第4記 鴉の笑い声
最後の紅茶を飲み終えると、マツザワがにっこりと微笑んだ。
「美味しかった。こんな賑やかな食事は久々だ」
「マツザワの家は食事静かなのか?」
アズウェルがリンゴをかじりながら問う。
「いや、食事は普段一人で取るので。祝典などの時は皆で取るが……」
そこまで言って、マツザワは目を伏せた。
マツザワも、アズウェルと同じようにかつて〝何か〟が故郷であったのだろう。
アズウェルは思い出したように話題を変えた。
「あ! やっべ、肝心なことを忘れてた! 実は、マツザワをうちに呼んだのには訳があって……」
言い出すタイミングを探っていただけで、片時も忘れなどはしていなかったのだが、彼女の翳 った表情がアズウェルを突き動かした。
もう、黙っている場合ではない。もし、手遅れになってしまえば、取り返しがつかない。
アズウェルは席から離れると、組み立てたフレイトを持ってきた。
「さっきディオウとマツザワが外で話している間に直しちゃったんだけどさ」
「随分と早いな。ありがとう」
アズウェルの手早さに少し驚きつつも、マツザワは再び笑みを浮かべて礼を言う。
「いや、これくらい大したこと無いよ。それよりも、おれが話したいのはこっち」
アズウェルはポケットから小さな粒を取り出して、机に乗せた。
それを見たマツザワの表情が強張る。
「これ何だかわかるか? フレイトのエンジンコア部分に入っててさ。スチリディーさんの前で話したら大事[ になる思って、おまえをうちに呼んだんだけど……」
マツザワは絶句していた。ディオウが眉をひそめる。
「アズウェル、お前、それは……」
「うん、これってあれだよね。死者の種[ 」
「そうね、間違いないわ」
ラキィが険しい顔つきで頷く。
ガラスの粒には、鴉[ を象[ ったクロウ族の紋章が描かれていた。
凍りついたままの表情で、マツザワは呆然と言葉を吐き出す。
「これは……クロウ族が……宣戦布告するときに、使うものだ……」
「やっぱりな」
本当に、面倒な事に首を突っ込んでしまった。
だが、後悔はしていない。スワロウ族と知った時から、こうなることはきっと必然だったのだ。
「あんた、何で今まで黙っていたのよ!」
「言い出すタイミングが見つからなかったんだよ……」
「お前って奴は……! マツザワ、これは誰のフレイトだ?」
ディオウが眉間に皺[ を寄せながら、マツザワに訊[ く。
「フレイトは、マスターのだ。名前も、知らない。私にフレイトを預けたのは、我が種族の族長だ……」
「なら族長は宣戦布告されたことは、当然知っているだろうな」
マツザワが苦渋を滲ませた眼差しで死者の種[ を凝視する。
「すまない……! 私は完全に……アズウェルたちを巻き込んでしまった……!」
震える拳を机に叩きつけ、マツザワは顔をくしゃりと歪めた。
「別にそんなこと謝る必要ないぞ。元々おれが乱入したんだし。見つけたときにおまえにこれを押し付けて逃げることだってできたんだぜ?」
「その通りだ。非は全てアズウェルにある」
ディオウがきっぱりと言い放つ。
アズウェルは「そんな言い方ないだろ」と不服そうにディオウを睨んだ。
「これは……そんな簡単な問題じゃない。恐らく私たちはずっとクロウ族に監視されていただろう。アズウェルたちも、スチリディー殿も敵[ と見なされたはずだ」
「スチリディーさんも!? だって、おれは報せてないぞ、スチリディーさんには!」
「無駄だ、アズウェル。お前は考えが甘い。奴らは関わりを持てば全て排除にかかるだろう。情報はどこから漏れるかわからないからな」
「ルーティングが……そんなこと……」
しないと言い切れない自分に、腹が立つ。
仮にも同じエンプロイで働くフレイテジアだというのに。
ガシャン、と食器が机の上で飛び跳ねた。マツザワが抑えきれない怒りを再び机にぶつけたのだ。
「く……何故気がつかなかったんだ! 何故、何故族長は私にこの任務を託したんだ!? 宣戦布告だとわかっていて、それを任務と見なすなど族長の……父上のやり方ではないっ!!」
「マツザワ、落ちつ 」
「マツザワ、アズウェル、そしてラキィ。おれが今から言うことをよく聞け」
アズウェルの言葉を遮断するように、ディオウが言葉を紡ぐ。
「いいか、クロウ族に敵とされた場合、それは排除、即ち死を意味する。その対象は敵と見なされた者の一族、更には親しい者まで含まれるんだ」
完膚[ なきまでの、完全抹殺。
クロウ族はディザード一の人口を誇り、更に戦[ のプロと言われる強者揃い。
彼らに狙われるということは、命の刻限が定まったことに等しい。
ディオウの語る言葉にアズウェルは背筋をひたりとしたものが伝うのを感じた。
思っていた以上に、事態は深刻だ。
「唯一の幸運はおれが空を飛べたこと。おれがあの時、執拗[ に早く乗れと促したのは、近くに殺気を感じたからだ。奴らは気配を消していたから、おまえたちは気付かなかったのだろう。おれが飛翔したことで刺客は振り払えたが、あの時点でおれの存在を上部に報告されたと見て間違いない。アズウェルがフォアロ族ということも漏れているかもしれない。だとしたら、奴らはどんな手を使ってでもおれたちを消しに来るだろうな」
「ディオウ殿はわかるが……何故アズウェルまで……!」
悲痛な表情でディオウを顧みたマツザワの顔からは、血の気が引いていた。
「フォアロ族を知らないか。おれの第三の目である千里眼はもちろん、アズウェルの予知能力が奴らにとっては邪魔だからだ」
それを聞いてマツザワは、今度はアズウェルを見る。
「未来予知が出来るのか!?」
「あ、あぁ……それがおれの、フォアロ族の特徴なんだ」
普段は、雨を避けるための天気予知にしか使わない、無駄な才能。
先がわかるからといって、抗[ うことができない運命[ もあるのだと、アズウェルは知っていた。
「頼む……! 私の村のことを予知してくれ!! 村は……皆は無事なのか!?」
マツザワがアズウェルの両肩を掴んで懇願する。
今、村は、或[ いはこの先、故郷は無事なのか。
そう訴えてくる彼女の瞳を見て、アズウェルはかつての自分を重ねた。
先が怖くて怖くて。一人になるのが、暗闇に突き落とされるように恐ろしくて。
「待て、アズウェル! おれの話はまだ終わっていないぞ!!」
すかさず、ディオウが止める。が、時既に遅し。アズウェルは予知能力を起動していた。
孤独と絶望が、アズウェルの脳裏を支配する。次々と破壊される家々、崩れ落ちる人々が映像として瞳に浮かんだ。
「アズウェル! やめろっ! 正気を失うぞ!!」
ディオウの怒鳴り声に、アズウェルは我に返る。
「お、おれ……」
アズウェルに歩み寄ると、ディオウは怒りを爆発させる。その剣幕にマツザワは驚愕し、言葉を失う。
「馬鹿っ! あのまま予知を続けていたらブッ倒れてたぞ!? 五年前のことを忘れたのか!? あの日から一週間お前は意識不明で寝たきりだったんだぞ!? いいか、お前にはやることがあるんだ。今すぐ支度しろ!」
立て続けにまくし立てるディオウに、アズウェルは硬直していた。
「し……支度って……何を……」
「この村を出る支度よ! あんた、彼女とディオウの話聞いてたでしょ? スチリディーさんが殺されてもいいわけ!?」
今まで黙っていたラキィも、呆然としているアズウェルを叱咤する。
「そういうことだ。おまえが首を突っ込んじまったんだ。その分の責任は取れ。早くしねぇとエンプロイが燃えるぞ!」
燃える。もう一つの故郷が、業火に包まれる。
アズウェルはぎりっと下唇を噛んだ。
「すぐ準備する! ラキィ手伝って!!」
「もちろんよ!」
アズウェル、ラキィは扉を開け放ち、家を飛び出す。彼らの支度とは、この村、住み慣れたエルジアに別れを告げることだった。
二人が出て行った玄関を見つめたまま、マツザワが口を開く。
「すまない……。そんな、リスクのあるものだとは……思わなくて……」
上品さと威厳さを兼ね備えているはずの彼女が、今はただの若い娘にディオウは見えた。
彼女の揺れる瞳からは、怯えが見え隠れしている。
「そんなことは気にするな。それよりも、マツザワ、お前も早く支度しろ。おれたちはスチリディーを含む全てのエンプロイに住む人間を、このエルジアに連れてくる。ここは山に囲まれているし、簡単には見つからない。お前は急いで村へ帰るんだ」
「だが! アズウェルたちを置いていくなど……!」
ディオウは目を細めると、呆れたように溜息をついた。
「あのなぁ、おれたちがそんなにヤワに見えるか? さっさと帰って族長に伝えろ。この戦は思わぬ味方が付いたことによって勝てる、とな」
「だが、それでも危険過ぎる! 奴らの冷酷さを知っているだろう!? 一体どこに勝機が……!」
「ったく、本当にお前は質問が多いな。ついでに心配性過ぎだ。まったく、次期族長が聞いて呆れるな」
「な、何故それを……」
「十年もの修行っていうのでピンときた。まぁ、頑固さは合格だな」
一度言葉を区切ると、表情を引き締めて尾を一振りする。
「いいか? お前が任務を任されたのは、村から遠ざけるためだ。おれの勘だと、今回クロウ族は本気でスワロウ族を潰しに来る。勝てる自信のある戦なら、わざわざ次期族長であるお前を遠ざけたりしないだろう?」
ディザード大陸を牛耳ろうとしているクロウ族は、力がある種族を嫌っていた。
スワロウ族もその一つ。だが、過去の戦を彼らは〝腕試し〟と称し、大軍で襲来することはなかった。
本気で潰す準備が整ったということなのだろうか。
数年に一度襲来するクロウ族を、今までスワロウ族は何とか退けてきたが、本気で消しに来るとなれば話は別だ。
ただでさえ、クロウ族の人口はスワロウ族の十倍以上。刀技[ しか持たないスワロウ族にとっては絶望的だ。
「奴らの中には、闇術師[ っつー外道もいるしな。あれが出てくれば、相当厳しいだろう」
その闇は、全ての光、命を喰らい尽くす。
闇魔術[ には、例え世界最高峰の刀技を持つスワロウ族でも、到底太刀打ちできない。
族長は、一族の滅びを避けるために、次期族長である娘を遥か東の地へと赴かせたのだ。
「私は……また、守られているのか」
悔しい。何故いつも、そうやって自分に隠すのだろうか。
かけがえのないものを一度失ってから、強くありたいと願って、腕を磨いたつもりでいたというのに。
まだ、認めてもらえないのだろうか。
「早く行け。疑問は帰ってから、直接族長にブチ撒[ ければいい」
「……わかった。私は何としてでも、今日中に村に辿り着く!」
マツザワは決意を込めた言葉を、ディオウに、そして自分自身に言い放った。
既に時刻は、深夜の一時を回っている。
「それでいい。おれたちも全員避難させたらすぐ向かう。ラキィがいれば何とか行き着けるだろう」
無言でマツザワは頷いた。
ディオウがフレイトを尾で叩き、視線を玄関へ向ける。
「アズウェルが直したフレイトに乗っていけ」
「恩に着る!」
フレイトに跨[ ると同時に、マツザワはアクセルを踏み込む。
深夜の森にエンジン音が響き渡った。
数分後、村を駆け回ってきたアズウェルとラキィが、息を切らしながら戻ってきた。
「準備完了……っと……」
「ディオウ、お姉さんは?」
「今さっき出て行ったところだ。アズウェルが直したフレイトで帰れと言った」
アズウェルがメンテナンスを施したフレイトならば、余程乱暴に扱わない限り壊れることはないだろう。
玄関の外に広がる闇を見据えて、アズウェルは彼女が無事に着くことを祈った。
「暗い中、ちゃんと辿り着ければいいけど……」
「あいつなら大丈夫だろう。スワロウ族はどんな場所にいても、自分の村への道はわかるらしい」
「そっか、なら安心だな。おれたちも行こう!」
アズウェルの声にディオウ、ラキィが頷く。
二人を背に乗せたディオウが、エルジアの大地を蹴って飛び立った。
◇ ◇ ◇
既に、エンプロイは真っ赤に染まっていた。
至るところから火の手が上がり、多くのクロウ族の兵士が徘徊している。
罵声と悲鳴が次々にアズウェルの耳朶[ を貫いた。
「くっそ……! 遅かったのか!?」
「アズウェル、スチリディーの店が先だ!」
ディオウに促され、アズウェルたちはスチリディーの店、フライテリアへと急ぐ。
フライテリアの付近は妙に静かだった。火の手もまだ、上がっていない。
不気味な静寂に心を掻き乱されながら、開いたままの入り口から店中へ飛び込む。
「スチリディーさん! スチリディーさん!!」
「アズウェル君、来てはだめだ!」
クロウ族に囲まれたスチリディーは、両手を上げて棚に背中を押し付けている。
喉元には、剣[ の鋒[ が向けられていた。
「てめぇら、スチリディーさんから離れろっ!!」
迷うことなく兵士たちを目がけて突進する。
「殺[ れ。後ろの白い獣もだ」
「了解しました。ルーティング様」
スチリディーに向けられていた白羽の刃[ が、一斉にアズウェルに牙を剥[ く。
死角は、何処にもない。
刃は完全にアズウェルを捕らえる。
「アズウェル君!!」
「アズウェル!!」
「やめて !!」
「身の程を知るがいい……!」
悲鳴と嘲笑[ う声が、フライテリアに響いた。
「美味しかった。こんな賑やかな食事は久々だ」
「マツザワの家は食事静かなのか?」
アズウェルがリンゴをかじりながら問う。
「いや、食事は普段一人で取るので。祝典などの時は皆で取るが……」
そこまで言って、マツザワは目を伏せた。
マツザワも、アズウェルと同じようにかつて〝何か〟が故郷であったのだろう。
アズウェルは思い出したように話題を変えた。
「あ! やっべ、肝心なことを忘れてた! 実は、マツザワをうちに呼んだのには訳があって……」
言い出すタイミングを探っていただけで、片時も忘れなどはしていなかったのだが、彼女の
もう、黙っている場合ではない。もし、手遅れになってしまえば、取り返しがつかない。
アズウェルは席から離れると、組み立てたフレイトを持ってきた。
「さっきディオウとマツザワが外で話している間に直しちゃったんだけどさ」
「随分と早いな。ありがとう」
アズウェルの手早さに少し驚きつつも、マツザワは再び笑みを浮かべて礼を言う。
「いや、これくらい大したこと無いよ。それよりも、おれが話したいのはこっち」
アズウェルはポケットから小さな粒を取り出して、机に乗せた。
それを見たマツザワの表情が強張る。
「これ何だかわかるか? フレイトのエンジンコア部分に入っててさ。スチリディーさんの前で話したら
マツザワは絶句していた。ディオウが眉をひそめる。
「アズウェル、お前、それは……」
「うん、これってあれだよね。
「そうね、間違いないわ」
ラキィが険しい顔つきで頷く。
ガラスの粒には、
凍りついたままの表情で、マツザワは呆然と言葉を吐き出す。
「これは……クロウ族が……宣戦布告するときに、使うものだ……」
「やっぱりな」
本当に、面倒な事に首を突っ込んでしまった。
だが、後悔はしていない。スワロウ族と知った時から、こうなることはきっと必然だったのだ。
「あんた、何で今まで黙っていたのよ!」
「言い出すタイミングが見つからなかったんだよ……」
「お前って奴は……! マツザワ、これは誰のフレイトだ?」
ディオウが眉間に
「フレイトは、マスターのだ。名前も、知らない。私にフレイトを預けたのは、我が種族の族長だ……」
「なら族長は宣戦布告されたことは、当然知っているだろうな」
マツザワが苦渋を滲ませた眼差しで
「すまない……! 私は完全に……アズウェルたちを巻き込んでしまった……!」
震える拳を机に叩きつけ、マツザワは顔をくしゃりと歪めた。
「別にそんなこと謝る必要ないぞ。元々おれが乱入したんだし。見つけたときにおまえにこれを押し付けて逃げることだってできたんだぜ?」
「その通りだ。非は全てアズウェルにある」
ディオウがきっぱりと言い放つ。
アズウェルは「そんな言い方ないだろ」と不服そうにディオウを睨んだ。
「これは……そんな簡単な問題じゃない。恐らく私たちはずっとクロウ族に監視されていただろう。アズウェルたちも、スチリディー殿も
「スチリディーさんも!? だって、おれは報せてないぞ、スチリディーさんには!」
「無駄だ、アズウェル。お前は考えが甘い。奴らは関わりを持てば全て排除にかかるだろう。情報はどこから漏れるかわからないからな」
「ルーティングが……そんなこと……」
しないと言い切れない自分に、腹が立つ。
仮にも同じエンプロイで働くフレイテジアだというのに。
ガシャン、と食器が机の上で飛び跳ねた。マツザワが抑えきれない怒りを再び机にぶつけたのだ。
「く……何故気がつかなかったんだ! 何故、何故族長は私にこの任務を託したんだ!? 宣戦布告だとわかっていて、それを任務と見なすなど族長の……父上のやり方ではないっ!!」
「マツザワ、落ちつ
「マツザワ、アズウェル、そしてラキィ。おれが今から言うことをよく聞け」
アズウェルの言葉を遮断するように、ディオウが言葉を紡ぐ。
「いいか、クロウ族に敵とされた場合、それは排除、即ち死を意味する。その対象は敵と見なされた者の一族、更には親しい者まで含まれるんだ」
クロウ族はディザード一の人口を誇り、更に
彼らに狙われるということは、命の刻限が定まったことに等しい。
ディオウの語る言葉にアズウェルは背筋をひたりとしたものが伝うのを感じた。
思っていた以上に、事態は深刻だ。
「唯一の幸運はおれが空を飛べたこと。おれがあの時、
「ディオウ殿はわかるが……何故アズウェルまで……!」
悲痛な表情でディオウを顧みたマツザワの顔からは、血の気が引いていた。
「フォアロ族を知らないか。おれの第三の目である千里眼はもちろん、アズウェルの予知能力が奴らにとっては邪魔だからだ」
それを聞いてマツザワは、今度はアズウェルを見る。
「未来予知が出来るのか!?」
「あ、あぁ……それがおれの、フォアロ族の特徴なんだ」
普段は、雨を避けるための天気予知にしか使わない、無駄な才能。
先がわかるからといって、
「頼む……! 私の村のことを予知してくれ!! 村は……皆は無事なのか!?」
マツザワがアズウェルの両肩を掴んで懇願する。
今、村は、
そう訴えてくる彼女の瞳を見て、アズウェルはかつての自分を重ねた。
先が怖くて怖くて。一人になるのが、暗闇に突き落とされるように恐ろしくて。
「待て、アズウェル! おれの話はまだ終わっていないぞ!!」
すかさず、ディオウが止める。が、時既に遅し。アズウェルは予知能力を起動していた。
孤独と絶望が、アズウェルの脳裏を支配する。次々と破壊される家々、崩れ落ちる人々が映像として瞳に浮かんだ。
「アズウェル! やめろっ! 正気を失うぞ!!」
ディオウの怒鳴り声に、アズウェルは我に返る。
「お、おれ……」
アズウェルに歩み寄ると、ディオウは怒りを爆発させる。その剣幕にマツザワは驚愕し、言葉を失う。
「馬鹿っ! あのまま予知を続けていたらブッ倒れてたぞ!? 五年前のことを忘れたのか!? あの日から一週間お前は意識不明で寝たきりだったんだぞ!? いいか、お前にはやることがあるんだ。今すぐ支度しろ!」
立て続けにまくし立てるディオウに、アズウェルは硬直していた。
「し……支度って……何を……」
「この村を出る支度よ! あんた、彼女とディオウの話聞いてたでしょ? スチリディーさんが殺されてもいいわけ!?」
今まで黙っていたラキィも、呆然としているアズウェルを叱咤する。
「そういうことだ。おまえが首を突っ込んじまったんだ。その分の責任は取れ。早くしねぇとエンプロイが燃えるぞ!」
燃える。もう一つの故郷が、業火に包まれる。
アズウェルはぎりっと下唇を噛んだ。
「すぐ準備する! ラキィ手伝って!!」
「もちろんよ!」
アズウェル、ラキィは扉を開け放ち、家を飛び出す。彼らの支度とは、この村、住み慣れたエルジアに別れを告げることだった。
二人が出て行った玄関を見つめたまま、マツザワが口を開く。
「すまない……。そんな、リスクのあるものだとは……思わなくて……」
上品さと威厳さを兼ね備えているはずの彼女が、今はただの若い娘にディオウは見えた。
彼女の揺れる瞳からは、怯えが見え隠れしている。
「そんなことは気にするな。それよりも、マツザワ、お前も早く支度しろ。おれたちはスチリディーを含む全てのエンプロイに住む人間を、このエルジアに連れてくる。ここは山に囲まれているし、簡単には見つからない。お前は急いで村へ帰るんだ」
「だが! アズウェルたちを置いていくなど……!」
ディオウは目を細めると、呆れたように溜息をついた。
「あのなぁ、おれたちがそんなにヤワに見えるか? さっさと帰って族長に伝えろ。この戦は思わぬ味方が付いたことによって勝てる、とな」
「だが、それでも危険過ぎる! 奴らの冷酷さを知っているだろう!? 一体どこに勝機が……!」
「ったく、本当にお前は質問が多いな。ついでに心配性過ぎだ。まったく、次期族長が聞いて呆れるな」
「な、何故それを……」
「十年もの修行っていうのでピンときた。まぁ、頑固さは合格だな」
一度言葉を区切ると、表情を引き締めて尾を一振りする。
「いいか? お前が任務を任されたのは、村から遠ざけるためだ。おれの勘だと、今回クロウ族は本気でスワロウ族を潰しに来る。勝てる自信のある戦なら、わざわざ次期族長であるお前を遠ざけたりしないだろう?」
ディザード大陸を牛耳ろうとしているクロウ族は、力がある種族を嫌っていた。
スワロウ族もその一つ。だが、過去の戦を彼らは〝腕試し〟と称し、大軍で襲来することはなかった。
本気で潰す準備が整ったということなのだろうか。
数年に一度襲来するクロウ族を、今までスワロウ族は何とか退けてきたが、本気で消しに来るとなれば話は別だ。
ただでさえ、クロウ族の人口はスワロウ族の十倍以上。
「奴らの中には、
その闇は、全ての光、命を喰らい尽くす。
族長は、一族の滅びを避けるために、次期族長である娘を遥か東の地へと赴かせたのだ。
「私は……また、守られているのか」
悔しい。何故いつも、そうやって自分に隠すのだろうか。
かけがえのないものを一度失ってから、強くありたいと願って、腕を磨いたつもりでいたというのに。
まだ、認めてもらえないのだろうか。
「早く行け。疑問は帰ってから、直接族長にブチ
「……わかった。私は何としてでも、今日中に村に辿り着く!」
マツザワは決意を込めた言葉を、ディオウに、そして自分自身に言い放った。
既に時刻は、深夜の一時を回っている。
「それでいい。おれたちも全員避難させたらすぐ向かう。ラキィがいれば何とか行き着けるだろう」
無言でマツザワは頷いた。
ディオウがフレイトを尾で叩き、視線を玄関へ向ける。
「アズウェルが直したフレイトに乗っていけ」
「恩に着る!」
フレイトに
深夜の森にエンジン音が響き渡った。
数分後、村を駆け回ってきたアズウェルとラキィが、息を切らしながら戻ってきた。
「準備完了……っと……」
「ディオウ、お姉さんは?」
「今さっき出て行ったところだ。アズウェルが直したフレイトで帰れと言った」
アズウェルがメンテナンスを施したフレイトならば、余程乱暴に扱わない限り壊れることはないだろう。
玄関の外に広がる闇を見据えて、アズウェルは彼女が無事に着くことを祈った。
「暗い中、ちゃんと辿り着ければいいけど……」
「あいつなら大丈夫だろう。スワロウ族はどんな場所にいても、自分の村への道はわかるらしい」
「そっか、なら安心だな。おれたちも行こう!」
アズウェルの声にディオウ、ラキィが頷く。
二人を背に乗せたディオウが、エルジアの大地を蹴って飛び立った。
◇ ◇ ◇
既に、エンプロイは真っ赤に染まっていた。
至るところから火の手が上がり、多くのクロウ族の兵士が徘徊している。
罵声と悲鳴が次々にアズウェルの
「くっそ……! 遅かったのか!?」
「アズウェル、スチリディーの店が先だ!」
ディオウに促され、アズウェルたちはスチリディーの店、フライテリアへと急ぐ。
フライテリアの付近は妙に静かだった。火の手もまだ、上がっていない。
不気味な静寂に心を掻き乱されながら、開いたままの入り口から店中へ飛び込む。
「スチリディーさん! スチリディーさん!!」
「アズウェル君、来てはだめだ!」
クロウ族に囲まれたスチリディーは、両手を上げて棚に背中を押し付けている。
喉元には、
「てめぇら、スチリディーさんから離れろっ!!」
迷うことなく兵士たちを目がけて突進する。
「
「了解しました。ルーティング様」
スチリディーに向けられていた白羽の
死角は、何処にもない。
刃は完全にアズウェルを捕らえる。
「アズウェル君!!」
「アズウェル!!」
「やめて
「身の程を知るがいい……!」
悲鳴と
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第3記 廃村外れの屋根の下
外で会話をしていたマツザワとディオウは、時折アズウェルが不安そうに窓から様子を見ているのを察して、石造りの小屋に入ることにした。
部屋には、机、椅子、ベッドといった最低限の家具と、古い台所が見える。発光鉱石ユースをガラス瓶に入れたランプが、天井から部屋を照らしていた。
「あ~もう。だから早く入れって言ったのに。二人ともびしょ濡れじゃん」
アズウェルは二人に呆れながらタオルを渡す。
「二人して一体何話してたんだ?」
流石に、アズウェルが何者なのか尋ねていたなどとは、本人を前にしてはとても言えまい。
マツザワが必死に言い訳を考えている横で、「自己紹介していただけ」とディオウがさらりと流す。
だが、返って逆効果のようだった。
「あのなぁ、自己紹介なんて家ん中でやりゃぁいいだろ。雨に打たれながらやるだなんて、マツザワが風邪引いたらどうするんだよ」
「フ……スワロウ族はお前ほどなよくはないぞ? おれ様の美しさを全て語ろうと思えば、それこそ丸一日かかるな。家に入ってからはうるさい家政婦がいるから、ろくに話もできんだろう」
「あーはいはい。要するに、マツザワはディオウのくっだらねぇ自己自慢を聞かされていたわけだな。で、誰がなよいだって?」
徐々に険悪さを増していく二人を見て、マツザワは呆然と佇んでいる。
彼らにとっては日課の一部なのだが、今日初めて二人に出会ったマツザワがそんなことを知るはずもない。
自分の問いかけが発端で遅くなったのだから、ディオウをどうにかしてフォローしなければ、と気持ちが焦る。
「あ、アズウェル、ディオウ殿は……」
「なよいが不満か? 雨ごときでおれを叩き起こしたのはお前だろう。そのくせ、このおれ様の話がくだらないだと? そんなことないな、素晴らしい話だっただろう、なぁマツザワ?」
「え、えぇ……まぁ」
同意を求められて咄嗟にマツザワが頷くが、アズウェルは不愉快そうに顔を顰[ めた。
「くっだんねぇに決まってんだろ! あんなの聞かされたら気が狂うぜ。雨ごときって……おまえは背中に蛇が張り付いても平気なのかよ?」
「何だと!? もういっぺん言ってみろ! おれ様は蛇などには動じない、お前がなよいだけだろう!」
「くっだんねぇに決まってるだろ! あんなの聞かされたら気が狂うぜ! なんだよ、この無神経!」
前半部分は、完璧なまでの再現だ。アズウェルは声色から表情まで見事に再生したが、聞き捨てならない後半部分は、更に熱を帯びていた。
そろそろ取っ組み合いにでもなりそうな雰囲気だ。
マツザワは、舌戦を固唾を飲んで見守る。
そうこうしている内に、矛先が彼女へと向けられた。
「マツザワ!!」
二人が同時に彼女を呼ぶ。
「え、な、何だ?」
「何だ? じゃねぇだろ。だから、おれとディオウどっちが正しいかってこと! 蛇が背中に張り付いたら、気持ち悪いに決まってるよな?」
「何言ってるんだ。そんなのは鍛錬していれば、どうってことないだろう?」
論点が、違う。先刻まで繰り広げていた舌戦の中心は、ディオウの自己紹介がくだらないか否かではなかったのか。
マツザワが返答に困っていると、場違いな高い声が家に響く。
「まぁ~たそんなバカげたことやってるのね! いつまでやってんのよ、あんたたち!!」
突然の怒声に三人は飛び上がった。
声の主は小さな生き物だ。淡いエメラルドグリーンの小動物は、翼のような耳を羽ばたかせ、宙から三人を見下ろしている。
「とぅ……トゥルーメンズ?」
マツザワは、声の主に恐る恐る尋ねた。
「そうよ。あなたお客様ね? あたしラキィ。よろしくね、お姉さん。で、ディオウ、誰がうるさい家政婦ですって!?」
言葉を失ったマツザワは、頭上を旋回しながら説教をするラキィに目を奪われていた。
アズウェル家は、非常識の塊だ。
密猟すれば裁かれるという、貴重な“配達屋”。体内に磁石を持ち、有能な頭脳を備えたトゥルーメンズは、ディザード大陸における小包配達屋だ。
それが、あろうことか人の言葉を延々と羅列し、飼い主である青年と伝説の聖獣を叱りつけている。
本来、郵便配達を生業としている種族からの斡旋[ でなければ、トゥルーメンズを手元に置くことは許されない。何故ならば、トゥルーメンズは高位魔術を操るエルフたちと深い関係にあったからだ。彼らを敵に回せば、街一つ易々と潰れてしまうだろう。
「まさか……この村に人がいないのは……」
「あら、そんなことないわよ、お姉さん。あたしは森のお偉いさんの頼みでここに派遣されたから。だから、そんな心配そうな顔をしないで」
紅い瞳をくりくりさせて、ラキィは疑念を呟いたマツザワに微笑みかける。
彼女の後ろでは、がくりと項垂れて濡れた床を拭くアズウェルとディオウの姿があった。
まるで子供扱いだ。
「ちぇっ……なんで、おれまでディオウが濡らした床を……」
「聖獣のおれ様が、床拭きなど……」
マツザワは目を瞬[ かせて、感心したように呟いた。
「あの二人を黙らせてしまった……」
「放っておくとどちらかが降参するまでやるからね。あたしが言葉覚えたのも、うるさい二人を黙らせるためよ。アズウェル! 早くご飯作って! ディオウ! その泥まみれの足をちゃんと洗ってきなさい!」
ラキィの下した命令に、アズウェルはげんなりした顔つきで腰を上げた。
「あいあい、わかったよ。マツザワ~、適当に椅子にでも座ってて」
「え、あぁ」
返事はしたものの、マツザワは既にラキィに勧められて椅子に座っていた。
それを見とめたアズウェルは、大きく嘆息し、持っていた雑巾をディオウの顔に投げつけた。
「おい、アズウェル、何すんだ!」
前足で器用に雑巾を払い落としたディオウが、批難の声を上げたが、すかさずラキィの雷が落ちる。
「まだそんな汚い格好で座り込んでいるの!? 早く言われたことをしなさい!」
「ったく……おれが走ったから飯が食えるんだろう……」
「何か言った!?」
「いや……何も……」
そう否定しつつも、ディオウは低い声で文句を連ねながら、小屋を出て行った。
「まったく、男ときたら言わないとやることしないんだから。嫌になるわ」
「大変だったようだな」
「大変だったじゃなくて大変なのよ。フェルスったらこの二人の面倒見るようにって無理矢理言葉覚えさせたのよ。毎日毎日、フェルスが知ってる限りの言葉を次から次へと……!」
さも嫌そうにラキィが毒づく。
「フェルス……?」
「この村の村長で長老だった人。あたしをこの家に放り込んだ鬼」
「そんで、おれを拾った人でおれの育て親。はい、これ飲んで待ってて。もうじきできるから」
アズウェルはマツザワに紅茶の入ったマグカップを渡す。
「あぁ、ありがとう」
「これ、紅茶な。マツザワは知らねぇかもな」
「紅茶……名は、聞いたことがあるが……」
マグカップを両手で持ったまま、中身と睨めっこをしているマツザワを見て、アズウェルの表情が切なさを帯びる。
似ている。昔、この村に来ていた人に。
もう決して会うことのできない人の面影が、マツザワに垣間見えた。
あの人は……あの人たちは、もう 。
「アズウェル、私の顔に何か付いているのか?」
「え?」
訝[ しげな面差しで見上げてくるマツザワに、しどろもどろに答える。
「い、いや……別に! く、黒髪は珍しいから、ちょっと見とれてただけだよ」
何故こんなに動揺しているのだろうか。
その瞳が似ていたからか。その黒髪が似ていたからか。
「そんなに珍しいものなのか? 金髪の方がよっぽど珍しいと思うが……」
「え、あ、いや……その……こ、この辺じゃあまり見かけないからっ!」
アズウェルは、慌てて顔の前で両手を振る。
そんなアズウェルを面白くなさそうに眺めているのが、水浴びをして戻ってきたディオウだ。
据[ わった両眼、への字に曲がった口元、ゆらゆらと揺れている長い尾。全身で不快感を顕[ にしている。
「ディオウ、大人気ないわね。ちょっと彼女のことを思い出しただけでしょ」
「あの女は既に死んでいるんだぞ」
耳元で囁[ いたラキィに、ディオウは吐き捨てるように呟いた。
「でも、彼女本当にそっくりなんだから、いいじゃない? ちょっとくらい。ディオウも懐かしいなら、素直にそう認めたら?」
「おれは、あの女は苦手だった。特に、あの女がいつも連れてくる女が大嫌いだった」
「あら、そう~? アズウェルとちょっと仲が良かっただけでしょ? ほんっと、大人気ないわね」
呆れ返るラキィを一瞥し、尾でドアノブを掴んで玄関の扉を閉める。
そして、未だに頬を染めて必死で言い訳をしているアズウェルと、首を傾げているマツザワの間にひょっこりと頭を割り込ませた。
「沸騰しているぞ、アズウェル!」
長い尾でアズウェルの背を叩きながら、顎[ で鍋を指す。
「え……? あ、やっべ! すっかり忘れてた!」
くるりと身体を反転させて、アズウェルは台所へと走る。それは僅か数歩の距離であったが、マツザワから引き離すには十分だった。
「……本当に、大人気ないのね……」
ラキィのディオウを見つめる眼差しは、呆れから哀れみに色を変えていた。
きょとんとしているマツザワに、「ちょっと昔村に来た人を思い出したのよ」と耳打ちし、ラキィも台所へ向かった。
「うお! あっぶね。吹き溢れるところだった」
火を止めて、アズウェルはほっと一息つく。
本当にほっとしたのは、鍋ではなく気まずい会話が中断したことだ。あのまま尋問され続けたら、口を割らずにはいられないだろう。
安堵の息を零[ して、アズウェルは額の冷や汗を拭[ った。
「パンも焼けたみたいねー」
「じゃぁ、出すか。危ないから、ラキィ、こっち」
手招きされたラキィは、アズウェルの頭上にちょこんと身体を乗せる。
狭い室内では、ラキィほど小さいと誤って鉄板を押し付けてしまうかもしれないからだ。
それにラキィがパンの出来具合を判断するため、竈[ から取り出す時は、いつもこの定位置につくようにしていた。
黄金[ 色に焼けたパンが、芳ばしい香りを家中に充満させる。
「今日の出来も流石あたしね! お姉さん、お一つどうぞ」
両耳で風を起こして熱を逃がすと、ラキィはマツザワにパンを一つ差し出す。
「ラキィがこれを作ったのか?」
「えぇ、そうよ。パンを焼くのはあたしの日課。あたしの耳ってアズウェルの手先と同じくらい器用なのよ」
トゥルーメンズであるラキィには、前足、つまり手にあたる部分がない。代わりに翼にもなる耳は五本に分かれていて、人の手のように動かすことができた。
「それは凄いな。では、有り難くいただこう」
マツザワはラキィからパンを受け取り、恐る恐る口へ運ぶ。
「……! これがパンというものか! こんなに美味しいものだとは知らなかった」
「マツザワ、パンも食ったこと無かったのか? パンくらいはそこら中にあるだろ?」
「基本、外に出ても米類ばかりを選ぶから、パンというのは見たことはあっても、口にしたことはなかった。修行中の十年間は、精進料理という野菜と米だけしか口にできなかったしな」
マツザワは懐かしそうに故郷のことを語る。
ある程度スワロウ族に関しては知識のあるアズウェルだったが、十年修行は初耳だ。
「十年間……? マジで野菜だけなのか?」
「肉類は魚も含めて全く出ないな。流石に、誕生日くらいはご馳走が並んだが」
それを聞いてアズウェルは額に手を当て、首を振った。
「マジかよ……おれには絶対無理だ。十年間も肉無しなんて、ありえねぇ……」
「あんたには三日と持たないわね」
「お前はその前に修行でバテるんじゃないか?」
「確かに、アズウェルには少々……いや、かなり無理がありそうだな」
アズウェルの言葉に皆賛同するが、あまりにあっさり過ぎて、逆に悔しい。
「おまえら……黙っていれば好き勝手言いやがって。ホントのことだけど」
「はは、自分でも認めているじゃないか」
マツザワの一言が止めとなり、ラキィとディオウが思わず吹き出す。マツザワも二人につられて笑い出した。
何もそこまで笑うことはないだろうに。第一、肉なしなどディオウでも無理に違いない。
いつもなら口を衝[ いて出る文句も、楽しげな三人を眺めていると言う気も失せる。
自然とアズウェルも顔を綻[ ばせた。
これほど明るい食卓は、いつ以来だろうか。
まだフェルスや村の同年代がいた頃のことを思い起こす。
あの頃は、平和で。あの頃は、〝家族〟がいて。あの頃は、あの人たちが遊びに来て。
ふと、ラキィとディオウを見ると、二人は穏やかな笑みを浮かべてアズウェルを見つめていた。
村人が消えてから、ずっと喧嘩ばかりしていたけれど。
それでも、一人にしないでくれた〝本当の家族〟が、此処にいた。
「……ごめん…………」
照れながら掠れるほど小さく謝って、数年ぶりにこの村で この家で、笑った。
もし声が届いてなくても、きっと伝わっているだろう。
二人の笑顔が、そう言っていた。
部屋には、机、椅子、ベッドといった最低限の家具と、古い台所が見える。発光鉱石ユースをガラス瓶に入れたランプが、天井から部屋を照らしていた。
「あ~もう。だから早く入れって言ったのに。二人ともびしょ濡れじゃん」
アズウェルは二人に呆れながらタオルを渡す。
「二人して一体何話してたんだ?」
流石に、アズウェルが何者なのか尋ねていたなどとは、本人を前にしてはとても言えまい。
マツザワが必死に言い訳を考えている横で、「自己紹介していただけ」とディオウがさらりと流す。
だが、返って逆効果のようだった。
「あのなぁ、自己紹介なんて家ん中でやりゃぁいいだろ。雨に打たれながらやるだなんて、マツザワが風邪引いたらどうするんだよ」
「フ……スワロウ族はお前ほどなよくはないぞ? おれ様の美しさを全て語ろうと思えば、それこそ丸一日かかるな。家に入ってからはうるさい家政婦がいるから、ろくに話もできんだろう」
「あーはいはい。要するに、マツザワはディオウのくっだらねぇ自己自慢を聞かされていたわけだな。で、誰がなよいだって?」
徐々に険悪さを増していく二人を見て、マツザワは呆然と佇んでいる。
彼らにとっては日課の一部なのだが、今日初めて二人に出会ったマツザワがそんなことを知るはずもない。
自分の問いかけが発端で遅くなったのだから、ディオウをどうにかしてフォローしなければ、と気持ちが焦る。
「あ、アズウェル、ディオウ殿は……」
「なよいが不満か? 雨ごときでおれを叩き起こしたのはお前だろう。そのくせ、このおれ様の話がくだらないだと? そんなことないな、素晴らしい話だっただろう、なぁマツザワ?」
「え、えぇ……まぁ」
同意を求められて咄嗟にマツザワが頷くが、アズウェルは不愉快そうに顔を
「くっだんねぇに決まってんだろ! あんなの聞かされたら気が狂うぜ。雨ごときって……おまえは背中に蛇が張り付いても平気なのかよ?」
「何だと!? もういっぺん言ってみろ! おれ様は蛇などには動じない、お前がなよいだけだろう!」
「くっだんねぇに決まってるだろ! あんなの聞かされたら気が狂うぜ! なんだよ、この無神経!」
前半部分は、完璧なまでの再現だ。アズウェルは声色から表情まで見事に再生したが、聞き捨てならない後半部分は、更に熱を帯びていた。
そろそろ取っ組み合いにでもなりそうな雰囲気だ。
マツザワは、舌戦を固唾を飲んで見守る。
そうこうしている内に、矛先が彼女へと向けられた。
「マツザワ!!」
二人が同時に彼女を呼ぶ。
「え、な、何だ?」
「何だ? じゃねぇだろ。だから、おれとディオウどっちが正しいかってこと! 蛇が背中に張り付いたら、気持ち悪いに決まってるよな?」
「何言ってるんだ。そんなのは鍛錬していれば、どうってことないだろう?」
論点が、違う。先刻まで繰り広げていた舌戦の中心は、ディオウの自己紹介がくだらないか否かではなかったのか。
マツザワが返答に困っていると、場違いな高い声が家に響く。
「まぁ~たそんなバカげたことやってるのね! いつまでやってんのよ、あんたたち!!」
突然の怒声に三人は飛び上がった。
声の主は小さな生き物だ。淡いエメラルドグリーンの小動物は、翼のような耳を羽ばたかせ、宙から三人を見下ろしている。
「とぅ……トゥルーメンズ?」
マツザワは、声の主に恐る恐る尋ねた。
「そうよ。あなたお客様ね? あたしラキィ。よろしくね、お姉さん。で、ディオウ、誰がうるさい家政婦ですって!?」
言葉を失ったマツザワは、頭上を旋回しながら説教をするラキィに目を奪われていた。
アズウェル家は、非常識の塊だ。
密猟すれば裁かれるという、貴重な“配達屋”。体内に磁石を持ち、有能な頭脳を備えたトゥルーメンズは、ディザード大陸における小包配達屋だ。
それが、あろうことか人の言葉を延々と羅列し、飼い主である青年と伝説の聖獣を叱りつけている。
本来、郵便配達を生業としている種族からの
「まさか……この村に人がいないのは……」
「あら、そんなことないわよ、お姉さん。あたしは森のお偉いさんの頼みでここに派遣されたから。だから、そんな心配そうな顔をしないで」
紅い瞳をくりくりさせて、ラキィは疑念を呟いたマツザワに微笑みかける。
彼女の後ろでは、がくりと項垂れて濡れた床を拭くアズウェルとディオウの姿があった。
まるで子供扱いだ。
「ちぇっ……なんで、おれまでディオウが濡らした床を……」
「聖獣のおれ様が、床拭きなど……」
マツザワは目を
「あの二人を黙らせてしまった……」
「放っておくとどちらかが降参するまでやるからね。あたしが言葉覚えたのも、うるさい二人を黙らせるためよ。アズウェル! 早くご飯作って! ディオウ! その泥まみれの足をちゃんと洗ってきなさい!」
ラキィの下した命令に、アズウェルはげんなりした顔つきで腰を上げた。
「あいあい、わかったよ。マツザワ~、適当に椅子にでも座ってて」
「え、あぁ」
返事はしたものの、マツザワは既にラキィに勧められて椅子に座っていた。
それを見とめたアズウェルは、大きく嘆息し、持っていた雑巾をディオウの顔に投げつけた。
「おい、アズウェル、何すんだ!」
前足で器用に雑巾を払い落としたディオウが、批難の声を上げたが、すかさずラキィの雷が落ちる。
「まだそんな汚い格好で座り込んでいるの!? 早く言われたことをしなさい!」
「ったく……おれが走ったから飯が食えるんだろう……」
「何か言った!?」
「いや……何も……」
そう否定しつつも、ディオウは低い声で文句を連ねながら、小屋を出て行った。
「まったく、男ときたら言わないとやることしないんだから。嫌になるわ」
「大変だったようだな」
「大変だったじゃなくて大変なのよ。フェルスったらこの二人の面倒見るようにって無理矢理言葉覚えさせたのよ。毎日毎日、フェルスが知ってる限りの言葉を次から次へと……!」
さも嫌そうにラキィが毒づく。
「フェルス……?」
「この村の村長で長老だった人。あたしをこの家に放り込んだ鬼」
「そんで、おれを拾った人でおれの育て親。はい、これ飲んで待ってて。もうじきできるから」
アズウェルはマツザワに紅茶の入ったマグカップを渡す。
「あぁ、ありがとう」
「これ、紅茶な。マツザワは知らねぇかもな」
「紅茶……名は、聞いたことがあるが……」
マグカップを両手で持ったまま、中身と睨めっこをしているマツザワを見て、アズウェルの表情が切なさを帯びる。
似ている。昔、この村に来ていた人に。
もう決して会うことのできない人の面影が、マツザワに垣間見えた。
あの人は……あの人たちは、もう
「アズウェル、私の顔に何か付いているのか?」
「え?」
「い、いや……別に! く、黒髪は珍しいから、ちょっと見とれてただけだよ」
何故こんなに動揺しているのだろうか。
その瞳が似ていたからか。その黒髪が似ていたからか。
「そんなに珍しいものなのか? 金髪の方がよっぽど珍しいと思うが……」
「え、あ、いや……その……こ、この辺じゃあまり見かけないからっ!」
アズウェルは、慌てて顔の前で両手を振る。
そんなアズウェルを面白くなさそうに眺めているのが、水浴びをして戻ってきたディオウだ。
「ディオウ、大人気ないわね。ちょっと彼女のことを思い出しただけでしょ」
「あの女は既に死んでいるんだぞ」
耳元で
「でも、彼女本当にそっくりなんだから、いいじゃない? ちょっとくらい。ディオウも懐かしいなら、素直にそう認めたら?」
「おれは、あの女は苦手だった。特に、あの女がいつも連れてくる女が大嫌いだった」
「あら、そう~? アズウェルとちょっと仲が良かっただけでしょ? ほんっと、大人気ないわね」
呆れ返るラキィを一瞥し、尾でドアノブを掴んで玄関の扉を閉める。
そして、未だに頬を染めて必死で言い訳をしているアズウェルと、首を傾げているマツザワの間にひょっこりと頭を割り込ませた。
「沸騰しているぞ、アズウェル!」
長い尾でアズウェルの背を叩きながら、
「え……? あ、やっべ! すっかり忘れてた!」
くるりと身体を反転させて、アズウェルは台所へと走る。それは僅か数歩の距離であったが、マツザワから引き離すには十分だった。
「……本当に、大人気ないのね……」
ラキィのディオウを見つめる眼差しは、呆れから哀れみに色を変えていた。
きょとんとしているマツザワに、「ちょっと昔村に来た人を思い出したのよ」と耳打ちし、ラキィも台所へ向かった。
「うお! あっぶね。吹き溢れるところだった」
火を止めて、アズウェルはほっと一息つく。
本当にほっとしたのは、鍋ではなく気まずい会話が中断したことだ。あのまま尋問され続けたら、口を割らずにはいられないだろう。
安堵の息を
「パンも焼けたみたいねー」
「じゃぁ、出すか。危ないから、ラキィ、こっち」
手招きされたラキィは、アズウェルの頭上にちょこんと身体を乗せる。
狭い室内では、ラキィほど小さいと誤って鉄板を押し付けてしまうかもしれないからだ。
それにラキィがパンの出来具合を判断するため、
「今日の出来も流石あたしね! お姉さん、お一つどうぞ」
両耳で風を起こして熱を逃がすと、ラキィはマツザワにパンを一つ差し出す。
「ラキィがこれを作ったのか?」
「えぇ、そうよ。パンを焼くのはあたしの日課。あたしの耳ってアズウェルの手先と同じくらい器用なのよ」
トゥルーメンズであるラキィには、前足、つまり手にあたる部分がない。代わりに翼にもなる耳は五本に分かれていて、人の手のように動かすことができた。
「それは凄いな。では、有り難くいただこう」
マツザワはラキィからパンを受け取り、恐る恐る口へ運ぶ。
「……! これがパンというものか! こんなに美味しいものだとは知らなかった」
「マツザワ、パンも食ったこと無かったのか? パンくらいはそこら中にあるだろ?」
「基本、外に出ても米類ばかりを選ぶから、パンというのは見たことはあっても、口にしたことはなかった。修行中の十年間は、精進料理という野菜と米だけしか口にできなかったしな」
マツザワは懐かしそうに故郷のことを語る。
ある程度スワロウ族に関しては知識のあるアズウェルだったが、十年修行は初耳だ。
「十年間……? マジで野菜だけなのか?」
「肉類は魚も含めて全く出ないな。流石に、誕生日くらいはご馳走が並んだが」
それを聞いてアズウェルは額に手を当て、首を振った。
「マジかよ……おれには絶対無理だ。十年間も肉無しなんて、ありえねぇ……」
「あんたには三日と持たないわね」
「お前はその前に修行でバテるんじゃないか?」
「確かに、アズウェルには少々……いや、かなり無理がありそうだな」
アズウェルの言葉に皆賛同するが、あまりにあっさり過ぎて、逆に悔しい。
「おまえら……黙っていれば好き勝手言いやがって。ホントのことだけど」
「はは、自分でも認めているじゃないか」
マツザワの一言が止めとなり、ラキィとディオウが思わず吹き出す。マツザワも二人につられて笑い出した。
何もそこまで笑うことはないだろうに。第一、肉なしなどディオウでも無理に違いない。
いつもなら口を
自然とアズウェルも顔を
これほど明るい食卓は、いつ以来だろうか。
まだフェルスや村の同年代がいた頃のことを思い起こす。
あの頃は、平和で。あの頃は、〝家族〟がいて。あの頃は、あの人たちが遊びに来て。
ふと、ラキィとディオウを見ると、二人は穏やかな笑みを浮かべてアズウェルを見つめていた。
村人が消えてから、ずっと喧嘩ばかりしていたけれど。
それでも、一人にしないでくれた〝本当の家族〟が、此処にいた。
「……ごめん…………」
照れながら掠れるほど小さく謝って、数年ぶりにこの村で
もし声が届いてなくても、きっと伝わっているだろう。
二人の笑顔が、そう言っていた。
第2記 ディオウの勘
若者二人が慌しく通りを駆けていく。
「やっべー、やっべぇって! ちょっと、すんません、急いでるんです!」
入り乱れる人を掻き分けて進むアズウェルに、後ろからマツザワが疑問を投げる。
「そんなに濡れるのが嫌なのか?」
「シャワーは好きだけど、雨は大っ嫌いなんだよ」
首だけマツザワに向けて、アズウェルは顔を顰[ めた。
雨は、トラウマだ。
「どれくらい嫌なのかっていうとな、木陰で休んでいたら、いきなり服と背中の間に蛇が落ちてきたくらい嫌なんだ!」
これもアズウェルにとっては体験談だった。
しかし、そんなシチュエーションに遭遇したことのないマツザワは、具体的だが何処かずれているような気がする喩[ えに、目を瞬[ かせている。
確かに、そんなことは想像するだけでも御免蒙[ りたいところだが。
結局のところ彼女に伝わったのは、とにかく嫌いなのだということだけだった。
街を出ると、アズウェルは街道ではなく林の中に入っていく。
「お、おい。どこに行くんだ?」
マツザワに呼び止められて、アズウェルは振り返る。
「どこって家だよ。おれの家、山の中にあるんだ。ディオウに乗ってかねぇと夜が明けちまう」
「ディオウ? ライド・ビーストか。だが、二人も乗れるのか? ライド・ビーストは普通一人乗りだぞ」
「乗れる乗れる。ディオウなら三人くらい余裕だぜ。ま、見りゃわかるさ」
得意げに答えるアズウェルに、釈然としない気分でマツザワは頷[ いた。
「そ、そうか……なら大丈夫だな」
果たして、三人も騎乗可能なライド・ビーストなどいたのだろうか。
ライド・ビーストとは、その名の通り移動用の獣だ。大地を駆けるもの、空を翔けるもの、様々であるが、速さが売りのライド・ビーストは基本的に一人乗り。
三人乗りなど、任務で大陸中を駆け巡っているマツザワでも聞いたことすらもなかった。
アズウェルは左肩にフレイトの袋を担ぎながら、右手で草むらを掻き分けている。
「おーい、ディオーウ! 戻ってきだぞー」
アズウェルが呼びかけに応じて、純白の獣が姿を現した。
「ったく……遅いぞ、アズウェル。もう雨が降るぞ」
待ちくたびれて不貞寝をしていたディオウは、眠そうに欠伸[ をした。
「わりぃな。スチリディーさんのとこで色々あってさ」
「また余計なことに首を突っ込んだのか」
「あはは。ま、そーいうコトで」
「いい加減学習したらどうだ。どうせあの店主に厄介事を頼まれてきたのだろう」
呆れているディオウの言葉を軽く流しながら、アズウェルはマツザワに手招きする。
「まぁまぁ……今日家に泊まりに来る奴ができたんだ。マツザワー! そんなとこに突っ立ってないでこっちに来いよ」
「あ、あぁ」
マツザワの声は上ずっていた。
百聞は一見にしかず。確かに三人はゆうに乗れるだろう。だが。
瞠目しているマツザワの瞳には、全身を純白の毛で包まれ、黄金の瞳を三つ持つ獣 伝説の聖獣ギアディスが映っていた。
何故ギアディスが此処にいるのか。
そもそもギアディスは、千年以上前にリウォード王と共に姿を消した幻の獣。もう、語られるだけの架空の存在となっていたはずなのに。
「……信じられない」
「マツザワー! 何してんだよ。早く乗れって!」
アズウェルの催促によって、彼女の思考は掻き消される。
「ほ……本当にギアディスに乗るのか!?」
そんな罰当たりなことができるわけがない。
平然としているアズウェルが、マツザワには別の世界の住人に思えた。
「ぎあ……でぃす?」
一方アズウェルは、初めて聞く言葉に小首を傾げる。
常識外れの反応に、マツザワは思わず頭を抱えた。文字通り絶句する。
そんな彼女に代って、ディオウがアズウェルの問いに答えた。
「ギアディスとはおれのことだ。おれの俗名」
「そんなの初めて聞いたぞ」
「別にお前が知らなくてもいいことだ。それより、雨が降るんだろ? 急がなくていいのか?」
「そうだ! とにかく早く乗ってくれ、マツザワ!」
どうしたものかと立ち尽くしていたマツザワは、意を決して一歩足を進める。
次の瞬間、アズウェルは驚きのあまり目を見開いた。
「お、おまえ何してんだよ?」
「ギアディス、いや……ディオウ様。私のような者が騎乗してもよろしいのでしょうか?」
マツザワは深々と頭を下げ、ディオウの前に膝をついていた。
「ディオウ様……? なんでディオウなんかに様付けしてるんだ? マツザワ一体どうし 」
「別に改まる必要はない。アズウェルがいいと言うのだ。構わん。乗れ」
アズウェルの声はディオウの声によって遮られる。その声は静かで威厳のある声だった。
「承知いたしました」
再度頭を下げ、マツザワはディオウに騎乗する。
先程まで硬直していたマツザワと入れ替わるように、今度はアズウェルが動けなくなっていた。
「一体どうしたんだよ? なんかディオウ、いつもと違くね……?」
思わず口を衝[ いて出た言葉に、ディオウは反応しない。
困惑の表情を隠せないアズウェルを見て、マツザワが申し訳なさそうに言った。
「すまない。困らせてしまったようだな……」
「気にすることはない。アズウェル、何をしている? 早くお前も乗れ。雨が嫌なんじゃなかったのか?」
ディオウがなかなか乗ろうとしない飼い主を促す。
その言葉を聞いて、アズウェルは漸[ く我に返った。
「あ! いっけね!!」
アズウェルが飛び乗ると同時に、ディオウは飛翔した。
「急げディオウ! 雨雲に追いつかれる!!」
アズウェルたちの後方で雷鳴が轟く。積乱雲が背後まで迫っていた。
「あのなぁ! 元はと言えばお前が余計なことに首を突っ込んだりしたからこうなったんだろ!?」
ディオウは叫びながら更にスピードを上げた。
「わ! バカ落ちる!」
「しっかり掴まっていろ!」
ディオウは追い風を味方にし、凄まじい速度で空を翔る。
無茶苦茶だ。雨雲と競争するなど、常識外れもいいところだ。
そんなことを思って、マツザワは考え直す。
聖獣が出てくる時点で既に理解の域を超えてた。いや、闇職人を公言したところからかもしれない。最初から無茶苦茶だったのだ。
それにしても、こんな状況でよく会話していられるものだ。
アズウェルとディオウはまだ言い争いをしている。もはや会話ではなく、怒号の応酬になっているが。
マツザワは思わずくすっと笑みを零[ した。
大自然と聖獣。はてさて、軍配はどちらに上がるのか。
「よっしゃ! 村に着いた!」
ディオウは少しずつスピードを落としながら村の上空を横断する。村は気持ち悪いほど静まり返っていた。
嵐の前の静けさだろうか。
だが、静寂とは違う〝静けさ〟を感じ、マツザワは思わず身震いをした。
全く灯りのついていない家々。止まった水車。枯れた噴水。
この村は、死んでいる。
直感だ。だが、間違ってはいないだろう。
アズウェルは今村で一人じゃからの
スチリディーの言葉が、急激に重さを増した。
不自然なことに、各家々の庭に雑草は見当たらない。人の住む気配こそしないが、家自体も荒廃しているものは一つもない。
一体、この村で何が起きたのか。或[ いは、起きているのか。
「んとねー。そのことはおれも結構考えたんだけど、わかんねぇんだよな。ま、そのうちわかるさ」
「あ、アズウェル?」
その言葉は、あまりにタイミングが良すぎた。マツザワが、無意識に声として外に出していたのかと錯覚するほどに。
アズウェルの背中を見つめて、静かに訊[ く。
「やはり……何か意味があるのか?」
「え? 意味? 何のこと? おれなんか言ったか?」
その答えにマツザワは自分の耳を疑った。
「さっきそのうちわかるって……」
「おれそんなこと言った覚えねぇけど?」
互いに相手の言葉に驚いて、口をつぐむ。
廃村の上空を翔ける一行の耳に届くのは、風を切る音だけとなった。村は沈黙を守っている。
点在する家々が背後に遠ざかり、目の前には大樹の森が見えてきた。
ディオウは速度を落とさずに、枝と枝の間を器用に縫っていく。
アズウェルとマツザワは、その逞[ しい背にしがみつきながら、先刻の噛み合わない会話に内心で首を傾げていた。
「着いたぞ」
困惑する二人の思考を止めたのは、ディオウの短い一言だった。
「……お! サンキュー、ディオウ!」
ディオウから降りると、アズウェルは一目散に家の中へと駆け込む。
アズウェルが家に入るのを待っていたかのように、雨がどっと降り出した。
「ふ~、ギリギリセ~フ。二人とも早くはいらねぇと濡れるぞ~」
「あぁ、わかった」
アズウェルに応じて、マツザワはディオウから降りた。
そのまま彼女の故郷に定められている掟通り、再び叩頭しようとするが、ディオウが制止する。
「そんなことをする必要はない。服が汚れるぞ」
「ですが、ディオウ様……」
「敬語も様付けもしなくていい。今は千年前とは違う。おれはただの獣。アズウェルのペットだ」
言ってから、己の情け無さにディオウは思わず自嘲した。
普段アズウェルにペット扱いされれば、反論するというのに、自分で言っていては救えない。
しかしマツザワは〝ペット〟よりも〝千年前〟という単語に釘付けになっていた。
「千年前……やはりあなた様は……」
ディオウは静かに首を横に振る。
「それ以上今は言うな。アズウェルの友というなら、おれの友だ。そういうことにしておけ」
「……承知した。では……ディオウ殿、一つ聞いてもよろしいか?」
「構わん。何だ?」
マツザワは気になっていたことをディオウにぶつける。
「何故、貴殿が人と……アズウェルとこんな山奥にひっそり暮らしているのか。それとあのアズウェルの発言は一体……」
くすりと笑うと、意地悪そうな表情でディオウが返す。
「それだと質問は二つだぞ?」
「え、あ……す、すみません」
慌てて頭を下げるマツザワを一瞥して、ディオウは空を仰いだ。
「まぁ、気にするな。……さて、おれが何故アズウェルといるか、か」
通り雨は慌しく過ぎ去り、雲の隙間から星影が降り注いでいた。
ディオウは静かに語り出す。
「アズウェルと会ったのは今から十二年前だ。その時おれはアズウェルにただならぬ気配を感じたんだ。まぁ訳もなく惹かれたと言う方が、むしろ正しいのかもしれないな。だが、お前も感じただろう? 他と違う感じを」
マツザワはディオウの言葉に無言で頷く。
聖獣を知らないということを除いても、アズウェルは纏[ う空気が他の若者とは異なっていた。
「千年前を……彷彿とさせる何かを、おれはその時肌で感じたんだ」
「それは、まさか……」
「具体的にどうとは言い表せないが……恐らくアズウェルは何らかの形で王と関わっているだろう。まぁおれの憶測でしかないがな。それと、あの不可解な発言はおれにもわからない。あんなことはこの十二年間なかったからな」
「そ、そうですか」
「ただ……」
ディオウは一息ついて言葉を繋げる。
「あれは、旅立ちの合図だと思う」
「旅立ちの合図……? 一体何の?」
ディオウは遠い彼方を見つめる。
「アズウェルの……いや、それはまたこの次にしよう」
「またこの次って……」
「お前も既に巻き込まれているからな。おれと話した時点で」
いや、正確には アズウェルと出会った時点かもしれない。
それは、マツザワだけでなく、ディオウ自身にも言えることだった。
「巻き込まれてるって……一体どういう……」
「どうって、お前はいずれアズウェルと共に旅をするからだ」
「私には私のやるべきことがあるのだ。いずれと……そう言われても……」
ディオウの的はずれな答えに、マツザワは困ったように首を振る。
「じきにわかる」
「ギアディスが予知できるとは聞かないが?」
ディオウは口元に不敵な笑みを浮かべ、はっきりと言い放った。
「おれの勘だ」
「やっべー、やっべぇって! ちょっと、すんません、急いでるんです!」
入り乱れる人を掻き分けて進むアズウェルに、後ろからマツザワが疑問を投げる。
「そんなに濡れるのが嫌なのか?」
「シャワーは好きだけど、雨は大っ嫌いなんだよ」
首だけマツザワに向けて、アズウェルは顔を
雨は、トラウマだ。
「どれくらい嫌なのかっていうとな、木陰で休んでいたら、いきなり服と背中の間に蛇が落ちてきたくらい嫌なんだ!」
これもアズウェルにとっては体験談だった。
しかし、そんなシチュエーションに遭遇したことのないマツザワは、具体的だが何処かずれているような気がする
確かに、そんなことは想像するだけでも
結局のところ彼女に伝わったのは、とにかく嫌いなのだということだけだった。
街を出ると、アズウェルは街道ではなく林の中に入っていく。
「お、おい。どこに行くんだ?」
マツザワに呼び止められて、アズウェルは振り返る。
「どこって家だよ。おれの家、山の中にあるんだ。ディオウに乗ってかねぇと夜が明けちまう」
「ディオウ? ライド・ビーストか。だが、二人も乗れるのか? ライド・ビーストは普通一人乗りだぞ」
「乗れる乗れる。ディオウなら三人くらい余裕だぜ。ま、見りゃわかるさ」
得意げに答えるアズウェルに、釈然としない気分でマツザワは
「そ、そうか……なら大丈夫だな」
果たして、三人も騎乗可能なライド・ビーストなどいたのだろうか。
ライド・ビーストとは、その名の通り移動用の獣だ。大地を駆けるもの、空を翔けるもの、様々であるが、速さが売りのライド・ビーストは基本的に一人乗り。
三人乗りなど、任務で大陸中を駆け巡っているマツザワでも聞いたことすらもなかった。
アズウェルは左肩にフレイトの袋を担ぎながら、右手で草むらを掻き分けている。
「おーい、ディオーウ! 戻ってきだぞー」
アズウェルが呼びかけに応じて、純白の獣が姿を現した。
「ったく……遅いぞ、アズウェル。もう雨が降るぞ」
待ちくたびれて不貞寝をしていたディオウは、眠そうに
「わりぃな。スチリディーさんのとこで色々あってさ」
「また余計なことに首を突っ込んだのか」
「あはは。ま、そーいうコトで」
「いい加減学習したらどうだ。どうせあの店主に厄介事を頼まれてきたのだろう」
呆れているディオウの言葉を軽く流しながら、アズウェルはマツザワに手招きする。
「まぁまぁ……今日家に泊まりに来る奴ができたんだ。マツザワー! そんなとこに突っ立ってないでこっちに来いよ」
「あ、あぁ」
マツザワの声は上ずっていた。
百聞は一見にしかず。確かに三人はゆうに乗れるだろう。だが。
瞠目しているマツザワの瞳には、全身を純白の毛で包まれ、黄金の瞳を三つ持つ獣
何故ギアディスが此処にいるのか。
そもそもギアディスは、千年以上前にリウォード王と共に姿を消した幻の獣。もう、語られるだけの架空の存在となっていたはずなのに。
「……信じられない」
「マツザワー! 何してんだよ。早く乗れって!」
アズウェルの催促によって、彼女の思考は掻き消される。
「ほ……本当にギアディスに乗るのか!?」
そんな罰当たりなことができるわけがない。
平然としているアズウェルが、マツザワには別の世界の住人に思えた。
「ぎあ……でぃす?」
一方アズウェルは、初めて聞く言葉に小首を傾げる。
常識外れの反応に、マツザワは思わず頭を抱えた。文字通り絶句する。
そんな彼女に代って、ディオウがアズウェルの問いに答えた。
「ギアディスとはおれのことだ。おれの俗名」
「そんなの初めて聞いたぞ」
「別にお前が知らなくてもいいことだ。それより、雨が降るんだろ? 急がなくていいのか?」
「そうだ! とにかく早く乗ってくれ、マツザワ!」
どうしたものかと立ち尽くしていたマツザワは、意を決して一歩足を進める。
次の瞬間、アズウェルは驚きのあまり目を見開いた。
「お、おまえ何してんだよ?」
「ギアディス、いや……ディオウ様。私のような者が騎乗してもよろしいのでしょうか?」
マツザワは深々と頭を下げ、ディオウの前に膝をついていた。
「ディオウ様……? なんでディオウなんかに様付けしてるんだ? マツザワ一体どうし
「別に改まる必要はない。アズウェルがいいと言うのだ。構わん。乗れ」
アズウェルの声はディオウの声によって遮られる。その声は静かで威厳のある声だった。
「承知いたしました」
再度頭を下げ、マツザワはディオウに騎乗する。
先程まで硬直していたマツザワと入れ替わるように、今度はアズウェルが動けなくなっていた。
「一体どうしたんだよ? なんかディオウ、いつもと違くね……?」
思わず口を
困惑の表情を隠せないアズウェルを見て、マツザワが申し訳なさそうに言った。
「すまない。困らせてしまったようだな……」
「気にすることはない。アズウェル、何をしている? 早くお前も乗れ。雨が嫌なんじゃなかったのか?」
ディオウがなかなか乗ろうとしない飼い主を促す。
その言葉を聞いて、アズウェルは
「あ! いっけね!!」
アズウェルが飛び乗ると同時に、ディオウは飛翔した。
「急げディオウ! 雨雲に追いつかれる!!」
アズウェルたちの後方で雷鳴が轟く。積乱雲が背後まで迫っていた。
「あのなぁ! 元はと言えばお前が余計なことに首を突っ込んだりしたからこうなったんだろ!?」
ディオウは叫びながら更にスピードを上げた。
「わ! バカ落ちる!」
「しっかり掴まっていろ!」
ディオウは追い風を味方にし、凄まじい速度で空を翔る。
無茶苦茶だ。雨雲と競争するなど、常識外れもいいところだ。
そんなことを思って、マツザワは考え直す。
聖獣が出てくる時点で既に理解の域を超えてた。いや、闇職人を公言したところからかもしれない。最初から無茶苦茶だったのだ。
それにしても、こんな状況でよく会話していられるものだ。
アズウェルとディオウはまだ言い争いをしている。もはや会話ではなく、怒号の応酬になっているが。
マツザワは思わずくすっと笑みを
大自然と聖獣。はてさて、軍配はどちらに上がるのか。
「よっしゃ! 村に着いた!」
ディオウは少しずつスピードを落としながら村の上空を横断する。村は気持ち悪いほど静まり返っていた。
嵐の前の静けさだろうか。
だが、静寂とは違う〝静けさ〟を感じ、マツザワは思わず身震いをした。
全く灯りのついていない家々。止まった水車。枯れた噴水。
この村は、死んでいる。
直感だ。だが、間違ってはいないだろう。
スチリディーの言葉が、急激に重さを増した。
不自然なことに、各家々の庭に雑草は見当たらない。人の住む気配こそしないが、家自体も荒廃しているものは一つもない。
一体、この村で何が起きたのか。
「んとねー。そのことはおれも結構考えたんだけど、わかんねぇんだよな。ま、そのうちわかるさ」
「あ、アズウェル?」
その言葉は、あまりにタイミングが良すぎた。マツザワが、無意識に声として外に出していたのかと錯覚するほどに。
アズウェルの背中を見つめて、静かに
「やはり……何か意味があるのか?」
「え? 意味? 何のこと? おれなんか言ったか?」
その答えにマツザワは自分の耳を疑った。
「さっきそのうちわかるって……」
「おれそんなこと言った覚えねぇけど?」
互いに相手の言葉に驚いて、口をつぐむ。
廃村の上空を翔ける一行の耳に届くのは、風を切る音だけとなった。村は沈黙を守っている。
点在する家々が背後に遠ざかり、目の前には大樹の森が見えてきた。
ディオウは速度を落とさずに、枝と枝の間を器用に縫っていく。
アズウェルとマツザワは、その
「着いたぞ」
困惑する二人の思考を止めたのは、ディオウの短い一言だった。
「……お! サンキュー、ディオウ!」
ディオウから降りると、アズウェルは一目散に家の中へと駆け込む。
アズウェルが家に入るのを待っていたかのように、雨がどっと降り出した。
「ふ~、ギリギリセ~フ。二人とも早くはいらねぇと濡れるぞ~」
「あぁ、わかった」
アズウェルに応じて、マツザワはディオウから降りた。
そのまま彼女の故郷に定められている掟通り、再び叩頭しようとするが、ディオウが制止する。
「そんなことをする必要はない。服が汚れるぞ」
「ですが、ディオウ様……」
「敬語も様付けもしなくていい。今は千年前とは違う。おれはただの獣。アズウェルのペットだ」
言ってから、己の情け無さにディオウは思わず自嘲した。
普段アズウェルにペット扱いされれば、反論するというのに、自分で言っていては救えない。
しかしマツザワは〝ペット〟よりも〝千年前〟という単語に釘付けになっていた。
「千年前……やはりあなた様は……」
ディオウは静かに首を横に振る。
「それ以上今は言うな。アズウェルの友というなら、おれの友だ。そういうことにしておけ」
「……承知した。では……ディオウ殿、一つ聞いてもよろしいか?」
「構わん。何だ?」
マツザワは気になっていたことをディオウにぶつける。
「何故、貴殿が人と……アズウェルとこんな山奥にひっそり暮らしているのか。それとあのアズウェルの発言は一体……」
くすりと笑うと、意地悪そうな表情でディオウが返す。
「それだと質問は二つだぞ?」
「え、あ……す、すみません」
慌てて頭を下げるマツザワを一瞥して、ディオウは空を仰いだ。
「まぁ、気にするな。……さて、おれが何故アズウェルといるか、か」
通り雨は慌しく過ぎ去り、雲の隙間から星影が降り注いでいた。
ディオウは静かに語り出す。
「アズウェルと会ったのは今から十二年前だ。その時おれはアズウェルにただならぬ気配を感じたんだ。まぁ訳もなく惹かれたと言う方が、むしろ正しいのかもしれないな。だが、お前も感じただろう? 他と違う感じを」
マツザワはディオウの言葉に無言で頷く。
聖獣を知らないということを除いても、アズウェルは
「千年前を……彷彿とさせる何かを、おれはその時肌で感じたんだ」
「それは、まさか……」
「具体的にどうとは言い表せないが……恐らくアズウェルは何らかの形で王と関わっているだろう。まぁおれの憶測でしかないがな。それと、あの不可解な発言はおれにもわからない。あんなことはこの十二年間なかったからな」
「そ、そうですか」
「ただ……」
ディオウは一息ついて言葉を繋げる。
「あれは、旅立ちの合図だと思う」
「旅立ちの合図……? 一体何の?」
ディオウは遠い彼方を見つめる。
「アズウェルの……いや、それはまたこの次にしよう」
「またこの次って……」
「お前も既に巻き込まれているからな。おれと話した時点で」
いや、正確には
それは、マツザワだけでなく、ディオウ自身にも言えることだった。
「巻き込まれてるって……一体どういう……」
「どうって、お前はいずれアズウェルと共に旅をするからだ」
「私には私のやるべきことがあるのだ。いずれと……そう言われても……」
ディオウの的はずれな答えに、マツザワは困ったように首を振る。
「じきにわかる」
「ギアディスが予知できるとは聞かないが?」
ディオウは口元に不敵な笑みを浮かべ、はっきりと言い放った。
「おれの勘だ」