第8記 決意
「主、一体どういうつもりなんだ? 攻撃時刻を流したなんてことが奴らに知れたら……」
黒い短髪を風に流しながら、左目に眼帯をした男は前を歩く少年を見据える。
どこかで転んだのだろうか。男の額には一本切り傷のような痕があった。
「大丈夫ですよ。絶対にばれっこないですから」
主と呼ばれた少年が振り返って男を見上げる。
「〝ボク〟がここにこうやって来ていることも今は知られていないでしょう。この姿だってあいつらは知りませんから」
「確かにそれはそうだが……」
「ボクがキミに頼んだのも、元はと言えば彼女にそれを教えるためでしょう。この地で様々な種族から信頼を得ているスワロウ族を簡単に消されちゃ困るんです。奴らの企みを阻止するには、負けていただかないと後々面倒なのです」
そう簡単にはいきませんが、と少年は笑った。
「それに、奴らが絡んでいなくとも、この戦にキミは手を貸すつもりだったでしょう?」
「そ……それは……」
言葉を濁らせ、視線を逸 らせた男を見て、少年は呆れたように溜息をついた。
「ルーティング、今は過去のことをうだうだ言っている時ではないでしょう。さ、早くスワロウ族の村に行って監視していてください。スワロウ族の様子と、到着した彼らのことを」
「……御意」
主の言葉は絶対。
数秒躊躇[ ってから、ルーティングは渋々頷いた。
少年は右手の人差指を立てて、更に続ける。
「定期的に報告してくださいね。それと、今度勝手に暴れたら、ボク本気で怒りますからね」
最後の方は些[ か声が低くなっていた気がしたが、それは単なる脅しではない証拠。
結局弁解などしてはいないが、したところで睨まれるのが目に見えている。
ただ聖獣に誇張表現をされたのは事実であり。
「……肝に、銘じておく」
苦々しげに呟くと、ルーティングは兵士たちを連れて、風と共に姿を消した。
草原に一人佇む少年、シルードは天を仰ぐ。
「待っていますよ、アズウェル」
朝日を浴びたシルードの栗毛が、黄金色[ に輝いていた。
◇ ◇ ◇
どくん、と。
突然アズウェルの心臓が跳ね上がった。
また、だ。
シルードの瞳を見た時と、同じ感覚。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「あぁ、そうだな。街の奴らも全員エルジアに連れて来たしな、アズウェル」
ラキィとディオウの声は、アズウェルの耳を素通りする。
彼の耳に響いている音は。
けたたましく主張する己の心音と、耳鳴りに近い高い音。
遠くから聞こえていた高音が、徐々に存在感を増していく。
「ねぇ、アズウェル聞いてる? 眠いの?」
反応のないアズウェルを二人は訝しげに見上げていた。
呼びかけても、アズウェルの瞳は宙を凝視している。
「アズウェル? おい、アズウェルどうかしたのか!?」
ディオウが声を荒げた時、アズウェルの頭の中に言葉にならない悲鳴が迸[ る。
!?
鼓動が、一層激しさを増していく。
エル……アズウェル!!
名を、呼ばれた。
それは、誰の声なのか、アズウェルは知らない。
思考を強制停止させるように、意識を手放した。
「アズウェル! おい、大丈夫か!?」
「……ん?」
瞼を上げると、瞳にディオウとラキィの顔が映った。
「大丈夫なの?」
「え、うん。平気だけど」
それでも二人は「大丈夫か」と聞き続けた。
ラキィがアズウェルの頬や額を耳でぺたぺたと触れる。
アズウェルは怪訝そうに顔を顰[ めた。
「大丈夫だってば、何すんだよラキィ」
「じゃぁ……じゃぁ、何で起き上がらないの?」
「へ?」
どうやらアズウェルはベッドに仰向けになっていたらしい。
ゆっくりと上体を起こすと、見慣れた家具が目に飛び込んできた。
「ここは……」
「おれたちの家だ。出発しようとしたら、お前がいきなりブッ倒れたから連れてきたんだ」
「そっか」
力なく答えるアズウェルを見て、二人は顔を見合わす。
「やっぱり、ディオウの言う通りにした方がいいわね」
「え?」
「アズウェル、お前は少し休んでいろ。おれたち二人で一度マツザワのところに行ってくる」
ディオウの言葉にアズウェルは目を剥[ く。
「な……何言ってんだよ!? おれも行くに決まってるだろ!」
「けど、あんたまた倒れるかもしれないのよ?」
アズウェルは鋭い目付きでラキィを睨みつけた。
「行くったら行くんだ! おれは平気だ、どこも悪くない!」
「アズウェル、わかってるのか? 遊びじゃないんだぞ」
今度はディオウを睨む。
「そんなこと、言われなくてもわかってる!」
アズウェルはベッドから降りると戸棚を漁る。
木箱を一つ取り出し、中から必要なだけ金を財布に移した。
それは、アズウェルが村の面影を維持するための貯金。
誰が、いつ、此処に戻ってきても住めるように。
一度終わらせてしまったエルジアでの続きを、すぐに始められるように。
村をそのまま残しておくために、アズウェルは給料を持ち帰る度に、半分を木箱の中に保管していた。
其処から金を出すということは、この村に見切りを付けるということだ。
無言で自分の行動を見ている二人を振り返ると、怒気を帯びた声で言った。
「とにかく、おれは行く」
二人は反論しようと口を開きかけるが、アズウェルの眼光に気圧されて言葉を飲み込む。
木箱を開けたアズウェルを見れば、彼の意志がどれほどのものかは想像に難くない。
ただでさえ、一度言い出したら誰が何と言おうと聞かないのだ。
いくら正論を並べてもその努力が報われることはないだろう。
アズウェルの暴走を止められるといえば、過去に二人いたが、いずれも今此処にはいない。
くるりと背を向けたアズウェルは、乱暴に扉を蹴り外に出て行った。
二人は深々と嘆息する。
頭を抱えて悩んでいる二人の耳に、外からアズウェルの怒号が突き刺さる。
「行かないならそれでもいい。でもおれは行くからな!」
「ダメだな、もう」
「そうね、フェルスもロウドもいないもの」
がくりと頭[ を垂れた二人は、首を横に振った後、意を決したように顔を上げた。
「仕方ないわ、行きましょう。アズウェルを一人で行かせるのはとぉっても不安だわ」
「まったくだ」
◇ ◇ ◇
真夏の太陽がじりじりと地上を照らす。
その暑さに対抗するかのように、涼しい風が草原を駆け抜けていった。
「スワロウ族の村って……確か、南西だったな」
「ええ、そうね。ここからならさほど遠くはないと思うわ。急いで行けば明日のお昼には着くでしょ」
三人はエンプロイを南に抜け、隣街ロサリドを目指し広大な草原を横断中である。
ロサリドは北と南を繋ぐ大きな街だ。そこにはあらゆる物と情報が行き交う。スワロウ族の村にはラキィも初訪問ということで、まずはロサリドで情報収集することになったのだ。
「しっかし、全然見えてこねぇな、ロサリド」
「あと、百四十七キロはあるわね」
ラキィの言葉を聞いて、ディオウは瞠目する。
「マジか? こんなにのんびり歩いていたら、そこに着くまで何日もかかるぞ」
「エンプロイは辺境だからねぇ~。確かに隣街まで百五十キロ近くって異常よね」
なんて呑気な、とディオウはラキィを一瞥し、無言で歩いているアズウェルに言った。
「アズウェル、飛んで行かねぇと間に合わないぞ」
アズウェルはその声に一瞬足を止めるが、すぐにまた歩き出す。先程よりやや歩調を早めて。
「まだ怒っているのね」
ラキィが残念そうに言う。が。
「……」
「アズウェルゥ~」
ディオウが間抜けな声で名を呼ぶ。が。
「……」
「ねぇ、本当に空飛ばないと間に合わないわ」
ラキィがアズウェルの肩に乗って言う。が。
「……」
アズウェルは肩に乗っているラキィを払い落とし、更に歩調を早める。
「アズウェルゥ~」
再度ディオウが名を呼ぶ。が。
「……」
「相当怒っているわ……」
アズウェルの背を見ると凄まじい怒気が燃え上がっている。
自分だけ置いて行かれるのが余程嫌だったのか、あれからずっと沈黙を守っていた。
「アズウェルゥ~」
ディオウは諦めずに名を呼ぶ。が。
「……」
「アズウェルゥ~、アズウェルってばぁ、なぁアズウェルゥ~」
「………………」
無言、無音、無視。
だが、その程度で諦めるディオウでもない。
「アズウェルゥ~、いい加減口きいてくれよぉ」
尽[ く黙殺されるが、ディオウはアズウェルの黙[ りを破ろうと名を呼び続ける。
「アズウェルゥ~、アズウェルゥ~、アズウェルゥ~、アズウェ」
「うるさい! いい加減にしろっ!」
遂にアズウェルが口を開いた。ディオウはにやりとほくそ笑む。
「やっと口きいてくれたな」
アズウェルはディオウの背に乗ると、その頭を叩きながら怒鳴りつけた。
「気持ち悪い声でおれの名前を呼ぶな!!」
「アズウェルがおれたちを無視するから、ちょっと工夫しただけだ」
ディオウは何とかアズウェルの気を引こうと、わざと高い声で名前を呼び続けていたのだ。
それを間近で聞いていたラキィが、懸命に笑いを堪えて身体を震わせている。
ディオウの言い訳を拳骨で返したアズウェルは、そんなラキィに冷ややかな視線を送った。
「ぅぅ……何も殴ることないのに……」
前足で目頭を器用に押さえたディオウが泣いてみせるが、アズウェルは無反応だ。
「ディオウ、その辺にしとかないとまたアズウェル怒るわよ」
ラキィがぴょんとディオウの頭の上に飛び乗る。
ディオウはラキィの忠告を聞き流し、更に続けた。
「ひどいよなぁ……心配してたっていうのに、おれって不憫だよなぁ……ぅぅ……あぁ、なんて可哀想な聖獣でしょう……」
アズウェルが肩を小刻みに震わせる。
此処もじきに危険地帯だろう。
ラキィがディオウの頭から離れた時。
「いい加減に飛べ っ!!」
怒声と共に、強烈な拳骨がディオウの頭に降ってきた。
「狂暴アズウェル ッ!!」
どす、と鈍い音がディオウの脇腹辺りで生じる。
ディオウの四肢が、砕けた。
踵を落としたアズウェルは、素知らぬ振りをしている。
「今のは……入ったわね……」
溜息をつき、ラキィは酷いと嘆くディオウの後を追った。
ディオウはロサリドに向かってふらふらと飛行中。
アズウェルは未だディオウの頭を叩[ き続けていた。かれこれ、三十分以上経過しているだろうか。
ラキィはそんなディオウを同情の眼差し見つめていた。
怒りを煽った自業自得とも言えるだろうが、心配した結果なのだから確かに不憫だ。
とはいえ、怒りの矛先を向けられたくないラキィは、あえて近づこうともせず、付かず離れずの距離でディオウと並行飛行していた。
「……ごめん」
不意に手を止めたアズウェルが小さく呟いた。
心配してくれたのに。
それは風に消えそうなくらい微かな声だったが、ディオウには届いていた。
どんなに心配されていても、一人でいるのは耐えられない。
もう何もできずに何かを、誰かを失うなんて、心が耐えられない。
ディオウは優しく微笑み、アズウェルにだけ聞こえるように囁[ いた。
「わかっている。耐えられないなら、守ればいい」
小さく頷いてアズウェルはディオウの背に頭を埋[ める。
「動くなら、最後まで足掻けばいい」
アズウェルはディオウの言葉を深く、深く噛みしめた。
目頭が熱くなり、自然と涙が流れる。アズウェルは声を殺して泣いた。
村人が、家族が死ぬとわかっていて助けられなかった、何もできなかった。無力な自分を責めて。
もう、失いたくない。誰も。何も。もう、絶対に失うものか。
アズウェルは自分に強く言い聞かせる。
誰かが泣かなくて済むように。自分みたいな想いをしないで済むように。
その決意は、アズウェルの涙を自然に止めた。
アズウェルは瞳に溜まった涙を拭[ うと、蒼穹を振り仰ぐ。
青く、何処までも青く続いている空。
この下の何処かに、守りたかった人がいる。守りたい人がいる。
陽の光がアズウェルの顔を照らした。蒼の瞳がサファイヤのように煌[ めいた。
「ディオウ、ラキィ」
アズウェルは自分の決意を口にする。必ず、達成するために。
「絶対に、ワツキを守り抜く」
ディオウとラキィは無言でそれを受け止めた。
何も言わない。言葉は不要だった。
他の誰よりもアズウェルの気持ちを。その想いを。
かつて、幼さ故に失った事実だけを伝えられた過去を。
そして、今を ……
知っているから。
黒い短髪を風に流しながら、左目に眼帯をした男は前を歩く少年を見据える。
どこかで転んだのだろうか。男の額には一本切り傷のような痕があった。
「大丈夫ですよ。絶対にばれっこないですから」
主と呼ばれた少年が振り返って男を見上げる。
「〝ボク〟がここにこうやって来ていることも今は知られていないでしょう。この姿だってあいつらは知りませんから」
「確かにそれはそうだが……」
「ボクがキミに頼んだのも、元はと言えば彼女にそれを教えるためでしょう。この地で様々な種族から信頼を得ているスワロウ族を簡単に消されちゃ困るんです。奴らの企みを阻止するには、負けていただかないと後々面倒なのです」
そう簡単にはいきませんが、と少年は笑った。
「それに、奴らが絡んでいなくとも、この戦にキミは手を貸すつもりだったでしょう?」
「そ……それは……」
言葉を濁らせ、視線を
「ルーティング、今は過去のことをうだうだ言っている時ではないでしょう。さ、早くスワロウ族の村に行って監視していてください。スワロウ族の様子と、到着した彼らのことを」
「……御意」
主の言葉は絶対。
数秒
少年は右手の人差指を立てて、更に続ける。
「定期的に報告してくださいね。それと、今度勝手に暴れたら、ボク本気で怒りますからね」
最後の方は
結局弁解などしてはいないが、したところで睨まれるのが目に見えている。
ただ聖獣に誇張表現をされたのは事実であり。
「……肝に、銘じておく」
苦々しげに呟くと、ルーティングは兵士たちを連れて、風と共に姿を消した。
草原に一人佇む少年、シルードは天を仰ぐ。
「待っていますよ、アズウェル」
朝日を浴びたシルードの栗毛が、
◇ ◇ ◇
どくん、と。
突然アズウェルの心臓が跳ね上がった。
また、だ。
シルードの瞳を見た時と、同じ感覚。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「あぁ、そうだな。街の奴らも全員エルジアに連れて来たしな、アズウェル」
ラキィとディオウの声は、アズウェルの耳を素通りする。
彼の耳に響いている音は。
けたたましく主張する己の心音と、耳鳴りに近い高い音。
遠くから聞こえていた高音が、徐々に存在感を増していく。
「ねぇ、アズウェル聞いてる? 眠いの?」
反応のないアズウェルを二人は訝しげに見上げていた。
呼びかけても、アズウェルの瞳は宙を凝視している。
「アズウェル? おい、アズウェルどうかしたのか!?」
ディオウが声を荒げた時、アズウェルの頭の中に言葉にならない悲鳴が
鼓動が、一層激しさを増していく。
名を、呼ばれた。
それは、誰の声なのか、アズウェルは知らない。
思考を強制停止させるように、意識を手放した。
「アズウェル! おい、大丈夫か!?」
「……ん?」
瞼を上げると、瞳にディオウとラキィの顔が映った。
「大丈夫なの?」
「え、うん。平気だけど」
それでも二人は「大丈夫か」と聞き続けた。
ラキィがアズウェルの頬や額を耳でぺたぺたと触れる。
アズウェルは怪訝そうに顔を
「大丈夫だってば、何すんだよラキィ」
「じゃぁ……じゃぁ、何で起き上がらないの?」
「へ?」
どうやらアズウェルはベッドに仰向けになっていたらしい。
ゆっくりと上体を起こすと、見慣れた家具が目に飛び込んできた。
「ここは……」
「おれたちの家だ。出発しようとしたら、お前がいきなりブッ倒れたから連れてきたんだ」
「そっか」
力なく答えるアズウェルを見て、二人は顔を見合わす。
「やっぱり、ディオウの言う通りにした方がいいわね」
「え?」
「アズウェル、お前は少し休んでいろ。おれたち二人で一度マツザワのところに行ってくる」
ディオウの言葉にアズウェルは目を
「な……何言ってんだよ!? おれも行くに決まってるだろ!」
「けど、あんたまた倒れるかもしれないのよ?」
アズウェルは鋭い目付きでラキィを睨みつけた。
「行くったら行くんだ! おれは平気だ、どこも悪くない!」
「アズウェル、わかってるのか? 遊びじゃないんだぞ」
今度はディオウを睨む。
「そんなこと、言われなくてもわかってる!」
アズウェルはベッドから降りると戸棚を漁る。
木箱を一つ取り出し、中から必要なだけ金を財布に移した。
それは、アズウェルが村の面影を維持するための貯金。
誰が、いつ、此処に戻ってきても住めるように。
一度終わらせてしまったエルジアでの続きを、すぐに始められるように。
村をそのまま残しておくために、アズウェルは給料を持ち帰る度に、半分を木箱の中に保管していた。
其処から金を出すということは、この村に見切りを付けるということだ。
無言で自分の行動を見ている二人を振り返ると、怒気を帯びた声で言った。
「とにかく、おれは行く」
二人は反論しようと口を開きかけるが、アズウェルの眼光に気圧されて言葉を飲み込む。
木箱を開けたアズウェルを見れば、彼の意志がどれほどのものかは想像に難くない。
ただでさえ、一度言い出したら誰が何と言おうと聞かないのだ。
いくら正論を並べてもその努力が報われることはないだろう。
アズウェルの暴走を止められるといえば、過去に二人いたが、いずれも今此処にはいない。
くるりと背を向けたアズウェルは、乱暴に扉を蹴り外に出て行った。
二人は深々と嘆息する。
頭を抱えて悩んでいる二人の耳に、外からアズウェルの怒号が突き刺さる。
「行かないならそれでもいい。でもおれは行くからな!」
「ダメだな、もう」
「そうね、フェルスもロウドもいないもの」
がくりと
「仕方ないわ、行きましょう。アズウェルを一人で行かせるのはとぉっても不安だわ」
「まったくだ」
◇ ◇ ◇
真夏の太陽がじりじりと地上を照らす。
その暑さに対抗するかのように、涼しい風が草原を駆け抜けていった。
「スワロウ族の村って……確か、南西だったな」
「ええ、そうね。ここからならさほど遠くはないと思うわ。急いで行けば明日のお昼には着くでしょ」
三人はエンプロイを南に抜け、隣街ロサリドを目指し広大な草原を横断中である。
ロサリドは北と南を繋ぐ大きな街だ。そこにはあらゆる物と情報が行き交う。スワロウ族の村にはラキィも初訪問ということで、まずはロサリドで情報収集することになったのだ。
「しっかし、全然見えてこねぇな、ロサリド」
「あと、百四十七キロはあるわね」
ラキィの言葉を聞いて、ディオウは瞠目する。
「マジか? こんなにのんびり歩いていたら、そこに着くまで何日もかかるぞ」
「エンプロイは辺境だからねぇ~。確かに隣街まで百五十キロ近くって異常よね」
なんて呑気な、とディオウはラキィを一瞥し、無言で歩いているアズウェルに言った。
「アズウェル、飛んで行かねぇと間に合わないぞ」
アズウェルはその声に一瞬足を止めるが、すぐにまた歩き出す。先程よりやや歩調を早めて。
「まだ怒っているのね」
ラキィが残念そうに言う。が。
「……」
「アズウェルゥ~」
ディオウが間抜けな声で名を呼ぶ。が。
「……」
「ねぇ、本当に空飛ばないと間に合わないわ」
ラキィがアズウェルの肩に乗って言う。が。
「……」
アズウェルは肩に乗っているラキィを払い落とし、更に歩調を早める。
「アズウェルゥ~」
再度ディオウが名を呼ぶ。が。
「……」
「相当怒っているわ……」
アズウェルの背を見ると凄まじい怒気が燃え上がっている。
自分だけ置いて行かれるのが余程嫌だったのか、あれからずっと沈黙を守っていた。
「アズウェルゥ~」
ディオウは諦めずに名を呼ぶ。が。
「……」
「アズウェルゥ~、アズウェルってばぁ、なぁアズウェルゥ~」
「………………」
無言、無音、無視。
だが、その程度で諦めるディオウでもない。
「アズウェルゥ~、いい加減口きいてくれよぉ」
「アズウェルゥ~、アズウェルゥ~、アズウェルゥ~、アズウェ」
「うるさい! いい加減にしろっ!」
遂にアズウェルが口を開いた。ディオウはにやりとほくそ笑む。
「やっと口きいてくれたな」
アズウェルはディオウの背に乗ると、その頭を叩きながら怒鳴りつけた。
「気持ち悪い声でおれの名前を呼ぶな!!」
「アズウェルがおれたちを無視するから、ちょっと工夫しただけだ」
ディオウは何とかアズウェルの気を引こうと、わざと高い声で名前を呼び続けていたのだ。
それを間近で聞いていたラキィが、懸命に笑いを堪えて身体を震わせている。
ディオウの言い訳を拳骨で返したアズウェルは、そんなラキィに冷ややかな視線を送った。
「ぅぅ……何も殴ることないのに……」
前足で目頭を器用に押さえたディオウが泣いてみせるが、アズウェルは無反応だ。
「ディオウ、その辺にしとかないとまたアズウェル怒るわよ」
ラキィがぴょんとディオウの頭の上に飛び乗る。
ディオウはラキィの忠告を聞き流し、更に続けた。
「ひどいよなぁ……心配してたっていうのに、おれって不憫だよなぁ……ぅぅ……あぁ、なんて可哀想な聖獣でしょう……」
アズウェルが肩を小刻みに震わせる。
此処もじきに危険地帯だろう。
ラキィがディオウの頭から離れた時。
「いい加減に飛べ
怒声と共に、強烈な拳骨がディオウの頭に降ってきた。
「狂暴アズウェル
どす、と鈍い音がディオウの脇腹辺りで生じる。
ディオウの四肢が、砕けた。
踵を落としたアズウェルは、素知らぬ振りをしている。
「今のは……入ったわね……」
溜息をつき、ラキィは酷いと嘆くディオウの後を追った。
ディオウはロサリドに向かってふらふらと飛行中。
アズウェルは未だディオウの頭を
ラキィはそんなディオウを同情の眼差し見つめていた。
怒りを煽った自業自得とも言えるだろうが、心配した結果なのだから確かに不憫だ。
とはいえ、怒りの矛先を向けられたくないラキィは、あえて近づこうともせず、付かず離れずの距離でディオウと並行飛行していた。
「……ごめん」
不意に手を止めたアズウェルが小さく呟いた。
心配してくれたのに。
それは風に消えそうなくらい微かな声だったが、ディオウには届いていた。
どんなに心配されていても、一人でいるのは耐えられない。
もう何もできずに何かを、誰かを失うなんて、心が耐えられない。
ディオウは優しく微笑み、アズウェルにだけ聞こえるように
「わかっている。耐えられないなら、守ればいい」
小さく頷いてアズウェルはディオウの背に頭を
「動くなら、最後まで足掻けばいい」
アズウェルはディオウの言葉を深く、深く噛みしめた。
目頭が熱くなり、自然と涙が流れる。アズウェルは声を殺して泣いた。
村人が、家族が死ぬとわかっていて助けられなかった、何もできなかった。無力な自分を責めて。
もう、失いたくない。誰も。何も。もう、絶対に失うものか。
アズウェルは自分に強く言い聞かせる。
誰かが泣かなくて済むように。自分みたいな想いをしないで済むように。
その決意は、アズウェルの涙を自然に止めた。
アズウェルは瞳に溜まった涙を
青く、何処までも青く続いている空。
この下の何処かに、守りたかった人がいる。守りたい人がいる。
陽の光がアズウェルの顔を照らした。蒼の瞳がサファイヤのように
「ディオウ、ラキィ」
アズウェルは自分の決意を口にする。必ず、達成するために。
「絶対に、ワツキを守り抜く」
ディオウとラキィは無言でそれを受け止めた。
何も言わない。言葉は不要だった。
他の誰よりもアズウェルの気持ちを。その想いを。
かつて、幼さ故に失った事実だけを伝えられた過去を。
そして、今を
知っているから。
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第7記 謎の少年
「ウィアード・スプレイ!」
最後の炎が水に呑まれていく。
シューっという音を立てて、炎は跡形もなく消えていった。
「よっしゃぁ! これで街から出られるぞぉ!!」
アズウェルは両手でガッツポーズをした。
「ありがとな、ルーティング」
そう言いながら、右手をルーティングに差し出す。
「……何だ? この手は」
「握手だよ。知らねぇの?」
目を瞬[ かせるアズウェルを見て、ルーティングが嘆息する。
「あのな、俺が言いたいのはそういうことではなくてだな……」
「ん~っと。じゃぁ、ごめん」
「何故謝る?」
「おれ、誤解してたから」
アズウェルは消火活動中のことを思い起こした。
「え、じゃぁ……お前、スチリディーさんのこと保護しようとしてたわけ?」
「まぁ、そういうことだな。主[ の命令だ。奴らが宣戦布告付きの任務依頼したらしく、仕方なくこんな夜中に来たんだ。スワロウ族の女を呼び出そうとしたのは、主が話したいことがあると言ったからだ。ウィアード・スプレイ!」
これで十三個目だ。一体いくつ火をつけたのだろうか。
終わりの見えない消火活動に、ルーティングは何度目かわからない溜息をついた。
「ふーん。けど、スチリディーさんとこ前から嫌ってただろ? おれたち殺そうとしたしさ」
「別に俺はスチリディーのことを嫌っていた訳じゃない。ただあいつはフレイテジアのくせに、フレイトが造れないなどとふざけたことをほざくから、気に食わなかっただけだ。過去に殴り倒したくなったことはあるが、殺意を抱いたことは一度もない。本家がスチリディーを消しに来るのは予測できた。とにかく一刻も早くこの街から引き離す必要があったんだ」
次の消化場所を探しながら、ルーティングは続ける。
「お前たちを消そうとしたのは、邪魔をしたからだ」
その言葉に、アズウェルは目を瞠[ る。
「邪魔したから……ってそんだけかよ!?」
「それだけだ。元より、主には気絶だけでいいと言われていたし、俺も当面再起不能にする程度のつもりではあったがな」
「でも、結構マジでおれ死にかけたし、ディオウまで消そうとしたじゃんか」
「あの時手加減をしていたら、スチリディーの行方を追えなくなる。結果的にお前が彼女に依頼の真相を明かしていたからよかったが……。野獣は……ギアディスは、千里眼を持っているだろう? 根に持たれて追いかけられたら堪[ ったもんじゃない」
疲れ切った表情で語るルーティングを、アズウェルは無言で見つめる。
「……」
「……何だ?」
怪訝そうに眉根を寄せたルーティングに、アズウェルが笑いかけた。
「おまえってさぁ、すっげぇわかりやすいっていうか……何か単純だなぁーって」
ぴく、とルーティングが片眉を上げる。
単純。
初級魔法程度ではしゃぎ回るアズウェルにだけは言われたくない言葉だ。
「どういう意味だ」
「だってさぁ。普通ディオウがあんなに切れてたら驚くだろ? 全く動じないし。マツザワから聞いたけど、ディオウって何かすっげぇんだろ? それ殺そうとするとか、命令に忠実過ぎるなぁってさ」
ルーティングの瞳が一瞬揺らいだが、アズウェルはそれに気付かない。
「それに、おまえおれとやり合った時、さっき手抜いたら時間がどうのって言ってたけど、実際は少し手抜いてただろ? 魔法だってホントは使えたんだし」
今度も返答は、ない。
「答えないところを見ると図星?」
「……お前、やはり死にたいか?」
真顔でアズウェルに謝罪されたルーティングは、決まりが悪そうに視線を逸[ らせた。
「あの状況なら誤解しても仕方ないだろう」
「はは、おまえ意外と優しいのな」
そう笑った時、アズウェルの頭に拳が降ってくる。
「 ってぇ~。何するんだよ、いきなり」
「……ふん」
頭を押さえて呻[ くアズウェルを尻目に、ルーティングはさっさと屋敷から出て行く。
「あ、おい、待てよぉ。……お!」
「終わったみたいね」
「やっと、か」
屋敷の外にはラキィとディオウがいた。後ろには兵士たちもいる。皆明るい表情をしているが、疲労の色は隠し切れていない。
ディオウが大きな欠伸[ をする。
その横に、アズウェルはどさりと横に座り込んだ。
「流石に徹夜の消火活動は堪[ えたな。眠くて敵わん」
「おれも……眠いけど、早くマツザワのとこ行かねぇと」
アズウェルはそう言いながら目を擦[ る。
「そうよ、しっかりしないと! 街の人たちだってまだ林にいるのよ?」
「もう一頑張りすっかぁ」
立ち上がったアズウェルが、ふらりとよろける。
「おいおい、大丈夫か?」
「大丈夫……だって……」
言葉も虚しく、アズウェルはディオウの背後に倒れ込んだ。
驚いたディオウが、アズウェルを前足で揺する。
「アズウェル! おい、大丈夫か!?」
「ちょっと、あんたしっかりしなさいよ!」
「う~ん。やっぱ……眠い」
心配するディオウとラキィに、アズウェルは苦笑いを浮かべた。
無言で成り行きを眺めていたルーティングが、おもむろに口を開く。
「情けないな。それでよく俺に勝てたものだ。おい、帰還するぞ。お前ら武器を取ってこい」
「了解[ 」
軽く敬礼して、兵士たちは素早く街道を駆けていった。
視界から部下が消えると、ルーティングは宙に印を描く。
「ケア・ダスト」
アズウェルたちの体が淡い光に包まれた。
「何だ、この青白い光は」
「……馬鹿野獣」
前足でその光を払おうとするディオウに、ぼそりとルーティングが呟いた。
「あぁ!?」
聞こえてはいなかったが、反射的にディオウが声を上げる。
「黙ってじっとしていろ。動くと効果が薄れるぞ」
「ディオウ、おれ眠くなくなってきたぜ」
「何だと?」
動きと止めると、徐々に身体の重さが消えていく。
アズウェルの言ったように、眠気も薄らいでいった。
「……どういうつもりだ?」
敵であるはずのアズウェルたちを治療しても、ルーティングに利益はない。
ディオウが眉根を寄せる。
「別に」
短く答えると、ルーティングはくるりと背を向けた。と、その目が大きく見開かれる。
ルーティングは眼前に佇[ む人物を見て、息を飲んだ。
「あ……主!? 何故、ここへ……!?」
「おはようございます、ルーティング! 消火活動ご苦労さまー」
爽やか声色の少年は、にっこりと微笑を浮かべた。
少年は硬直しているルーティングから離れて、アズウェルたちに歩み寄る。
「あ、みなさん、おはようございます~。ボク、シルード・ウィズダムっていいますっ」
誰もシルードの挨拶には答えない。三人とも目の前の人物をただ見据えている。
これがクロウ族の頭かなのだろうか。
十四、五歳に見えるシルードは、まだ顔に幼さが残っている。肩まで伸ばした栗色の髪を後ろで一つに結っていた。
「あれ? 聞こえなかったのかな。おはようございますって言ったんだけど」
シルードは助けを求めるようにルーティングを振り返った。
主と視線が合ったルーティングは、慌ててそっぽを向く。
「……ルーティング。この人たちに何をしたんですか?」
むっとした表情でルーティングを睨み上げる。
「そいつはおれたちを殺そうとしたんだ。まぁ、アズウェルに負けたがな」
「な……そんなことしたんですか!? あれほど、人を傷つけてはいけないと言ったのに!?」
主に批難されて、ルーティングは言葉を詰まらせる。
アズウェルには真意を伝えたが、ディオウに言い訳しても聞く耳を持たないだろう。
「みなさん、本当に申し訳ありませんでしたっ。彼にはボクがよく言っておきます」
ぺこぺこと何度も頭を下げるシルードに、アズウェルが疑問を投げる。
「おまえがクロウ族の族長?」
「いえ、ボクは違いますよ」
アズウェルが話しかけてくれたことが嬉しかったのか、シルードは満面の笑みで答えた。
「ルーティングはおまえのことを主って言ってるけど……」
「あぁ。彼は確かにボクのこと主って呼んでますね。その辺りはあまり気にしないで下さい。大したこと無いですから」
「ふ~ん」
そういえば、とシルードはアズウェルに言った。
「みなさん、これからスワロウ族の村に行くんですよね?」
「え、うん。まぁ」
「じゃあ、族長さんに伝えてくれますか? 総攻撃は三日後の午前十時より開始いたします、と」
数秒沈黙が流れた。
「へ?」
「え?」
「あ?」
シルードの言葉の意味を理解した三人が、揃って声を上げる。
「だから、総攻撃は 」
「いやいや、わかったけど。何でそんなことわざわざおれたちに言うんだ? 言ったら不利になるんじゃね?」
アズウェルの言葉にラキィも頷[ く。
不審感を顕にして、ディオウは吐き捨てる。
「ふん、どうせ罠に決まっている」
「聖獣さん、嘘じゃないですよー。闇討ちなんて、勝った内に入りませんから。クロウ族はフェアがモットーなんです。ね、ルーティング」
「……あぁ」
同意したものの、ルーティングの内心は穏やかではなかった。
敵に情報を流したと知れば、本家はそれ相応の処罰を下すだろう。
少しは自分の立場を考えて欲しい。
眉間を押さえながら、ルーティングは深々と嘆息した時、兵士たちが武器を携えて戻ってきた。
「主……! おはようございます!」
兵士たちはシルードに敬礼する。
「おはよう、みんな。さて、ボクの用件も彼らに伝えたし、還ろうか」
「了解[ 」
「それじゃぁ、みなさんまた会いましょう!」
シルードは極上の笑顔で手を振る。右腕のシルバーブレスレットが、朝日に照らされて煌[ めいた。
それに応じて、アズウェルも手を振り返す。
「おう! まったなぁ!」
「……はぁ。お前わかってんのか? あいつら敵だぞ、敵」
「わかってるよ。けど、おれシルードたちは何か違う気がする。ルーティングだって根っからの悪じゃないみたいだし。悪いのはこの街に火をつけた奴らだと思うなぁ」
アズウェルは遠ざかっていくシルードたちを目で追った。
街道の終わりでシルードはアズウェルを振り返る。
碧色[ の瞳が穏やかに笑みを浮かべた。
どくん、とアズウェルの鼓動が跳ねる。
おはようございますっ
視界が霞み、耳の奥で懐かしい声が聞こえた気がした。
乱暴に目を擦って、再び顔を上げるが、もう其処に彼らの姿はない。
「あいつ……」
「どうかしたの?」
「……いや……多分気のせいだ」
「アズウェル?」
ラキィの呼びかけには応えずに、アズウェルはシルードたちが消えていった方向をじっと見つめていた。
最後の炎が水に呑まれていく。
シューっという音を立てて、炎は跡形もなく消えていった。
「よっしゃぁ! これで街から出られるぞぉ!!」
アズウェルは両手でガッツポーズをした。
「ありがとな、ルーティング」
そう言いながら、右手をルーティングに差し出す。
「……何だ? この手は」
「握手だよ。知らねぇの?」
目を
「あのな、俺が言いたいのはそういうことではなくてだな……」
「ん~っと。じゃぁ、ごめん」
「何故謝る?」
「おれ、誤解してたから」
アズウェルは消火活動中のことを思い起こした。
「え、じゃぁ……お前、スチリディーさんのこと保護しようとしてたわけ?」
「まぁ、そういうことだな。
これで十三個目だ。一体いくつ火をつけたのだろうか。
終わりの見えない消火活動に、ルーティングは何度目かわからない溜息をついた。
「ふーん。けど、スチリディーさんとこ前から嫌ってただろ? おれたち殺そうとしたしさ」
「別に俺はスチリディーのことを嫌っていた訳じゃない。ただあいつはフレイテジアのくせに、フレイトが造れないなどとふざけたことをほざくから、気に食わなかっただけだ。過去に殴り倒したくなったことはあるが、殺意を抱いたことは一度もない。本家がスチリディーを消しに来るのは予測できた。とにかく一刻も早くこの街から引き離す必要があったんだ」
次の消化場所を探しながら、ルーティングは続ける。
「お前たちを消そうとしたのは、邪魔をしたからだ」
その言葉に、アズウェルは目を
「邪魔したから……ってそんだけかよ!?」
「それだけだ。元より、主には気絶だけでいいと言われていたし、俺も当面再起不能にする程度のつもりではあったがな」
「でも、結構マジでおれ死にかけたし、ディオウまで消そうとしたじゃんか」
「あの時手加減をしていたら、スチリディーの行方を追えなくなる。結果的にお前が彼女に依頼の真相を明かしていたからよかったが……。野獣は……ギアディスは、千里眼を持っているだろう? 根に持たれて追いかけられたら
疲れ切った表情で語るルーティングを、アズウェルは無言で見つめる。
「……」
「……何だ?」
怪訝そうに眉根を寄せたルーティングに、アズウェルが笑いかけた。
「おまえってさぁ、すっげぇわかりやすいっていうか……何か単純だなぁーって」
ぴく、とルーティングが片眉を上げる。
単純。
初級魔法程度ではしゃぎ回るアズウェルにだけは言われたくない言葉だ。
「どういう意味だ」
「だってさぁ。普通ディオウがあんなに切れてたら驚くだろ? 全く動じないし。マツザワから聞いたけど、ディオウって何かすっげぇんだろ? それ殺そうとするとか、命令に忠実過ぎるなぁってさ」
ルーティングの瞳が一瞬揺らいだが、アズウェルはそれに気付かない。
「それに、おまえおれとやり合った時、さっき手抜いたら時間がどうのって言ってたけど、実際は少し手抜いてただろ? 魔法だってホントは使えたんだし」
今度も返答は、ない。
「答えないところを見ると図星?」
「……お前、やはり死にたいか?」
真顔でアズウェルに謝罪されたルーティングは、決まりが悪そうに視線を
「あの状況なら誤解しても仕方ないだろう」
「はは、おまえ意外と優しいのな」
そう笑った時、アズウェルの頭に拳が降ってくる。
「
「……ふん」
頭を押さえて
「あ、おい、待てよぉ。……お!」
「終わったみたいね」
「やっと、か」
屋敷の外にはラキィとディオウがいた。後ろには兵士たちもいる。皆明るい表情をしているが、疲労の色は隠し切れていない。
ディオウが大きな
その横に、アズウェルはどさりと横に座り込んだ。
「流石に徹夜の消火活動は
「おれも……眠いけど、早くマツザワのとこ行かねぇと」
アズウェルはそう言いながら目を
「そうよ、しっかりしないと! 街の人たちだってまだ林にいるのよ?」
「もう一頑張りすっかぁ」
立ち上がったアズウェルが、ふらりとよろける。
「おいおい、大丈夫か?」
「大丈夫……だって……」
言葉も虚しく、アズウェルはディオウの背後に倒れ込んだ。
驚いたディオウが、アズウェルを前足で揺する。
「アズウェル! おい、大丈夫か!?」
「ちょっと、あんたしっかりしなさいよ!」
「う~ん。やっぱ……眠い」
心配するディオウとラキィに、アズウェルは苦笑いを浮かべた。
無言で成り行きを眺めていたルーティングが、おもむろに口を開く。
「情けないな。それでよく俺に勝てたものだ。おい、帰還するぞ。お前ら武器を取ってこい」
「
軽く敬礼して、兵士たちは素早く街道を駆けていった。
視界から部下が消えると、ルーティングは宙に印を描く。
「ケア・ダスト」
アズウェルたちの体が淡い光に包まれた。
「何だ、この青白い光は」
「……馬鹿野獣」
前足でその光を払おうとするディオウに、ぼそりとルーティングが呟いた。
「あぁ!?」
聞こえてはいなかったが、反射的にディオウが声を上げる。
「黙ってじっとしていろ。動くと効果が薄れるぞ」
「ディオウ、おれ眠くなくなってきたぜ」
「何だと?」
動きと止めると、徐々に身体の重さが消えていく。
アズウェルの言ったように、眠気も薄らいでいった。
「……どういうつもりだ?」
敵であるはずのアズウェルたちを治療しても、ルーティングに利益はない。
ディオウが眉根を寄せる。
「別に」
短く答えると、ルーティングはくるりと背を向けた。と、その目が大きく見開かれる。
ルーティングは眼前に
「あ……主!? 何故、ここへ……!?」
「おはようございます、ルーティング! 消火活動ご苦労さまー」
爽やか声色の少年は、にっこりと微笑を浮かべた。
少年は硬直しているルーティングから離れて、アズウェルたちに歩み寄る。
「あ、みなさん、おはようございます~。ボク、シルード・ウィズダムっていいますっ」
誰もシルードの挨拶には答えない。三人とも目の前の人物をただ見据えている。
これがクロウ族の頭かなのだろうか。
十四、五歳に見えるシルードは、まだ顔に幼さが残っている。肩まで伸ばした栗色の髪を後ろで一つに結っていた。
「あれ? 聞こえなかったのかな。おはようございますって言ったんだけど」
シルードは助けを求めるようにルーティングを振り返った。
主と視線が合ったルーティングは、慌ててそっぽを向く。
「……ルーティング。この人たちに何をしたんですか?」
むっとした表情でルーティングを睨み上げる。
「そいつはおれたちを殺そうとしたんだ。まぁ、アズウェルに負けたがな」
「な……そんなことしたんですか!? あれほど、人を傷つけてはいけないと言ったのに!?」
主に批難されて、ルーティングは言葉を詰まらせる。
アズウェルには真意を伝えたが、ディオウに言い訳しても聞く耳を持たないだろう。
「みなさん、本当に申し訳ありませんでしたっ。彼にはボクがよく言っておきます」
ぺこぺこと何度も頭を下げるシルードに、アズウェルが疑問を投げる。
「おまえがクロウ族の族長?」
「いえ、ボクは違いますよ」
アズウェルが話しかけてくれたことが嬉しかったのか、シルードは満面の笑みで答えた。
「ルーティングはおまえのことを主って言ってるけど……」
「あぁ。彼は確かにボクのこと主って呼んでますね。その辺りはあまり気にしないで下さい。大したこと無いですから」
「ふ~ん」
そういえば、とシルードはアズウェルに言った。
「みなさん、これからスワロウ族の村に行くんですよね?」
「え、うん。まぁ」
「じゃあ、族長さんに伝えてくれますか? 総攻撃は三日後の午前十時より開始いたします、と」
数秒沈黙が流れた。
「へ?」
「え?」
「あ?」
シルードの言葉の意味を理解した三人が、揃って声を上げる。
「だから、総攻撃は
「いやいや、わかったけど。何でそんなことわざわざおれたちに言うんだ? 言ったら不利になるんじゃね?」
アズウェルの言葉にラキィも
不審感を顕にして、ディオウは吐き捨てる。
「ふん、どうせ罠に決まっている」
「聖獣さん、嘘じゃないですよー。闇討ちなんて、勝った内に入りませんから。クロウ族はフェアがモットーなんです。ね、ルーティング」
「……あぁ」
同意したものの、ルーティングの内心は穏やかではなかった。
敵に情報を流したと知れば、本家はそれ相応の処罰を下すだろう。
少しは自分の立場を考えて欲しい。
眉間を押さえながら、ルーティングは深々と嘆息した時、兵士たちが武器を携えて戻ってきた。
「主……! おはようございます!」
兵士たちはシルードに敬礼する。
「おはよう、みんな。さて、ボクの用件も彼らに伝えたし、還ろうか」
「
「それじゃぁ、みなさんまた会いましょう!」
シルードは極上の笑顔で手を振る。右腕のシルバーブレスレットが、朝日に照らされて
それに応じて、アズウェルも手を振り返す。
「おう! まったなぁ!」
「……はぁ。お前わかってんのか? あいつら敵だぞ、敵」
「わかってるよ。けど、おれシルードたちは何か違う気がする。ルーティングだって根っからの悪じゃないみたいだし。悪いのはこの街に火をつけた奴らだと思うなぁ」
アズウェルは遠ざかっていくシルードたちを目で追った。
街道の終わりでシルードはアズウェルを振り返る。
どくん、とアズウェルの鼓動が跳ねる。
視界が霞み、耳の奥で懐かしい声が聞こえた気がした。
乱暴に目を擦って、再び顔を上げるが、もう其処に彼らの姿はない。
「あいつ……」
「どうかしたの?」
「……いや……多分気のせいだ」
「アズウェル?」
ラキィの呼びかけには応えずに、アズウェルはシルードたちが消えていった方向をじっと見つめていた。