第18記 古代魔法
静かに目を閉じ、坐禅を組む男がいる。辺りは水を打ったような静けさだった。
恐らく族長は〝あの板〟に印を潜ませているだろう。
右目だけを開く。
ならば、もう渡されているはずだ。
無音で立ち上がると、辺りを見渡した。だが、道場に金髪の青年の姿は見つからない。
「小僧、どこに行ったんだ……?」
水の音が洞窟に反響していた。
視界が明るくなり、目の先に水のカーテンが見えた。
「おれじっとしてられる質 じゃねぇんだよな」
滝を潜[ り抜け、アズウェルは薄暗い洞窟から脱出する。
神社には人一人見当たらなかった。見えるものは、池と社と神木である一本桜のみ。
神社と村を繋ぐ石段の方へ駆け寄る。遠くから騒音が聞こえてきた。
「みんな、今必死で村を守ってるんだ……。おれ、こんなところにいていいのか……?」
足が自然と動き出す。
「待て」
突然左腕を掴まれ、アズウェルの動きは止められた。
「る、ルーティング……」
「大人しくしていられない気持ちはわかるが、お前にはやることがあるんだ。道場へ戻るぞ」
紅い瞳を見返すと、ルーティングも気持ちを抑えていることが読み取れた。
「結界を成したら、好きにしろ」
ルーティングは握っていた腕を放し、身を翻す。一瞬、背後を顧みて、アズウェルも後を追った。
今、成すべきことは。
この村を結界で覆うこと
「いいか、本来この術は五人が村を囲むように立っていなければならない。だが、動きを制限されれば、当然敵と対峙できない。だからお前の力が必要なんだ」
村の離れにアズウェルを連れて戻ったルーティングは、道場の前に立ち、術の説明を始めた。
風に撫でられて、草がさわさわと鳴く。
「おれは何をすればいいんだ?」
腕組みをしながらアズウェルは首を傾げた。
「お前、フレイテジアだろう。頭に構図を思い描け。村を囲むような五角形だ」
「正五角形か? まぁ、フレイトの図面に比べれば随分と楽だけど……」
「俺は術を唱える者だからその役目はできないんだ。五角形を頭に浮かべつつ、族長、まさ、マツザワ、アキラ、そして俺の気を均等にしろ」
やればわかる、とルーティングは詠唱を始めた。
「俺もサポートはする。だが、あくまでサポートだ。俺に頼るな」
いまいち感覚が掴めないが、確かにやってみればわかるだろう。印破りを始めた時も、最初はまったくわからなかったのだ。
ルーティングは宙ではなく、大地に印を描いている。アズウェルはその動きに集中した。
印が緑色の光を帯び、中心に立つアズウェルを軸に回転しながら浮き上がっていく。その速度が徐々に増し、遂にはアズウェルの周りに緑の輪ができた。
光が地面にも投影し、足下で巨大な魔法陣が輝きを放つ。
「守れ、我らの友を……!」
ルーティングは更に自分の前に印を描き、それを五角形で囲む。
その時、ルーティングを含む五人から、緑の光線が空へ飛び出した。
「小僧、感じるか!?」
風が強く吹いている。アズウェルを取り込むように、エメラルドの風が球状に渦巻いていた。
「あぁ……! 感じるぜ、マツザワたちの力!」
アズウェルは肌でその強力な想いを感じていた。
それぞれ僅かに波長は異なるが、芯の想いはただ一つ。
ワツキを守る!
先刻言われた通り、頭に五角形を思い浮かべる。その頂点に一人一人の力を配置する。
唸りを上げ暴れていた風が、瞬く間にアズウェルの元へと収束していった。
「……流石、あの方の血を引く者だ」
小さな呟きは、アズウェルには届かない。
自然と笑みが零れたルーティングは、空を仰いだ。
◇ ◇ ◇
突如緑色の光に囲まれ、ショウゴは頭を掻[ いた。
「いやぁ~、たっちゃん、派手にやってるねぇ~」
これでは敵に場所を知らせているのに等しい。案の定、四方八方囲まれている。
「まぁ~、こっちから捜しに行かなくて便利だけどね~」
不敵な微笑みを浮かべて、抜刀する。
「さて、キミたち。一瞬で終わるのと、苦しんで長らえるのとどっちがい~?」
蒼焔が蒼い炎を帯びた。
「オレっち、手加減ってもん知らないからサァ。……ワツキを荒らす者には容赦しないよ」
最後の一言は、陽気なショウゴの声とは思えないほど冷たいものだった。
ショウゴを纏[ う光の輝きが、より一層明るさを増した。
◇ ◇ ◇
疾走する彼女の軌跡が、エメラルドの道となって光り輝く。
すれ違いざまに敵をなぎ倒しているマツザワは、自分が光を纏っているなど気づきもしなかった。
「あれが、由緒ある種族の次期族長……?」
眼鏡を掛けた少年がにやりと口端を吊り上げる。
「緋色さん、デザートなんて言って見逃したんでしょうね。僕がいただいちゃいますよ」
その眼鏡が怪しく光った。
◇ ◇ ◇
「アキラ……その光……」
アキラは、ラキィの丸い深紅の目が自分に釘付けになっているのに気づいた。
「なんやろなぁ? 身に覚えがありまへんが……」
上空から地上を覗くと、似たような光が他にもある。
「わいだけやあらへんなぁ」
「あんた、その光なんだかわかってる?」
ラキィの意図が読み取れず、アキラは首を傾げた。
「それ、魔法の一種よ。しかもただの魔法じゃないわ……」
「この村に、魔法が使える者なんておりまへんがな」
くるりと振り返ると、村から少し離れたところにも光が見えた。
あの場所は、道場だ。
アキラは眉をひそめる。
「アズウェルはん、魔法唱えられまっか?」
「アズウェルはできないわ。魔法は、唱えられない」
つまり、アズウェルに修行をつけている者が唱えていることになる。
二人は顔を一度見合わせ、道場から立ち上る光に目を向けた。
◇ ◇ ◇
大分それぞれの力が均等に落ち着いてきた。
「小僧、歯を食いしばれ!」
ルーティングの声に、アズウェルはただ頷く。
「緑の塔[ !」
ワツキを取り囲むようにして、五角形の柱が空へ昇る。
アズウェルの身体に重圧が伸しかかった。
「く……まささんのが強すぎる!」
「あの馬鹿、闘志を剥き出しにしてるな。小僧、安定させられるか!?」
「やってる!!」
叫び声に叫び返し、アズウェルは片手と片膝を大地につく。
「おれの、言うことを聞け!!」
見開いたアズウェルの瞳は、ルーティングのエクストラを封じた時と同じ金色。
凄まじい力がアズウェルから放たれた。
「この力は……魔力でもなければ、闘志でもない……」
目を細め、ルーティングはその様子を見守る。
五人の力が少しずつ、しかし確実に、アズウェルに制御されていった。
◇ ◇ ◇
ディオウは目の前に現れた緑の壁を鋭く見つめている。
「これは、ただの魔法じゃない」
背後の足音に顧みると、族長が立っていた。族長も壁と同じ色の光に包まれている。
「族長、この村に魔法を唱えられる者などいるのか?」
ディオウの問いに沈黙を以[ て返す。
「……アズウェルに修行をつけている者の仕業だな」
「流石ディオウ殿。察しが宜しい」
「おれの勘だと、そいつはスワロウ族でクロウ族の奴だろう」
不機嫌そうに目を細めるディオウに、族長は再び沈黙で答えた。
「今回ばかりは当たってほしくなかったがな」
嘆息して空を見上げる。
「知らないだろうが、族長の息子が唱えているこの魔法は」
一旦言葉を句切る。
「失われし光[ だ」
「古代魔法、と仰るのか」
「あぁ……恐らく、唱えているのは奴だが、制御しているのは……」
ディオウはゆっくりと神社へ視線を送る。
黙り込んでしまったディオウを、族長は真っ直ぐ見据えていた。
やはり、千年前の聖獣。一目で古代魔法だと見破ったのは、かつて同じようなものを見たことがあるからだろう。
役目を果たす時が来たのかもしれない。そして。
族長も神社へ目を向ける。
八年の間に、我が子に何があったというのだろうか。
◇ ◇ ◇
アズウェルは問題児の力に悪戦苦闘していた。
「まささんの想いが強すぎる……!」
他の四人と対等にならない。
「くっそ……!」
意識を集めてみるが、その力は周りを呑み込むほど強かった。
「小僧に制御させるのも限界か……」
ルーティングはショウゴがいるであろう方向を見やる。
腰に帯びている二本の剣の内、一本を抜く。
「クエン、ソウエンに語りかけろ!」
抜いた刀の刃が紅い炎を纏った。
恐らく族長は〝あの板〟に印を潜ませているだろう。
右目だけを開く。
ならば、もう渡されているはずだ。
無音で立ち上がると、辺りを見渡した。だが、道場に金髪の青年の姿は見つからない。
「小僧、どこに行ったんだ……?」
水の音が洞窟に反響していた。
視界が明るくなり、目の先に水のカーテンが見えた。
「おれじっとしてられる
滝を
神社には人一人見当たらなかった。見えるものは、池と社と神木である一本桜のみ。
神社と村を繋ぐ石段の方へ駆け寄る。遠くから騒音が聞こえてきた。
「みんな、今必死で村を守ってるんだ……。おれ、こんなところにいていいのか……?」
足が自然と動き出す。
「待て」
突然左腕を掴まれ、アズウェルの動きは止められた。
「る、ルーティング……」
「大人しくしていられない気持ちはわかるが、お前にはやることがあるんだ。道場へ戻るぞ」
紅い瞳を見返すと、ルーティングも気持ちを抑えていることが読み取れた。
「結界を成したら、好きにしろ」
ルーティングは握っていた腕を放し、身を翻す。一瞬、背後を顧みて、アズウェルも後を追った。
今、成すべきことは。
「いいか、本来この術は五人が村を囲むように立っていなければならない。だが、動きを制限されれば、当然敵と対峙できない。だからお前の力が必要なんだ」
村の離れにアズウェルを連れて戻ったルーティングは、道場の前に立ち、術の説明を始めた。
風に撫でられて、草がさわさわと鳴く。
「おれは何をすればいいんだ?」
腕組みをしながらアズウェルは首を傾げた。
「お前、フレイテジアだろう。頭に構図を思い描け。村を囲むような五角形だ」
「正五角形か? まぁ、フレイトの図面に比べれば随分と楽だけど……」
「俺は術を唱える者だからその役目はできないんだ。五角形を頭に浮かべつつ、族長、まさ、マツザワ、アキラ、そして俺の気を均等にしろ」
やればわかる、とルーティングは詠唱を始めた。
「俺もサポートはする。だが、あくまでサポートだ。俺に頼るな」
いまいち感覚が掴めないが、確かにやってみればわかるだろう。印破りを始めた時も、最初はまったくわからなかったのだ。
ルーティングは宙ではなく、大地に印を描いている。アズウェルはその動きに集中した。
印が緑色の光を帯び、中心に立つアズウェルを軸に回転しながら浮き上がっていく。その速度が徐々に増し、遂にはアズウェルの周りに緑の輪ができた。
光が地面にも投影し、足下で巨大な魔法陣が輝きを放つ。
「守れ、我らの友を……!」
ルーティングは更に自分の前に印を描き、それを五角形で囲む。
その時、ルーティングを含む五人から、緑の光線が空へ飛び出した。
「小僧、感じるか!?」
風が強く吹いている。アズウェルを取り込むように、エメラルドの風が球状に渦巻いていた。
「あぁ……! 感じるぜ、マツザワたちの力!」
アズウェルは肌でその強力な想いを感じていた。
それぞれ僅かに波長は異なるが、芯の想いはただ一つ。
先刻言われた通り、頭に五角形を思い浮かべる。その頂点に一人一人の力を配置する。
唸りを上げ暴れていた風が、瞬く間にアズウェルの元へと収束していった。
「……流石、あの方の血を引く者だ」
小さな呟きは、アズウェルには届かない。
自然と笑みが零れたルーティングは、空を仰いだ。
◇ ◇ ◇
突如緑色の光に囲まれ、ショウゴは頭を
「いやぁ~、たっちゃん、派手にやってるねぇ~」
これでは敵に場所を知らせているのに等しい。案の定、四方八方囲まれている。
「まぁ~、こっちから捜しに行かなくて便利だけどね~」
不敵な微笑みを浮かべて、抜刀する。
「さて、キミたち。一瞬で終わるのと、苦しんで長らえるのとどっちがい~?」
蒼焔が蒼い炎を帯びた。
「オレっち、手加減ってもん知らないからサァ。……ワツキを荒らす者には容赦しないよ」
最後の一言は、陽気なショウゴの声とは思えないほど冷たいものだった。
ショウゴを
◇ ◇ ◇
疾走する彼女の軌跡が、エメラルドの道となって光り輝く。
すれ違いざまに敵をなぎ倒しているマツザワは、自分が光を纏っているなど気づきもしなかった。
「あれが、由緒ある種族の次期族長……?」
眼鏡を掛けた少年がにやりと口端を吊り上げる。
「緋色さん、デザートなんて言って見逃したんでしょうね。僕がいただいちゃいますよ」
その眼鏡が怪しく光った。
◇ ◇ ◇
「アキラ……その光……」
アキラは、ラキィの丸い深紅の目が自分に釘付けになっているのに気づいた。
「なんやろなぁ? 身に覚えがありまへんが……」
上空から地上を覗くと、似たような光が他にもある。
「わいだけやあらへんなぁ」
「あんた、その光なんだかわかってる?」
ラキィの意図が読み取れず、アキラは首を傾げた。
「それ、魔法の一種よ。しかもただの魔法じゃないわ……」
「この村に、魔法が使える者なんておりまへんがな」
くるりと振り返ると、村から少し離れたところにも光が見えた。
あの場所は、道場だ。
アキラは眉をひそめる。
「アズウェルはん、魔法唱えられまっか?」
「アズウェルはできないわ。魔法は、唱えられない」
つまり、アズウェルに修行をつけている者が唱えていることになる。
二人は顔を一度見合わせ、道場から立ち上る光に目を向けた。
◇ ◇ ◇
大分それぞれの力が均等に落ち着いてきた。
「小僧、歯を食いしばれ!」
ルーティングの声に、アズウェルはただ頷く。
「
ワツキを取り囲むようにして、五角形の柱が空へ昇る。
アズウェルの身体に重圧が伸しかかった。
「く……まささんのが強すぎる!」
「あの馬鹿、闘志を剥き出しにしてるな。小僧、安定させられるか!?」
「やってる!!」
叫び声に叫び返し、アズウェルは片手と片膝を大地につく。
「おれの、言うことを聞け!!」
見開いたアズウェルの瞳は、ルーティングのエクストラを封じた時と同じ金色。
凄まじい力がアズウェルから放たれた。
「この力は……魔力でもなければ、闘志でもない……」
目を細め、ルーティングはその様子を見守る。
五人の力が少しずつ、しかし確実に、アズウェルに制御されていった。
◇ ◇ ◇
ディオウは目の前に現れた緑の壁を鋭く見つめている。
「これは、ただの魔法じゃない」
背後の足音に顧みると、族長が立っていた。族長も壁と同じ色の光に包まれている。
「族長、この村に魔法を唱えられる者などいるのか?」
ディオウの問いに沈黙を
「……アズウェルに修行をつけている者の仕業だな」
「流石ディオウ殿。察しが宜しい」
「おれの勘だと、そいつはスワロウ族でクロウ族の奴だろう」
不機嫌そうに目を細めるディオウに、族長は再び沈黙で答えた。
「今回ばかりは当たってほしくなかったがな」
嘆息して空を見上げる。
「知らないだろうが、族長の息子が唱えているこの魔法は」
一旦言葉を句切る。
「
「古代魔法、と仰るのか」
「あぁ……恐らく、唱えているのは奴だが、制御しているのは……」
ディオウはゆっくりと神社へ視線を送る。
黙り込んでしまったディオウを、族長は真っ直ぐ見据えていた。
やはり、千年前の聖獣。一目で古代魔法だと見破ったのは、かつて同じようなものを見たことがあるからだろう。
役目を果たす時が来たのかもしれない。そして。
族長も神社へ目を向ける。
八年の間に、我が子に何があったというのだろうか。
◇ ◇ ◇
アズウェルは問題児の力に悪戦苦闘していた。
「まささんの想いが強すぎる……!」
他の四人と対等にならない。
「くっそ……!」
意識を集めてみるが、その力は周りを呑み込むほど強かった。
「小僧に制御させるのも限界か……」
ルーティングはショウゴがいるであろう方向を見やる。
腰に帯びている二本の剣の内、一本を抜く。
「クエン、ソウエンに語りかけろ!」
抜いた刀の刃が紅い炎を纏った。
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第17記 我らが敵に情けなし
耳鳴りのような高い音が辺りに響いた。
ルーティングが眉根を寄せた時、腕に衝撃が走り、印が割れる。
また詠唱が中断してしまった。
「く……まだあれを渡していないのか!」
渋面を作って舌打ちをする。
「力が足りない……」
何度も唱えてみるものの、結界が形になる前に霧のように掻き消えてしまっていた。
「ルーティング、大丈夫か?」
修行中、何度も魔法を放っていたのだ。当然疲れが見えていた。
ルーティングの魔力は、後僅かだ。
「問題ない」
口では言うが、がくりと片膝をつく。
エクストラの消費が思ったより激しかったのか。術は失敗すればその分、魔力を余計に消費する。
だが、とルーティングはアズウェルを見据えた。
あの技が〝アレ〟だとすると、エクストラの失敗は決して無駄なことではなかったはずだ。
二十歩ほど離れているアズウェルが、心配そうにルーティングを見つめている。
無理をして術を唱えても、失敗する可能性が高いだろう。
「小僧、悪いが少し休ませてもらう。お前も休んでおけ。結界を成したら体力をかなり奪われる」
「おう、わかった」
焦っていても仕方がない。結界があろうがなかろうが、ショウゴたちは村を守るだろう。
「次で、片をつける」
少しでも早く、彼らの負担を和らげるために。
ルーティングは坐禅を組むと、目を閉じて心を落ち着けた。
◇ ◇ ◇
「マツザワ、アキラ、これを持って行きなさい」
族長が紋章の描かれている板を渡す。スワロウ族の紋章だった。戦の時、スワロウ族はこの板を必ず懐に入れて持ち歩いている。勝利の呪いがかけられた板だ。
無言で頷き、二人は板を受け取った。
「武運を祈る」
族長のかけ声と共に、その場にいた者が一斉に散った。
「……アズウェル」
先刻、アズウェルの行方を問い詰めた時、族長が視線を送った先は神社だ。
アズウェルを迎えに行くか、否か。ディオウは決めあぐねていた。
「ディオウ!」
取り残されたディオウにラキィが声をかけてくる。ラキィの後ろにはユウもいた。
「ラキィか。おれたちはどうする」
「そうね……まずは雑魚を蹴散らしましょ。この村にいる限り、アズウェルともそのうち会うはずよ」
「……そうだな。お前はどうするんだ」
ディオウがユウに尋ねる。
「私は治療師です。村の中に来た者には応戦しますが、あくまで治癒優先になります。……これをどうぞ」
ユウは小瓶のついた首飾りをディオウに見せる。
小瓶の中には赤い液体が入っていた。
「応急処置の傷薬です。皆これを持って戦に臨んでいます。アズウェルさんに会えるかわからないので、ディオウさんに渡しておきますね」
そう言うと首飾りをディオウにかけた。
「あぁ、わかった。おれたちも行ってくる」
「ちゃっちゃと倒しましょ。本命の敵は十時に来るわ」
「お気をつけて」
ユウの言葉に首肯して、ディオウとラキィはそれぞれ飛翔した。
◇ ◇ ◇
竹林の中、蒼焔を携えてショウゴはのんびりと歩いていた。
「ん~。キミたちフライングは良くないよ~」
背後から敵が仕掛けてくる。
「ひ~とり、ふ~たり、さぁんにん……ん~、六人ね~」
振り向きざまに蒼焔を抜く。
「燃えろ」
ぽつりと呟いた言葉が敵に届くことはなかった。
何故なら、蒼焔を抜いた時点で片は付いていたから。敵は皆一様に、胸が真一文字に斬りつけられていた。
「約束は守らなきゃね~」
すっと目を細めるとショウゴは身を翻した。
「烈火一文字」
斬り口から蒼白い炎が発火する。
後方で聞こえる悲鳴に顔を顰[ めて、ショウゴは冷然と言い放った。
「オレっちは、みんなと違って優しくないんだよ……」
◇ ◇ ◇
目の前の敵は動かない。こちらの様子を伺っているようだった。
「うむ……」
族長はその手を腰へやると、岩月[ という名の刀を抜く。
放出される威圧感が更に重みを増し、敵はじりじりと後退[ りした。
「なぁ……あれ、ちょっとやばくないか……?」
「お、おれたちじゃ……」
「あれは、岩守[ りのコウキだ……!」
口々に囁く者たちを前に、族長、コウキは悠然と答えた。
「ご名答」
「やばい、逃げろ!!」
一人が叫ぶと、我先にと逃げていく。
「大地の爪」
小さくなっていく敵の背に呟き、刀を真っ直ぐに斬り下ろす。
岩月が地面に触れた瞬間、大地が唸り、敵を追う。
「ひぃ!!」
必死に走る侵入者に、背後から大地が牙を剥[ いて襲いかかる。
「だから、だから本家に任せておけば良かったんだ……ぐぁあああ!」
一人、また一人と、土の牙が足を突き刺さし、彼らの自由を剥奪した。
「……二度とこの地に足を踏み入れるな」
岩月を鞘に収め、族長は静かに立ち去った。
◇ ◇ ◇
ラキィはアキラと合流し、村の上空を旋回していた。
「崖の上の敵が厄介ね~」
「ほな、片付けましょか。ラキィはん、ちぃとばかし手ぇ貸してくれへん?」
「耳ならいいわよ」
アキラが一瞬瞠目する。
確かに、ラキィに手はなかった。
「……こら失礼。これを持って、こう……やつらの間縫[ ってくれまっか?」
アキラは細い銅線をラキィに見せる。
「ちょい待ってぇな。この先っちょに……」
銅線の末端にデグという石をつけた。この石は電気を通さない。
「なるほどね~。わかったわ」
ラキィはアキラがやらんとしていることを察し、デグを尻尾で包[ む。
「頼みまっせ~」
「行くわよ!」
アキラの算盤[ から飛び降りると、そのまま敵目がけて急降下する。
「あんたたち! 観念しなさい!」
「な、なんだ? トゥルーメンズがしゃべったぞ!」
男たちが次から次へと剣を振り下ろしてくるが、ラキィは高速でその合間を縫っていく。
「い~感じでっせ。……ほな」
上空に浮かぶ算盤からラキィの動きを観察をしていたアキラが、懐から一枚の呪符を取り出す。
「雷矢[ !」
唱えた直後、空から黄金の光が落下した。光の矢はアキラの指し示す銅線へ突き刺さる。
「い~夢を」
眩[ い光を放ちながら、雷は銅線を伝っていく。
「ひ……うわぁああ!!」
その雷は、男たちが持つ剣へ乗り移り、彼らの頭から爪先まで駆け抜けていった。
ばたばたと倒れていく男たちに、ラキィが舌を出す。
「戦が終わるまで寝ててちょ~だい!」
デグを捨て、アキラの待つ上空へ戻る。
「ラキィはん、ナイスやったで!」
「あんたもね!」
二人はにやりとほくそ笑むと、右手と左耳でハイタッチした。
◇ ◇ ◇
「雹[ の舞!!」
刹那、辺り一帯が冷気に包まれる。
ひんやりとした空気を切るように、マツザワは疾走した。
彼女とすれ違った敵が、声もなく倒れていく。
竹林に隠れていた男は、彼女が通り過ぎたことを確認すると、首をこきこきと鳴らしながら村道に躍り出た。緋色の長髪を揺らし、倒れている男を一人持ち上げる。
「おえおえ、えげつねぇ~なぁ。穴だらじゃねーか」
氷の礫[ で撃たれた部下には、至る所から鮮血が流れ出ていた。
「まるで鉄砲だな、あの女[ 」
顔色一つ変えずに、血まみれの部下を放り投げる。
冷ややかな目を向けて、仰向けに倒れた部下の腹を、強く踏みつけた。
「ぐぁあっ!」
悲痛な呻[ き声を上げる部下を、低い声音で戒告した。
「緋色隊に弱いヤツはいらねぇんだよ」
冷酷な笑みを口元に宿し、その男は赤黒い得物を振りかざす。一瞬の後に、部下の頭が吹き飛んだ。
視線の先にマツザワが映る。
「デザートは食後ってな」
緋色髪の男、ヒウガは身を翻し、村の中へと足を踏み入れた。
ルーティングが眉根を寄せた時、腕に衝撃が走り、印が割れる。
また詠唱が中断してしまった。
「く……まだあれを渡していないのか!」
渋面を作って舌打ちをする。
「力が足りない……」
何度も唱えてみるものの、結界が形になる前に霧のように掻き消えてしまっていた。
「ルーティング、大丈夫か?」
修行中、何度も魔法を放っていたのだ。当然疲れが見えていた。
ルーティングの魔力は、後僅かだ。
「問題ない」
口では言うが、がくりと片膝をつく。
エクストラの消費が思ったより激しかったのか。術は失敗すればその分、魔力を余計に消費する。
だが、とルーティングはアズウェルを見据えた。
あの技が〝アレ〟だとすると、エクストラの失敗は決して無駄なことではなかったはずだ。
二十歩ほど離れているアズウェルが、心配そうにルーティングを見つめている。
無理をして術を唱えても、失敗する可能性が高いだろう。
「小僧、悪いが少し休ませてもらう。お前も休んでおけ。結界を成したら体力をかなり奪われる」
「おう、わかった」
焦っていても仕方がない。結界があろうがなかろうが、ショウゴたちは村を守るだろう。
「次で、片をつける」
少しでも早く、彼らの負担を和らげるために。
ルーティングは坐禅を組むと、目を閉じて心を落ち着けた。
◇ ◇ ◇
「マツザワ、アキラ、これを持って行きなさい」
族長が紋章の描かれている板を渡す。スワロウ族の紋章だった。戦の時、スワロウ族はこの板を必ず懐に入れて持ち歩いている。勝利の呪いがかけられた板だ。
無言で頷き、二人は板を受け取った。
「武運を祈る」
族長のかけ声と共に、その場にいた者が一斉に散った。
「……アズウェル」
先刻、アズウェルの行方を問い詰めた時、族長が視線を送った先は神社だ。
アズウェルを迎えに行くか、否か。ディオウは決めあぐねていた。
「ディオウ!」
取り残されたディオウにラキィが声をかけてくる。ラキィの後ろにはユウもいた。
「ラキィか。おれたちはどうする」
「そうね……まずは雑魚を蹴散らしましょ。この村にいる限り、アズウェルともそのうち会うはずよ」
「……そうだな。お前はどうするんだ」
ディオウがユウに尋ねる。
「私は治療師です。村の中に来た者には応戦しますが、あくまで治癒優先になります。……これをどうぞ」
ユウは小瓶のついた首飾りをディオウに見せる。
小瓶の中には赤い液体が入っていた。
「応急処置の傷薬です。皆これを持って戦に臨んでいます。アズウェルさんに会えるかわからないので、ディオウさんに渡しておきますね」
そう言うと首飾りをディオウにかけた。
「あぁ、わかった。おれたちも行ってくる」
「ちゃっちゃと倒しましょ。本命の敵は十時に来るわ」
「お気をつけて」
ユウの言葉に首肯して、ディオウとラキィはそれぞれ飛翔した。
◇ ◇ ◇
竹林の中、蒼焔を携えてショウゴはのんびりと歩いていた。
「ん~。キミたちフライングは良くないよ~」
背後から敵が仕掛けてくる。
「ひ~とり、ふ~たり、さぁんにん……ん~、六人ね~」
振り向きざまに蒼焔を抜く。
「燃えろ」
ぽつりと呟いた言葉が敵に届くことはなかった。
何故なら、蒼焔を抜いた時点で片は付いていたから。敵は皆一様に、胸が真一文字に斬りつけられていた。
「約束は守らなきゃね~」
すっと目を細めるとショウゴは身を翻した。
「烈火一文字」
斬り口から蒼白い炎が発火する。
後方で聞こえる悲鳴に顔を
「オレっちは、みんなと違って優しくないんだよ……」
◇ ◇ ◇
目の前の敵は動かない。こちらの様子を伺っているようだった。
「うむ……」
族長はその手を腰へやると、
放出される威圧感が更に重みを増し、敵はじりじりと
「なぁ……あれ、ちょっとやばくないか……?」
「お、おれたちじゃ……」
「あれは、
口々に囁く者たちを前に、族長、コウキは悠然と答えた。
「ご名答」
「やばい、逃げろ!!」
一人が叫ぶと、我先にと逃げていく。
「大地の爪」
小さくなっていく敵の背に呟き、刀を真っ直ぐに斬り下ろす。
岩月が地面に触れた瞬間、大地が唸り、敵を追う。
「ひぃ!!」
必死に走る侵入者に、背後から大地が牙を
「だから、だから本家に任せておけば良かったんだ……ぐぁあああ!」
一人、また一人と、土の牙が足を突き刺さし、彼らの自由を剥奪した。
「……二度とこの地に足を踏み入れるな」
岩月を鞘に収め、族長は静かに立ち去った。
◇ ◇ ◇
ラキィはアキラと合流し、村の上空を旋回していた。
「崖の上の敵が厄介ね~」
「ほな、片付けましょか。ラキィはん、ちぃとばかし手ぇ貸してくれへん?」
「耳ならいいわよ」
アキラが一瞬瞠目する。
確かに、ラキィに手はなかった。
「……こら失礼。これを持って、こう……やつらの間
アキラは細い銅線をラキィに見せる。
「ちょい待ってぇな。この先っちょに……」
銅線の末端にデグという石をつけた。この石は電気を通さない。
「なるほどね~。わかったわ」
ラキィはアキラがやらんとしていることを察し、デグを尻尾で
「頼みまっせ~」
「行くわよ!」
アキラの
「あんたたち! 観念しなさい!」
「な、なんだ? トゥルーメンズがしゃべったぞ!」
男たちが次から次へと剣を振り下ろしてくるが、ラキィは高速でその合間を縫っていく。
「い~感じでっせ。……ほな」
上空に浮かぶ算盤からラキィの動きを観察をしていたアキラが、懐から一枚の呪符を取り出す。
「
唱えた直後、空から黄金の光が落下した。光の矢はアキラの指し示す銅線へ突き刺さる。
「い~夢を」
「ひ……うわぁああ!!」
その雷は、男たちが持つ剣へ乗り移り、彼らの頭から爪先まで駆け抜けていった。
ばたばたと倒れていく男たちに、ラキィが舌を出す。
「戦が終わるまで寝ててちょ~だい!」
デグを捨て、アキラの待つ上空へ戻る。
「ラキィはん、ナイスやったで!」
「あんたもね!」
二人はにやりとほくそ笑むと、右手と左耳でハイタッチした。
◇ ◇ ◇
「
刹那、辺り一帯が冷気に包まれる。
ひんやりとした空気を切るように、マツザワは疾走した。
彼女とすれ違った敵が、声もなく倒れていく。
竹林に隠れていた男は、彼女が通り過ぎたことを確認すると、首をこきこきと鳴らしながら村道に躍り出た。緋色の長髪を揺らし、倒れている男を一人持ち上げる。
「おえおえ、えげつねぇ~なぁ。穴だらじゃねーか」
氷の
「まるで鉄砲だな、あの
顔色一つ変えずに、血まみれの部下を放り投げる。
冷ややかな目を向けて、仰向けに倒れた部下の腹を、強く踏みつけた。
「ぐぁあっ!」
悲痛な
「緋色隊に弱いヤツはいらねぇんだよ」
冷酷な笑みを口元に宿し、その男は赤黒い得物を振りかざす。一瞬の後に、部下の頭が吹き飛んだ。
視線の先にマツザワが映る。
「デザートは食後ってな」
緋色髪の男、ヒウガは身を翻し、村の中へと足を踏み入れた。
禍月の舞*Past Memory 『想うが故に 〝after episode〟』
あの桜を見なくなってから七年目の春が訪れた。
「ルーティング、こっちですよ、こっち!」
「主、俺は任務が……」
現在俺は、クロウ族のシルードに仕えている。当然、俺たちの宿敵である本家ではないわけだが。
「任務ってボクがお願いしたあの件でしょう?」
「あぁ。まだ片付いたわけではない」
「じゃ、今日はボクに付き合うことが任務で」
爽やかな笑顔で、主はさらりと命令を下した。
「……俺は人混みは」
「ほら、ルーティング! あそこにリンゴ飴が売ってますよ!」
屈辱の記憶が甦る。俺は小さく嘆息した。
主と俺はロサリドの春祭りに来ている。ディザード有数の大都市なだけあり、祭りに来る奴らが多い。大きな声でなければ会話にならなかった。
「……俺は甘いものは」
届かないであろう言葉を漏らした時、ある会話が一際大きく俺の耳に入った。
「ほな、おやっさん。わいはワツキに寄ってきますわ」
「あいよ! 族長さんによろしゅうな!」
「しかと、伝えときますわ~」
親方と一緒にいたあいつは……
「ルーティング! ボクの話聞いていましたか?」
「あ、主……いや、その……」
主が俺の前で仁王立ちしていた。
俺はそろそろと背後へ視線を送る。
先刻の二人は、既に人混みの中へ姿を消していた。
「誰かいたのですか?」
刀を持っていなかったな……
だが、あいつの選んだ道なら。あの心は失われていないだろう。
俺は静かに目を閉じる。
「ルーティング……?」
ゆっくりと瞼を上げて、俺を見上げる顔に微笑む。
「少々……懐かしい風が吹いたな、と」
◇ ◇ ◇
こんこん、とある屋敷の窓を拳で叩く。
「入って構わんぞ、ショウゴ」
「はぁ~い」
開いた窓から中へ身を送った。
「あっきーが戻ってきたとか?」
「あぁ、さっき私の所へ来たな」
「どうだったぁ?」
族長の部屋にどかりと座り込む。
「うむ……何というか、親方さんに染め上げられたというか……」
苦笑いを浮かべながら話す族長だが、とても嬉しそうに見えた。
「ってことは、あの独特の訛りがぁ~」
「見事だったぞ」
「そりゃ、まぁ……」
あっきー、みずなちゃんに殴られるなぁ~。「何だそのふざけた口調は!」と切れる彼女が目に浮かぶ。
「あぁ~、そういえばー。たっちゃんの話聞きましたー?」
「リュウジのことか……風の便りでな。ショウゴ、どう思う?」
リュウジはクロウ族の一員となり、オレたちと同じように任務をしているらしい。
「べ~つに、なぁにも。オレっちはむしろ嬉しいかな~」
「嬉しい……?」
親友が敵[ の一族に仲間入りしたからといって、別に驚くわけでも怒るわけでもなかった。
リュウジはあいつなりに考えてのことだろう。ずっとワツキにいたオレが口出しすることじゃない。オレは誰よりあいつを信じているから、むしろ喜ばしいことだったのだ。
「同じように任務をしてる~ってことはぁ」
「うむ……」
まったく、族長は何を期待しているのだろう。
オレはにやりとほくそ笑んだ。
「そのうち、どっかで会えるかなぁ~って」
オレにとって、それが何よりの報せだった。
窓の外へ顔を向ける。
ひらりと一枚の花弁が舞い降りた。
◇ ◇ ◇
「ユウ!!」
「あら、マツザワさん。どうかなさいましたか?」
呼吸を整えながら落ち着いて問う。
「アキラが……村へ戻っていると聞いたのだが……」
ユウは柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。つい先ほど。今なら……神社にいるかもしれません。桜を見に行くと言っておりましたので」
「神社か……ありがとう、ユウ」
身を翻し、再び全力疾走しようとした時。
「あ、お待ちください」
「な、何か?」
ユウは懐[ から何か小物を取り出すと、それを私の手に乗せた。
「アキラさんから頼み事です」
「頼み……事?」
「ええ、マツザワさんに。このお土産を〝ミズナさん〟に届けて欲しいと」
速くなっていた鼓動が、一瞬止まった。
手の中にある物へ視線を送る。
それは綺麗な簪[ だった。桜の花弁をあしらい、美しい深紅の玉がついている。この玉はルビーだろうか。
「お願い、できますか?」
なかなか答えない私に、ユウが首を傾げて尋ねてくる。
「あぁ。必ず、届けよう」
「はい」
にっこりとユウが微笑んだ。その笑顔を見るのは、七年ぶりだ。
「少し、神社に行ってくる」
「お気をつけて」
目と鼻の先ほどだから、気をつけることもないのだが、彼女はどこへ行く時でもそう言った。それは、アキラが怪我をして村へ戻ってきた日から。
こくんと頷き、私は駆けだした。
◇ ◇ ◇
満開の桜を見るのは、〝あの時〟以来か。
七年ぶりの桜を一人ぼんやりと眺めていたとき、あいつの声がした。
「アキラ……」
様子を見るに、長い石段を駆け上がってきたようだ。息が上がっている。
ふと、あいつの左手を見ると、おれがユウに頼んでおいた品が握りしめられていた。
「お久しぶりでんなぁ、マツザワはん」
あの方の通り名を口にして、懐かしい気持ちが沸き起こる。
おれはユウと族長から、ミズナがその名を封じたことを聞いていた。
「その……口調……」
あいつがあからさまに顔を顰[ める。
そういえば、親方さんの口調は苦手だと前言っていたな。
「ええ感じやろ~? おやっさんのがす~っかりうつってもうた」
「……前より余計にうるさくなった」
あぁ、嫌味を言われるのも久しぶりだなぁ。
昔のおれなら反論していただろう。でも、今は久しぶりのそれに顔を綻ばせていた。
それがお気に召さなかったらしく、ミズナは刀を突きつける。
「笑い事ではない。ふざけるのも大概にしろ」
「おなごがこないなもん、やたらと振り回したらあきまへんで~」
火に油を注ぐとはこのこと。今は自覚してやっていたりする。向きになるのが懐かしい。
「戯けたことを!」
相変わらずおちょくられることが苦手なようだ。
刀を思いっきり振り下ろしてくる。
「危ないいうてんのになぁ」
おれの今の相棒。算盤[ を取り出して刀を受ける。
ホントに久しぶりだな、こうして喧嘩するの。
喧嘩をしていれば、またリュウ兄が仲裁に来てくれるだろうか。
心の奥で、そんな気がしていた。
「ほれほれ、社の前でそないなもん出しとったら罰当たりとちゃうん?」
「む……」
ミズナは渋々刀を鞘に収めながら、おれから目線を逸[ らす。
「あの……」
「なんや?」
「しばらくは、いるのか?」
囁くような声で聞いてくる。
昔から変わらんなぁ。
「せやな。これからはここを拠点にするさかい。おやっさんに認められて、ワツキ専属の商人になれたからなぁ」
言いながら、おれは池の畔へ足を運ぶ。
「……ミズナ、久しぶりに水切りしねぇか?」
あえてミズナと呼び、かつてのおれの口調で問うた。
突然名を呼ばれ驚いているのか、ミズナは瞠目していた。
「やらね?」
「……いいよ、やろう」
可愛らしい笑みを浮かべると、あいつも〝あの時〟のままの口調で返事をした。
おれたちは小石を手に取り、池を見つめる。
今ここに、リュウ兄はいない。
「せーので投げるぜ」
「うん」
「せ~っの!」
同時に放たれた二つの石は、並んで飛び跳ねていく。
おれたちは、歩き出したんだ。
並行だった石の間隔が徐々に開いていく。まるで、おれたちの進む道が分かれたことを示しているかのように。
静かな沈黙が流れる。
「……さてと。仕事に戻りましょか。マツザワはんも任務抜け出して来たんやろ?」
「な……」
「その格好、よそ行きやもんなぁ」
村にいる間、基本的にミズナは道着姿だった。
図星なのか、そのまま押し黙る。
「そないにわいに会いたかったんかぁ?」
意地悪そうな笑みを浮かべると、案の定あいつは向きになった。
「そんなわけないだろう! すぐに戻る!」
そう怒鳴って、足早に石段を駆け下りていく。
「わいもロサリドへ商談に行かんとなぁ」
ミズナの背を見送りながら、ゆっくりと歩き出した。
カラン、カラン、カラン。
石段を一段下りる度に下駄の音が響く。
振り返ると、神木がおれたちを送り出すように、風が花弁を運んでくる。
「ほな、行ってきますわ」
おれは身を翻し、右手を上げた。
風が吹いた。
それは美しく咲き乱れる花弁を空へ運び、ワツキを駆け抜けていく。
春色の雪がこの地に降り注いでいた。
「ルーティング、こっちですよ、こっち!」
「主、俺は任務が……」
現在俺は、クロウ族のシルードに仕えている。当然、俺たちの宿敵である本家ではないわけだが。
「任務ってボクがお願いしたあの件でしょう?」
「あぁ。まだ片付いたわけではない」
「じゃ、今日はボクに付き合うことが任務で」
爽やかな笑顔で、主はさらりと命令を下した。
「……俺は人混みは」
「ほら、ルーティング! あそこにリンゴ飴が売ってますよ!」
屈辱の記憶が甦る。俺は小さく嘆息した。
主と俺はロサリドの春祭りに来ている。ディザード有数の大都市なだけあり、祭りに来る奴らが多い。大きな声でなければ会話にならなかった。
「……俺は甘いものは」
届かないであろう言葉を漏らした時、ある会話が一際大きく俺の耳に入った。
「ほな、おやっさん。わいはワツキに寄ってきますわ」
「あいよ! 族長さんによろしゅうな!」
「しかと、伝えときますわ~」
親方と一緒にいたあいつは……
「ルーティング! ボクの話聞いていましたか?」
「あ、主……いや、その……」
主が俺の前で仁王立ちしていた。
俺はそろそろと背後へ視線を送る。
先刻の二人は、既に人混みの中へ姿を消していた。
「誰かいたのですか?」
刀を持っていなかったな……
だが、あいつの選んだ道なら。あの心は失われていないだろう。
俺は静かに目を閉じる。
「ルーティング……?」
ゆっくりと瞼を上げて、俺を見上げる顔に微笑む。
「少々……懐かしい風が吹いたな、と」
◇ ◇ ◇
こんこん、とある屋敷の窓を拳で叩く。
「入って構わんぞ、ショウゴ」
「はぁ~い」
開いた窓から中へ身を送った。
「あっきーが戻ってきたとか?」
「あぁ、さっき私の所へ来たな」
「どうだったぁ?」
族長の部屋にどかりと座り込む。
「うむ……何というか、親方さんに染め上げられたというか……」
苦笑いを浮かべながら話す族長だが、とても嬉しそうに見えた。
「ってことは、あの独特の訛りがぁ~」
「見事だったぞ」
「そりゃ、まぁ……」
あっきー、みずなちゃんに殴られるなぁ~。「何だそのふざけた口調は!」と切れる彼女が目に浮かぶ。
「あぁ~、そういえばー。たっちゃんの話聞きましたー?」
「リュウジのことか……風の便りでな。ショウゴ、どう思う?」
リュウジはクロウ族の一員となり、オレたちと同じように任務をしているらしい。
「べ~つに、なぁにも。オレっちはむしろ嬉しいかな~」
「嬉しい……?」
親友が
リュウジはあいつなりに考えてのことだろう。ずっとワツキにいたオレが口出しすることじゃない。オレは誰よりあいつを信じているから、むしろ喜ばしいことだったのだ。
「同じように任務をしてる~ってことはぁ」
「うむ……」
まったく、族長は何を期待しているのだろう。
オレはにやりとほくそ笑んだ。
「そのうち、どっかで会えるかなぁ~って」
オレにとって、それが何よりの報せだった。
窓の外へ顔を向ける。
ひらりと一枚の花弁が舞い降りた。
◇ ◇ ◇
「ユウ!!」
「あら、マツザワさん。どうかなさいましたか?」
呼吸を整えながら落ち着いて問う。
「アキラが……村へ戻っていると聞いたのだが……」
ユウは柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。つい先ほど。今なら……神社にいるかもしれません。桜を見に行くと言っておりましたので」
「神社か……ありがとう、ユウ」
身を翻し、再び全力疾走しようとした時。
「あ、お待ちください」
「な、何か?」
ユウは
「アキラさんから頼み事です」
「頼み……事?」
「ええ、マツザワさんに。このお土産を〝ミズナさん〟に届けて欲しいと」
速くなっていた鼓動が、一瞬止まった。
手の中にある物へ視線を送る。
それは綺麗な
「お願い、できますか?」
なかなか答えない私に、ユウが首を傾げて尋ねてくる。
「あぁ。必ず、届けよう」
「はい」
にっこりとユウが微笑んだ。その笑顔を見るのは、七年ぶりだ。
「少し、神社に行ってくる」
「お気をつけて」
目と鼻の先ほどだから、気をつけることもないのだが、彼女はどこへ行く時でもそう言った。それは、アキラが怪我をして村へ戻ってきた日から。
こくんと頷き、私は駆けだした。
◇ ◇ ◇
満開の桜を見るのは、〝あの時〟以来か。
七年ぶりの桜を一人ぼんやりと眺めていたとき、あいつの声がした。
「アキラ……」
様子を見るに、長い石段を駆け上がってきたようだ。息が上がっている。
ふと、あいつの左手を見ると、おれがユウに頼んでおいた品が握りしめられていた。
「お久しぶりでんなぁ、マツザワはん」
あの方の通り名を口にして、懐かしい気持ちが沸き起こる。
おれはユウと族長から、ミズナがその名を封じたことを聞いていた。
「その……口調……」
あいつがあからさまに顔を
そういえば、親方さんの口調は苦手だと前言っていたな。
「ええ感じやろ~? おやっさんのがす~っかりうつってもうた」
「……前より余計にうるさくなった」
あぁ、嫌味を言われるのも久しぶりだなぁ。
昔のおれなら反論していただろう。でも、今は久しぶりのそれに顔を綻ばせていた。
それがお気に召さなかったらしく、ミズナは刀を突きつける。
「笑い事ではない。ふざけるのも大概にしろ」
「おなごがこないなもん、やたらと振り回したらあきまへんで~」
火に油を注ぐとはこのこと。今は自覚してやっていたりする。向きになるのが懐かしい。
「戯けたことを!」
相変わらずおちょくられることが苦手なようだ。
刀を思いっきり振り下ろしてくる。
「危ないいうてんのになぁ」
おれの今の相棒。
ホントに久しぶりだな、こうして喧嘩するの。
喧嘩をしていれば、またリュウ兄が仲裁に来てくれるだろうか。
心の奥で、そんな気がしていた。
「ほれほれ、社の前でそないなもん出しとったら罰当たりとちゃうん?」
「む……」
ミズナは渋々刀を鞘に収めながら、おれから目線を
「あの……」
「なんや?」
「しばらくは、いるのか?」
囁くような声で聞いてくる。
昔から変わらんなぁ。
「せやな。これからはここを拠点にするさかい。おやっさんに認められて、ワツキ専属の商人になれたからなぁ」
言いながら、おれは池の畔へ足を運ぶ。
「……ミズナ、久しぶりに水切りしねぇか?」
あえてミズナと呼び、かつてのおれの口調で問うた。
突然名を呼ばれ驚いているのか、ミズナは瞠目していた。
「やらね?」
「……いいよ、やろう」
可愛らしい笑みを浮かべると、あいつも〝あの時〟のままの口調で返事をした。
おれたちは小石を手に取り、池を見つめる。
今ここに、リュウ兄はいない。
「せーので投げるぜ」
「うん」
「せ~っの!」
同時に放たれた二つの石は、並んで飛び跳ねていく。
おれたちは、歩き出したんだ。
並行だった石の間隔が徐々に開いていく。まるで、おれたちの進む道が分かれたことを示しているかのように。
静かな沈黙が流れる。
「……さてと。仕事に戻りましょか。マツザワはんも任務抜け出して来たんやろ?」
「な……」
「その格好、よそ行きやもんなぁ」
村にいる間、基本的にミズナは道着姿だった。
図星なのか、そのまま押し黙る。
「そないにわいに会いたかったんかぁ?」
意地悪そうな笑みを浮かべると、案の定あいつは向きになった。
「そんなわけないだろう! すぐに戻る!」
そう怒鳴って、足早に石段を駆け下りていく。
「わいもロサリドへ商談に行かんとなぁ」
ミズナの背を見送りながら、ゆっくりと歩き出した。
カラン、カラン、カラン。
石段を一段下りる度に下駄の音が響く。
振り返ると、神木がおれたちを送り出すように、風が花弁を運んでくる。
「ほな、行ってきますわ」
おれは身を翻し、右手を上げた。
風が吹いた。
それは美しく咲き乱れる花弁を空へ運び、ワツキを駆け抜けていく。
春色の雪がこの地に降り注いでいた。