾度潰そうが耳障りな鴉たちは鳴き止まない。
底が見えないネビセの能力に、コウキは眉をひそめた。
印[ 破りはできても、倒すまでには至らない。
『コウキ。ゲンチョウとソウエンが』
ガンゲツの示唆[ に、コウキの眼光が険しくなる。
「クエンは」
『波はある。だが無事だ』
「そうか」
それきり両者は口を閉ざし、ネビセの動きに意識を集めた。
◇ ◇ ◇
頭が痛い。胸が痛い。
「もう、動けねぇ……」
衰弱しきった少年が一人、闇の中で足を引きずっていた。
「ここどこ? おれ、何してんの……?」
考えれば考えるほど、心が塵[ となり、姿が幼くなっていく。
また、何かを忘れてしまった。
だんだん自分が誰なのかすらわからなくなってくる。
「眠っちゃえば楽なのかもな」
虚しく己の言葉が耳の奥まで響き渡る。
本当に眠ってしまおうか。
そう思った時だ。
「うお、今声がした?」
誰もいないはずの闇を青年の声が切り開く。
「だれ……?」
「お、やっぱ声がする! どこにいるー?」
答えたとしてもこの暗闇だ。自分の居場所を口で伝えることはできないだろう。
少年はしばし逡巡の後、両手を振り回す。
近くにいれば当たるはず。
「おーい! あっれ? 空耳だったのかぁ? ……いて!」
当たった。
「おまえ、だれ?」
「あ、今目の前にいんのか? ホント、暗くて不便だよなぁ」
溜息混じりに放たれた声が、突然輝き出す。
「そうだ、あいつ呼べばいいじゃん!」
少年の視界を塞いでいた闇に、一筋の光が差した。
◇ ◇ ◇
白光を放つ魔法陣が、少年の足下を煌々と照らしていた。
「タイムリミット、ですか……」
ふと、空を見上げる。
蠢[ く黒雲が、闇色に染め上げられた満月すらも呑み込んでいく。
「ダークマジックが発動されたら、流石にこちらも待ってはいられませんね」
村が絶望に呑まれるのも時間の問題だ。
しかし、栗毛の少年はなかなか魔法を発動しようとはしなかった。
「ザント、貴方ならどうしましたか?」
淡く微笑み、瞳に慈[ しみの色を浮かべる。
「きっと……こう言うでしょうね」
アズウェルに任せておけ!
懐かしい声が聞こえた気がした。
ディオウに呼ばれて振り返ったと思ったら、そこは光一つない暗黒の世界。自分の手すら確認できない。
「マジで何にも見えねぇ……」
呟かれた言葉だけが、出口の見えない闇に木霊した。
実に不気味だ。生き物の住む場所ではない気がする。
「誰かいれば……」
出口を聞けたかもしれない。
嘆息して、頭を抱え込む。
耳鳴りにも似た叫び声が、頭に荒々しく叩きつけられていた。
アズウェルは口をへの字にして低く唸った。
「……ディオウめ」
そんなに呼ばなくても、ちゃんと聞こえている。
声色からは必死さが伺えるが、出られないことにはどうしようもない。
「おれだって早く出てぇよ、こんなとこ」
髑髏に呑まれる瞬間、目があったディオウの表情。それを思い出す度に、アズウェルはいたたまれない気分を味わった。
「もうちょい早くに気付いていれば……」
体力の限界と、精神の限界が交わって起きた惨事。
どのような状況でも気を緩めてはいけない。
ルーティングとの修行で、痛いほど身体に叩き込まれたというのに。
「アキラ、死んでねぇよな……?」
渦巻く不安を抱え込み、一人暗闇の中を延々と歩いていく。
足音すら響かない不気味な空間で、名を呼び続けてくれるディオウの声だけが、アズウェルの心を繋ぎ止めていた。
◇ ◇ ◇
さっきまで此処にいて。
今はいない。何処にも。
「そ……ソウ……?」
ただ其処にあるものは
哀しみの音を立てて、蒼い刀が地に堕ちた。
「そう。お利口さんね、ショウゴ」
『それが貴様の能力か……!』
ソウエンの表情が怒りで歪む。
「違うわ。私はキヨミよ、ソウエン?」
『生憎だが』
両腕に纏っている炎を集め、キヨミの姿に化けたゼノンを一瞥する。
『一度死んだ人間に用はない。貴様は偽物だ』
仮面を燃やせば、その不快な容姿も元へ戻るだろう。
一気に片付けなければならない。
ショウゴがいつ暴走してもおかしくないからだ。
『……人間は、弱い』
己だけに囁いて、背後のショウゴへ視線を送る。
クエンは人の子に近い、柔の炎。しかしソウエンは違った。
『俺は怒りと哀しみの剛の炎だ』
人の心を照らし、温めることができるクエンとは、双子でありながら相容れない部分がある。
『お前ができないと言うならば、俺がやる』
「そ、ソウ……?」
『あれは偽物だ。仮にあれが〝キヨミ〟の仮面だとしても、容赦はしない』
「だ……め……」
ゆらりと立ち上がったショウゴは、ソウエンの前に立ちはだかる。背後の〝キヨミ〟を庇うように。
『
首を横に振るショウゴの腕を掴み、手加減することなく竹林に投げつけた。
『クエンが顕現している限り俺は消えない。甘かったな、外道』
ソウエンの真骨頂だ。
怒りも哀しみも、全てを〝無〟にして。本能のままに、怒りのままに炎を操る。
『貴様は敵だ』
冷たく放った言の葉が、ショウゴの心に刃物と化して突き刺さる。
あの時、あの人は、自分を庇って。
自分は、親友から、幼い女の子から、母親を奪った。
でも、あの人は、まだ、生キテ、イル
渦巻くどす黒い思念に支配された
「ソウエン、やめろ! 炎を消せ!! 消えろ!!」
我を忘れた哀しい怒声が、ソウエンの鼓膜を貫く。
「消えろって。可愛そうね、ソウエン」
狐のような笑みを浮かべる〝キヨミ〟を、ソウエンはこれ以上ない程に目を見開き、音もなく凍り付いていた。
人の子の一言は、其処に宿る想いが強い。
消えろ。
その一言で、ソウエンの炎を封じるのは容易かった。
瞬く間に両腕から蒼い炎が掻き消える。
光源を失った竹林がざわめき、風がソウエンの四肢を縛り付けた。
刀に宿る自然の化身。彼らは使い手がいて、初めて存在意義を成す。
使い手に否定されること。それは存在意義を否定されたことに等しい。
「あなた、もう炎使えないんでしょ? 邪魔だから、私の盾にでもなってネ」
醜い本性を現した偽りの〝キヨミ〟は、指一本動かせないソウエンの額に手を当て、呪を唱えた。
「
いくら回想してみても、受け入れることなど、到底できない。
「ソウ……エン……?」
ただ、其処に、在るものは。
◇ ◇ ◇
族長コウキは冷ややかな視線を岩石に送った。
岩石の下から黒い影が伸びてくる。
それは
「無駄って言ってるじゃなぁい? 相変わらず物覚えが悪いのねぇ~」
幾度潰そうが耳障りな鴉たちは鳴き止まない。
底が見えないネビセの能力に、コウキは眉をひそめた。
『コウキ。ゲンチョウとソウエンが』
ガンゲツの
「クエンは」
『波はある。だが無事だ』
「そうか」
それきり両者は口を閉ざし、ネビセの動きに意識を集めた。
◇ ◇ ◇
頭が痛い。胸が痛い。
「もう、動けねぇ……」
衰弱しきった少年が一人、闇の中で足を引きずっていた。
「ここどこ? おれ、何してんの……?」
考えれば考えるほど、心が
また、何かを忘れてしまった。
だんだん自分が誰なのかすらわからなくなってくる。
「眠っちゃえば楽なのかもな」
虚しく己の言葉が耳の奥まで響き渡る。
本当に眠ってしまおうか。
そう思った時だ。
「うお、今声がした?」
誰もいないはずの闇を青年の声が切り開く。
「だれ……?」
「お、やっぱ声がする! どこにいるー?」
答えたとしてもこの暗闇だ。自分の居場所を口で伝えることはできないだろう。
少年はしばし逡巡の後、両手を振り回す。
近くにいれば当たるはず。
「おーい! あっれ? 空耳だったのかぁ? ……いて!」
当たった。
「おまえ、だれ?」
「あ、今目の前にいんのか? ホント、暗くて不便だよなぁ」
溜息混じりに放たれた声が、突然輝き出す。
「そうだ、あいつ呼べばいいじゃん!」
少年の視界を塞いでいた闇に、一筋の光が差した。
◇ ◇ ◇
白光を放つ魔法陣が、少年の足下を煌々と照らしていた。
「タイムリミット、ですか……」
ふと、空を見上げる。
「ダークマジックが発動されたら、流石にこちらも待ってはいられませんね」
村が絶望に呑まれるのも時間の問題だ。
しかし、栗毛の少年はなかなか魔法を発動しようとはしなかった。
「ザント、貴方ならどうしましたか?」
淡く微笑み、瞳に
「きっと……こう言うでしょうね」
懐かしい声が聞こえた気がした。
第27記 闇は尚深く
ユウは治療道具の入った籠[ を抱え、村の中を疾走する。
「マツザワさん……! どうか、ご無事で……!」
先刻届いたアキラの式鳥[ には、マツザワの窮地が記されていた。
早く、一刻も早く。
そう足を動かす一方で、彼女の心には蟠[ りがあった。
例え敵であろうと、怪我人を置き去りにして逃げるのは彼女にとって苦だったのだ。
鮮やかな緋色の長髪が彼女の脳裏を掠める。
◇ ◇ ◇
先刻まで自分を苦しめていたヒウガが、片膝を付き肩で息をしている。
緋色隊の隊長と言っていた彼の力は、アキラたちと同等か、或[ いはそれ以上のはずだ。
「まぁ、流石に隊長なだけあるね。僕も少し本気だそうかな」
ヒウガを圧倒しているダークマジシャン、エレクは、黒バラの花びらを一枚もぎ取る。
「サンド・アラクラン」
宙に舞った花弁から紫光[ が迸[ り、漆黒の蠍[ が顕現した。
「僕見てるから、この子とやってね。野郎には触れたくないからさ」
「舐めやがって……!」
ヒウガの両腕を多う紅き爪に、魔力が集まる。
向かってくる蠍に渾身の一撃を叩き込むが、蠍は爪が触れると同時に黒い砂に変化し、掠りもしない。
代わりに、ヒウガの右腕が黒砂[ となって崩れていく。
やはりダークマジシャンは桁違いの実力なのだ。たかが隊長レベルが敵う相手ではなかった。
ユウが知っている中で、ダークマジシャンの襲来は過去二度。
一度目は、ミズナとリュウジの母親、キヨミが命を落とした下弦の乱。
二度目は、およそ十年前の上弦の乱。
どちらもユウは幼過ぎたため、後に聞かされた話だが、十年前に彼女はエレクに遭っている。
あの時、ショウゴはエレク相手に苦戦を強いられたのだ。
天を仰いだユウの瞳に映るものは、どす黒い満月。
これが、偶然とは思えない。
下弦の夜、上弦の夜と来て、今宵は満月の襲来だ。
嫌な予感がした。不安が心に影を落とす。仲間の無事が気がかりだった。
だが、この場から、果たして姿を消していいものなのだろうか。
普段の彼女なら、迷うことなく味方の救護に行くだろう。
しかし、目の前で次々と砂に変貌していく人々、そして、仲間を殺され激昂するヒウガに、ユウの心は揺れていた。
瞼を閉じて、今一度己の立場を鑑[ みる。
治療師である前に、スワロウ族の一員だ。敵に、情を移してはならない。
足元の籠を拾い上げ、味方の救援に向かう決意をする。
その時、一羽の白い鳥がユウの前に舞い降りた。
◇ ◇ ◇
報[ せを受けて、兄と親友の元へと走り出してみたが、〝ヒウガ〟の名前が頭から離れなかった。
彼の名を、何処かで、誰かが、口にしていた。確かに、記憶の隅に在った名だ。
ヒウガ、ごめん……
「まさか……!」
一瞬足が止まり、背後を顧みる。
思い出した。あれは、あの人は。
しかし、立ち止まる猶予はない。時には、人を天秤[ に掛けなければならないこともあるのだ。
迷いを振り払い、再び駆け出す。自分にとってより大切な人を救うために。
だが、現実はいつも、思い通りにはならない。
逸[ る想いを胸に抱く彼女の視界に、凄惨な光景が飛び込んできた。
「アズウェル! アズウェル!!」
「ディオウさん!?」
空中に佇む巨大な髑髏に身体を打ち付ける度に、純白の美しい毛並みは赤黒いものに浸食されていく。
「ねぇ、ディオウ、もうやめてー!」
半泣きのラキィは、へたりと地面に座り込んでいた。
「ラキィさん、一体何が……」
「あんた、治療師の……!」
こくりと頷いて、ユウは次の言葉を待つ。
「アズウェルが、アズウェルがあの髑髏に食べられちゃったの!」
「そんな……!?」
「お願い、ディオウを止めて! あのばか、力ずくで止めなきゃずっと身体をぶつけ続けるわ!」
視線をラキィからディオウに移す。
痛々しい姿のディオウは、傷などものともせずにひたすら叫び続けている。
「アズウェル!!」
ユウは籠から小瓶を取り出すと、ラキィに努めて冷静に言った。
「ディオウさんの怪我を治します……!」
◇ ◇ ◇
どうしてあの人が此処にいる……?
目の前で死んだはずの〝母親〟に、ショウゴの両目は釘付けられていた。
『ショウゴ! あれは幻だ!』
ソウエンが必死に訴えかける。
『もう十数年も前に死んだ人間が生きているわけがないだろう!?』
「そんなことないヨ。ワタシの仮面はネ、その仮面のニンゲンの顔に化けれるんだヨ。そしてさっきも言ったように、コレはニンゲンそのものなんだヨ」
不気味な声の発信源は、ゼノンではない。何故なら、ソウエンには聞こえていないからだ。
ショウゴの頭の中だけに響くそれは、相方の言葉をことごとく否定し、過去の傷を抉る。
「ホラ、思い出してみなヨ。あの時、キミに見えた敵はどんなヤツ……?」
「あの時いたのは……」
ショウゴの目が大きく見開かれ、呻[ き声にも似たものが震える唇から零れ落ちる。
「嘘……だ……」
『おい、しっかりしろ!!』
ソウエンが肩を揺するが、両膝をついたショウゴは、相方を見ていない。何処か遠い彼方を愕然と見つめていた。
反応のないショウゴに、ソウエンは苦虫を噛み潰したように唸る。
『この馬鹿が……!』
色を失ったショウゴは、今にも倒れそうだった。
どうする。これではクエンたちに助太刀するどころの話ではない。
目の前の敵は微笑を浮かべると、その顔の持ち主の声で言う。
「久しぶりね、ショウゴ」
瞠目するソウエンの傍らで、ショウゴの手から刀が滑り落ちた。
◇ ◇ ◇
淡黄の体躯が、突如震えを帯びる。
「あや、しょうごが……!」
焦燥の色に染まるライリンの顔を見つめ、アヤは忌々しげに舌打ちした。
「馬鹿が。未だに引きずってんのか」
だが、戻るわけにはいかないのだ。ここで己の存在を奴らに知られては、今までの努力が水の泡となる。
アヤは苛立ちを胸にしまい込み、自己暗示をかける。
大丈夫だ。ソウエンが傍らにいる。ソウエンなら、ショウゴを守ってくれる。
「りん怖い。すごく怖いにょ……」
不安を煽るライリンの頭をわしゃわしゃと掻き回して、アヤは胸に渦巻く思いを音にする。
「ソウエンがいる。あのへたれは一度燃やされた方がいい」
「でもでもっ」
「リン」
凛とした声音でライリンの抗議を遮[ り、アヤは頭[ を振った。
「託された命[ を忘れたのか。アタシらは戻れないんだ」
そう、自分たちには大きな命がある。そのために、自分は全てを捨ててここにいるのだから。
今戻れば、自分の存在価値など無くなってしまう。
「敵は元を絶たないとね……」
呟かれた言葉に、ライリンは押し黙った。
今のアヤに何を言っても無駄だ。
本音は今すぐにでも駆けつけたいのだろう。その気持ちを殺している使い手に、はぐれ者の自分が何を言えようか。
しょんぼりと項垂[ れるライリンを抱え上げ、アヤは歩調を早めた。
「リン、大丈夫だ。ソウエンを信じろ」
まるで己に言い聞かせるように呟くアヤに、ライリンは告げることができなかった。
ソウエンの気が途絶えたと。
◇ ◇ ◇
一瞬クエンの反応が鈍ったことを、ピエールは見逃さなかった。
アキラの風がクエンを八つ裂きにする。
体中に数多[ の裂傷が刻まれ、ルーティング諸共竹林の中へ吹き飛ばされた。
「兄さま! クエン!」
ミズナが声を上げるが、クエンの耳には届かない。
「どうした、クエン」
訝[ るルーティングにクエンは呆然と呟いた。
『ソウエンが……消えた』
「何だと!?」
目を剥くルーティングは、背後に殺気を感じて咄嗟にクエンを突き飛ばす。
『相棒!』
ルーティングの左肩を玄鳥が貫く。
頬に付いた返り血を拭い、アキラは冷たく微笑んだ。
クエンは自分の情けなさに吐き気がした。
今、一気に劣勢になった。その原因を作ったのは僅かな気の迷い。
歯を食いしばり、ルーティングの肩越しにアキラの顔面を蹴り飛ばす。
アキラは、そう簡単に玄鳥を手放してはくれない。
アキラと共にルーティングの肩から離れた白刃は朱に染まり、宙に血飛沫が舞い散った。
『ごめん、俺のせいで……』
「大丈夫だ」
即答したルーティングの瞳は、まだ諦めていなかった。
「クエン、何があった」
静かに問う使い手に、クエンは泣き出しそうな表情になる。
守り神の中で一番感情を表に出すクエンは、鬼神というより少年の方が似合っている。頼りがいのある相棒だが、弟分のようなものだ。
そんな埒[ もないことを思い、ルーティングは気を落ち着かせる。恐らくクエンが言葉にするのは、自分が描く最悪の状況だ。
『ソウエンが……ソウエンがどこにもいないんだ。気が感じられない』
「ショウゴが蒼焔を手放したと言うことか」
『違うんだ。放しただけなら俺は感じることができる。そうじゃねぇんだ。ソウエン自体の存在が感じられねぇんだ』
絞り出す言葉はとても弱々しかった。
勝ち目が刻一刻と薄れていく。
「……そうか」
平静を装っているルーティングも、立ち上がるのがやっとの状態だった。
今は堪え忍ぶしかない。
徐々にだが、アキラの動きも遅くなってきた。
感情や感覚がないとはいえ、身体には確実にそれまでの痛みや疲労が積み重なっている。降臨を続けていられるのも後僅かだろう。
降臨が解かれれば、こちらにも勝機が見えてくる。
「クエン、まだ、諦めるな……!」
『わかって……る……!』
目眩[ と戦いながら、ルーティングは紅焔を振り続けた。
太刀音が一つ響く度に空の闇が深まり、全てを呑み込もうと黒雲が蠢[ く。
暗闇の中でピエールが口端を吊り上げた。
「サテ、もうじき終演デスね」
風と炎の影に身を潜ませている印[ に、まだルーティングたちは気付いていなかった。
「マツザワさん……! どうか、ご無事で……!」
先刻届いたアキラの
早く、一刻も早く。
そう足を動かす一方で、彼女の心には
例え敵であろうと、怪我人を置き去りにして逃げるのは彼女にとって苦だったのだ。
鮮やかな緋色の長髪が彼女の脳裏を掠める。
◇ ◇ ◇
先刻まで自分を苦しめていたヒウガが、片膝を付き肩で息をしている。
緋色隊の隊長と言っていた彼の力は、アキラたちと同等か、
「まぁ、流石に隊長なだけあるね。僕も少し本気だそうかな」
ヒウガを圧倒しているダークマジシャン、エレクは、黒バラの花びらを一枚もぎ取る。
「サンド・アラクラン」
宙に舞った花弁から
「僕見てるから、この子とやってね。野郎には触れたくないからさ」
「舐めやがって……!」
ヒウガの両腕を多う紅き爪に、魔力が集まる。
向かってくる蠍に渾身の一撃を叩き込むが、蠍は爪が触れると同時に黒い砂に変化し、掠りもしない。
代わりに、ヒウガの右腕が
やはりダークマジシャンは桁違いの実力なのだ。たかが隊長レベルが敵う相手ではなかった。
ユウが知っている中で、ダークマジシャンの襲来は過去二度。
一度目は、ミズナとリュウジの母親、キヨミが命を落とした下弦の乱。
二度目は、およそ十年前の上弦の乱。
どちらもユウは幼過ぎたため、後に聞かされた話だが、十年前に彼女はエレクに遭っている。
あの時、ショウゴはエレク相手に苦戦を強いられたのだ。
天を仰いだユウの瞳に映るものは、どす黒い満月。
これが、偶然とは思えない。
下弦の夜、上弦の夜と来て、今宵は満月の襲来だ。
嫌な予感がした。不安が心に影を落とす。仲間の無事が気がかりだった。
だが、この場から、果たして姿を消していいものなのだろうか。
普段の彼女なら、迷うことなく味方の救護に行くだろう。
しかし、目の前で次々と砂に変貌していく人々、そして、仲間を殺され激昂するヒウガに、ユウの心は揺れていた。
瞼を閉じて、今一度己の立場を
治療師である前に、スワロウ族の一員だ。敵に、情を移してはならない。
足元の籠を拾い上げ、味方の救援に向かう決意をする。
その時、一羽の白い鳥がユウの前に舞い降りた。
◇ ◇ ◇
彼の名を、何処かで、誰かが、口にしていた。確かに、記憶の隅に在った名だ。
「まさか……!」
一瞬足が止まり、背後を顧みる。
思い出した。あれは、あの人は。
しかし、立ち止まる猶予はない。時には、人を
迷いを振り払い、再び駆け出す。自分にとってより大切な人を救うために。
だが、現実はいつも、思い通りにはならない。
「アズウェル! アズウェル!!」
「ディオウさん!?」
空中に佇む巨大な髑髏に身体を打ち付ける度に、純白の美しい毛並みは赤黒いものに浸食されていく。
「ねぇ、ディオウ、もうやめてー!」
半泣きのラキィは、へたりと地面に座り込んでいた。
「ラキィさん、一体何が……」
「あんた、治療師の……!」
こくりと頷いて、ユウは次の言葉を待つ。
「アズウェルが、アズウェルがあの髑髏に食べられちゃったの!」
「そんな……!?」
「お願い、ディオウを止めて! あのばか、力ずくで止めなきゃずっと身体をぶつけ続けるわ!」
視線をラキィからディオウに移す。
痛々しい姿のディオウは、傷などものともせずにひたすら叫び続けている。
「アズウェル!!」
ユウは籠から小瓶を取り出すと、ラキィに努めて冷静に言った。
「ディオウさんの怪我を治します……!」
◇ ◇ ◇
目の前で死んだはずの〝母親〟に、ショウゴの両目は釘付けられていた。
『ショウゴ! あれは幻だ!』
ソウエンが必死に訴えかける。
『もう十数年も前に死んだ人間が生きているわけがないだろう!?』
「そんなことないヨ。ワタシの仮面はネ、その仮面のニンゲンの顔に化けれるんだヨ。そしてさっきも言ったように、コレはニンゲンそのものなんだヨ」
不気味な声の発信源は、ゼノンではない。何故なら、ソウエンには聞こえていないからだ。
ショウゴの頭の中だけに響くそれは、相方の言葉をことごとく否定し、過去の傷を抉る。
「ホラ、思い出してみなヨ。あの時、キミに見えた敵はどんなヤツ……?」
「あの時いたのは……」
ショウゴの目が大きく見開かれ、
「嘘……だ……」
『おい、しっかりしろ!!』
ソウエンが肩を揺するが、両膝をついたショウゴは、相方を見ていない。何処か遠い彼方を愕然と見つめていた。
反応のないショウゴに、ソウエンは苦虫を噛み潰したように唸る。
『この馬鹿が……!』
色を失ったショウゴは、今にも倒れそうだった。
どうする。これではクエンたちに助太刀するどころの話ではない。
目の前の敵は微笑を浮かべると、その顔の持ち主の声で言う。
「久しぶりね、ショウゴ」
瞠目するソウエンの傍らで、ショウゴの手から刀が滑り落ちた。
◇ ◇ ◇
淡黄の体躯が、突如震えを帯びる。
「あや、しょうごが……!」
焦燥の色に染まるライリンの顔を見つめ、アヤは忌々しげに舌打ちした。
「馬鹿が。未だに引きずってんのか」
だが、戻るわけにはいかないのだ。ここで己の存在を奴らに知られては、今までの努力が水の泡となる。
アヤは苛立ちを胸にしまい込み、自己暗示をかける。
大丈夫だ。ソウエンが傍らにいる。ソウエンなら、ショウゴを守ってくれる。
「りん怖い。すごく怖いにょ……」
不安を煽るライリンの頭をわしゃわしゃと掻き回して、アヤは胸に渦巻く思いを音にする。
「ソウエンがいる。あのへたれは一度燃やされた方がいい」
「でもでもっ」
「リン」
凛とした声音でライリンの抗議を
「託された
そう、自分たちには大きな命がある。そのために、自分は全てを捨ててここにいるのだから。
今戻れば、自分の存在価値など無くなってしまう。
「敵は元を絶たないとね……」
呟かれた言葉に、ライリンは押し黙った。
今のアヤに何を言っても無駄だ。
本音は今すぐにでも駆けつけたいのだろう。その気持ちを殺している使い手に、はぐれ者の自分が何を言えようか。
しょんぼりと
「リン、大丈夫だ。ソウエンを信じろ」
まるで己に言い聞かせるように呟くアヤに、ライリンは告げることができなかった。
◇ ◇ ◇
一瞬クエンの反応が鈍ったことを、ピエールは見逃さなかった。
アキラの風がクエンを八つ裂きにする。
体中に
「兄さま! クエン!」
ミズナが声を上げるが、クエンの耳には届かない。
「どうした、クエン」
『ソウエンが……消えた』
「何だと!?」
目を剥くルーティングは、背後に殺気を感じて咄嗟にクエンを突き飛ばす。
『相棒!』
ルーティングの左肩を玄鳥が貫く。
頬に付いた返り血を拭い、アキラは冷たく微笑んだ。
クエンは自分の情けなさに吐き気がした。
今、一気に劣勢になった。その原因を作ったのは僅かな気の迷い。
歯を食いしばり、ルーティングの肩越しにアキラの顔面を蹴り飛ばす。
アキラは、そう簡単に玄鳥を手放してはくれない。
アキラと共にルーティングの肩から離れた白刃は朱に染まり、宙に血飛沫が舞い散った。
『ごめん、俺のせいで……』
「大丈夫だ」
即答したルーティングの瞳は、まだ諦めていなかった。
「クエン、何があった」
静かに問う使い手に、クエンは泣き出しそうな表情になる。
守り神の中で一番感情を表に出すクエンは、鬼神というより少年の方が似合っている。頼りがいのある相棒だが、弟分のようなものだ。
そんな
『ソウエンが……ソウエンがどこにもいないんだ。気が感じられない』
「ショウゴが蒼焔を手放したと言うことか」
『違うんだ。放しただけなら俺は感じることができる。そうじゃねぇんだ。ソウエン自体の存在が感じられねぇんだ』
絞り出す言葉はとても弱々しかった。
勝ち目が刻一刻と薄れていく。
「……そうか」
平静を装っているルーティングも、立ち上がるのがやっとの状態だった。
今は堪え忍ぶしかない。
徐々にだが、アキラの動きも遅くなってきた。
感情や感覚がないとはいえ、身体には確実にそれまでの痛みや疲労が積み重なっている。降臨を続けていられるのも後僅かだろう。
降臨が解かれれば、こちらにも勝機が見えてくる。
「クエン、まだ、諦めるな……!」
『わかって……る……!』
太刀音が一つ響く度に空の闇が深まり、全てを呑み込もうと黒雲が
暗闇の中でピエールが口端を吊り上げた。
「サテ、もうじき終演デスね」
風と炎の影に身を潜ませている
第26記 紫黒の髑髏
高い金属音が周囲に響き渡る。
「あぁ、もう! 邪魔なんだよ、おまえ!」
予知能力を働かせてはいるが、アズウェルは防戦一方だった。
キセルが唱える魔法に、スカロウが繰り出す斬撃。
ディオウやラキィがアシストしてくれるものの、印[ 破りの邪魔をするスカロウに、アズウェルは苛立ちを募らせていた。
『そんなこと言われても、これがオイラの仕事なんで』
ひゅんっという音と共に、風圧がアズウェルの頬を刺激する。予測していなければ、斬られていただろう。
しかし、斬撃ばかりに気を取られては、印破りが疎[ かになる。
スカロウを盾にしているキセルは、再び宙に印を描き始めた。
「アズウェル、それはおれに任せてあのエルフのガキを何とかしろ!」
怒号が轟き、ディオウがスカロウを押し倒す。
それを横目で確認すると、アズウェルは二人の横をすり抜け、詠唱をしているキセルに斬りかかった。
顔色一つ変えないキセルは次々に印を描いていく。
一枚、二枚、三枚、四枚…… 破り続けても、止まらぬ詠唱。
出現と破壊が拮抗している今、隙を見せた方が負ける。
アズウェルの視界が、左右にぶれ始めた。
予知能力を使うには、体力と精神力の消耗が激しい。今まで天気予知以外にほとんど使っていなかったアズウェルにとって、長時間にわたる修行、結界による体力消耗で疲労が相当蓄積されていた。
しかし敵であるキセルがそんなことを気にするはずもなく、立て続けに魔法を詠唱を続ける。
印を一つ破る度に、アズウェルの身体は重くなっていた。
後、何枚残っているのか。一体いつ、終わるのか。
起動時間が長ければ長いほど、急激に体力を削ることに等しい。破り終えた後に一旦予知能力を止めるだけでも、使える回数が増える。
「予知能力って、長いと、疲れる」
ぼそりと呟いたキセルの言葉に、アズウェルの瞳は愕然と凍り付く。
「印破り、大変」
霞[ がかる印を、それでも必死で睨みつける。
キセルは知っていたのだ。アズウェルが予知能力を使っていることを。
情報が流れていると、ディオウが言っていた。
大技を繰り出さず、中級魔法ばかり唱え続けているキセルは、アズウェルより一枚上手だった。
破らされていることを悟ると、小刀を握る力が自然と抜け始めた。
もはや酸欠状態に近いアズウェルに、更なる追い打ちがかかる。
『そーいや、ダンナご存じですかい?』
「あ?」
ディオウの声が、アズウェルには遠くから聞こえるような気がした。
『鉢巻きしてるダンナ、あれってここの住民ですよね?』
アズウェルたちが知る中で、鉢巻きをしている者と言えばアキラしかいない。
倒れ込むアキラと泣きじゃくるマツザワの姿が脳裏に甦[ る。
だが、二人の元へは、ルーティングが駆けつけたのだ。無事だと、信じるしかない。
気力を振り絞り、キセルの印を破り続ける。
『今、眼帯のダンナと対峙してるようで』
「味方同士で対峙してるだと? ふざけたことをぬかすな」
訝[ るディオウに、スカロウが飄々[ と告げる。
『ピエールのダンナは傀儡師っすから、多分鉢巻きのダンナ、傀儡にされてるんじゃないっすか?』
その言葉がアズウェルの耳に突き刺さった。
辛うじて繋ぎ止めていた意識が、急激に遠のいていく。
信じていた。アキラの生存を。ルーティングが行けば、二人を救えるはずだと。
そう、信じていたのに……
「アズウェル!!」
ディオウの叫びは届くことなく、アズウェルの両膝が砕けた。
そのアズウェルの目前で、キセルが印を完成させる。
何重にも重ねた印の一番奥。それは ……
「エクストラマジック」
「ディオウ、アズウェルが危ない!!」
ラキィが甲高い悲鳴を上げる。
「髑髏」
キセルの頭上に巨大な髑髏が出現する。
「闇の精霊か!」
『ぴんぽ~ん。今度は『精』霊っすね』
骸骨であるスカロウの表情はわからない。
だがその声色からは、勝ち誇った表情が読み取れた。
「アズウェル!」
駆け寄ろうとするディオウを、スカロウの鎌が遮[ る。
『そりゃあ、だめっすよ。ダンナァ』
「そこを退[ け!」
純白の毛並みを逆立て、牙を剥き出しに躍りかかった。
ディオウの爪を受け止めようとするスカロウの手に、ラキィが飛びつく。
『おや?』
「ディオウ、早く!!」
スカロウが一瞬戸惑った隙に、ディオウはその頭上を飛び越える。
「アズウェル! アズウェル!!」
ぴくり、とアズウェルの肩が反応した。
足を速めるディオウ。術を操るキセル。
両者にどのような想いがあろうが、時は待つことを知らない。
冷たい風が大地の砂を巻き上げる。
「アズウェル、戻れ!!」
「ディ……オウ……?」
虚ろな視線で振り返ったアズウェルを、紫黒の髑髏が呑み込んだ。
◇ ◇ ◇
ふわりふわりと宙を浮遊しながら、仮面の男、ゼノンは東方を見やった。
「ンンー。ピエールサン、楽しんでていいナ。やっぱワタシも傀儡にすればよかったかナ」
ピエール。その名にソウエンが眉間の皺[ を深くする。
「まさか……」
瞠目するショウゴに、苦渋を帯びた声色でソウエンが告げる。
『じじいの風とクエンの炎が……』
兄弟の声に集中するために閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げて、ソウエンは眼前の敵を睨みつけた。
『アキラとリュウジが対峙している』
力としては五分五分だろう。
が、しかし、戦況は恐らくルーティングの劣勢。
「オレっちたちの方へ来れない?」
『だめだ』
ソウエンが舌打ちをする。
『近くにミズナがいる、とクエンが言っている』
「じゃあオレっちたちが行くしかないね……」
『この外道をさっさと片付けろ』
視線で頷いて、ショウゴは刀を斜めに振り下す。
青藍[ の刃に白い靄[ がかかった。
地を蹴り、ソウエンの炎を味方につけ、蝶のように舞うゼノンを叩き落とす。
真っ逆さまに落ちていったゼノンは、轟音と共に舞い上がった砂埃で、その姿を隠された。
「アァ、一枚壊れちゃったヨ」
むくりと起き上がり、折れ曲がった首を戻す。
マントの中から再び一枚の仮面を取り出し、髑髏の顔に貼りつけた。
ゼノンが立ち上がるのを待たずに、ソウエンの炎が襲いかかる。
『まだ懲りないようだな』
瞬時にして仮面が燃え尽きるが、ゼノン自体は燃えることなく、その場に平然と立っている。
おかしい、とショウゴは眉をひそめた。
「チョット、そんなに慌てないでヨ」
両手を上げて大袈裟に慌ててみせると、ゼノンは再び仮面を取り出し、顔にはめた。
先程叩き落とした時も、ソウエンが全身を焼いた時も、ゼノンは何事もなかったかのように其処にいる。
どちらの攻撃も手応えはあった。当然手を抜いたつもりもなく、確実に息の根を止めているはずだった。
「ソウ、何か変だよ」
『身代わりだ』
相方の疑問に低く応えたソウエンは、不機嫌を露[ わにしていた。
『あの仮面は恐らく今まであれが殺してきた人のもの。それを身代わりにしている』
「うっわ、えげつないというか、グロテスクというか……気持ちわるー」
率直な感想だ。
ソウエンもショウゴの意見に同意する。
実に不愉快な能力だ。
「その通リ。サスガ、鬼神というワケかナ。でも、こういうコトもできるんだヨ」
ゼノンの仮面が怪しく光った。
◇ ◇ ◇
「だめよ、ディオウ! そんなことしたって……!」
髑髏に飛びついてはスカロウに叩き落とされるディオウを、ラキィが制する。
「退け!」
「あれは精霊よ!? そんなことしてもアズウェルが戻ってくるわけないわよ!」
紅い眼[ を揺らして食いかかるが、ディオウは聞く耳を持たない。
「退け、ラキィ!!」
立ちふさがるラキィを殴り飛ばして、ディオウは頭上の髑髏に飛びかかる。
『ダンナも諦めが悪いっすねぇ』
溜息混じりに、スカロウは背負っていた鎌を振り下ろした。
ラキィの金切り声が、無明の闇を切り裂く。
韓紅[ の飛沫が舞い、優美な白き体躯が崩れ落ちた。
◇ ◇ ◇
揺らめく蒼炎[ が照らし出すその顔は。
『馬鹿な……!』
ソウエンが蒼い双眸を見開いた。
ショウゴの唇が小刻みに震える。
「か……母さん……」
「あぁ、もう! 邪魔なんだよ、おまえ!」
予知能力を働かせてはいるが、アズウェルは防戦一方だった。
キセルが唱える魔法に、スカロウが繰り出す斬撃。
ディオウやラキィがアシストしてくれるものの、
『そんなこと言われても、これがオイラの仕事なんで』
ひゅんっという音と共に、風圧がアズウェルの頬を刺激する。予測していなければ、斬られていただろう。
しかし、斬撃ばかりに気を取られては、印破りが
スカロウを盾にしているキセルは、再び宙に印を描き始めた。
「アズウェル、それはおれに任せてあのエルフのガキを何とかしろ!」
怒号が轟き、ディオウがスカロウを押し倒す。
それを横目で確認すると、アズウェルは二人の横をすり抜け、詠唱をしているキセルに斬りかかった。
顔色一つ変えないキセルは次々に印を描いていく。
一枚、二枚、三枚、四枚……
出現と破壊が拮抗している今、隙を見せた方が負ける。
アズウェルの視界が、左右にぶれ始めた。
予知能力を使うには、体力と精神力の消耗が激しい。今まで天気予知以外にほとんど使っていなかったアズウェルにとって、長時間にわたる修行、結界による体力消耗で疲労が相当蓄積されていた。
しかし敵であるキセルがそんなことを気にするはずもなく、立て続けに魔法を詠唱を続ける。
印を一つ破る度に、アズウェルの身体は重くなっていた。
後、何枚残っているのか。一体いつ、終わるのか。
起動時間が長ければ長いほど、急激に体力を削ることに等しい。破り終えた後に一旦予知能力を止めるだけでも、使える回数が増える。
「予知能力って、長いと、疲れる」
ぼそりと呟いたキセルの言葉に、アズウェルの瞳は愕然と凍り付く。
「印破り、大変」
キセルは知っていたのだ。アズウェルが予知能力を使っていることを。
情報が流れていると、ディオウが言っていた。
大技を繰り出さず、中級魔法ばかり唱え続けているキセルは、アズウェルより一枚上手だった。
破らされていることを悟ると、小刀を握る力が自然と抜け始めた。
もはや酸欠状態に近いアズウェルに、更なる追い打ちがかかる。
『そーいや、ダンナご存じですかい?』
「あ?」
ディオウの声が、アズウェルには遠くから聞こえるような気がした。
『鉢巻きしてるダンナ、あれってここの住民ですよね?』
アズウェルたちが知る中で、鉢巻きをしている者と言えばアキラしかいない。
倒れ込むアキラと泣きじゃくるマツザワの姿が脳裏に
だが、二人の元へは、ルーティングが駆けつけたのだ。無事だと、信じるしかない。
気力を振り絞り、キセルの印を破り続ける。
『今、眼帯のダンナと対峙してるようで』
「味方同士で対峙してるだと? ふざけたことをぬかすな」
『ピエールのダンナは傀儡師っすから、多分鉢巻きのダンナ、傀儡にされてるんじゃないっすか?』
その言葉がアズウェルの耳に突き刺さった。
辛うじて繋ぎ止めていた意識が、急激に遠のいていく。
信じていた。アキラの生存を。ルーティングが行けば、二人を救えるはずだと。
「アズウェル!!」
ディオウの叫びは届くことなく、アズウェルの両膝が砕けた。
そのアズウェルの目前で、キセルが印を完成させる。
何重にも重ねた印の一番奥。それは
「エクストラマジック」
「ディオウ、アズウェルが危ない!!」
ラキィが甲高い悲鳴を上げる。
「髑髏」
キセルの頭上に巨大な髑髏が出現する。
「闇の精霊か!」
『ぴんぽ~ん。今度は『精』霊っすね』
骸骨であるスカロウの表情はわからない。
だがその声色からは、勝ち誇った表情が読み取れた。
「アズウェル!」
駆け寄ろうとするディオウを、スカロウの鎌が
『そりゃあ、だめっすよ。ダンナァ』
「そこを
純白の毛並みを逆立て、牙を剥き出しに躍りかかった。
ディオウの爪を受け止めようとするスカロウの手に、ラキィが飛びつく。
『おや?』
「ディオウ、早く!!」
スカロウが一瞬戸惑った隙に、ディオウはその頭上を飛び越える。
「アズウェル! アズウェル!!」
ぴくり、とアズウェルの肩が反応した。
足を速めるディオウ。術を操るキセル。
両者にどのような想いがあろうが、時は待つことを知らない。
冷たい風が大地の砂を巻き上げる。
「アズウェル、戻れ!!」
「ディ……オウ……?」
虚ろな視線で振り返ったアズウェルを、紫黒の髑髏が呑み込んだ。
◇ ◇ ◇
ふわりふわりと宙を浮遊しながら、仮面の男、ゼノンは東方を見やった。
「ンンー。ピエールサン、楽しんでていいナ。やっぱワタシも傀儡にすればよかったかナ」
ピエール。その名にソウエンが眉間の
「まさか……」
瞠目するショウゴに、苦渋を帯びた声色でソウエンが告げる。
『じじいの風とクエンの炎が……』
兄弟の声に集中するために閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げて、ソウエンは眼前の敵を睨みつけた。
『アキラとリュウジが対峙している』
力としては五分五分だろう。
が、しかし、戦況は恐らくルーティングの劣勢。
「オレっちたちの方へ来れない?」
『だめだ』
ソウエンが舌打ちをする。
『近くにミズナがいる、とクエンが言っている』
「じゃあオレっちたちが行くしかないね……」
『この外道をさっさと片付けろ』
視線で頷いて、ショウゴは刀を斜めに振り下す。
地を蹴り、ソウエンの炎を味方につけ、蝶のように舞うゼノンを叩き落とす。
真っ逆さまに落ちていったゼノンは、轟音と共に舞い上がった砂埃で、その姿を隠された。
「アァ、一枚壊れちゃったヨ」
むくりと起き上がり、折れ曲がった首を戻す。
マントの中から再び一枚の仮面を取り出し、髑髏の顔に貼りつけた。
ゼノンが立ち上がるのを待たずに、ソウエンの炎が襲いかかる。
『まだ懲りないようだな』
瞬時にして仮面が燃え尽きるが、ゼノン自体は燃えることなく、その場に平然と立っている。
おかしい、とショウゴは眉をひそめた。
「チョット、そんなに慌てないでヨ」
両手を上げて大袈裟に慌ててみせると、ゼノンは再び仮面を取り出し、顔にはめた。
先程叩き落とした時も、ソウエンが全身を焼いた時も、ゼノンは何事もなかったかのように其処にいる。
どちらの攻撃も手応えはあった。当然手を抜いたつもりもなく、確実に息の根を止めているはずだった。
「ソウ、何か変だよ」
『身代わりだ』
相方の疑問に低く応えたソウエンは、不機嫌を
『あの仮面は恐らく今まであれが殺してきた人のもの。それを身代わりにしている』
「うっわ、えげつないというか、グロテスクというか……気持ちわるー」
率直な感想だ。
ソウエンもショウゴの意見に同意する。
実に不愉快な能力だ。
「その通リ。サスガ、鬼神というワケかナ。でも、こういうコトもできるんだヨ」
ゼノンの仮面が怪しく光った。
◇ ◇ ◇
「だめよ、ディオウ! そんなことしたって……!」
髑髏に飛びついてはスカロウに叩き落とされるディオウを、ラキィが制する。
「退け!」
「あれは精霊よ!? そんなことしてもアズウェルが戻ってくるわけないわよ!」
紅い
「退け、ラキィ!!」
立ちふさがるラキィを殴り飛ばして、ディオウは頭上の髑髏に飛びかかる。
『ダンナも諦めが悪いっすねぇ』
溜息混じりに、スカロウは背負っていた鎌を振り下ろした。
ラキィの金切り声が、無明の闇を切り裂く。
◇ ◇ ◇
揺らめく
『馬鹿な……!』
ソウエンが蒼い双眸を見開いた。
ショウゴの唇が小刻みに震える。
「か……母さん……」