第6記 火の元を探せ!
街道の真ん中に男が二人倒れていた。
左目を眼帯で覆った黒髪の男と、まだ幼さが残る金髪の青年。
その二人を照らすかのように、眩い炎が家々を侵食している。
青年の瞼が、微かに揺れる。
「ん……」
ぼんやりと目を開けると、紅い光が差し込んできた。
まだ夜のはずなのに、妙に明るいと彼は疑問を抱く。
頭を打ったのだろうか。
思考が朧気で、すぐに思い出すことができない。
「えーっと……おれの名前は……アズウェル。うん、それでここは……」
アズウェルはゆっくりと身体を起こすと、辺りを見渡す。
割れた窓ガラス、燃え上がる家々、道に突き刺さった剣 。うつ伏せに倒れているルーティングを見て、アズウェルは漸[ く思い出した。
「あ、そうか。おれこいつとやり合ってって……あれ? 何でこいつ倒れてるんだ?」
順を追って、エンプロイに来てからのことを思い出す。
スチリディーを救い出すために兵士らを蹴散らし、ディオウたちを追い出してルーティングとサシで勝負をしていた。
「んで、だんだん予測してもこいつの動きについていけなくって……」
不意をつかれて頭を強打し、振り下ろされる剣に目を瞑ったのだ。
その後は ……
「……ありゃ?」
記憶を手繰り寄せても、その先が思い出せない。
困惑したアズウェルは頭を掻[ いた。
「どうしてその後のこと思い出せねぇんだ? う~ん……」
再度辺りを見渡す。
割れた窓ガラス、燃え上がる家々、道に突き刺さった剣、うつ伏せに倒れているルーティング。
自身の身体を見下ろしても、乱闘中に斬りつけられた左肩以外目立つ傷もない。
「おっもい出せねぇ……。おっかしいなぁ」
とりあえず確実なことは、自分は生きていて、ルーティングが倒れているという事実のみ。
溜息混じりにアズウェルが頭を抱えた時だ。
「アズウェル! 大丈夫か!?」
「ちょっと、あんた肩怪我してるじゃない!」
声の方向へ顔を向けると、ラキィを頭に乗せたディオウが向かってくるのがわかった。
ゆらりと立ち上がって、駆けつけた家族に笑ってみせる。
「ちょっとかすっただけだよ。大したこと無いって。血も止まってるみたいだし」
そう言ってはみたものの、貧血気味で目眩がしていた。
無理に作られたアズウェルの笑顔が、二人の心配を余計に煽る。
「本当に大丈夫なのか?」
ディオウが心配そうに訊[ く。無言で見上げてくるラキィの瞳も、微[ かに揺らいでいた。
二人の反応に、決まりが悪そうに頬を人差し指で掻きながら、アズウェルは話題を変えた。
「だから、大丈夫だって。それより、みんな避難させたか?」
「……あぁ。兵士も撤退させた」
無理をするなと言ったのに。
内心毒づきながら、ディオウは街の住民たちは皆無事であることを伝える。
「よかった。後はこの火だな」
一瞬ほっとした表情を浮かべると、アズウェルはすぐに表情を引き締めた。
家々を呑み込まんとする炎たちは、時折吹き抜ける風によって一層勢いを増している。
「あいつとやり合ってたときは、この辺りはまだ燃えていなかったのに……」
「もうほぼ街中に火の手が上がっているな」
「どうやって消そうかしら……」
ラキィが二人に問いかけた時、ルーティングが呻[ き声を上げた。
ディオウが唸[ り声を上げ、ラキィが警戒するように姿勢を低くする。
身構える二人と意識を取り戻したルーディングを、アズウェルはぼやっと見つめていた。
「ぐ……」
ルーティングが顔を歪めながら起き上がる。額の中央から顔を縦断するように、赤いものが流れ落ちた。
ちらりと一瞥したアズウェルは呆然としている。意識を失う直前に感じた雰囲気とはまるで別人のようだ。
「貴様、憶えていないのか」
問いかけた言葉に、アズウェルの顔が僅かに強張る。
「何の話だ」
敵意を剥[ き出しにした怒りの眼差しをディオウから受けても、ルーティングは表情一つ変えずにアズウェルを横目で見つめていた。
返事がないということは、肯定だろう。表情からも明らかだ。
押し黙るアズウェルにこれ以上を尋ねても、何も得られない。無駄な問答だ。
「おい、何か言ったらどうだ」
アズウェルの追求を諦めたルーティングは、苛立を募らせるディオウを視界から外して立ち上がる。
「野獣には関係の無いことだ」
「何だと、貴様……!」
「小僧、何故街が燃えている?」
ディオウの怒声を掻き消したその言葉に、三人は一様に目を見開いた。
「おま、何故って……」
「寝ぼけたこと言ってんじゃないわよ! あんたたちが燃やしたんでしょ!?」
「随分間抜けな戯言だな……! おれとラキィは兵士が火を放つのをこの目で見てきたぞ!」
ルーティングは訝[ しげに眉根を寄せ、腕を組む。
「俺たちではない。俺たちの目的はスチリディーを連行し、スワロウ族の女をおびき出すことだけだ。時間に余裕はなかった。貴様らに説明している時間すらもな。邪魔者は寝かせておけ。それが主[ の命令だ」
「アズウェルやスチリディーに剣[ を向けてた貴様の言い分なぞ、信用するに値しない。今更逃げようなどと随分都合がいいもんだな」
「ふん、単細胞の野獣の頭では理解できないだろうな」
「生意気な糞餓鬼だな。今の状況を理解できないほど貴様は低脳か」
ルーティングの剣[ を背に、ディオウが眼光を更に鋭くする。
傍観者を決め込んでいるアズウェルとラキィは、顔を見合わせて肩を竦[ めた。
「現に街を破壊し、街の民を殺そうとしていたのはクロウ族の兵士だ。言い逃れをしようったって、無駄な抵抗だぞ」
「俺が連れてきた部下は、その店の中で気絶している奴らだけだ。他に連れてきてはいない上に、そんなことを命令された覚えもない」
「あくまでシラを切る気か」
「俺は野獣と会話している覚えはない。トゥルーメンズ、街に火を放ったのはクロウ族の腕章を身につけた者たちだろう?」
「餓鬼が……! 今すぐ喉に喰らいついてやろうか」
飛びかかろうとディオウが体勢を低めた時、呆れ返ったラキィが両耳で彼の瞳を抑えた。
「ラキィ、何をする!」
「ディオウ、あんた話がややこしくなるから、いい加減黙って」
「敵の言葉を信用するつもりか!?」
「下らないことにいちいち反論してたら街が燃え尽きちゃうのよ? 喧嘩は火を消してからにしなさい!」
批難の声を上げたディオウに、ラキィはぴしゃりと言い放つ。
「おれも、そうした方がいいと思う」
「む……」
飼い主のアズウェルが賛同して、いよいよ立つ瀬のなくなったディオウは、長い尾を一振りして座り込んだ。
大人しくなったディオウに大きな溜息をついて、ラキィはルーティングを見据える。
「ルーティング、あんたが言う通り、あたしたちを追ってきた兵士はみんな腕章をつけていたわ。そこに寝てるあんたの部下や、あんたはつけてないわね。一体どういうことなの?」
「やはりそういう事か。はっきりした。少なくとも俺の主の傘下ではない」
それだけ言うと、ルーティングは店の中に入り、気絶している兵士たちを見下ろした。
幸い、スチリディーの店はまだ燃えていない。
「そういうことって、どういうことだよ?」
アズウェルの問いかけをルーティングは黙殺する。
代わりに動かない彼らの襟首[ を掴み上げ、軽く頬を叩[ いて声を張り上げた。
「起きろ!」
「っ! ……あ、ルーティング様。一体どうしたのですか?」
「奴らがこの街に火を放ったらしい」
頭を押さえながら身体を起こした兵士たちは、その一言で顔色を変える。
「本当ですか!?」
「急いで火の元を見つけなければ大変なことに……!」
「しかし我らには……」
「わかっている」
身を翻し、ルーティングはアズウェルたちの方を向く。その表情にアズウェルはぎょとした。
ルーティングは頬を引きつらせながらアズウェルに呼びかけた 否、怒鳴った。
「おい! 小僧!!」
「な、なんだよ……」
よりにもよって、アズウェルに頭を下げるなどプライドが許さない。
だが、全ては主のため。
苦虫を噛み潰したような顔でルーティングは言葉を吐き出す。
「ここは……一時、休戦だ。お前も街をこれ以上燃やしたくはないだろう」
こくんとアズウェルは頷く。
「だったら、これから俺の言うことに従え」
「へ……?」
「この火は」
「ただの火じゃない。魔術の火だな」
ルーティングが言おうとしたことを、暫く静観していたディオウが横から言う。
当然ルーティングに睨まれたが、ディオウは構わず続けた。
「術には術を使わないと消えないわけだ。だが、術者には他の術者の印[ 、つまり魔術の根元は見えない」
「……そういうことだ。お前らが俺たちの言うことを聞けばこの街の火は消える」
「それはともかく、何であんたたちが火を消す必要があるわけ?」
ラキィが瞳を半眼にして問う。
「この火は家をただ燃やすだけじゃない。恐らく結界を成しているはずだ」
「つまりここから出られないということ?」
「そうだ。だから言うことを聞けと言っているんだ」
ルーティングはラキィに答えながら、道に刺さった剣を抜き取った。
こてんと首を傾げて、アズウェルがディオウに確認する。
「んと……おれたちに協力しろって言ってんかな?」
「いや、あいつらがおれたちの消火活動に協力するんだ」
「誰がそんなことを言った。お前らが大人しく言うことを聞けばいい話だろう」
間髪入れずに言い回しを訂正するディオウと、それにすかさず切り返すルーティングに、ラキィがいたずらな微笑を浮かべる。
「なぁんで素直に協力してくれって言えないのかしら?」
「それは男のプライドに反する」
異口同音に、返答が重なる。
「……真似をするな」
「俺の台詞だ」
互いに火花を散らして睨み合う。
「とにかく、今はそんなことをしている場合じゃねぇんだろ?」
アズウェルが口を挟むと、二人は睨み合いを中断してそれぞれの味方の方を向く。
「今は奴らの術が必要だ。利用しろ」
「今は奴らの視力が必要だ。構わず使え」
アズウェルとラキィは二人の口振りに肩を震わせながら頷く。
一方兵士たちは、背筋をぴんと伸ばしてルーティングに敬礼していた。
「了解[ !」
ルーティングからアズウェルたちの前に移動し、兵士たちが整列する。
「ご協力宜しくお願い致します!」
兵士のリーダーらしき人物がそう言うと、今度はアズウェルたちに敬礼する。
「宜しくお願い致します!!」
「あら、兵士は素直なのね」
ラキィが面白そうに言った。
ルーティングはその言葉には耳を貸さないで、言いたいことを言う。その声は明らかに「不本意だ」と主張していた。
「この火はただの火じゃない。それはさっきギアディスが言った通りだ。術の火は火の元を消さなければ消えることはない。逆に言えば火の元だけを消せばいい。そのために、この印を探せ」
上着の内ポケットから一枚の紙を出し、アズウェルたちに示す。
描かれていたものは、クロウ族の紋章である、鴉[ だ。
「これはクロウ族が魔術を使うときに必ず印[ すものだ。この印に水の魔術を当てればいい」
「水の魔術って……普通の水じゃダメなのか?」
アズウェルの問いにルーティングは馬鹿にしたように言う。
「さっきギアディスが言っていただろう。術には術を持ってじゃないと効果がない。水系魔法は俺を含めて兵士たち全員が会得している。これから三グループに分かれて消火活動を行うんだ」
「おれたちをバラバラにすると言うことか?」
ディオウが眉根を寄せて問う。
「その方が効率がいい」
「へぇ~。ま、いいんじゃない? 消火手伝ってくれるって言うならそうしてもらおうよ」
「そうね、この際、敵、味方って言っている場合じゃないわ」
ラキィはアズウェルに賛成する。
「……だが、力を分散させておれたちを一掃するとも考えられるぞ」
ディオウは未だ警戒している。
「俺たちはそんなアンフェアなことはしない。それにさっきも言っただろう。今ここからは誰一人出られないんだ」
「さっき街の民を避難させた時は出られたぞ」
ディオウがルーティングを睥睨する。
「それは、まだ術者がいたからだろう。今外に出ることは不可能だ」
ルーティングは冷たい眼差しをディオウに送った。
納得できないディオウは、ラキィをアズウェルに押しやると、凄まじい勢いで街道を駆けていく。
それから程なくして、顔を顰[ めて戻ってきた。
「……出れない。空からもダメだった」
「俺の言った通りだろう?」
ディオウはそれでもまだ警戒を解こうとしない。
低い姿勢のまま、ルーティングたちを睨みつけている。
「ギアディスがこんなに頑固だとはな。おい、全員武器を置いていけ」
「了解[ 」
先刻抜き取った黒剣を鞘に収めて、ルーティングはディオウの前に放り投げる。
兵士たちも次々とディオウの前に武器を積んでいった。
「これで満足か?」
「ディオウ、もう充分だろ? 早く消火しないと酷くなる一方だぞ」
「わかった……」
飼い主の言葉に、ディオウは仕方なく嘆息した。
アズウェルの手元から飛び上がり、宙を旋回しながらラキィが皆に問いかけた。
「じゃぁ、すぐ行きましょ。グループはどうやって分けるの?」
◇ ◇ ◇
「よりにもよって、おまえと一緒かよぉ~」
アズウェルとルーティングは燃え盛る酒屋の前に立っていた。
「お前がグーチョキパーで決めると言ったんだぞ」
ルーティングの連れてきた兵士は三人。そこで、三人、二人、二人に別れることになったのだ。
「いや、まさかおまえとなるなんてさぁ。さっきまで命懸けて戦ってたんだぜ? 何か違和感というか」
アズウェルは肩を竦[ めて、中に入ろうとする。
「おい、待て。死ぬ気か? 今術をかける」
アズウェルの腕を掴んで引き戻したルーティングが、小声で何かを呟く。
「お、怪我が治っていくぞ。それに熱くねぇ!」
「水系魔法の一つ、アクアスーツだ。火の中にそのまま入るのは自殺行為。その術がかかっていれば、火の中にいても熱くない上に、息もできる。怪我を治したのはついでだ。途中で倒れでもしたら俺が困るからな。行くぞ」
ルーティングはぶっきらぼうに言うと扉を開ける。中は炎の海だった。
「ひゃあ。ここからあの印を探すのか」
「火系魔法は火がつきやすいところで使うのが常識だ。油の側や、木で出来たものとかを探せ」
「ういうい~」
二人が足を踏み入れると、炎が警戒するように道を開けた。
アズウェルはまず台所を探す。案の定、印は台所の酒樽にあった。
「みっけたぞー」
「どこだ?」
「ここ、この酒樽のフタのど真ん中」
指差しながら答えたアズウェルを、ルーティングは自分の背後へ押しやる。
「退[ いてろ。大量の水を被りたくなかったらな」
ルーティングは自分の指を噛み切ると、その血で印の上に更に印を描く。
その印は鴉[ ではなく、星を象[ ったような紋様だった。
「水霊よ、我に力を与え給え。その力を以[ て、邪悪な炎を消し去り給え!」
樽に描いた印と同じものを、ルーティングは宙に描く。
「ウィアード・スプレイ!!」
唱えた直後、酒樽を基軸に水柱が立ち上った。
「うお! すげぇ!」
初めて見る魔術にアズウェルは感動する。そのアズウェルに炎が襲いかかる。
「うぁ!?」
炎はアズウェルの右足をを吊り上げると、勢いよく床に叩きつける。
「ってぇ! この炎おれに触れんのかよ!?」
「馬鹿者……! 小僧、そいつは生き物みたいに動く。なるべく水柱の傍にいろ!」
先刻離れろと言ったのは、一体何処の誰だ。
アズウェルは不服そうにルーティングを一瞥した。
「ところで、この火いつ消えるんだ?」
「これは術者同士の勝負だ。力が尽きた方が負ける」
徐々に炎の勢いが衰えていく。
水蒸気が上がり、アズウェルの視界を真っ白にした。
「み、見えねぇ……」
「ヴェンティレイション!」
ルーティングの詠唱直後に風が吹き抜け、視界がクリアになった。
「おぉ~! ホントおまえすっげぇなぁ。剣術だけじゃなくて魔術も使えるなんてさ」
ひゅう、とアズウェルは口笛を吹いた。
「魔法剣士なんだから当たり前だ」
照れを隠すように、アズウェルから顔を背ける。
「次、行くぞ」
「おう! 次も軽く見つけてやるぜ!」
その嬉しそうな反応に、ルーティングはこめかみを押さえて唸った。
敵だということを理解しているのだろうか。
「どうした?」
「何でもない」
きょとんと己を見つめていたアズウェルの前を、ルーティングは足早に通り過ぎる。
「ちょ、待てよ~」
目線だけ後ろに向けて、後を追ってくるアズウェルを見やる。もうその瞳に敵意はない。
「なぁ、ルーティング、おれにも魔法使えんの?」
この戦に勝機があるとすれば ……
「お前次第だろう」
「え、今なんか言った?」
一人心地で呟いた言葉は、アズウェルには届かなかった。
しかし、そもそも独り言なのだから、当然ルーティングは言い直すつもりもない。
答えないルーティングに頬を膨らませて、アズウェルは小さな炭を蹴り飛ばす。
「返事くらいしてくれたっていーじゃねーかよっ」
「……返事」
「……は……?」
「してやったぞ。何ぼさっとしてるんだ、街が燃え尽きる前に消すのだろう?」
僅かに口元を緩ませて歩いていくルーティングの横に並ぶようにして追いつくと、拳二つほど背が高い彼を怪訝そうに見上げる。
数秒後、一瞬だけ目を見開くと、アズウェルは額を抑えて嘆息したのだった。
「そういうことじゃねーっつーの……」
左目を眼帯で覆った黒髪の男と、まだ幼さが残る金髪の青年。
その二人を照らすかのように、眩い炎が家々を侵食している。
青年の瞼が、微かに揺れる。
「ん……」
ぼんやりと目を開けると、紅い光が差し込んできた。
まだ夜のはずなのに、妙に明るいと彼は疑問を抱く。
頭を打ったのだろうか。
思考が朧気で、すぐに思い出すことができない。
「えーっと……おれの名前は……アズウェル。うん、それでここは……」
アズウェルはゆっくりと身体を起こすと、辺りを見渡す。
割れた窓ガラス、燃え上がる家々、道に突き刺さった
「あ、そうか。おれこいつとやり合ってって……あれ? 何でこいつ倒れてるんだ?」
順を追って、エンプロイに来てからのことを思い出す。
スチリディーを救い出すために兵士らを蹴散らし、ディオウたちを追い出してルーティングとサシで勝負をしていた。
「んで、だんだん予測してもこいつの動きについていけなくって……」
不意をつかれて頭を強打し、振り下ろされる剣に目を瞑ったのだ。
その後は
「……ありゃ?」
記憶を手繰り寄せても、その先が思い出せない。
困惑したアズウェルは頭を
「どうしてその後のこと思い出せねぇんだ? う~ん……」
再度辺りを見渡す。
割れた窓ガラス、燃え上がる家々、道に突き刺さった剣、うつ伏せに倒れているルーティング。
自身の身体を見下ろしても、乱闘中に斬りつけられた左肩以外目立つ傷もない。
「おっもい出せねぇ……。おっかしいなぁ」
とりあえず確実なことは、自分は生きていて、ルーティングが倒れているという事実のみ。
溜息混じりにアズウェルが頭を抱えた時だ。
「アズウェル! 大丈夫か!?」
「ちょっと、あんた肩怪我してるじゃない!」
声の方向へ顔を向けると、ラキィを頭に乗せたディオウが向かってくるのがわかった。
ゆらりと立ち上がって、駆けつけた家族に笑ってみせる。
「ちょっとかすっただけだよ。大したこと無いって。血も止まってるみたいだし」
そう言ってはみたものの、貧血気味で目眩がしていた。
無理に作られたアズウェルの笑顔が、二人の心配を余計に煽る。
「本当に大丈夫なのか?」
ディオウが心配そうに
二人の反応に、決まりが悪そうに頬を人差し指で掻きながら、アズウェルは話題を変えた。
「だから、大丈夫だって。それより、みんな避難させたか?」
「……あぁ。兵士も撤退させた」
無理をするなと言ったのに。
内心毒づきながら、ディオウは街の住民たちは皆無事であることを伝える。
「よかった。後はこの火だな」
一瞬ほっとした表情を浮かべると、アズウェルはすぐに表情を引き締めた。
家々を呑み込まんとする炎たちは、時折吹き抜ける風によって一層勢いを増している。
「あいつとやり合ってたときは、この辺りはまだ燃えていなかったのに……」
「もうほぼ街中に火の手が上がっているな」
「どうやって消そうかしら……」
ラキィが二人に問いかけた時、ルーティングが
ディオウが
身構える二人と意識を取り戻したルーディングを、アズウェルはぼやっと見つめていた。
「ぐ……」
ルーティングが顔を歪めながら起き上がる。額の中央から顔を縦断するように、赤いものが流れ落ちた。
ちらりと一瞥したアズウェルは呆然としている。意識を失う直前に感じた雰囲気とはまるで別人のようだ。
「貴様、憶えていないのか」
問いかけた言葉に、アズウェルの顔が僅かに強張る。
「何の話だ」
敵意を
返事がないということは、肯定だろう。表情からも明らかだ。
押し黙るアズウェルにこれ以上を尋ねても、何も得られない。無駄な問答だ。
「おい、何か言ったらどうだ」
アズウェルの追求を諦めたルーティングは、苛立を募らせるディオウを視界から外して立ち上がる。
「野獣には関係の無いことだ」
「何だと、貴様……!」
「小僧、何故街が燃えている?」
ディオウの怒声を掻き消したその言葉に、三人は一様に目を見開いた。
「おま、何故って……」
「寝ぼけたこと言ってんじゃないわよ! あんたたちが燃やしたんでしょ!?」
「随分間抜けな戯言だな……! おれとラキィは兵士が火を放つのをこの目で見てきたぞ!」
ルーティングは
「俺たちではない。俺たちの目的はスチリディーを連行し、スワロウ族の女をおびき出すことだけだ。時間に余裕はなかった。貴様らに説明している時間すらもな。邪魔者は寝かせておけ。それが
「アズウェルやスチリディーに
「ふん、単細胞の野獣の頭では理解できないだろうな」
「生意気な糞餓鬼だな。今の状況を理解できないほど貴様は低脳か」
ルーティングの
傍観者を決め込んでいるアズウェルとラキィは、顔を見合わせて肩を
「現に街を破壊し、街の民を殺そうとしていたのはクロウ族の兵士だ。言い逃れをしようったって、無駄な抵抗だぞ」
「俺が連れてきた部下は、その店の中で気絶している奴らだけだ。他に連れてきてはいない上に、そんなことを命令された覚えもない」
「あくまでシラを切る気か」
「俺は野獣と会話している覚えはない。トゥルーメンズ、街に火を放ったのはクロウ族の腕章を身につけた者たちだろう?」
「餓鬼が……! 今すぐ喉に喰らいついてやろうか」
飛びかかろうとディオウが体勢を低めた時、呆れ返ったラキィが両耳で彼の瞳を抑えた。
「ラキィ、何をする!」
「ディオウ、あんた話がややこしくなるから、いい加減黙って」
「敵の言葉を信用するつもりか!?」
「下らないことにいちいち反論してたら街が燃え尽きちゃうのよ? 喧嘩は火を消してからにしなさい!」
批難の声を上げたディオウに、ラキィはぴしゃりと言い放つ。
「おれも、そうした方がいいと思う」
「む……」
飼い主のアズウェルが賛同して、いよいよ立つ瀬のなくなったディオウは、長い尾を一振りして座り込んだ。
大人しくなったディオウに大きな溜息をついて、ラキィはルーティングを見据える。
「ルーティング、あんたが言う通り、あたしたちを追ってきた兵士はみんな腕章をつけていたわ。そこに寝てるあんたの部下や、あんたはつけてないわね。一体どういうことなの?」
「やはりそういう事か。はっきりした。少なくとも俺の主の傘下ではない」
それだけ言うと、ルーティングは店の中に入り、気絶している兵士たちを見下ろした。
幸い、スチリディーの店はまだ燃えていない。
「そういうことって、どういうことだよ?」
アズウェルの問いかけをルーティングは黙殺する。
代わりに動かない彼らの
「起きろ!」
「っ! ……あ、ルーティング様。一体どうしたのですか?」
「奴らがこの街に火を放ったらしい」
頭を押さえながら身体を起こした兵士たちは、その一言で顔色を変える。
「本当ですか!?」
「急いで火の元を見つけなければ大変なことに……!」
「しかし我らには……」
「わかっている」
身を翻し、ルーティングはアズウェルたちの方を向く。その表情にアズウェルはぎょとした。
ルーティングは頬を引きつらせながらアズウェルに呼びかけた
「おい! 小僧!!」
「な、なんだよ……」
よりにもよって、アズウェルに頭を下げるなどプライドが許さない。
だが、全ては主のため。
苦虫を噛み潰したような顔でルーティングは言葉を吐き出す。
「ここは……一時、休戦だ。お前も街をこれ以上燃やしたくはないだろう」
こくんとアズウェルは頷く。
「だったら、これから俺の言うことに従え」
「へ……?」
「この火は」
「ただの火じゃない。魔術の火だな」
ルーティングが言おうとしたことを、暫く静観していたディオウが横から言う。
当然ルーティングに睨まれたが、ディオウは構わず続けた。
「術には術を使わないと消えないわけだ。だが、術者には他の術者の
「……そういうことだ。お前らが俺たちの言うことを聞けばこの街の火は消える」
「それはともかく、何であんたたちが火を消す必要があるわけ?」
ラキィが瞳を半眼にして問う。
「この火は家をただ燃やすだけじゃない。恐らく結界を成しているはずだ」
「つまりここから出られないということ?」
「そうだ。だから言うことを聞けと言っているんだ」
ルーティングはラキィに答えながら、道に刺さった剣を抜き取った。
こてんと首を傾げて、アズウェルがディオウに確認する。
「んと……おれたちに協力しろって言ってんかな?」
「いや、あいつらがおれたちの消火活動に協力するんだ」
「誰がそんなことを言った。お前らが大人しく言うことを聞けばいい話だろう」
間髪入れずに言い回しを訂正するディオウと、それにすかさず切り返すルーティングに、ラキィがいたずらな微笑を浮かべる。
「なぁんで素直に協力してくれって言えないのかしら?」
「それは男のプライドに反する」
異口同音に、返答が重なる。
「……真似をするな」
「俺の台詞だ」
互いに火花を散らして睨み合う。
「とにかく、今はそんなことをしている場合じゃねぇんだろ?」
アズウェルが口を挟むと、二人は睨み合いを中断してそれぞれの味方の方を向く。
「今は奴らの術が必要だ。利用しろ」
「今は奴らの視力が必要だ。構わず使え」
アズウェルとラキィは二人の口振りに肩を震わせながら頷く。
一方兵士たちは、背筋をぴんと伸ばしてルーティングに敬礼していた。
「
ルーティングからアズウェルたちの前に移動し、兵士たちが整列する。
「ご協力宜しくお願い致します!」
兵士のリーダーらしき人物がそう言うと、今度はアズウェルたちに敬礼する。
「宜しくお願い致します!!」
「あら、兵士は素直なのね」
ラキィが面白そうに言った。
ルーティングはその言葉には耳を貸さないで、言いたいことを言う。その声は明らかに「不本意だ」と主張していた。
「この火はただの火じゃない。それはさっきギアディスが言った通りだ。術の火は火の元を消さなければ消えることはない。逆に言えば火の元だけを消せばいい。そのために、この印を探せ」
上着の内ポケットから一枚の紙を出し、アズウェルたちに示す。
描かれていたものは、クロウ族の紋章である、
「これはクロウ族が魔術を使うときに必ず
「水の魔術って……普通の水じゃダメなのか?」
アズウェルの問いにルーティングは馬鹿にしたように言う。
「さっきギアディスが言っていただろう。術には術を持ってじゃないと効果がない。水系魔法は俺を含めて兵士たち全員が会得している。これから三グループに分かれて消火活動を行うんだ」
「おれたちをバラバラにすると言うことか?」
ディオウが眉根を寄せて問う。
「その方が効率がいい」
「へぇ~。ま、いいんじゃない? 消火手伝ってくれるって言うならそうしてもらおうよ」
「そうね、この際、敵、味方って言っている場合じゃないわ」
ラキィはアズウェルに賛成する。
「……だが、力を分散させておれたちを一掃するとも考えられるぞ」
ディオウは未だ警戒している。
「俺たちはそんなアンフェアなことはしない。それにさっきも言っただろう。今ここからは誰一人出られないんだ」
「さっき街の民を避難させた時は出られたぞ」
ディオウがルーティングを睥睨する。
「それは、まだ術者がいたからだろう。今外に出ることは不可能だ」
ルーティングは冷たい眼差しをディオウに送った。
納得できないディオウは、ラキィをアズウェルに押しやると、凄まじい勢いで街道を駆けていく。
それから程なくして、顔を
「……出れない。空からもダメだった」
「俺の言った通りだろう?」
ディオウはそれでもまだ警戒を解こうとしない。
低い姿勢のまま、ルーティングたちを睨みつけている。
「ギアディスがこんなに頑固だとはな。おい、全員武器を置いていけ」
「
先刻抜き取った黒剣を鞘に収めて、ルーティングはディオウの前に放り投げる。
兵士たちも次々とディオウの前に武器を積んでいった。
「これで満足か?」
「ディオウ、もう充分だろ? 早く消火しないと酷くなる一方だぞ」
「わかった……」
飼い主の言葉に、ディオウは仕方なく嘆息した。
アズウェルの手元から飛び上がり、宙を旋回しながらラキィが皆に問いかけた。
「じゃぁ、すぐ行きましょ。グループはどうやって分けるの?」
◇ ◇ ◇
「よりにもよって、おまえと一緒かよぉ~」
アズウェルとルーティングは燃え盛る酒屋の前に立っていた。
「お前がグーチョキパーで決めると言ったんだぞ」
ルーティングの連れてきた兵士は三人。そこで、三人、二人、二人に別れることになったのだ。
「いや、まさかおまえとなるなんてさぁ。さっきまで命懸けて戦ってたんだぜ? 何か違和感というか」
アズウェルは肩を
「おい、待て。死ぬ気か? 今術をかける」
アズウェルの腕を掴んで引き戻したルーティングが、小声で何かを呟く。
「お、怪我が治っていくぞ。それに熱くねぇ!」
「水系魔法の一つ、アクアスーツだ。火の中にそのまま入るのは自殺行為。その術がかかっていれば、火の中にいても熱くない上に、息もできる。怪我を治したのはついでだ。途中で倒れでもしたら俺が困るからな。行くぞ」
ルーティングはぶっきらぼうに言うと扉を開ける。中は炎の海だった。
「ひゃあ。ここからあの印を探すのか」
「火系魔法は火がつきやすいところで使うのが常識だ。油の側や、木で出来たものとかを探せ」
「ういうい~」
二人が足を踏み入れると、炎が警戒するように道を開けた。
アズウェルはまず台所を探す。案の定、印は台所の酒樽にあった。
「みっけたぞー」
「どこだ?」
「ここ、この酒樽のフタのど真ん中」
指差しながら答えたアズウェルを、ルーティングは自分の背後へ押しやる。
「
ルーティングは自分の指を噛み切ると、その血で印の上に更に印を描く。
その印は
「水霊よ、我に力を与え給え。その力を
樽に描いた印と同じものを、ルーティングは宙に描く。
「ウィアード・スプレイ!!」
唱えた直後、酒樽を基軸に水柱が立ち上った。
「うお! すげぇ!」
初めて見る魔術にアズウェルは感動する。そのアズウェルに炎が襲いかかる。
「うぁ!?」
炎はアズウェルの右足をを吊り上げると、勢いよく床に叩きつける。
「ってぇ! この炎おれに触れんのかよ!?」
「馬鹿者……! 小僧、そいつは生き物みたいに動く。なるべく水柱の傍にいろ!」
先刻離れろと言ったのは、一体何処の誰だ。
アズウェルは不服そうにルーティングを一瞥した。
「ところで、この火いつ消えるんだ?」
「これは術者同士の勝負だ。力が尽きた方が負ける」
徐々に炎の勢いが衰えていく。
水蒸気が上がり、アズウェルの視界を真っ白にした。
「み、見えねぇ……」
「ヴェンティレイション!」
ルーティングの詠唱直後に風が吹き抜け、視界がクリアになった。
「おぉ~! ホントおまえすっげぇなぁ。剣術だけじゃなくて魔術も使えるなんてさ」
ひゅう、とアズウェルは口笛を吹いた。
「魔法剣士なんだから当たり前だ」
照れを隠すように、アズウェルから顔を背ける。
「次、行くぞ」
「おう! 次も軽く見つけてやるぜ!」
その嬉しそうな反応に、ルーティングはこめかみを押さえて唸った。
敵だということを理解しているのだろうか。
「どうした?」
「何でもない」
きょとんと己を見つめていたアズウェルの前を、ルーティングは足早に通り過ぎる。
「ちょ、待てよ~」
目線だけ後ろに向けて、後を追ってくるアズウェルを見やる。もうその瞳に敵意はない。
「なぁ、ルーティング、おれにも魔法使えんの?」
この戦に勝機があるとすれば
「お前次第だろう」
「え、今なんか言った?」
一人心地で呟いた言葉は、アズウェルには届かなかった。
しかし、そもそも独り言なのだから、当然ルーティングは言い直すつもりもない。
答えないルーティングに頬を膨らませて、アズウェルは小さな炭を蹴り飛ばす。
「返事くらいしてくれたっていーじゃねーかよっ」
「……返事」
「……は……?」
「してやったぞ。何ぼさっとしてるんだ、街が燃え尽きる前に消すのだろう?」
僅かに口元を緩ませて歩いていくルーティングの横に並ぶようにして追いつくと、拳二つほど背が高い彼を怪訝そうに見上げる。
数秒後、一瞬だけ目を見開くと、アズウェルは額を抑えて嘆息したのだった。
「そういうことじゃねーっつーの……」
スポンサーサイト