第10記 不審な尾行者
日が沈む頃、アズウェルたちはロサリドに到着した。街の上空をディオウが旋回する。
「うわー、でけー」
「確かに……でかいな」
アズウェルとディオウは、ロサリドの建物の数と規模の大きさに唖然としている。
ロサリドはディザードで最も規模が大きい街だ。二人が驚くのも無理はない。
「あ~。なんて情けないの。もう! あんたたち田舎者丸出しよ!」
ラキィが羽のような耳で頭を抱える。
「でっけぇもんはでっけぇんだって。さて……まずは」
「飯」
「だな!!」
二人は意気投合しているが、ラキィがそれを許さない。
「何言ってるのよ! 街に着いたら、まず宿探しでしょ!?」
この言葉の後、二人はラキィに叱咤され、宿探しをすることになった。
宿探しを始めてたものの、動物連れ込み可能な宿はそう簡単に見つからない。漸 く見つかった頃には、日はとっぷりと暮れていた。
「ディオウ、入ってもいいぜ」
アズウェルが闇に向かって囁[ く。
「おう」
ディオウはふわりと二階の窓まで飛び上がり、アズウェルが開いた窓から侵入する。
「ふぅ~。人に見つからないように、お前らの後をついて行くのは骨が折れたぞ」
「お疲れさん」
アズウェルが苦笑混じりに言った。
「おれも、疲れた。動物連れ込みオーケーで、部屋に鍵付きで、でっかい窓があって、安めのところってなかなか無いもんだなぁ」
「普通、そんなところ無いわよ。ある方が珍しいわ」
とりあえずあってよかった。
そう三人揃ってほっと一息つく。
「もーだめ、限界」
アズウェルがどさりと床に倒れ込んだ。そのままぴくりとも動かずに、寝息を立てる。
「あ~ら、床で寝ちゃ風邪引くわ」
ディオウがアズウェルの服を銜[ え、ベッドに放り投げる。
それでもアズウェルは起きない。文字通り、熟睡している。
「おれも疲れたぜ……」
そう言い残すと、今度はディオウが床に倒れた。
「あら、二人とも寝ちゃったわ。さっきまで飯~って騒いでいたのに」
ラキィは二人を呆れ顔で眺めてから机の上に飛び乗り、小さく体を丸めて静かに目を閉じた。
◇ ◇ ◇
午前十時過ぎ。ロサリドのとある酒場。
金髪の青年としゃべるトゥルーメンズという実に異様な光景に、酒場の客は唖然としている。
「ふぅ~。食った食った」
「アズウェル、あんた食べ過ぎよ」
まぁまぁ、とアズウェルはラキィを宥[ める。
「まったく、一人で五人分も食べて!!」
今にも爆発しそうなラキィからそっと離れて、アズウェルは会計を済ませる。
「ラキィ、行こう」
アズウェルは延々と文句を連ねるラキィの首根っこを掴むと、奇異の視線を向けられる酒場から逃げるようにして外へ出た。
そんな彼らを黙々と観察していた青年がいる。
頭に巻いている鉢巻を縛り直し、にやりと口端を吊り上げた。
「おっさん、ありがとうな。ほな、ここにお勘定置いておくで」
青年は適当に銅貨をカウンターにばらまいて、席を立つ。
「ちょっと……お客さん足りませんよ!」
金額を確認したマスターが慌てて呼び止めるが、青年の姿は何処にも見当たらなかった。
◇ ◇ ◇
酒場の裏の路地に入ると、アズウェルは物陰に隠れているディオウに声をかけた。
「よ、ディオウ。飯食ったか?」
「やっときたな。おれは随分前に食い終わってたぞ」
ディオウを連れて入るとあまりに目立ち過ぎるため、アズウェルは露店で買ってきた肉を渡したのだ。ラキィと二人でも十分目立っていたのに、ディオウまで連れて行けば厄介事に巻き込まれても不思議ではない。
「いや、それにしても、ここの味付けは最高だった。絶妙なスパイスと香ばしさがおれ好みだ」
「そりゃよかったね……」
アズウェルは呆れ顔で相槌を打つ。
どういうわけか、ディオウは生の肉を食べない。肉食動物であるのに、アズウェルたちと同じ食事を取るのだ。
獣のくせに舌が肥えているのだから、手が焼ける。
やれやれ、とアズウェルが肩を竦めた時、ディオウが叫んだ。
「走れっ!!」
「え? えぇ!?」
突然のことに対処しきれず、アズウェルは思いっきり出遅れる。ラキィも首を傾げている。
「アズウェル、ラキィ、走れって!!」
ディオウは頭でアズウェルの背中を押す。
酒場の方から、「食い逃げだ!」という怒声が聞こえてきた。
「へ? おれちゃんと払ったぞ?」
「いいから、走れって!」
「え? えぇ?」
訳が分からず混乱しながらもアズウェルは全力疾走する。
「も~!! 一体何なんだよ !!」
アズウェルの絶叫が街路地に響いた。
程なくして、黒髪の青年が路地に現れた。既に酒場の裏はもぬけの殻だ。
何も逃げることないのに。
青年が頭を掻いていると、後方から怒号と足音が近づいてきた。
「追って、追われる……か」
一瞬だけ顧みて、青年は駆け出した。
◇ ◇ ◇
「ここまで走れば……」
ディオウが来た道を振り返る。
「一体どうしたって言うんだよ~」
「そうよ、何で急に走り出したの?」
二人がたたみ掛けるようにディオウに訊く。
「あ~、それはだな……ってぇ!! おい、マジか!?」
安堵しかけたディオウは、距離を縮めてくる気配に愕然とした。
「くそ、飛ぶぞ! アズウェル乗れ!!」
「へ?」
ぼけっとしているアズウェルを、長い尾で叩[ いて催促する。
「後で説明するから、早くしろ!」
「え、あぁ、うん」
とりあえずディオウに言われるがままに、アズウェルが騎乗する。
ラキィが頭に乗ったことを確認すると、一目散にディオウはその場から飛び去った。
「ちょっと、落ちるわよ!」
「しっかり掴まっていろよ!!」
「ホント、ディオウ、ちょ、まっ !?」
また一足遅かったようだ。
「う~ん……酷いなぁ……ホンマに酷いわぁ。けど、流石、ギアディス」
さて、と青年は秘密兵器を取り出すと、黒いボタンを押した。
◇ ◇ ◇
風の咆哮が耳をつんざき、髪をうねらせた。まともに前方を見据えることすらできない。
必死にディオウの背にしがみつきながら、アズウェルは左手でラキィを抑える。力を少しでも抜けばこの小さな体躯は遥か後方へ飛ばされてしまうだろう。
「ディオウ飛ばしすぎだって!! ラキィが落ちる!」
「これくらい出さないと、振り切れん! 流石に、ここまで、飛べば、いくらなんでも……!」
ディオウは徐々に速度を落とし、着地する。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「で、一体どうしたんだ?」
肩で息をしながら、ディオウはアズウェルを見上げた。
「何か、怪しい、気配を、感じて……それが、しつこく、追って、来たんだ」
途切れ途切れのディオウの言葉に、二人は首を傾げる。
「怪しい気配?」
「何それ? クロウ族なの?」
いや、とディオウは首を振る。
「違う……と思う。殺気とかじゃない。何か、やばい気配がしたんだ。おれはそれに殺気より恐怖を感じた」
「殺気じゃなくて、クロウ族じゃなくてやばいって何だ? ディオウがそこまで感じる恐怖って……」
「う~ん、一体何やろなぁ~」
アズウェルが言い差した台詞を、正体不明の者が繋いだ。
アズウェルが顧みて、ラキィが瞠目し、ディオウが絶句した。
「な……な……何だよ、おまえ!?」
いつの間にか真後ろにいた青年に、アズウェルが目を剥[ く。
問われた不審者は、三人の様子を面白そうに眺めていた。
◇ ◇ ◇
一人考え込んでいたマツザワは、ぐるぐると自室の中を歩き回っていた。
「あの阿呆を遣いに出したのはまずかっただろうか……」
派遣したのが自分である以上、何か起きれば責任を取らねばなるまい。
「ディオウ殿に不興を買われなければいいが……」
頭を抱えてしゃがみ込む。
無理だ。いくら適当に見積もったとしても、彼が大人しくしているとは欠片も思えない。
マツザワは深く、深く肩を落とし、嘆息した。
◇ ◇ ◇
三対の目は不信感を顕[ にしていた。
「何や、と? あんさんら目見えへんの?」
「悪いが、貴様が何を言っているんだか、よくわからん」
ディオウが不審者を見据える。
「確かに少し変だけど……だいたいはわかるわよ」
「訛りが邪魔で意図が読み取れん」
「はぁ、しょうがないわね。私が訳すわ。えっと『あなたたち目が見えないの?』って聞いてるわ」
溜息混じりにラキィが翻訳すると、ディオウは声を張り上げる。
「な……貴様、おれたちを馬鹿にしてるのか!? 見えるに決まってるだろうが!!」
「そんなら、なして『何だ』と言うんや? 見りゃわかるやろ。わいは人間やで」
不審者は目をぱちくりさせながら、大袈裟に肩を竦[ めてみせる。
「『それなら、何で『何だ』と言うの? 見ればわかるでしょ? 私は人間よ』」
「違 う!!」
即、ディオウの怒号が轟く。
「おれが言いたいのはそこじゃな い!!」
「あのさ……」
アズウェルが苦笑しながら口を挟む。
「ディオウ、ホントはあの人が何言っているんだかわかってるんだろ?」
「わかってない、知らない」
ディオウは抑揚のない声で即答する。
「うん、わかってるんだな。ディオウ、余計に混乱するだけだからちゃんと会話しようぜ」
「む、何を言う。おれは真面目にやっているぞ。そこの不審者が真面目にやっていないだけの話だ」
じろりと不審者を睥睨し、ディオウは尾を一振りする。
「不審者って……確かに怪しいけど、それはちょっと可哀相な気が……」
「不審者! 怪しい! 可哀相!!」
いきなり破顔した不審者を見て、三人は咄嗟に後方へ飛び退いた。とても危険な香りがする。
ごくり、とアズウェルは唾を飲んだ。
「ええわぁ~!! 最高やな!」
予想外の反応に、三人は口を開けたまま固まった。
拒絶オーラを放出しているディオウを気にも留めずに、不審者はアズウェルに歩み寄ると、その両手を取ってぶんぶんと上下に振った。
「ほんま、ナイスや、アズウェルはん!!」
そこに、ディオウがすかさず吠える。
「この変態野郎!! アズウェルに触るなっ!!」
「変態、とな!?」
不審者はアズウェルの手をぱっと放し、瞳をキラキラと輝かせた。
「極上やないか! 素晴らしい、ホンマ素晴らしい! 流石、ディオウはん、あっぱれや!!」
間。
「じゃかぁし い!!」
「あなた、言葉の意味間違って捉えているわよ!?」
「ってか、何でおれたちの名前知ってんの?」
三者三様の反応を見てから、不審者はアズウェルに笑いかけた。
「うん、うん。まずはそこに突っ込みいれなあかんなぁ。アズウェルはん、いい筋してまっせぇ~」
それを聞いてディオウとラキィははっと顔を見合わせる。
確かに。
何故、名前を知っているのか。そして、一体何者 いや何物なのか。
「よし、振り出しにちゃぁんと戻ったなぁ。アズウェルはん、ナイスやったで!」
ぐっと親指を立てて、不審者と呼ばれた青年は片目を瞑[ った。
「うわー、でけー」
「確かに……でかいな」
アズウェルとディオウは、ロサリドの建物の数と規模の大きさに唖然としている。
ロサリドはディザードで最も規模が大きい街だ。二人が驚くのも無理はない。
「あ~。なんて情けないの。もう! あんたたち田舎者丸出しよ!」
ラキィが羽のような耳で頭を抱える。
「でっけぇもんはでっけぇんだって。さて……まずは」
「飯」
「だな!!」
二人は意気投合しているが、ラキィがそれを許さない。
「何言ってるのよ! 街に着いたら、まず宿探しでしょ!?」
この言葉の後、二人はラキィに叱咤され、宿探しをすることになった。
宿探しを始めてたものの、動物連れ込み可能な宿はそう簡単に見つからない。
「ディオウ、入ってもいいぜ」
アズウェルが闇に向かって
「おう」
ディオウはふわりと二階の窓まで飛び上がり、アズウェルが開いた窓から侵入する。
「ふぅ~。人に見つからないように、お前らの後をついて行くのは骨が折れたぞ」
「お疲れさん」
アズウェルが苦笑混じりに言った。
「おれも、疲れた。動物連れ込みオーケーで、部屋に鍵付きで、でっかい窓があって、安めのところってなかなか無いもんだなぁ」
「普通、そんなところ無いわよ。ある方が珍しいわ」
とりあえずあってよかった。
そう三人揃ってほっと一息つく。
「もーだめ、限界」
アズウェルがどさりと床に倒れ込んだ。そのままぴくりとも動かずに、寝息を立てる。
「あ~ら、床で寝ちゃ風邪引くわ」
ディオウがアズウェルの服を
それでもアズウェルは起きない。文字通り、熟睡している。
「おれも疲れたぜ……」
そう言い残すと、今度はディオウが床に倒れた。
「あら、二人とも寝ちゃったわ。さっきまで飯~って騒いでいたのに」
ラキィは二人を呆れ顔で眺めてから机の上に飛び乗り、小さく体を丸めて静かに目を閉じた。
◇ ◇ ◇
午前十時過ぎ。ロサリドのとある酒場。
金髪の青年としゃべるトゥルーメンズという実に異様な光景に、酒場の客は唖然としている。
「ふぅ~。食った食った」
「アズウェル、あんた食べ過ぎよ」
まぁまぁ、とアズウェルはラキィを
「まったく、一人で五人分も食べて!!」
今にも爆発しそうなラキィからそっと離れて、アズウェルは会計を済ませる。
「ラキィ、行こう」
アズウェルは延々と文句を連ねるラキィの首根っこを掴むと、奇異の視線を向けられる酒場から逃げるようにして外へ出た。
そんな彼らを黙々と観察していた青年がいる。
頭に巻いている鉢巻を縛り直し、にやりと口端を吊り上げた。
「おっさん、ありがとうな。ほな、ここにお勘定置いておくで」
青年は適当に銅貨をカウンターにばらまいて、席を立つ。
「ちょっと……お客さん足りませんよ!」
金額を確認したマスターが慌てて呼び止めるが、青年の姿は何処にも見当たらなかった。
◇ ◇ ◇
酒場の裏の路地に入ると、アズウェルは物陰に隠れているディオウに声をかけた。
「よ、ディオウ。飯食ったか?」
「やっときたな。おれは随分前に食い終わってたぞ」
ディオウを連れて入るとあまりに目立ち過ぎるため、アズウェルは露店で買ってきた肉を渡したのだ。ラキィと二人でも十分目立っていたのに、ディオウまで連れて行けば厄介事に巻き込まれても不思議ではない。
「いや、それにしても、ここの味付けは最高だった。絶妙なスパイスと香ばしさがおれ好みだ」
「そりゃよかったね……」
アズウェルは呆れ顔で相槌を打つ。
どういうわけか、ディオウは生の肉を食べない。肉食動物であるのに、アズウェルたちと同じ食事を取るのだ。
獣のくせに舌が肥えているのだから、手が焼ける。
やれやれ、とアズウェルが肩を竦めた時、ディオウが叫んだ。
「走れっ!!」
「え? えぇ!?」
突然のことに対処しきれず、アズウェルは思いっきり出遅れる。ラキィも首を傾げている。
「アズウェル、ラキィ、走れって!!」
ディオウは頭でアズウェルの背中を押す。
酒場の方から、「食い逃げだ!」という怒声が聞こえてきた。
「へ? おれちゃんと払ったぞ?」
「いいから、走れって!」
「え? えぇ?」
訳が分からず混乱しながらもアズウェルは全力疾走する。
「も~!! 一体何なんだよ
アズウェルの絶叫が街路地に響いた。
程なくして、黒髪の青年が路地に現れた。既に酒場の裏はもぬけの殻だ。
何も逃げることないのに。
青年が頭を掻いていると、後方から怒号と足音が近づいてきた。
「追って、追われる……か」
一瞬だけ顧みて、青年は駆け出した。
◇ ◇ ◇
「ここまで走れば……」
ディオウが来た道を振り返る。
「一体どうしたって言うんだよ~」
「そうよ、何で急に走り出したの?」
二人がたたみ掛けるようにディオウに訊く。
「あ~、それはだな……ってぇ!! おい、マジか!?」
安堵しかけたディオウは、距離を縮めてくる気配に愕然とした。
「くそ、飛ぶぞ! アズウェル乗れ!!」
「へ?」
ぼけっとしているアズウェルを、長い尾で
「後で説明するから、早くしろ!」
「え、あぁ、うん」
とりあえずディオウに言われるがままに、アズウェルが騎乗する。
ラキィが頭に乗ったことを確認すると、一目散にディオウはその場から飛び去った。
「ちょっと、落ちるわよ!」
「しっかり掴まっていろよ!!」
「ホント、ディオウ、ちょ、まっ
また一足遅かったようだ。
「う~ん……酷いなぁ……ホンマに酷いわぁ。けど、流石、ギアディス」
さて、と青年は秘密兵器を取り出すと、黒いボタンを押した。
◇ ◇ ◇
風の咆哮が耳をつんざき、髪をうねらせた。まともに前方を見据えることすらできない。
必死にディオウの背にしがみつきながら、アズウェルは左手でラキィを抑える。力を少しでも抜けばこの小さな体躯は遥か後方へ飛ばされてしまうだろう。
「ディオウ飛ばしすぎだって!! ラキィが落ちる!」
「これくらい出さないと、振り切れん! 流石に、ここまで、飛べば、いくらなんでも……!」
ディオウは徐々に速度を落とし、着地する。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「で、一体どうしたんだ?」
肩で息をしながら、ディオウはアズウェルを見上げた。
「何か、怪しい、気配を、感じて……それが、しつこく、追って、来たんだ」
途切れ途切れのディオウの言葉に、二人は首を傾げる。
「怪しい気配?」
「何それ? クロウ族なの?」
いや、とディオウは首を振る。
「違う……と思う。殺気とかじゃない。何か、やばい気配がしたんだ。おれはそれに殺気より恐怖を感じた」
「殺気じゃなくて、クロウ族じゃなくてやばいって何だ? ディオウがそこまで感じる恐怖って……」
「う~ん、一体何やろなぁ~」
アズウェルが言い差した台詞を、正体不明の者が繋いだ。
アズウェルが顧みて、ラキィが瞠目し、ディオウが絶句した。
「な……な……何だよ、おまえ!?」
いつの間にか真後ろにいた青年に、アズウェルが目を
問われた不審者は、三人の様子を面白そうに眺めていた。
◇ ◇ ◇
一人考え込んでいたマツザワは、ぐるぐると自室の中を歩き回っていた。
「あの阿呆を遣いに出したのはまずかっただろうか……」
派遣したのが自分である以上、何か起きれば責任を取らねばなるまい。
「ディオウ殿に不興を買われなければいいが……」
頭を抱えてしゃがみ込む。
無理だ。いくら適当に見積もったとしても、彼が大人しくしているとは欠片も思えない。
マツザワは深く、深く肩を落とし、嘆息した。
◇ ◇ ◇
三対の目は不信感を
「何や、と? あんさんら目見えへんの?」
「悪いが、貴様が何を言っているんだか、よくわからん」
ディオウが不審者を見据える。
「確かに少し変だけど……だいたいはわかるわよ」
「訛りが邪魔で意図が読み取れん」
「はぁ、しょうがないわね。私が訳すわ。えっと『あなたたち目が見えないの?』って聞いてるわ」
溜息混じりにラキィが翻訳すると、ディオウは声を張り上げる。
「な……貴様、おれたちを馬鹿にしてるのか!? 見えるに決まってるだろうが!!」
「そんなら、なして『何だ』と言うんや? 見りゃわかるやろ。わいは人間やで」
不審者は目をぱちくりさせながら、大袈裟に肩を
「『それなら、何で『何だ』と言うの? 見ればわかるでしょ? 私は人間よ』」
「違
即、ディオウの怒号が轟く。
「おれが言いたいのはそこじゃな
「あのさ……」
アズウェルが苦笑しながら口を挟む。
「ディオウ、ホントはあの人が何言っているんだかわかってるんだろ?」
「わかってない、知らない」
ディオウは抑揚のない声で即答する。
「うん、わかってるんだな。ディオウ、余計に混乱するだけだからちゃんと会話しようぜ」
「む、何を言う。おれは真面目にやっているぞ。そこの不審者が真面目にやっていないだけの話だ」
じろりと不審者を睥睨し、ディオウは尾を一振りする。
「不審者って……確かに怪しいけど、それはちょっと可哀相な気が……」
「不審者! 怪しい! 可哀相!!」
いきなり破顔した不審者を見て、三人は咄嗟に後方へ飛び退いた。とても危険な香りがする。
ごくり、とアズウェルは唾を飲んだ。
「ええわぁ~!! 最高やな!」
予想外の反応に、三人は口を開けたまま固まった。
拒絶オーラを放出しているディオウを気にも留めずに、不審者はアズウェルに歩み寄ると、その両手を取ってぶんぶんと上下に振った。
「ほんま、ナイスや、アズウェルはん!!」
そこに、ディオウがすかさず吠える。
「この変態野郎!! アズウェルに触るなっ!!」
「変態、とな!?」
不審者はアズウェルの手をぱっと放し、瞳をキラキラと輝かせた。
「極上やないか! 素晴らしい、ホンマ素晴らしい! 流石、ディオウはん、あっぱれや!!」
間。
「じゃかぁし
「あなた、言葉の意味間違って捉えているわよ!?」
「ってか、何でおれたちの名前知ってんの?」
三者三様の反応を見てから、不審者はアズウェルに笑いかけた。
「うん、うん。まずはそこに突っ込みいれなあかんなぁ。アズウェルはん、いい筋してまっせぇ~」
それを聞いてディオウとラキィははっと顔を見合わせる。
確かに。
何故、名前を知っているのか。そして、一体何者
「よし、振り出しにちゃぁんと戻ったなぁ。アズウェルはん、ナイスやったで!」
ぐっと親指を立てて、不審者と呼ばれた青年は片目を
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第9記 疾走マツザワ
急げ。一刻も早く村に辿り着かなければ。
フレイトのエンジン音が、殺風景な平原に響き渡る。
現在、真昼。太陽が南の空に高く昇っていた。
急げ。早く。急げ。早く。
気持ちだけが、ただ逸[ る。
夏の日差しは女の額から汗を呼び出した。
アズウェルの家を出てからおよそ半日、彼女はフレイトを飛ばし続けている。流石に疲労と睡魔が強襲していた。
彼女は眠気を振り払うために下唇を強く噛み締めた。口の中に鉄の味が広がる。
早く、早く。
焦る気持ちに引かれるようにして、更にアクセルを踏み込んだ時。
がくりとバランスが崩れ、浮遊走行していたフレイトが大地を擦る。
「な……!?」
あまりの揺れに彼女が飛び降りると、フレイトは地面を抉りながら跳ねていき、程なくして停止した。
「く……! 何故動かない!?」
彼女がフレイトのスピードを上げ過ぎたため、エンジンがいかれてしまったのだ。
だが、彼女がそれに気付くはずもない。
「あとわずかで着くというのに!」
がん、と蹴り飛ばし、忌々しげに舌打ちする。
「走っていくしかないか……!」
突如目眩[ が襲い、彼女は片膝をついた。
眠っていない上に、食事も取っていない。凄まじい眠気が彼女の四肢を縛り付ける。
まだ倒れるわけにはいかない。早く、少しでも早く村へ辿り着かなければ。
その気落ちが彼女の体を動かす。
だが、皮肉なことに頭の中はぼんやりと霞[ がかかり、視界も歪む。
ふらりと立ち上がるが、疲労と睡魔が休めと誘惑してくる。彼女は強く頭を振ってその誘惑を払い除[ けた。
眠ってなどいられない。
ぎり、と正面を睨みつけ、彼女は走り出した。まるで風のように、彼女は疾走する。
急げ、急げ。少しでも一歩でも前へ、前へ。
平原が瞬[ く間に後方へと遠のいていく。
代わりに姿を見せたのは、鬱葱[ と茂る竹林だ。
大地を足で蹴る度に、笹の葉がぱりっと音を立てる。
この林を抜ければ、故郷だ。
強風が唸りを上げて女の長い黒髪を靡[ かせた。
深緑の視界が、明るく開けた。竹林が覆い隠していた家々が、数日前と少しも違うことなく佇んでいる。
「着いた……!」
女の足が、自然と速度を上げた。
心中に仕舞い込んでいた怒りと疑念が、沸々と湧き起こる。
この感情を吐き出すまでは、とても休めそうにない。
「お、あれ、マツザワ殿ではないか?」
「本当だ。もの凄い勢いでこっちに来るぞ」
村人が彼女を見つけて呟く。
「な、なんか凄い気迫が……」
ごくり、と村人は唾を飲んだ。
彼女の背後に龍の幻影が垣間見えた。何故かわからないが、彼女は激怒している。
「おい!!」
女の怒号が轟いた。
「は、はいっ!?」
村人はいきなり怒鳴られて上ずった声を上げる。
「族長は今どこにいる!?」
「え、あ、族長様は今、村役場で会議中かと……」
村人が全て言い終わらないうちに、風の如く彼女は駆けていった。
「何であんなに怒っていたんだろう? それにやけに急いでいたような……」
「一体どうしたんだろうな……」
取り残された二人は呆然と呟いた。
◇ ◇ ◇
「いいか、皆に急いで戦の準備をさせたまえ」
「は、承知いたしました」
「しかし、族長。そのような攻撃を受けきれるものなのでしょうか。第一、今マツザワ殿が離村しております」
「あれは、別にいなくてもいいだろう」
刹那、みし、という音と共に会議室の襖[ が吹き飛んだ。
付近にいた者が慌てて飛び退[ く。
「いなくてもいいなどと、勝手なことを言われては困る……!」
襖があったはずの場所には、鬼のような形相をした女が立っていた。
女は抜いた刀の先を族長に向け、厳かに言い放つ。
「次期族長である私が、何故村から遠ざけられなくてはならない? この村は私が守る! たとえ離村することが、父上の命令であろうと、私はクロウ族と戦う!!」
突然現れた我が子に族長は絶句する。
「な……何故、お前が此処に……」
「ディオウ殿とアズウェルに真相を聞き、帰還した」
「ディオウ殿……? アズウェル? 誰だそれは」
女は父に向けた刀を静かに下ろした。
「ディオウ殿は、ギアディスだ」
「な……!?」
その場にいた者全員が、彼女の言葉に息を飲む。
「千里眼を持つディオウ殿、言語能力のあるトゥルーメンズのラキィ殿、そしてその主であり、予知能力を持つアズウェル。以上三名が、我々の味方に付いた。クロウ族の企みを教えてくれたのも彼らだ」
女、マツザワは滔々と語る。
「父上、ディオウ殿からの言伝がある」
「な……何だ?」
マツザワは悠然とディオウの伝言を口にする。
「この戦は勝てる……!」
その言葉を言い切ると、マツザワは昏倒した。
◇ ◇ ◇
「うっ……!」
低い呻き声を上げて、マツザワは目を開いた。
「マツザワさん、気がつかれましたか?」
聞き慣れた声が耳に届く。
「ユウか……?」
ユウと呼ばれた少女は、にっこりと微笑んで頷いた。
少女の名はユウ・リアイリド。彼女は艶[ のある黒髪を肩よりやや短めに切り揃え、〝浴衣〟というスワロウ族独特の服を身に纏[ っていた。
「気分はいかがですか?」
柔らかく、温かい声でユウは尋ねる。
「あぁ、大分いいようだ」
「よかった……」
そう言うとユウは湯飲みに茶を注ぎ、マツザワに差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
ユウは笑顔で応えると、薬草の煎じたものをマツザワに見せる。
天敵の襲来に、マツザワは顔を顰[ めた。
「薬もちゃんと飲まなきゃだめですよ。あ、でも何か食べないと飲めませんね」
ユウはすっと立ち上がると台所に行く。
「別に、薬も食事もいらない……」
その言葉に反してマツザワの腹の虫が鳴いた。
思い起こせば、アズウェル家での夕食が最後だ。
「お腹は素直ですね」
ユウが盆に夕餉[ を乗せて持ってくる。
スワロウ族の食事は、メニューを見れば時刻がすぐにわかった。
「もうそんな時間か……」
マツザワは布団から出て、窓の外を見る。夕日が空を紅く染めていた。
「私はどれくらい倒れていたんだ?」
マツザワが眉を寄せて言った。
「そうですね。だいたい三、四時間くらいでしょうか」
「そうか……」
「さぁ、早く食べてください。冷めてしまいます」
マツザワは無言で頷いて床[ を出ると、座布団の上に腰を下ろした。
夕餉を口に運びながらマツザワは小さく呟く。
「こんなにのんびりしていていいものなのだろうか……」
「大丈夫ですよ。呪[ い師が、クロウ族が攻めてくるまでに二、三日あると仰[ ってましたから」
「二、三日か……」
箸を置き腕組みをすると、口を閉ざして思案する。
すぐに動けないのだから、この際致し方あるまい。
「マツザワさん……?」
「ユウ、あの阿呆[ 男を呼んでくれ」
「阿呆男……」
ユウは思い当たる人物を探しあぐねて、目を瞬[ かせた。
「あの、阿呆商人だ」
「あぁ、彼ですか。わかりました。少々お待ちください」
合点がいったユウは、静かに立ち上がると部屋を出て行く。
「あ、薬はちゃんと飲んでくださいね」
ひょこっと顔を出し、マツザワに念を押す。
「御意……」
「では、呼んできます」
ユウが家から出て行くと、マツザワは薬を睨みつけた。
「貴様だけは、ユウに頼まれても好きにはなれないな……」
できることなら、厄介になりたくない相手ではあるが。状況が状況なだけに、疲労を引きずるわけにもいくまい。
はぁ、と息を吐いて首を振る。
飲まなければ、あの穏やかな治療師に叱られるだろう。普段が温厚だからこそ、怒らせると村で一番恐いのだ。
再び溜息をついて薬を飲み干すが、あまりの不味さに卓上に突っ伏した。
◇ ◇ ◇
「やぁ、マツザワはん久しぶりやなぁ~」
耳障りな声にマツザワは抜刀した。
「来たか……阿呆商人!」
「おぉっと。いきなり何すんねん」
さして驚いた様子も見せずに飛び上がり、男はマツザワの太刀を避ける。そのまま突き出された刀の上に降り立った。実に無駄のない動きだ。
「……」
ひくひくとマツザワの頬が引きつる。
彼女が乱暴に刀を払う。それと同時に飛び上がった男は、空中で一回転して着地した。
「あんさん、さっきまでブッ倒れてたんやろ? そないな危ないモン振り回しとぉないで、休んでいた方がいいんとちゃう?」
「黙れ、阿呆商人」
「阿呆商人……くぅ~素晴らしいわぁ。そないに誉めなくてもええでぇ~。いやぁ照れまんがなぁ~」
堪忍袋の緒が、強烈な断裂音を伴って切れる。
我慢の限界だ。
素早く振り下ろした刀は、算盤[ によって軽々と受け止められた。
木製だというのに、傷一つつかない男の得物が恨めしい。
「ちょっと、マツザワさん、アキラさん。何喧嘩してるんですか!」
遅れて戻ってきたユウが、その様子を見て口を挟む。
ユウの兄でるアキラは、マツザワと同じ齢十九。幼馴染に相当するアキラが、マツザワはこの村 いや、この世界で最も苦手な生き物だった。
「ユウよ~、聞いとくれぇ。マツザワはんったらわいを見るなり、刀で襲ってきたんよぉ~。ひどい話やろぉ~? わいは心配して駆けつけてきたんよ? この仕打ちはあんまりやろぉ~」
実に精悍な顔つきの青年だが、その口調と内容が評価を下げていることを、彼は自覚しているのだろうか。
「黙れ、阿呆商人。何が心配して駆けつけた、だ。私がユウに頼んで呼んでもらっただけの話だろう」
「マツザワはんがわいを呼んでくれたんかぁ~。そら嬉しいわぁ~。何? わいに会いたかったんかぁ?」
アキラの満面の笑みと歓喜に満ち溢れた声が、マツザワの神経を逆撫でする。
「変なことを言うな! お前は今すぐ村から出て行け!!」
「ひどいわぁ~。わいを追い出すんかぁ?」
大声で怒鳴るマツザワに、アキラはわざと涙を浮かべてみた。
「マツザワさん、何もそこまでしなくても……」
そうやってユウの同情を呼んで面白がる態度が、気に入らない。
マツザワは二人の言葉を完全に無視して、大股でユウの家を出て行く。
「ちょい、待てぇな」
アキラがマツザワの腕を掴む。瞬時にマツザワの平手がアキラの頬に炸裂した。
「私に触れるな! 戯け者! さっさとロサリドに行って、客人を連れてこい!!」
「ほぉ。そういうことかいな。客人とは、ちまたで噂の彼らのことやな?」
「ギアディスも共にいる。くれぐれも無礼な行動はするな」
マツザワは背を向けたまま冷然と言う。
「あいな~」
「アキラさん、お気をつけて」
「ほいほ~い」
二人の忠告に何とも気の抜けた返事をして、アキラは村を出て行った。
「よかったです。アキラさんが追い出されなくて」
「あの阿呆はもう少し我が種族である自覚を持つべきだ」
見届けたマツザワは大きな溜息をついた。
何事も起きずに送迎を終えてくれれば良いのだが。
「疲れた……」
よろけたマツザワをユウが抱き留める。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、すまない。……ん、どうした?」
淡く微笑んでいるユウに尋ねると、彼女は更に顔を和ませた。
「いえ、何も。マツザワさん、綺麗です」
「何が……」
怪訝そうに尋ねてくるその顔が、仄かに赤みを帯びているのは、きっと夕日のせいだけではないだろうから。
とても綺麗だと、ユウは思った。
「夕日、綺麗ですね」
そう微笑んだ三つ下の幼馴染に頷いて、マツザワも茜色の空を見上げた。
フレイトのエンジン音が、殺風景な平原に響き渡る。
現在、真昼。太陽が南の空に高く昇っていた。
急げ。早く。急げ。早く。
気持ちだけが、ただ
夏の日差しは女の額から汗を呼び出した。
アズウェルの家を出てからおよそ半日、彼女はフレイトを飛ばし続けている。流石に疲労と睡魔が強襲していた。
彼女は眠気を振り払うために下唇を強く噛み締めた。口の中に鉄の味が広がる。
早く、早く。
焦る気持ちに引かれるようにして、更にアクセルを踏み込んだ時。
がくりとバランスが崩れ、浮遊走行していたフレイトが大地を擦る。
「な……!?」
あまりの揺れに彼女が飛び降りると、フレイトは地面を抉りながら跳ねていき、程なくして停止した。
「く……! 何故動かない!?」
彼女がフレイトのスピードを上げ過ぎたため、エンジンがいかれてしまったのだ。
だが、彼女がそれに気付くはずもない。
「あとわずかで着くというのに!」
がん、と蹴り飛ばし、忌々しげに舌打ちする。
「走っていくしかないか……!」
突如
眠っていない上に、食事も取っていない。凄まじい眠気が彼女の四肢を縛り付ける。
まだ倒れるわけにはいかない。早く、少しでも早く村へ辿り着かなければ。
その気落ちが彼女の体を動かす。
だが、皮肉なことに頭の中はぼんやりと
ふらりと立ち上がるが、疲労と睡魔が休めと誘惑してくる。彼女は強く頭を振ってその誘惑を払い
眠ってなどいられない。
ぎり、と正面を睨みつけ、彼女は走り出した。まるで風のように、彼女は疾走する。
急げ、急げ。少しでも一歩でも前へ、前へ。
平原が
代わりに姿を見せたのは、
大地を足で蹴る度に、笹の葉がぱりっと音を立てる。
この林を抜ければ、故郷だ。
強風が唸りを上げて女の長い黒髪を
深緑の視界が、明るく開けた。竹林が覆い隠していた家々が、数日前と少しも違うことなく佇んでいる。
「着いた……!」
女の足が、自然と速度を上げた。
心中に仕舞い込んでいた怒りと疑念が、沸々と湧き起こる。
この感情を吐き出すまでは、とても休めそうにない。
「お、あれ、マツザワ殿ではないか?」
「本当だ。もの凄い勢いでこっちに来るぞ」
村人が彼女を見つけて呟く。
「な、なんか凄い気迫が……」
ごくり、と村人は唾を飲んだ。
彼女の背後に龍の幻影が垣間見えた。何故かわからないが、彼女は激怒している。
「おい!!」
女の怒号が轟いた。
「は、はいっ!?」
村人はいきなり怒鳴られて上ずった声を上げる。
「族長は今どこにいる!?」
「え、あ、族長様は今、村役場で会議中かと……」
村人が全て言い終わらないうちに、風の如く彼女は駆けていった。
「何であんなに怒っていたんだろう? それにやけに急いでいたような……」
「一体どうしたんだろうな……」
取り残された二人は呆然と呟いた。
◇ ◇ ◇
「いいか、皆に急いで戦の準備をさせたまえ」
「は、承知いたしました」
「しかし、族長。そのような攻撃を受けきれるものなのでしょうか。第一、今マツザワ殿が離村しております」
「あれは、別にいなくてもいいだろう」
刹那、みし、という音と共に会議室の
付近にいた者が慌てて飛び
「いなくてもいいなどと、勝手なことを言われては困る……!」
襖があったはずの場所には、鬼のような形相をした女が立っていた。
女は抜いた刀の先を族長に向け、厳かに言い放つ。
「次期族長である私が、何故村から遠ざけられなくてはならない? この村は私が守る! たとえ離村することが、父上の命令であろうと、私はクロウ族と戦う!!」
突然現れた我が子に族長は絶句する。
「な……何故、お前が此処に……」
「ディオウ殿とアズウェルに真相を聞き、帰還した」
「ディオウ殿……? アズウェル? 誰だそれは」
女は父に向けた刀を静かに下ろした。
「ディオウ殿は、ギアディスだ」
「な……!?」
その場にいた者全員が、彼女の言葉に息を飲む。
「千里眼を持つディオウ殿、言語能力のあるトゥルーメンズのラキィ殿、そしてその主であり、予知能力を持つアズウェル。以上三名が、我々の味方に付いた。クロウ族の企みを教えてくれたのも彼らだ」
女、マツザワは滔々と語る。
「父上、ディオウ殿からの言伝がある」
「な……何だ?」
マツザワは悠然とディオウの伝言を口にする。
「この戦は勝てる……!」
その言葉を言い切ると、マツザワは昏倒した。
◇ ◇ ◇
「うっ……!」
低い呻き声を上げて、マツザワは目を開いた。
「マツザワさん、気がつかれましたか?」
聞き慣れた声が耳に届く。
「ユウか……?」
ユウと呼ばれた少女は、にっこりと微笑んで頷いた。
少女の名はユウ・リアイリド。彼女は
「気分はいかがですか?」
柔らかく、温かい声でユウは尋ねる。
「あぁ、大分いいようだ」
「よかった……」
そう言うとユウは湯飲みに茶を注ぎ、マツザワに差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
ユウは笑顔で応えると、薬草の煎じたものをマツザワに見せる。
天敵の襲来に、マツザワは顔を
「薬もちゃんと飲まなきゃだめですよ。あ、でも何か食べないと飲めませんね」
ユウはすっと立ち上がると台所に行く。
「別に、薬も食事もいらない……」
その言葉に反してマツザワの腹の虫が鳴いた。
思い起こせば、アズウェル家での夕食が最後だ。
「お腹は素直ですね」
ユウが盆に
スワロウ族の食事は、メニューを見れば時刻がすぐにわかった。
「もうそんな時間か……」
マツザワは布団から出て、窓の外を見る。夕日が空を紅く染めていた。
「私はどれくらい倒れていたんだ?」
マツザワが眉を寄せて言った。
「そうですね。だいたい三、四時間くらいでしょうか」
「そうか……」
「さぁ、早く食べてください。冷めてしまいます」
マツザワは無言で頷いて
夕餉を口に運びながらマツザワは小さく呟く。
「こんなにのんびりしていていいものなのだろうか……」
「大丈夫ですよ。
「二、三日か……」
箸を置き腕組みをすると、口を閉ざして思案する。
すぐに動けないのだから、この際致し方あるまい。
「マツザワさん……?」
「ユウ、あの
「阿呆男……」
ユウは思い当たる人物を探しあぐねて、目を
「あの、阿呆商人だ」
「あぁ、彼ですか。わかりました。少々お待ちください」
合点がいったユウは、静かに立ち上がると部屋を出て行く。
「あ、薬はちゃんと飲んでくださいね」
ひょこっと顔を出し、マツザワに念を押す。
「御意……」
「では、呼んできます」
ユウが家から出て行くと、マツザワは薬を睨みつけた。
「貴様だけは、ユウに頼まれても好きにはなれないな……」
できることなら、厄介になりたくない相手ではあるが。状況が状況なだけに、疲労を引きずるわけにもいくまい。
はぁ、と息を吐いて首を振る。
飲まなければ、あの穏やかな治療師に叱られるだろう。普段が温厚だからこそ、怒らせると村で一番恐いのだ。
再び溜息をついて薬を飲み干すが、あまりの不味さに卓上に突っ伏した。
◇ ◇ ◇
「やぁ、マツザワはん久しぶりやなぁ~」
耳障りな声にマツザワは抜刀した。
「来たか……阿呆商人!」
「おぉっと。いきなり何すんねん」
さして驚いた様子も見せずに飛び上がり、男はマツザワの太刀を避ける。そのまま突き出された刀の上に降り立った。実に無駄のない動きだ。
「……」
ひくひくとマツザワの頬が引きつる。
彼女が乱暴に刀を払う。それと同時に飛び上がった男は、空中で一回転して着地した。
「あんさん、さっきまでブッ倒れてたんやろ? そないな危ないモン振り回しとぉないで、休んでいた方がいいんとちゃう?」
「黙れ、阿呆商人」
「阿呆商人……くぅ~素晴らしいわぁ。そないに誉めなくてもええでぇ~。いやぁ照れまんがなぁ~」
堪忍袋の緒が、強烈な断裂音を伴って切れる。
我慢の限界だ。
素早く振り下ろした刀は、
木製だというのに、傷一つつかない男の得物が恨めしい。
「ちょっと、マツザワさん、アキラさん。何喧嘩してるんですか!」
遅れて戻ってきたユウが、その様子を見て口を挟む。
ユウの兄でるアキラは、マツザワと同じ齢十九。幼馴染に相当するアキラが、マツザワはこの村
「ユウよ~、聞いとくれぇ。マツザワはんったらわいを見るなり、刀で襲ってきたんよぉ~。ひどい話やろぉ~? わいは心配して駆けつけてきたんよ? この仕打ちはあんまりやろぉ~」
実に精悍な顔つきの青年だが、その口調と内容が評価を下げていることを、彼は自覚しているのだろうか。
「黙れ、阿呆商人。何が心配して駆けつけた、だ。私がユウに頼んで呼んでもらっただけの話だろう」
「マツザワはんがわいを呼んでくれたんかぁ~。そら嬉しいわぁ~。何? わいに会いたかったんかぁ?」
アキラの満面の笑みと歓喜に満ち溢れた声が、マツザワの神経を逆撫でする。
「変なことを言うな! お前は今すぐ村から出て行け!!」
「ひどいわぁ~。わいを追い出すんかぁ?」
大声で怒鳴るマツザワに、アキラはわざと涙を浮かべてみた。
「マツザワさん、何もそこまでしなくても……」
そうやってユウの同情を呼んで面白がる態度が、気に入らない。
マツザワは二人の言葉を完全に無視して、大股でユウの家を出て行く。
「ちょい、待てぇな」
アキラがマツザワの腕を掴む。瞬時にマツザワの平手がアキラの頬に炸裂した。
「私に触れるな! 戯け者! さっさとロサリドに行って、客人を連れてこい!!」
「ほぉ。そういうことかいな。客人とは、ちまたで噂の彼らのことやな?」
「ギアディスも共にいる。くれぐれも無礼な行動はするな」
マツザワは背を向けたまま冷然と言う。
「あいな~」
「アキラさん、お気をつけて」
「ほいほ~い」
二人の忠告に何とも気の抜けた返事をして、アキラは村を出て行った。
「よかったです。アキラさんが追い出されなくて」
「あの阿呆はもう少し我が種族である自覚を持つべきだ」
見届けたマツザワは大きな溜息をついた。
何事も起きずに送迎を終えてくれれば良いのだが。
「疲れた……」
よろけたマツザワをユウが抱き留める。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、すまない。……ん、どうした?」
淡く微笑んでいるユウに尋ねると、彼女は更に顔を和ませた。
「いえ、何も。マツザワさん、綺麗です」
「何が……」
怪訝そうに尋ねてくるその顔が、仄かに赤みを帯びているのは、きっと夕日のせいだけではないだろうから。
とても綺麗だと、ユウは思った。
「夕日、綺麗ですね」
そう微笑んだ三つ下の幼馴染に頷いて、マツザワも茜色の空を見上げた。