第11記 予感
スワロウ族の集落、ワツキ。その村を静かに見下ろしている者がいた。
男の名は、ルアルティド・レジア。左目を黒い眼帯で覆っている。
「二度とこの地に足を踏み入れることはないと誓っていたのだが……」
深紅の瞳が微かに揺れた。
「……ルーティング様」
彼の後ろに控える兵士の一人が、苦渋を帯びた声で呼称を呟く。
ルーティングは首を振ってから、青い大空を仰いだ。
「まったく、主は何を考えているのか」
考えたところで、彼の思考を読み取れる者などいないだろう。
流れる雲を眺めながら、無邪気に笑う栗毛の少年を思い浮かべる。
〝彼ら〟も昔はそんな風に笑っていたというのに。その笑顔を見ることは、もう叶わない。叶えてはならない。
兵士たちは口を閉ざし、感傷に浸る統括者を見守る。
「この風景を、またこの場所で見ることになるとはな……」
視線を下に落として彼は村を見つめる。
彼らは村を取り囲む崖の上に立っていた。此処からは村全体を見渡すことができる。
長い黒髪の女を見とめて、彼は僅かに右目を細めた。
◇ ◇ ◇
険しい表情をした女が、足早に歩いていく。
「マツザワさん、どこに行かれるのですか?」
そんな彼女を浴衣の少女が呼び止めた。
「……彼らを……迎えに行く」
マツザワと呼ばれた女はくるりと振り返り、重々しく言った。
「それは、アキラさんに頼んだのでは?」
ぱちぱちと瞬 きをしながら、少女は小首を傾げる。
「そうだ。確かに私が頼んだ。だが、どうも心配だ」
「アキラさんが付いていれば大丈夫でしょう。それにその方々もお強いのでは?」
彼女が指す危惧の対象は、恐らく夜盗や賊のことだろう。
そうじゃない、とマツザワは首を横に振る。
「私が心配しているのは、阿呆の方だ。奴が大人しくしているとは到底思えない」
奴を使者に立てたのはこの自分。その責任は己が負わなければならない。
眉根を寄せて、マツザワは息を吐いた。
「そういう訳だから、私は彼らを迎えに行ってくる。しばらく、父上と村を頼む」
「そうですか。マツザワさんがどうしてもと仰るなら……くれぐれもお気をつけて」
「あぁ。よろしく頼んだぞ、ユウ」
笑顔で応えて、それと、とユウは付け足した。
「決して無理はなさらぬよう。貴女はまだ床にいなければならない身なのですから」
こういうことは抜け目ない。満面の笑みで釘を刺すものだから余計に怖く感じられる。
「……御意」
苦笑混じりに短く返すと、マツザワは身を翻した。
◇ ◇ ◇
「いやはや、話があらぬ方向にどんどん進んでいくもんやから、どないしよ思うたわぁ」
けたけたと笑いながら青年は言った。
「申し遅れましたが、わいはアキラ・リアイリドっちゅう者や。よろしゅ~なぁ」
「その名からして……」
ディオウが言いながら頬を引きつらせる。
「お前……スワロウ族か?」
「ピンポン、ピンポン、大せ~かいっ! その通りや。わいはスワロウ族の大商人やでぇ~」
さり気なく自分のことを宣伝し、アキラはディオウを見た。
「ギアディスさん、よぉわかりまったなぁ」
ディオウは胡乱げにアキラを見上げた。
「お前のようなスワロウ族がいるとは……おれもまだまだだな」
「わいはスワロウ族の名物でっせぇ~」
「もう、いい。勝手にしろ」
飄々[ と嘯[ くアキラに逐一突っ込むのを諦めて、ディオウはアズウェルを顧みた。
「かなり風変わりな奴だが、まぁスワロウ族なら大丈夫だろう」
「そっか。……あ!」
目を見開いたアズウェルが、ディオウとラキィに提案する。
「なぁ、この人にマツザワの村に連れて行ってもらったらどうだろ?」
「確かに手間は省けるが……」
「そうねぇ。確かに、楽だけど……」
ラキィとディオウはアキラを一瞥した。言外に、二人の目は「こいつで大丈夫なのか」と訴えている。
一方、当人は人差し指を振りながら、目を眇[ めて笑う。
「あんさんら、人を見かけで判断するのはよくないでっせぇ~。こう見えてもわいはマツザワはんが立てた使者やで」
「おぉ! マツザワ村に着いたのか! ……よかった」
アズウェルは安堵の息を漏らした。あの暗闇の中、一人で出て行ったのは、正直心配だったのだ。
「お姉さんが立てた使者……」
「あいつが立てた使者……」
アキラの言葉に安堵したのは、アズウェルだけだった。
ディオウとラキィの視線は剣呑さを増し、頭から爪先までアキラを観察する。
「そ~いうことで、わいはあんさんらを無事に村へ連れてかなあかんのや。よろしゅうな」
「よろしくな……え、と……あ、あき……?」
「アキラや」
アキラはアズウェルに向き直って名前を繰り返す。
「アキラ・リアイリド、アキラ・リアイリド、アキラ・リアイリド」
「アキラ・リアイリド……?」
アズウェルが問うように復唱すると、アキラは破顔一笑する。
「せやせや。アキラでええよ、アズウェルはん」
「おう! おれはアズウェル・クランスティ!」
名前は知っているようだが、アズウェルも名乗る。すると、アズウェルの予想通り、彼は優しく微笑んだ。
「アズウェル・クランスティやな。よぉし、ちゃぁんと頭に叩き入れたで!」
何故だかわからないが、兄ができたような嬉しさを感じて、アズウェルは無意識に顔を和ませた。
そんなアズウェルとアキラのやり取りを眺めていたディオウが、半眼で口を挟む。
「おい、そこ。和むのもいいが、急いだ方がいいんじゃねぇか?」
ディオウの声音に硬さを感じたラキィは呆れ顔で溜息をついた。
今日出会ったばかりのアキラに妬いているとは。千年生きようが、やはりディオウは子供なのだ。
「あ、そうだったな。じゃあ道案内よろしくな、アキラ!」
「まっかせろぃ! このわいがきちっと案内したるで!!」
「頼んだぜ!」
明るく返事をしたアズウェルの顔を見て、ディオウが目を細める。次にアキラをじろりと睨んだ。
「最短ルートでだぞ。事は一刻を争っているんだ」
「ディオウ、クロウ族の攻撃は二日後の午前十時よ。そんなに慌てなくても余裕で着くわ。ここからはさほど遠くないはずだし」
南西を見やったラキィを、ディオウが無言で見返す。
矛先が自分に変わったことに気付かない振りをして、ラキィはアズウェルの肩に飛び乗った。
「でも、急ぐに越したことはないわ。時間に余裕があれば色々と対策も練れるし」
「そうだな。んじゃ、すぐ行こうか。アキラ、ここから村までどれくらい?」
「それは、距離かいな? それとも、時間のことやろか?」
「ん……と、時間かな」
アキラは暫[ く思案してから、そやなぁと口を開く。
「歩いていけば夕方に着くかどうか。飛んでいくなら昼過ぎくらいやろな」
「急ぐに越したことはない、と。ディオウ、よろしく」
アズウェルがディオウを振り返る。
「言っておくが、そいつは乗せたくないぞ」
唸るように言ったディオウは、ひょんひょんと尾を振って不快さを表している。
「何言ってんだよ! 事は一刻を争うって言ったのおまえだろ」
アズウェルはディオウに騎乗し、その頭をぽんぽんと叩いた。
それでも、揺れるディオウの尾は動きを止めない。
アキラは頬を人差し指で掻いた。
その程度で妬かれても、こちらとしても困るのだが。
ディオウの鋭利な眼差しに苦笑しながら、相棒を取り出す。
「アズウェルはん、気持ちだけもろとくわ。わいにはこれがあるから問題ありまへん」
「何だよ、それ?」
指を差されたアキラがそれを振ると、かしゃかしゃと音が鳴った。
「これは算盤[ っちゅうモンでな。一般的には計算の時に使うモンや。わいは武器としても、移動手段としても使うけんな」
「へぇ~、ソロバンかぁ」
アズウェルの瞳は興味津々といった感じだ。
「それでさっきおれのスピードについてきたのか?」
ディオウが顎で算盤を差す。
「せや、ここのボタンをポチッと押してな」
アキラがボタンを押すと、算盤から強風が噴射した。笑顔のまま、アキラは風に押されて徐々に移動している。
流石に三人とも目を疑った。
その反応を楽しみながら、再びボタンを押す。
風と共にアキラの動きもぴたりと停止した。
「このままやとちょいっと小さ過ぎまっから、わいの符術でこれを……」
懐から一枚の呪符を取り出す。
「広拡[ !」
呪を唱えると算盤がベッドサイズ並に拡大した。
「ここに乗ってきたっちゅうわけや」
よいせ、と算盤に乗り込む。
三人は驚愕のあまり硬直していた。
一体何なのだ。この男は。
その金縛りから最初に抜け出したのはアズウェルだった。無免許とはいえ、一応フレイテジアの彼は、好奇心のままに疑問を投げかける。
「すっげぇな。符術で大きくなったのはわかったけど、ジェットの方は? フレイトみたいだったけど、ジェットはどうやって出てるんだ?」
「アズウェルはん、人には一つや二つや三つや四つ、誰にも言えん事があるやろ」
小首を傾げながらアズウェルは目を瞬[ かせた。
「秘密ってことか?」
「まぁ、そんなところや」
「答えられないだけじゃないの?」
「あるいは、説明が面倒だとか」
「企業秘密や」
口を挟んできたラキィとディオウに、アキラは間髪入れずに切り返す。
「はよ着いた方がええんやろ? 行きまっせ!」
やはり答えられなかったのだろう。
二人は半眼でアキラを一瞥する。
「よし、出発だ!!」
張り切るアズウェルに聞こえないように、ラキィはディオウの耳元で囁[ いた。
「話題をコロッと変えられても、それにすぐに順応するアズウェルはある意味凄いのかも知れないわね……」
「まったくだ」
二人は尊敬の眼差しで主人を見つめるが、それに当人は気付かない。
「行くぜ、スワロウ族の村!」
「ワツキや」
何となく語呂が悪いと思ったアキラが、村の名前を口にする。
「行くぜ! ワツキ!!」
アズウェルもそう思ったのか言い直す。
「やっとか……」
ディオウは大きく嘆息して飛翔した。
呪符を取り出しアキラは呪文を唱える。
「宙飛[ !」
算盤がふわりと宙に浮く。
「ほな、ポチっとな」
算盤の一辺から、強風が勢い良く飛び出す。
アキラは満足そうに微笑んで、ディオウの後を追った。
◇ ◇ ◇
ぞくり、とマツザワの背中に悪寒が走った。
嫌な予感がする。
こういう時だけは予感が的中するのだ。頭上から苦手な声が降ってくる。
「マツザワは~ん」
「お、マツザワ!」
アズウェルの声と共に目の前にディオウが降り立った。次いでアキラも算盤を着地させる。
「なんかすっげぇ久々な気がするな」
「まだ一日しか経っていないが……」
頭の後ろで指を組んで笑うアズウェルに、彼女は苦笑した。
「密度の濃い一日だったな、昨日は」
「そうか、疲れは我が村で癒すといい」
こきこきと首を鳴らすディオウに、彼女は微笑んだ。
「お姉さんもお疲れ様」
「あぁ、ありがとう」
眼前に浮かぶラキィに、彼女は顔を綻[ ばせた。
「マツザワはん、わいちゃんと役目まっとうしたで。褒めとくれ~」
「……」
駆け寄ってくるアキラに、彼女は無言で刀を突きつけた。
咄嗟に飛び退いて、アキラは悲しそうな顔をする。
「何でわいにだけそないな酷いことするねん!!」
明らかに、アキラだけ待遇が異なる。
すっと目を細めたマツザワが、冷ややかに尋問した。
「無礼なことをしたのではないのか?」
「そないなことするわけ……」
言い差してちらりと背後へ視線を送ると、ディオウが睨んでいた。
ディオウの険しい表情を見て、マツザワは誰にも聞こえないように舌打ちをする。
あれほど、先に釘を刺していたというのに。
「問答無用!」
マツザワの振るった白刃がアキラに襲いかかる。
「うお! 危ない、掠るところやった」
どうやら相当怒らせてしまったようだ。
「解!」
アキラは瞬時に算盤の符術を解き、元の大きさに戻すと同時に、頭上から振ってきた刀をそれで受け止めた。
「お、おい……やめろって!」
アズウェルが止めに入ろうとするが、ディオウに遮られる。
「よせ。怪我をしたらどうする」
「あのなぁ、喧嘩している場合じゃな……」
不意にアズウェルの動きが止まる。
どくん、と心音が響いた。脈拍が急激に速度を上げる。
襟元[ を鷲掴[ み、苦しげにアズウェルは咳き込んだ。
「お、おい! アズウェルどうした!?」
ディオウの大声に、喧嘩をしていたアキラとマツザワが動きを止める。
ラキィがアズウェルの顔を覗[ き、くりくりとした紅い両眼を見開いた。
「ちょ、ちょっと……アズウェルの目どうしちゃったの!?」
「一体どうしたというのだ?」
マツザワとアキラも、アズウェルに駆け寄る。
「アズウェル!!」
「アズウェルはん!?」
ディオウが声を荒げ、アキラがアズウェルの体を揺すった。
唸り声を上げて、風が辺りを掻き乱す。
アキラの手を払い除[ けると、その風に身体ごと靡[ かせてアズウェルは告げた。
「墜ちる。片翼の鳥……〝ヴィアンタの失墜〟……〝絶望のファルファーレ〟……」
まるで闇夜に吸い込まれたかのように、その瞳は漆黒に染まっていた。
男の名は、ルアルティド・レジア。左目を黒い眼帯で覆っている。
「二度とこの地に足を踏み入れることはないと誓っていたのだが……」
深紅の瞳が微かに揺れた。
「……ルーティング様」
彼の後ろに控える兵士の一人が、苦渋を帯びた声で呼称を呟く。
ルーティングは首を振ってから、青い大空を仰いだ。
「まったく、主は何を考えているのか」
考えたところで、彼の思考を読み取れる者などいないだろう。
流れる雲を眺めながら、無邪気に笑う栗毛の少年を思い浮かべる。
〝彼ら〟も昔はそんな風に笑っていたというのに。その笑顔を見ることは、もう叶わない。叶えてはならない。
兵士たちは口を閉ざし、感傷に浸る統括者を見守る。
「この風景を、またこの場所で見ることになるとはな……」
視線を下に落として彼は村を見つめる。
彼らは村を取り囲む崖の上に立っていた。此処からは村全体を見渡すことができる。
長い黒髪の女を見とめて、彼は僅かに右目を細めた。
◇ ◇ ◇
険しい表情をした女が、足早に歩いていく。
「マツザワさん、どこに行かれるのですか?」
そんな彼女を浴衣の少女が呼び止めた。
「……彼らを……迎えに行く」
マツザワと呼ばれた女はくるりと振り返り、重々しく言った。
「それは、アキラさんに頼んだのでは?」
ぱちぱちと
「そうだ。確かに私が頼んだ。だが、どうも心配だ」
「アキラさんが付いていれば大丈夫でしょう。それにその方々もお強いのでは?」
彼女が指す危惧の対象は、恐らく夜盗や賊のことだろう。
そうじゃない、とマツザワは首を横に振る。
「私が心配しているのは、阿呆の方だ。奴が大人しくしているとは到底思えない」
奴を使者に立てたのはこの自分。その責任は己が負わなければならない。
眉根を寄せて、マツザワは息を吐いた。
「そういう訳だから、私は彼らを迎えに行ってくる。しばらく、父上と村を頼む」
「そうですか。マツザワさんがどうしてもと仰るなら……くれぐれもお気をつけて」
「あぁ。よろしく頼んだぞ、ユウ」
笑顔で応えて、それと、とユウは付け足した。
「決して無理はなさらぬよう。貴女はまだ床にいなければならない身なのですから」
こういうことは抜け目ない。満面の笑みで釘を刺すものだから余計に怖く感じられる。
「……御意」
苦笑混じりに短く返すと、マツザワは身を翻した。
◇ ◇ ◇
「いやはや、話があらぬ方向にどんどん進んでいくもんやから、どないしよ思うたわぁ」
けたけたと笑いながら青年は言った。
「申し遅れましたが、わいはアキラ・リアイリドっちゅう者や。よろしゅ~なぁ」
「その名からして……」
ディオウが言いながら頬を引きつらせる。
「お前……スワロウ族か?」
「ピンポン、ピンポン、大せ~かいっ! その通りや。わいはスワロウ族の大商人やでぇ~」
さり気なく自分のことを宣伝し、アキラはディオウを見た。
「ギアディスさん、よぉわかりまったなぁ」
ディオウは胡乱げにアキラを見上げた。
「お前のようなスワロウ族がいるとは……おれもまだまだだな」
「わいはスワロウ族の名物でっせぇ~」
「もう、いい。勝手にしろ」
「かなり風変わりな奴だが、まぁスワロウ族なら大丈夫だろう」
「そっか。……あ!」
目を見開いたアズウェルが、ディオウとラキィに提案する。
「なぁ、この人にマツザワの村に連れて行ってもらったらどうだろ?」
「確かに手間は省けるが……」
「そうねぇ。確かに、楽だけど……」
ラキィとディオウはアキラを一瞥した。言外に、二人の目は「こいつで大丈夫なのか」と訴えている。
一方、当人は人差し指を振りながら、目を
「あんさんら、人を見かけで判断するのはよくないでっせぇ~。こう見えてもわいはマツザワはんが立てた使者やで」
「おぉ! マツザワ村に着いたのか! ……よかった」
アズウェルは安堵の息を漏らした。あの暗闇の中、一人で出て行ったのは、正直心配だったのだ。
「お姉さんが立てた使者……」
「あいつが立てた使者……」
アキラの言葉に安堵したのは、アズウェルだけだった。
ディオウとラキィの視線は剣呑さを増し、頭から爪先までアキラを観察する。
「そ~いうことで、わいはあんさんらを無事に村へ連れてかなあかんのや。よろしゅうな」
「よろしくな……え、と……あ、あき……?」
「アキラや」
アキラはアズウェルに向き直って名前を繰り返す。
「アキラ・リアイリド、アキラ・リアイリド、アキラ・リアイリド」
「アキラ・リアイリド……?」
アズウェルが問うように復唱すると、アキラは破顔一笑する。
「せやせや。アキラでええよ、アズウェルはん」
「おう! おれはアズウェル・クランスティ!」
名前は知っているようだが、アズウェルも名乗る。すると、アズウェルの予想通り、彼は優しく微笑んだ。
「アズウェル・クランスティやな。よぉし、ちゃぁんと頭に叩き入れたで!」
何故だかわからないが、兄ができたような嬉しさを感じて、アズウェルは無意識に顔を和ませた。
そんなアズウェルとアキラのやり取りを眺めていたディオウが、半眼で口を挟む。
「おい、そこ。和むのもいいが、急いだ方がいいんじゃねぇか?」
ディオウの声音に硬さを感じたラキィは呆れ顔で溜息をついた。
今日出会ったばかりのアキラに妬いているとは。千年生きようが、やはりディオウは子供なのだ。
「あ、そうだったな。じゃあ道案内よろしくな、アキラ!」
「まっかせろぃ! このわいがきちっと案内したるで!!」
「頼んだぜ!」
明るく返事をしたアズウェルの顔を見て、ディオウが目を細める。次にアキラをじろりと睨んだ。
「最短ルートでだぞ。事は一刻を争っているんだ」
「ディオウ、クロウ族の攻撃は二日後の午前十時よ。そんなに慌てなくても余裕で着くわ。ここからはさほど遠くないはずだし」
南西を見やったラキィを、ディオウが無言で見返す。
矛先が自分に変わったことに気付かない振りをして、ラキィはアズウェルの肩に飛び乗った。
「でも、急ぐに越したことはないわ。時間に余裕があれば色々と対策も練れるし」
「そうだな。んじゃ、すぐ行こうか。アキラ、ここから村までどれくらい?」
「それは、距離かいな? それとも、時間のことやろか?」
「ん……と、時間かな」
アキラは
「歩いていけば夕方に着くかどうか。飛んでいくなら昼過ぎくらいやろな」
「急ぐに越したことはない、と。ディオウ、よろしく」
アズウェルがディオウを振り返る。
「言っておくが、そいつは乗せたくないぞ」
唸るように言ったディオウは、ひょんひょんと尾を振って不快さを表している。
「何言ってんだよ! 事は一刻を争うって言ったのおまえだろ」
アズウェルはディオウに騎乗し、その頭をぽんぽんと叩いた。
それでも、揺れるディオウの尾は動きを止めない。
アキラは頬を人差し指で掻いた。
その程度で妬かれても、こちらとしても困るのだが。
ディオウの鋭利な眼差しに苦笑しながら、相棒を取り出す。
「アズウェルはん、気持ちだけもろとくわ。わいにはこれがあるから問題ありまへん」
「何だよ、それ?」
指を差されたアキラがそれを振ると、かしゃかしゃと音が鳴った。
「これは
「へぇ~、ソロバンかぁ」
アズウェルの瞳は興味津々といった感じだ。
「それでさっきおれのスピードについてきたのか?」
ディオウが顎で算盤を差す。
「せや、ここのボタンをポチッと押してな」
アキラがボタンを押すと、算盤から強風が噴射した。笑顔のまま、アキラは風に押されて徐々に移動している。
流石に三人とも目を疑った。
その反応を楽しみながら、再びボタンを押す。
風と共にアキラの動きもぴたりと停止した。
「このままやとちょいっと小さ過ぎまっから、わいの符術でこれを……」
懐から一枚の呪符を取り出す。
「
呪を唱えると算盤がベッドサイズ並に拡大した。
「ここに乗ってきたっちゅうわけや」
よいせ、と算盤に乗り込む。
三人は驚愕のあまり硬直していた。
一体何なのだ。この男は。
その金縛りから最初に抜け出したのはアズウェルだった。無免許とはいえ、一応フレイテジアの彼は、好奇心のままに疑問を投げかける。
「すっげぇな。符術で大きくなったのはわかったけど、ジェットの方は? フレイトみたいだったけど、ジェットはどうやって出てるんだ?」
「アズウェルはん、人には一つや二つや三つや四つ、誰にも言えん事があるやろ」
小首を傾げながらアズウェルは目を
「秘密ってことか?」
「まぁ、そんなところや」
「答えられないだけじゃないの?」
「あるいは、説明が面倒だとか」
「企業秘密や」
口を挟んできたラキィとディオウに、アキラは間髪入れずに切り返す。
「はよ着いた方がええんやろ? 行きまっせ!」
やはり答えられなかったのだろう。
二人は半眼でアキラを一瞥する。
「よし、出発だ!!」
張り切るアズウェルに聞こえないように、ラキィはディオウの耳元で
「話題をコロッと変えられても、それにすぐに順応するアズウェルはある意味凄いのかも知れないわね……」
「まったくだ」
二人は尊敬の眼差しで主人を見つめるが、それに当人は気付かない。
「行くぜ、スワロウ族の村!」
「ワツキや」
何となく語呂が悪いと思ったアキラが、村の名前を口にする。
「行くぜ! ワツキ!!」
アズウェルもそう思ったのか言い直す。
「やっとか……」
ディオウは大きく嘆息して飛翔した。
呪符を取り出しアキラは呪文を唱える。
「
算盤がふわりと宙に浮く。
「ほな、ポチっとな」
算盤の一辺から、強風が勢い良く飛び出す。
アキラは満足そうに微笑んで、ディオウの後を追った。
◇ ◇ ◇
ぞくり、とマツザワの背中に悪寒が走った。
嫌な予感がする。
こういう時だけは予感が的中するのだ。頭上から苦手な声が降ってくる。
「マツザワは~ん」
「お、マツザワ!」
アズウェルの声と共に目の前にディオウが降り立った。次いでアキラも算盤を着地させる。
「なんかすっげぇ久々な気がするな」
「まだ一日しか経っていないが……」
頭の後ろで指を組んで笑うアズウェルに、彼女は苦笑した。
「密度の濃い一日だったな、昨日は」
「そうか、疲れは我が村で癒すといい」
こきこきと首を鳴らすディオウに、彼女は微笑んだ。
「お姉さんもお疲れ様」
「あぁ、ありがとう」
眼前に浮かぶラキィに、彼女は顔を
「マツザワはん、わいちゃんと役目まっとうしたで。褒めとくれ~」
「……」
駆け寄ってくるアキラに、彼女は無言で刀を突きつけた。
咄嗟に飛び退いて、アキラは悲しそうな顔をする。
「何でわいにだけそないな酷いことするねん!!」
明らかに、アキラだけ待遇が異なる。
すっと目を細めたマツザワが、冷ややかに尋問した。
「無礼なことをしたのではないのか?」
「そないなことするわけ……」
言い差してちらりと背後へ視線を送ると、ディオウが睨んでいた。
ディオウの険しい表情を見て、マツザワは誰にも聞こえないように舌打ちをする。
あれほど、先に釘を刺していたというのに。
「問答無用!」
マツザワの振るった白刃がアキラに襲いかかる。
「うお! 危ない、掠るところやった」
どうやら相当怒らせてしまったようだ。
「解!」
アキラは瞬時に算盤の符術を解き、元の大きさに戻すと同時に、頭上から振ってきた刀をそれで受け止めた。
「お、おい……やめろって!」
アズウェルが止めに入ろうとするが、ディオウに遮られる。
「よせ。怪我をしたらどうする」
「あのなぁ、喧嘩している場合じゃな……」
不意にアズウェルの動きが止まる。
どくん、と心音が響いた。脈拍が急激に速度を上げる。
「お、おい! アズウェルどうした!?」
ディオウの大声に、喧嘩をしていたアキラとマツザワが動きを止める。
ラキィがアズウェルの顔を
「ちょ、ちょっと……アズウェルの目どうしちゃったの!?」
「一体どうしたというのだ?」
マツザワとアキラも、アズウェルに駆け寄る。
「アズウェル!!」
「アズウェルはん!?」
ディオウが声を荒げ、アキラがアズウェルの体を揺すった。
唸り声を上げて、風が辺りを掻き乱す。
アキラの手を払い
「墜ちる。片翼の鳥……〝ヴィアンタの失墜〟……〝絶望のファルファーレ〟……」
まるで闇夜に吸い込まれたかのように、その瞳は漆黒に染まっていた。
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第10記 不審な尾行者
日が沈む頃、アズウェルたちはロサリドに到着した。街の上空をディオウが旋回する。
「うわー、でけー」
「確かに……でかいな」
アズウェルとディオウは、ロサリドの建物の数と規模の大きさに唖然としている。
ロサリドはディザードで最も規模が大きい街だ。二人が驚くのも無理はない。
「あ~。なんて情けないの。もう! あんたたち田舎者丸出しよ!」
ラキィが羽のような耳で頭を抱える。
「でっけぇもんはでっけぇんだって。さて……まずは」
「飯」
「だな!!」
二人は意気投合しているが、ラキィがそれを許さない。
「何言ってるのよ! 街に着いたら、まず宿探しでしょ!?」
この言葉の後、二人はラキィに叱咤され、宿探しをすることになった。
宿探しを始めてたものの、動物連れ込み可能な宿はそう簡単に見つからない。漸[ く見つかった頃には、日はとっぷりと暮れていた。
「ディオウ、入ってもいいぜ」
アズウェルが闇に向かって囁[ く。
「おう」
ディオウはふわりと二階の窓まで飛び上がり、アズウェルが開いた窓から侵入する。
「ふぅ~。人に見つからないように、お前らの後をついて行くのは骨が折れたぞ」
「お疲れさん」
アズウェルが苦笑混じりに言った。
「おれも、疲れた。動物連れ込みオーケーで、部屋に鍵付きで、でっかい窓があって、安めのところってなかなか無いもんだなぁ」
「普通、そんなところ無いわよ。ある方が珍しいわ」
とりあえずあってよかった。
そう三人揃ってほっと一息つく。
「もーだめ、限界」
アズウェルがどさりと床に倒れ込んだ。そのままぴくりとも動かずに、寝息を立てる。
「あ~ら、床で寝ちゃ風邪引くわ」
ディオウがアズウェルの服を銜[ え、ベッドに放り投げる。
それでもアズウェルは起きない。文字通り、熟睡している。
「おれも疲れたぜ……」
そう言い残すと、今度はディオウが床に倒れた。
「あら、二人とも寝ちゃったわ。さっきまで飯~って騒いでいたのに」
ラキィは二人を呆れ顔で眺めてから机の上に飛び乗り、小さく体を丸めて静かに目を閉じた。
◇ ◇ ◇
午前十時過ぎ。ロサリドのとある酒場。
金髪の青年としゃべるトゥルーメンズという実に異様な光景に、酒場の客は唖然としている。
「ふぅ~。食った食った」
「アズウェル、あんた食べ過ぎよ」
まぁまぁ、とアズウェルはラキィを宥[ める。
「まったく、一人で五人分も食べて!!」
今にも爆発しそうなラキィからそっと離れて、アズウェルは会計を済ませる。
「ラキィ、行こう」
アズウェルは延々と文句を連ねるラキィの首根っこを掴むと、奇異の視線を向けられる酒場から逃げるようにして外へ出た。
そんな彼らを黙々と観察していた青年がいる。
頭に巻いている鉢巻を縛り直し、にやりと口端を吊り上げた。
「おっさん、ありがとうな。ほな、ここにお勘定置いておくで」
青年は適当に銅貨をカウンターにばらまいて、席を立つ。
「ちょっと……お客さん足りませんよ!」
金額を確認したマスターが慌てて呼び止めるが、青年の姿は何処にも見当たらなかった。
◇ ◇ ◇
酒場の裏の路地に入ると、アズウェルは物陰に隠れているディオウに声をかけた。
「よ、ディオウ。飯食ったか?」
「やっときたな。おれは随分前に食い終わってたぞ」
ディオウを連れて入るとあまりに目立ち過ぎるため、アズウェルは露店で買ってきた肉を渡したのだ。ラキィと二人でも十分目立っていたのに、ディオウまで連れて行けば厄介事に巻き込まれても不思議ではない。
「いや、それにしても、ここの味付けは最高だった。絶妙なスパイスと香ばしさがおれ好みだ」
「そりゃよかったね……」
アズウェルは呆れ顔で相槌を打つ。
どういうわけか、ディオウは生の肉を食べない。肉食動物であるのに、アズウェルたちと同じ食事を取るのだ。
獣のくせに舌が肥えているのだから、手が焼ける。
やれやれ、とアズウェルが肩を竦めた時、ディオウが叫んだ。
「走れっ!!」
「え? えぇ!?」
突然のことに対処しきれず、アズウェルは思いっきり出遅れる。ラキィも首を傾げている。
「アズウェル、ラキィ、走れって!!」
ディオウは頭でアズウェルの背中を押す。
酒場の方から、「食い逃げだ!」という怒声が聞こえてきた。
「へ? おれちゃんと払ったぞ?」
「いいから、走れって!」
「え? えぇ?」
訳が分からず混乱しながらもアズウェルは全力疾走する。
「も~!! 一体何なんだよ !!」
アズウェルの絶叫が街路地に響いた。
程なくして、黒髪の青年が路地に現れた。既に酒場の裏はもぬけの殻だ。
何も逃げることないのに。
青年が頭を掻いていると、後方から怒号と足音が近づいてきた。
「追って、追われる……か」
一瞬だけ顧みて、青年は駆け出した。
◇ ◇ ◇
「ここまで走れば……」
ディオウが来た道を振り返る。
「一体どうしたって言うんだよ~」
「そうよ、何で急に走り出したの?」
二人がたたみ掛けるようにディオウに訊く。
「あ~、それはだな……ってぇ!! おい、マジか!?」
安堵しかけたディオウは、距離を縮めてくる気配に愕然とした。
「くそ、飛ぶぞ! アズウェル乗れ!!」
「へ?」
ぼけっとしているアズウェルを、長い尾で叩[ いて催促する。
「後で説明するから、早くしろ!」
「え、あぁ、うん」
とりあえずディオウに言われるがままに、アズウェルが騎乗する。
ラキィが頭に乗ったことを確認すると、一目散にディオウはその場から飛び去った。
「ちょっと、落ちるわよ!」
「しっかり掴まっていろよ!!」
「ホント、ディオウ、ちょ、まっ !?」
また一足遅かったようだ。
「う~ん……酷いなぁ……ホンマに酷いわぁ。けど、流石、ギアディス」
さて、と青年は秘密兵器を取り出すと、黒いボタンを押した。
◇ ◇ ◇
風の咆哮が耳をつんざき、髪をうねらせた。まともに前方を見据えることすらできない。
必死にディオウの背にしがみつきながら、アズウェルは左手でラキィを抑える。力を少しでも抜けばこの小さな体躯は遥か後方へ飛ばされてしまうだろう。
「ディオウ飛ばしすぎだって!! ラキィが落ちる!」
「これくらい出さないと、振り切れん! 流石に、ここまで、飛べば、いくらなんでも……!」
ディオウは徐々に速度を落とし、着地する。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「で、一体どうしたんだ?」
肩で息をしながら、ディオウはアズウェルを見上げた。
「何か、怪しい、気配を、感じて……それが、しつこく、追って、来たんだ」
途切れ途切れのディオウの言葉に、二人は首を傾げる。
「怪しい気配?」
「何それ? クロウ族なの?」
いや、とディオウは首を振る。
「違う……と思う。殺気とかじゃない。何か、やばい気配がしたんだ。おれはそれに殺気より恐怖を感じた」
「殺気じゃなくて、クロウ族じゃなくてやばいって何だ? ディオウがそこまで感じる恐怖って……」
「う~ん、一体何やろなぁ~」
アズウェルが言い差した台詞を、正体不明の者が繋いだ。
アズウェルが顧みて、ラキィが瞠目し、ディオウが絶句した。
「な……な……何だよ、おまえ!?」
いつの間にか真後ろにいた青年に、アズウェルが目を剥[ く。
問われた不審者は、三人の様子を面白そうに眺めていた。
◇ ◇ ◇
一人考え込んでいたマツザワは、ぐるぐると自室の中を歩き回っていた。
「あの阿呆を遣いに出したのはまずかっただろうか……」
派遣したのが自分である以上、何か起きれば責任を取らねばなるまい。
「ディオウ殿に不興を買われなければいいが……」
頭を抱えてしゃがみ込む。
無理だ。いくら適当に見積もったとしても、彼が大人しくしているとは欠片も思えない。
マツザワは深く、深く肩を落とし、嘆息した。
◇ ◇ ◇
三対の目は不信感を顕[ にしていた。
「何や、と? あんさんら目見えへんの?」
「悪いが、貴様が何を言っているんだか、よくわからん」
ディオウが不審者を見据える。
「確かに少し変だけど……だいたいはわかるわよ」
「訛りが邪魔で意図が読み取れん」
「はぁ、しょうがないわね。私が訳すわ。えっと『あなたたち目が見えないの?』って聞いてるわ」
溜息混じりにラキィが翻訳すると、ディオウは声を張り上げる。
「な……貴様、おれたちを馬鹿にしてるのか!? 見えるに決まってるだろうが!!」
「そんなら、なして『何だ』と言うんや? 見りゃわかるやろ。わいは人間やで」
不審者は目をぱちくりさせながら、大袈裟に肩を竦[ めてみせる。
「『それなら、何で『何だ』と言うの? 見ればわかるでしょ? 私は人間よ』」
「違 う!!」
即、ディオウの怒号が轟く。
「おれが言いたいのはそこじゃな い!!」
「あのさ……」
アズウェルが苦笑しながら口を挟む。
「ディオウ、ホントはあの人が何言っているんだかわかってるんだろ?」
「わかってない、知らない」
ディオウは抑揚のない声で即答する。
「うん、わかってるんだな。ディオウ、余計に混乱するだけだからちゃんと会話しようぜ」
「む、何を言う。おれは真面目にやっているぞ。そこの不審者が真面目にやっていないだけの話だ」
じろりと不審者を睥睨し、ディオウは尾を一振りする。
「不審者って……確かに怪しいけど、それはちょっと可哀相な気が……」
「不審者! 怪しい! 可哀相!!」
いきなり破顔した不審者を見て、三人は咄嗟に後方へ飛び退いた。とても危険な香りがする。
ごくり、とアズウェルは唾を飲んだ。
「ええわぁ~!! 最高やな!」
予想外の反応に、三人は口を開けたまま固まった。
拒絶オーラを放出しているディオウを気にも留めずに、不審者はアズウェルに歩み寄ると、その両手を取ってぶんぶんと上下に振った。
「ほんま、ナイスや、アズウェルはん!!」
そこに、ディオウがすかさず吠える。
「この変態野郎!! アズウェルに触るなっ!!」
「変態、とな!?」
不審者はアズウェルの手をぱっと放し、瞳をキラキラと輝かせた。
「極上やないか! 素晴らしい、ホンマ素晴らしい! 流石、ディオウはん、あっぱれや!!」
間。
「じゃかぁし い!!」
「あなた、言葉の意味間違って捉えているわよ!?」
「ってか、何でおれたちの名前知ってんの?」
三者三様の反応を見てから、不審者はアズウェルに笑いかけた。
「うん、うん。まずはそこに突っ込みいれなあかんなぁ。アズウェルはん、いい筋してまっせぇ~」
それを聞いてディオウとラキィははっと顔を見合わせる。
確かに。
何故、名前を知っているのか。そして、一体何者 いや何物なのか。
「よし、振り出しにちゃぁんと戻ったなぁ。アズウェルはん、ナイスやったで!」
ぐっと親指を立てて、不審者と呼ばれた青年は片目を瞑[ った。
「うわー、でけー」
「確かに……でかいな」
アズウェルとディオウは、ロサリドの建物の数と規模の大きさに唖然としている。
ロサリドはディザードで最も規模が大きい街だ。二人が驚くのも無理はない。
「あ~。なんて情けないの。もう! あんたたち田舎者丸出しよ!」
ラキィが羽のような耳で頭を抱える。
「でっけぇもんはでっけぇんだって。さて……まずは」
「飯」
「だな!!」
二人は意気投合しているが、ラキィがそれを許さない。
「何言ってるのよ! 街に着いたら、まず宿探しでしょ!?」
この言葉の後、二人はラキィに叱咤され、宿探しをすることになった。
宿探しを始めてたものの、動物連れ込み可能な宿はそう簡単に見つからない。
「ディオウ、入ってもいいぜ」
アズウェルが闇に向かって
「おう」
ディオウはふわりと二階の窓まで飛び上がり、アズウェルが開いた窓から侵入する。
「ふぅ~。人に見つからないように、お前らの後をついて行くのは骨が折れたぞ」
「お疲れさん」
アズウェルが苦笑混じりに言った。
「おれも、疲れた。動物連れ込みオーケーで、部屋に鍵付きで、でっかい窓があって、安めのところってなかなか無いもんだなぁ」
「普通、そんなところ無いわよ。ある方が珍しいわ」
とりあえずあってよかった。
そう三人揃ってほっと一息つく。
「もーだめ、限界」
アズウェルがどさりと床に倒れ込んだ。そのままぴくりとも動かずに、寝息を立てる。
「あ~ら、床で寝ちゃ風邪引くわ」
ディオウがアズウェルの服を
それでもアズウェルは起きない。文字通り、熟睡している。
「おれも疲れたぜ……」
そう言い残すと、今度はディオウが床に倒れた。
「あら、二人とも寝ちゃったわ。さっきまで飯~って騒いでいたのに」
ラキィは二人を呆れ顔で眺めてから机の上に飛び乗り、小さく体を丸めて静かに目を閉じた。
◇ ◇ ◇
午前十時過ぎ。ロサリドのとある酒場。
金髪の青年としゃべるトゥルーメンズという実に異様な光景に、酒場の客は唖然としている。
「ふぅ~。食った食った」
「アズウェル、あんた食べ過ぎよ」
まぁまぁ、とアズウェルはラキィを
「まったく、一人で五人分も食べて!!」
今にも爆発しそうなラキィからそっと離れて、アズウェルは会計を済ませる。
「ラキィ、行こう」
アズウェルは延々と文句を連ねるラキィの首根っこを掴むと、奇異の視線を向けられる酒場から逃げるようにして外へ出た。
そんな彼らを黙々と観察していた青年がいる。
頭に巻いている鉢巻を縛り直し、にやりと口端を吊り上げた。
「おっさん、ありがとうな。ほな、ここにお勘定置いておくで」
青年は適当に銅貨をカウンターにばらまいて、席を立つ。
「ちょっと……お客さん足りませんよ!」
金額を確認したマスターが慌てて呼び止めるが、青年の姿は何処にも見当たらなかった。
◇ ◇ ◇
酒場の裏の路地に入ると、アズウェルは物陰に隠れているディオウに声をかけた。
「よ、ディオウ。飯食ったか?」
「やっときたな。おれは随分前に食い終わってたぞ」
ディオウを連れて入るとあまりに目立ち過ぎるため、アズウェルは露店で買ってきた肉を渡したのだ。ラキィと二人でも十分目立っていたのに、ディオウまで連れて行けば厄介事に巻き込まれても不思議ではない。
「いや、それにしても、ここの味付けは最高だった。絶妙なスパイスと香ばしさがおれ好みだ」
「そりゃよかったね……」
アズウェルは呆れ顔で相槌を打つ。
どういうわけか、ディオウは生の肉を食べない。肉食動物であるのに、アズウェルたちと同じ食事を取るのだ。
獣のくせに舌が肥えているのだから、手が焼ける。
やれやれ、とアズウェルが肩を竦めた時、ディオウが叫んだ。
「走れっ!!」
「え? えぇ!?」
突然のことに対処しきれず、アズウェルは思いっきり出遅れる。ラキィも首を傾げている。
「アズウェル、ラキィ、走れって!!」
ディオウは頭でアズウェルの背中を押す。
酒場の方から、「食い逃げだ!」という怒声が聞こえてきた。
「へ? おれちゃんと払ったぞ?」
「いいから、走れって!」
「え? えぇ?」
訳が分からず混乱しながらもアズウェルは全力疾走する。
「も~!! 一体何なんだよ
アズウェルの絶叫が街路地に響いた。
程なくして、黒髪の青年が路地に現れた。既に酒場の裏はもぬけの殻だ。
何も逃げることないのに。
青年が頭を掻いていると、後方から怒号と足音が近づいてきた。
「追って、追われる……か」
一瞬だけ顧みて、青年は駆け出した。
◇ ◇ ◇
「ここまで走れば……」
ディオウが来た道を振り返る。
「一体どうしたって言うんだよ~」
「そうよ、何で急に走り出したの?」
二人がたたみ掛けるようにディオウに訊く。
「あ~、それはだな……ってぇ!! おい、マジか!?」
安堵しかけたディオウは、距離を縮めてくる気配に愕然とした。
「くそ、飛ぶぞ! アズウェル乗れ!!」
「へ?」
ぼけっとしているアズウェルを、長い尾で
「後で説明するから、早くしろ!」
「え、あぁ、うん」
とりあえずディオウに言われるがままに、アズウェルが騎乗する。
ラキィが頭に乗ったことを確認すると、一目散にディオウはその場から飛び去った。
「ちょっと、落ちるわよ!」
「しっかり掴まっていろよ!!」
「ホント、ディオウ、ちょ、まっ
また一足遅かったようだ。
「う~ん……酷いなぁ……ホンマに酷いわぁ。けど、流石、ギアディス」
さて、と青年は秘密兵器を取り出すと、黒いボタンを押した。
◇ ◇ ◇
風の咆哮が耳をつんざき、髪をうねらせた。まともに前方を見据えることすらできない。
必死にディオウの背にしがみつきながら、アズウェルは左手でラキィを抑える。力を少しでも抜けばこの小さな体躯は遥か後方へ飛ばされてしまうだろう。
「ディオウ飛ばしすぎだって!! ラキィが落ちる!」
「これくらい出さないと、振り切れん! 流石に、ここまで、飛べば、いくらなんでも……!」
ディオウは徐々に速度を落とし、着地する。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「で、一体どうしたんだ?」
肩で息をしながら、ディオウはアズウェルを見上げた。
「何か、怪しい、気配を、感じて……それが、しつこく、追って、来たんだ」
途切れ途切れのディオウの言葉に、二人は首を傾げる。
「怪しい気配?」
「何それ? クロウ族なの?」
いや、とディオウは首を振る。
「違う……と思う。殺気とかじゃない。何か、やばい気配がしたんだ。おれはそれに殺気より恐怖を感じた」
「殺気じゃなくて、クロウ族じゃなくてやばいって何だ? ディオウがそこまで感じる恐怖って……」
「う~ん、一体何やろなぁ~」
アズウェルが言い差した台詞を、正体不明の者が繋いだ。
アズウェルが顧みて、ラキィが瞠目し、ディオウが絶句した。
「な……な……何だよ、おまえ!?」
いつの間にか真後ろにいた青年に、アズウェルが目を
問われた不審者は、三人の様子を面白そうに眺めていた。
◇ ◇ ◇
一人考え込んでいたマツザワは、ぐるぐると自室の中を歩き回っていた。
「あの阿呆を遣いに出したのはまずかっただろうか……」
派遣したのが自分である以上、何か起きれば責任を取らねばなるまい。
「ディオウ殿に不興を買われなければいいが……」
頭を抱えてしゃがみ込む。
無理だ。いくら適当に見積もったとしても、彼が大人しくしているとは欠片も思えない。
マツザワは深く、深く肩を落とし、嘆息した。
◇ ◇ ◇
三対の目は不信感を
「何や、と? あんさんら目見えへんの?」
「悪いが、貴様が何を言っているんだか、よくわからん」
ディオウが不審者を見据える。
「確かに少し変だけど……だいたいはわかるわよ」
「訛りが邪魔で意図が読み取れん」
「はぁ、しょうがないわね。私が訳すわ。えっと『あなたたち目が見えないの?』って聞いてるわ」
溜息混じりにラキィが翻訳すると、ディオウは声を張り上げる。
「な……貴様、おれたちを馬鹿にしてるのか!? 見えるに決まってるだろうが!!」
「そんなら、なして『何だ』と言うんや? 見りゃわかるやろ。わいは人間やで」
不審者は目をぱちくりさせながら、大袈裟に肩を
「『それなら、何で『何だ』と言うの? 見ればわかるでしょ? 私は人間よ』」
「違
即、ディオウの怒号が轟く。
「おれが言いたいのはそこじゃな
「あのさ……」
アズウェルが苦笑しながら口を挟む。
「ディオウ、ホントはあの人が何言っているんだかわかってるんだろ?」
「わかってない、知らない」
ディオウは抑揚のない声で即答する。
「うん、わかってるんだな。ディオウ、余計に混乱するだけだからちゃんと会話しようぜ」
「む、何を言う。おれは真面目にやっているぞ。そこの不審者が真面目にやっていないだけの話だ」
じろりと不審者を睥睨し、ディオウは尾を一振りする。
「不審者って……確かに怪しいけど、それはちょっと可哀相な気が……」
「不審者! 怪しい! 可哀相!!」
いきなり破顔した不審者を見て、三人は咄嗟に後方へ飛び退いた。とても危険な香りがする。
ごくり、とアズウェルは唾を飲んだ。
「ええわぁ~!! 最高やな!」
予想外の反応に、三人は口を開けたまま固まった。
拒絶オーラを放出しているディオウを気にも留めずに、不審者はアズウェルに歩み寄ると、その両手を取ってぶんぶんと上下に振った。
「ほんま、ナイスや、アズウェルはん!!」
そこに、ディオウがすかさず吠える。
「この変態野郎!! アズウェルに触るなっ!!」
「変態、とな!?」
不審者はアズウェルの手をぱっと放し、瞳をキラキラと輝かせた。
「極上やないか! 素晴らしい、ホンマ素晴らしい! 流石、ディオウはん、あっぱれや!!」
間。
「じゃかぁし
「あなた、言葉の意味間違って捉えているわよ!?」
「ってか、何でおれたちの名前知ってんの?」
三者三様の反応を見てから、不審者はアズウェルに笑いかけた。
「うん、うん。まずはそこに突っ込みいれなあかんなぁ。アズウェルはん、いい筋してまっせぇ~」
それを聞いてディオウとラキィははっと顔を見合わせる。
確かに。
何故、名前を知っているのか。そして、一体何者
「よし、振り出しにちゃぁんと戻ったなぁ。アズウェルはん、ナイスやったで!」
ぐっと親指を立てて、不審者と呼ばれた青年は片目を
第9記 疾走マツザワ
急げ。一刻も早く村に辿り着かなければ。
フレイトのエンジン音が、殺風景な平原に響き渡る。
現在、真昼。太陽が南の空に高く昇っていた。
急げ。早く。急げ。早く。
気持ちだけが、ただ逸[ る。
夏の日差しは女の額から汗を呼び出した。
アズウェルの家を出てからおよそ半日、彼女はフレイトを飛ばし続けている。流石に疲労と睡魔が強襲していた。
彼女は眠気を振り払うために下唇を強く噛み締めた。口の中に鉄の味が広がる。
早く、早く。
焦る気持ちに引かれるようにして、更にアクセルを踏み込んだ時。
がくりとバランスが崩れ、浮遊走行していたフレイトが大地を擦る。
「な……!?」
あまりの揺れに彼女が飛び降りると、フレイトは地面を抉りながら跳ねていき、程なくして停止した。
「く……! 何故動かない!?」
彼女がフレイトのスピードを上げ過ぎたため、エンジンがいかれてしまったのだ。
だが、彼女がそれに気付くはずもない。
「あとわずかで着くというのに!」
がん、と蹴り飛ばし、忌々しげに舌打ちする。
「走っていくしかないか……!」
突如目眩[ が襲い、彼女は片膝をついた。
眠っていない上に、食事も取っていない。凄まじい眠気が彼女の四肢を縛り付ける。
まだ倒れるわけにはいかない。早く、少しでも早く村へ辿り着かなければ。
その気落ちが彼女の体を動かす。
だが、皮肉なことに頭の中はぼんやりと霞[ がかかり、視界も歪む。
ふらりと立ち上がるが、疲労と睡魔が休めと誘惑してくる。彼女は強く頭を振ってその誘惑を払い除[ けた。
眠ってなどいられない。
ぎり、と正面を睨みつけ、彼女は走り出した。まるで風のように、彼女は疾走する。
急げ、急げ。少しでも一歩でも前へ、前へ。
平原が瞬[ く間に後方へと遠のいていく。
代わりに姿を見せたのは、鬱葱[ と茂る竹林だ。
大地を足で蹴る度に、笹の葉がぱりっと音を立てる。
この林を抜ければ、故郷だ。
強風が唸りを上げて女の長い黒髪を靡[ かせた。
深緑の視界が、明るく開けた。竹林が覆い隠していた家々が、数日前と少しも違うことなく佇んでいる。
「着いた……!」
女の足が、自然と速度を上げた。
心中に仕舞い込んでいた怒りと疑念が、沸々と湧き起こる。
この感情を吐き出すまでは、とても休めそうにない。
「お、あれ、マツザワ殿ではないか?」
「本当だ。もの凄い勢いでこっちに来るぞ」
村人が彼女を見つけて呟く。
「な、なんか凄い気迫が……」
ごくり、と村人は唾を飲んだ。
彼女の背後に龍の幻影が垣間見えた。何故かわからないが、彼女は激怒している。
「おい!!」
女の怒号が轟いた。
「は、はいっ!?」
村人はいきなり怒鳴られて上ずった声を上げる。
「族長は今どこにいる!?」
「え、あ、族長様は今、村役場で会議中かと……」
村人が全て言い終わらないうちに、風の如く彼女は駆けていった。
「何であんなに怒っていたんだろう? それにやけに急いでいたような……」
「一体どうしたんだろうな……」
取り残された二人は呆然と呟いた。
◇ ◇ ◇
「いいか、皆に急いで戦の準備をさせたまえ」
「は、承知いたしました」
「しかし、族長。そのような攻撃を受けきれるものなのでしょうか。第一、今マツザワ殿が離村しております」
「あれは、別にいなくてもいいだろう」
刹那、みし、という音と共に会議室の襖[ が吹き飛んだ。
付近にいた者が慌てて飛び退[ く。
「いなくてもいいなどと、勝手なことを言われては困る……!」
襖があったはずの場所には、鬼のような形相をした女が立っていた。
女は抜いた刀の先を族長に向け、厳かに言い放つ。
「次期族長である私が、何故村から遠ざけられなくてはならない? この村は私が守る! たとえ離村することが、父上の命令であろうと、私はクロウ族と戦う!!」
突然現れた我が子に族長は絶句する。
「な……何故、お前が此処に……」
「ディオウ殿とアズウェルに真相を聞き、帰還した」
「ディオウ殿……? アズウェル? 誰だそれは」
女は父に向けた刀を静かに下ろした。
「ディオウ殿は、ギアディスだ」
「な……!?」
その場にいた者全員が、彼女の言葉に息を飲む。
「千里眼を持つディオウ殿、言語能力のあるトゥルーメンズのラキィ殿、そしてその主であり、予知能力を持つアズウェル。以上三名が、我々の味方に付いた。クロウ族の企みを教えてくれたのも彼らだ」
女、マツザワは滔々と語る。
「父上、ディオウ殿からの言伝がある」
「な……何だ?」
マツザワは悠然とディオウの伝言を口にする。
「この戦は勝てる……!」
その言葉を言い切ると、マツザワは昏倒した。
◇ ◇ ◇
「うっ……!」
低い呻き声を上げて、マツザワは目を開いた。
「マツザワさん、気がつかれましたか?」
聞き慣れた声が耳に届く。
「ユウか……?」
ユウと呼ばれた少女は、にっこりと微笑んで頷いた。
少女の名はユウ・リアイリド。彼女は艶[ のある黒髪を肩よりやや短めに切り揃え、〝浴衣〟というスワロウ族独特の服を身に纏[ っていた。
「気分はいかがですか?」
柔らかく、温かい声でユウは尋ねる。
「あぁ、大分いいようだ」
「よかった……」
そう言うとユウは湯飲みに茶を注ぎ、マツザワに差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
ユウは笑顔で応えると、薬草の煎じたものをマツザワに見せる。
天敵の襲来に、マツザワは顔を顰[ めた。
「薬もちゃんと飲まなきゃだめですよ。あ、でも何か食べないと飲めませんね」
ユウはすっと立ち上がると台所に行く。
「別に、薬も食事もいらない……」
その言葉に反してマツザワの腹の虫が鳴いた。
思い起こせば、アズウェル家での夕食が最後だ。
「お腹は素直ですね」
ユウが盆に夕餉[ を乗せて持ってくる。
スワロウ族の食事は、メニューを見れば時刻がすぐにわかった。
「もうそんな時間か……」
マツザワは布団から出て、窓の外を見る。夕日が空を紅く染めていた。
「私はどれくらい倒れていたんだ?」
マツザワが眉を寄せて言った。
「そうですね。だいたい三、四時間くらいでしょうか」
「そうか……」
「さぁ、早く食べてください。冷めてしまいます」
マツザワは無言で頷いて床[ を出ると、座布団の上に腰を下ろした。
夕餉を口に運びながらマツザワは小さく呟く。
「こんなにのんびりしていていいものなのだろうか……」
「大丈夫ですよ。呪[ い師が、クロウ族が攻めてくるまでに二、三日あると仰[ ってましたから」
「二、三日か……」
箸を置き腕組みをすると、口を閉ざして思案する。
すぐに動けないのだから、この際致し方あるまい。
「マツザワさん……?」
「ユウ、あの阿呆[ 男を呼んでくれ」
「阿呆男……」
ユウは思い当たる人物を探しあぐねて、目を瞬[ かせた。
「あの、阿呆商人だ」
「あぁ、彼ですか。わかりました。少々お待ちください」
合点がいったユウは、静かに立ち上がると部屋を出て行く。
「あ、薬はちゃんと飲んでくださいね」
ひょこっと顔を出し、マツザワに念を押す。
「御意……」
「では、呼んできます」
ユウが家から出て行くと、マツザワは薬を睨みつけた。
「貴様だけは、ユウに頼まれても好きにはなれないな……」
できることなら、厄介になりたくない相手ではあるが。状況が状況なだけに、疲労を引きずるわけにもいくまい。
はぁ、と息を吐いて首を振る。
飲まなければ、あの穏やかな治療師に叱られるだろう。普段が温厚だからこそ、怒らせると村で一番恐いのだ。
再び溜息をついて薬を飲み干すが、あまりの不味さに卓上に突っ伏した。
◇ ◇ ◇
「やぁ、マツザワはん久しぶりやなぁ~」
耳障りな声にマツザワは抜刀した。
「来たか……阿呆商人!」
「おぉっと。いきなり何すんねん」
さして驚いた様子も見せずに飛び上がり、男はマツザワの太刀を避ける。そのまま突き出された刀の上に降り立った。実に無駄のない動きだ。
「……」
ひくひくとマツザワの頬が引きつる。
彼女が乱暴に刀を払う。それと同時に飛び上がった男は、空中で一回転して着地した。
「あんさん、さっきまでブッ倒れてたんやろ? そないな危ないモン振り回しとぉないで、休んでいた方がいいんとちゃう?」
「黙れ、阿呆商人」
「阿呆商人……くぅ~素晴らしいわぁ。そないに誉めなくてもええでぇ~。いやぁ照れまんがなぁ~」
堪忍袋の緒が、強烈な断裂音を伴って切れる。
我慢の限界だ。
素早く振り下ろした刀は、算盤[ によって軽々と受け止められた。
木製だというのに、傷一つつかない男の得物が恨めしい。
「ちょっと、マツザワさん、アキラさん。何喧嘩してるんですか!」
遅れて戻ってきたユウが、その様子を見て口を挟む。
ユウの兄でるアキラは、マツザワと同じ齢十九。幼馴染に相当するアキラが、マツザワはこの村 いや、この世界で最も苦手な生き物だった。
「ユウよ~、聞いとくれぇ。マツザワはんったらわいを見るなり、刀で襲ってきたんよぉ~。ひどい話やろぉ~? わいは心配して駆けつけてきたんよ? この仕打ちはあんまりやろぉ~」
実に精悍な顔つきの青年だが、その口調と内容が評価を下げていることを、彼は自覚しているのだろうか。
「黙れ、阿呆商人。何が心配して駆けつけた、だ。私がユウに頼んで呼んでもらっただけの話だろう」
「マツザワはんがわいを呼んでくれたんかぁ~。そら嬉しいわぁ~。何? わいに会いたかったんかぁ?」
アキラの満面の笑みと歓喜に満ち溢れた声が、マツザワの神経を逆撫でする。
「変なことを言うな! お前は今すぐ村から出て行け!!」
「ひどいわぁ~。わいを追い出すんかぁ?」
大声で怒鳴るマツザワに、アキラはわざと涙を浮かべてみた。
「マツザワさん、何もそこまでしなくても……」
そうやってユウの同情を呼んで面白がる態度が、気に入らない。
マツザワは二人の言葉を完全に無視して、大股でユウの家を出て行く。
「ちょい、待てぇな」
アキラがマツザワの腕を掴む。瞬時にマツザワの平手がアキラの頬に炸裂した。
「私に触れるな! 戯け者! さっさとロサリドに行って、客人を連れてこい!!」
「ほぉ。そういうことかいな。客人とは、ちまたで噂の彼らのことやな?」
「ギアディスも共にいる。くれぐれも無礼な行動はするな」
マツザワは背を向けたまま冷然と言う。
「あいな~」
「アキラさん、お気をつけて」
「ほいほ~い」
二人の忠告に何とも気の抜けた返事をして、アキラは村を出て行った。
「よかったです。アキラさんが追い出されなくて」
「あの阿呆はもう少し我が種族である自覚を持つべきだ」
見届けたマツザワは大きな溜息をついた。
何事も起きずに送迎を終えてくれれば良いのだが。
「疲れた……」
よろけたマツザワをユウが抱き留める。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、すまない。……ん、どうした?」
淡く微笑んでいるユウに尋ねると、彼女は更に顔を和ませた。
「いえ、何も。マツザワさん、綺麗です」
「何が……」
怪訝そうに尋ねてくるその顔が、仄かに赤みを帯びているのは、きっと夕日のせいだけではないだろうから。
とても綺麗だと、ユウは思った。
「夕日、綺麗ですね」
そう微笑んだ三つ下の幼馴染に頷いて、マツザワも茜色の空を見上げた。
フレイトのエンジン音が、殺風景な平原に響き渡る。
現在、真昼。太陽が南の空に高く昇っていた。
急げ。早く。急げ。早く。
気持ちだけが、ただ
夏の日差しは女の額から汗を呼び出した。
アズウェルの家を出てからおよそ半日、彼女はフレイトを飛ばし続けている。流石に疲労と睡魔が強襲していた。
彼女は眠気を振り払うために下唇を強く噛み締めた。口の中に鉄の味が広がる。
早く、早く。
焦る気持ちに引かれるようにして、更にアクセルを踏み込んだ時。
がくりとバランスが崩れ、浮遊走行していたフレイトが大地を擦る。
「な……!?」
あまりの揺れに彼女が飛び降りると、フレイトは地面を抉りながら跳ねていき、程なくして停止した。
「く……! 何故動かない!?」
彼女がフレイトのスピードを上げ過ぎたため、エンジンがいかれてしまったのだ。
だが、彼女がそれに気付くはずもない。
「あとわずかで着くというのに!」
がん、と蹴り飛ばし、忌々しげに舌打ちする。
「走っていくしかないか……!」
突如
眠っていない上に、食事も取っていない。凄まじい眠気が彼女の四肢を縛り付ける。
まだ倒れるわけにはいかない。早く、少しでも早く村へ辿り着かなければ。
その気落ちが彼女の体を動かす。
だが、皮肉なことに頭の中はぼんやりと
ふらりと立ち上がるが、疲労と睡魔が休めと誘惑してくる。彼女は強く頭を振ってその誘惑を払い
眠ってなどいられない。
ぎり、と正面を睨みつけ、彼女は走り出した。まるで風のように、彼女は疾走する。
急げ、急げ。少しでも一歩でも前へ、前へ。
平原が
代わりに姿を見せたのは、
大地を足で蹴る度に、笹の葉がぱりっと音を立てる。
この林を抜ければ、故郷だ。
強風が唸りを上げて女の長い黒髪を
深緑の視界が、明るく開けた。竹林が覆い隠していた家々が、数日前と少しも違うことなく佇んでいる。
「着いた……!」
女の足が、自然と速度を上げた。
心中に仕舞い込んでいた怒りと疑念が、沸々と湧き起こる。
この感情を吐き出すまでは、とても休めそうにない。
「お、あれ、マツザワ殿ではないか?」
「本当だ。もの凄い勢いでこっちに来るぞ」
村人が彼女を見つけて呟く。
「な、なんか凄い気迫が……」
ごくり、と村人は唾を飲んだ。
彼女の背後に龍の幻影が垣間見えた。何故かわからないが、彼女は激怒している。
「おい!!」
女の怒号が轟いた。
「は、はいっ!?」
村人はいきなり怒鳴られて上ずった声を上げる。
「族長は今どこにいる!?」
「え、あ、族長様は今、村役場で会議中かと……」
村人が全て言い終わらないうちに、風の如く彼女は駆けていった。
「何であんなに怒っていたんだろう? それにやけに急いでいたような……」
「一体どうしたんだろうな……」
取り残された二人は呆然と呟いた。
◇ ◇ ◇
「いいか、皆に急いで戦の準備をさせたまえ」
「は、承知いたしました」
「しかし、族長。そのような攻撃を受けきれるものなのでしょうか。第一、今マツザワ殿が離村しております」
「あれは、別にいなくてもいいだろう」
刹那、みし、という音と共に会議室の
付近にいた者が慌てて飛び
「いなくてもいいなどと、勝手なことを言われては困る……!」
襖があったはずの場所には、鬼のような形相をした女が立っていた。
女は抜いた刀の先を族長に向け、厳かに言い放つ。
「次期族長である私が、何故村から遠ざけられなくてはならない? この村は私が守る! たとえ離村することが、父上の命令であろうと、私はクロウ族と戦う!!」
突然現れた我が子に族長は絶句する。
「な……何故、お前が此処に……」
「ディオウ殿とアズウェルに真相を聞き、帰還した」
「ディオウ殿……? アズウェル? 誰だそれは」
女は父に向けた刀を静かに下ろした。
「ディオウ殿は、ギアディスだ」
「な……!?」
その場にいた者全員が、彼女の言葉に息を飲む。
「千里眼を持つディオウ殿、言語能力のあるトゥルーメンズのラキィ殿、そしてその主であり、予知能力を持つアズウェル。以上三名が、我々の味方に付いた。クロウ族の企みを教えてくれたのも彼らだ」
女、マツザワは滔々と語る。
「父上、ディオウ殿からの言伝がある」
「な……何だ?」
マツザワは悠然とディオウの伝言を口にする。
「この戦は勝てる……!」
その言葉を言い切ると、マツザワは昏倒した。
◇ ◇ ◇
「うっ……!」
低い呻き声を上げて、マツザワは目を開いた。
「マツザワさん、気がつかれましたか?」
聞き慣れた声が耳に届く。
「ユウか……?」
ユウと呼ばれた少女は、にっこりと微笑んで頷いた。
少女の名はユウ・リアイリド。彼女は
「気分はいかがですか?」
柔らかく、温かい声でユウは尋ねる。
「あぁ、大分いいようだ」
「よかった……」
そう言うとユウは湯飲みに茶を注ぎ、マツザワに差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
ユウは笑顔で応えると、薬草の煎じたものをマツザワに見せる。
天敵の襲来に、マツザワは顔を
「薬もちゃんと飲まなきゃだめですよ。あ、でも何か食べないと飲めませんね」
ユウはすっと立ち上がると台所に行く。
「別に、薬も食事もいらない……」
その言葉に反してマツザワの腹の虫が鳴いた。
思い起こせば、アズウェル家での夕食が最後だ。
「お腹は素直ですね」
ユウが盆に
スワロウ族の食事は、メニューを見れば時刻がすぐにわかった。
「もうそんな時間か……」
マツザワは布団から出て、窓の外を見る。夕日が空を紅く染めていた。
「私はどれくらい倒れていたんだ?」
マツザワが眉を寄せて言った。
「そうですね。だいたい三、四時間くらいでしょうか」
「そうか……」
「さぁ、早く食べてください。冷めてしまいます」
マツザワは無言で頷いて
夕餉を口に運びながらマツザワは小さく呟く。
「こんなにのんびりしていていいものなのだろうか……」
「大丈夫ですよ。
「二、三日か……」
箸を置き腕組みをすると、口を閉ざして思案する。
すぐに動けないのだから、この際致し方あるまい。
「マツザワさん……?」
「ユウ、あの
「阿呆男……」
ユウは思い当たる人物を探しあぐねて、目を
「あの、阿呆商人だ」
「あぁ、彼ですか。わかりました。少々お待ちください」
合点がいったユウは、静かに立ち上がると部屋を出て行く。
「あ、薬はちゃんと飲んでくださいね」
ひょこっと顔を出し、マツザワに念を押す。
「御意……」
「では、呼んできます」
ユウが家から出て行くと、マツザワは薬を睨みつけた。
「貴様だけは、ユウに頼まれても好きにはなれないな……」
できることなら、厄介になりたくない相手ではあるが。状況が状況なだけに、疲労を引きずるわけにもいくまい。
はぁ、と息を吐いて首を振る。
飲まなければ、あの穏やかな治療師に叱られるだろう。普段が温厚だからこそ、怒らせると村で一番恐いのだ。
再び溜息をついて薬を飲み干すが、あまりの不味さに卓上に突っ伏した。
◇ ◇ ◇
「やぁ、マツザワはん久しぶりやなぁ~」
耳障りな声にマツザワは抜刀した。
「来たか……阿呆商人!」
「おぉっと。いきなり何すんねん」
さして驚いた様子も見せずに飛び上がり、男はマツザワの太刀を避ける。そのまま突き出された刀の上に降り立った。実に無駄のない動きだ。
「……」
ひくひくとマツザワの頬が引きつる。
彼女が乱暴に刀を払う。それと同時に飛び上がった男は、空中で一回転して着地した。
「あんさん、さっきまでブッ倒れてたんやろ? そないな危ないモン振り回しとぉないで、休んでいた方がいいんとちゃう?」
「黙れ、阿呆商人」
「阿呆商人……くぅ~素晴らしいわぁ。そないに誉めなくてもええでぇ~。いやぁ照れまんがなぁ~」
堪忍袋の緒が、強烈な断裂音を伴って切れる。
我慢の限界だ。
素早く振り下ろした刀は、
木製だというのに、傷一つつかない男の得物が恨めしい。
「ちょっと、マツザワさん、アキラさん。何喧嘩してるんですか!」
遅れて戻ってきたユウが、その様子を見て口を挟む。
ユウの兄でるアキラは、マツザワと同じ齢十九。幼馴染に相当するアキラが、マツザワはこの村
「ユウよ~、聞いとくれぇ。マツザワはんったらわいを見るなり、刀で襲ってきたんよぉ~。ひどい話やろぉ~? わいは心配して駆けつけてきたんよ? この仕打ちはあんまりやろぉ~」
実に精悍な顔つきの青年だが、その口調と内容が評価を下げていることを、彼は自覚しているのだろうか。
「黙れ、阿呆商人。何が心配して駆けつけた、だ。私がユウに頼んで呼んでもらっただけの話だろう」
「マツザワはんがわいを呼んでくれたんかぁ~。そら嬉しいわぁ~。何? わいに会いたかったんかぁ?」
アキラの満面の笑みと歓喜に満ち溢れた声が、マツザワの神経を逆撫でする。
「変なことを言うな! お前は今すぐ村から出て行け!!」
「ひどいわぁ~。わいを追い出すんかぁ?」
大声で怒鳴るマツザワに、アキラはわざと涙を浮かべてみた。
「マツザワさん、何もそこまでしなくても……」
そうやってユウの同情を呼んで面白がる態度が、気に入らない。
マツザワは二人の言葉を完全に無視して、大股でユウの家を出て行く。
「ちょい、待てぇな」
アキラがマツザワの腕を掴む。瞬時にマツザワの平手がアキラの頬に炸裂した。
「私に触れるな! 戯け者! さっさとロサリドに行って、客人を連れてこい!!」
「ほぉ。そういうことかいな。客人とは、ちまたで噂の彼らのことやな?」
「ギアディスも共にいる。くれぐれも無礼な行動はするな」
マツザワは背を向けたまま冷然と言う。
「あいな~」
「アキラさん、お気をつけて」
「ほいほ~い」
二人の忠告に何とも気の抜けた返事をして、アキラは村を出て行った。
「よかったです。アキラさんが追い出されなくて」
「あの阿呆はもう少し我が種族である自覚を持つべきだ」
見届けたマツザワは大きな溜息をついた。
何事も起きずに送迎を終えてくれれば良いのだが。
「疲れた……」
よろけたマツザワをユウが抱き留める。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、すまない。……ん、どうした?」
淡く微笑んでいるユウに尋ねると、彼女は更に顔を和ませた。
「いえ、何も。マツザワさん、綺麗です」
「何が……」
怪訝そうに尋ねてくるその顔が、仄かに赤みを帯びているのは、きっと夕日のせいだけではないだろうから。
とても綺麗だと、ユウは思った。
「夕日、綺麗ですね」
そう微笑んだ三つ下の幼馴染に頷いて、マツザワも茜色の空を見上げた。
第8記 決意
「主、一体どういうつもりなんだ? 攻撃時刻を流したなんてことが奴らに知れたら……」
黒い短髪を風に流しながら、左目に眼帯をした男は前を歩く少年を見据える。
どこかで転んだのだろうか。男の額には一本切り傷のような痕があった。
「大丈夫ですよ。絶対にばれっこないですから」
主と呼ばれた少年が振り返って男を見上げる。
「〝ボク〟がここにこうやって来ていることも今は知られていないでしょう。この姿だってあいつらは知りませんから」
「確かにそれはそうだが……」
「ボクがキミに頼んだのも、元はと言えば彼女にそれを教えるためでしょう。この地で様々な種族から信頼を得ているスワロウ族を簡単に消されちゃ困るんです。奴らの企みを阻止するには、負けていただかないと後々面倒なのです」
そう簡単にはいきませんが、と少年は笑った。
「それに、奴らが絡んでいなくとも、この戦にキミは手を貸すつもりだったでしょう?」
「そ……それは……」
言葉を濁らせ、視線を逸[ らせた男を見て、少年は呆れたように溜息をついた。
「ルーティング、今は過去のことをうだうだ言っている時ではないでしょう。さ、早くスワロウ族の村に行って監視していてください。スワロウ族の様子と、到着した彼らのことを」
「……御意」
主の言葉は絶対。
数秒躊躇[ ってから、ルーティングは渋々頷いた。
少年は右手の人差指を立てて、更に続ける。
「定期的に報告してくださいね。それと、今度勝手に暴れたら、ボク本気で怒りますからね」
最後の方は些[ か声が低くなっていた気がしたが、それは単なる脅しではない証拠。
結局弁解などしてはいないが、したところで睨まれるのが目に見えている。
ただ聖獣に誇張表現をされたのは事実であり。
「……肝に、銘じておく」
苦々しげに呟くと、ルーティングは兵士たちを連れて、風と共に姿を消した。
草原に一人佇む少年、シルードは天を仰ぐ。
「待っていますよ、アズウェル」
朝日を浴びたシルードの栗毛が、黄金色[ に輝いていた。
◇ ◇ ◇
どくん、と。
突然アズウェルの心臓が跳ね上がった。
また、だ。
シルードの瞳を見た時と、同じ感覚。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「あぁ、そうだな。街の奴らも全員エルジアに連れて来たしな、アズウェル」
ラキィとディオウの声は、アズウェルの耳を素通りする。
彼の耳に響いている音は。
けたたましく主張する己の心音と、耳鳴りに近い高い音。
遠くから聞こえていた高音が、徐々に存在感を増していく。
「ねぇ、アズウェル聞いてる? 眠いの?」
反応のないアズウェルを二人は訝しげに見上げていた。
呼びかけても、アズウェルの瞳は宙を凝視している。
「アズウェル? おい、アズウェルどうかしたのか!?」
ディオウが声を荒げた時、アズウェルの頭の中に言葉にならない悲鳴が迸[ る。
!?
鼓動が、一層激しさを増していく。
エル……アズウェル!!
名を、呼ばれた。
それは、誰の声なのか、アズウェルは知らない。
思考を強制停止させるように、意識を手放した。
「アズウェル! おい、大丈夫か!?」
「……ん?」
瞼を上げると、瞳にディオウとラキィの顔が映った。
「大丈夫なの?」
「え、うん。平気だけど」
それでも二人は「大丈夫か」と聞き続けた。
ラキィがアズウェルの頬や額を耳でぺたぺたと触れる。
アズウェルは怪訝そうに顔を顰[ めた。
「大丈夫だってば、何すんだよラキィ」
「じゃぁ……じゃぁ、何で起き上がらないの?」
「へ?」
どうやらアズウェルはベッドに仰向けになっていたらしい。
ゆっくりと上体を起こすと、見慣れた家具が目に飛び込んできた。
「ここは……」
「おれたちの家だ。出発しようとしたら、お前がいきなりブッ倒れたから連れてきたんだ」
「そっか」
力なく答えるアズウェルを見て、二人は顔を見合わす。
「やっぱり、ディオウの言う通りにした方がいいわね」
「え?」
「アズウェル、お前は少し休んでいろ。おれたち二人で一度マツザワのところに行ってくる」
ディオウの言葉にアズウェルは目を剥[ く。
「な……何言ってんだよ!? おれも行くに決まってるだろ!」
「けど、あんたまた倒れるかもしれないのよ?」
アズウェルは鋭い目付きでラキィを睨みつけた。
「行くったら行くんだ! おれは平気だ、どこも悪くない!」
「アズウェル、わかってるのか? 遊びじゃないんだぞ」
今度はディオウを睨む。
「そんなこと、言われなくてもわかってる!」
アズウェルはベッドから降りると戸棚を漁る。
木箱を一つ取り出し、中から必要なだけ金を財布に移した。
それは、アズウェルが村の面影を維持するための貯金。
誰が、いつ、此処に戻ってきても住めるように。
一度終わらせてしまったエルジアでの続きを、すぐに始められるように。
村をそのまま残しておくために、アズウェルは給料を持ち帰る度に、半分を木箱の中に保管していた。
其処から金を出すということは、この村に見切りを付けるということだ。
無言で自分の行動を見ている二人を振り返ると、怒気を帯びた声で言った。
「とにかく、おれは行く」
二人は反論しようと口を開きかけるが、アズウェルの眼光に気圧されて言葉を飲み込む。
木箱を開けたアズウェルを見れば、彼の意志がどれほどのものかは想像に難くない。
ただでさえ、一度言い出したら誰が何と言おうと聞かないのだ。
いくら正論を並べてもその努力が報われることはないだろう。
アズウェルの暴走を止められるといえば、過去に二人いたが、いずれも今此処にはいない。
くるりと背を向けたアズウェルは、乱暴に扉を蹴り外に出て行った。
二人は深々と嘆息する。
頭を抱えて悩んでいる二人の耳に、外からアズウェルの怒号が突き刺さる。
「行かないならそれでもいい。でもおれは行くからな!」
「ダメだな、もう」
「そうね、フェルスもロウドもいないもの」
がくりと頭[ を垂れた二人は、首を横に振った後、意を決したように顔を上げた。
「仕方ないわ、行きましょう。アズウェルを一人で行かせるのはとぉっても不安だわ」
「まったくだ」
◇ ◇ ◇
真夏の太陽がじりじりと地上を照らす。
その暑さに対抗するかのように、涼しい風が草原を駆け抜けていった。
「スワロウ族の村って……確か、南西だったな」
「ええ、そうね。ここからならさほど遠くはないと思うわ。急いで行けば明日のお昼には着くでしょ」
三人はエンプロイを南に抜け、隣街ロサリドを目指し広大な草原を横断中である。
ロサリドは北と南を繋ぐ大きな街だ。そこにはあらゆる物と情報が行き交う。スワロウ族の村にはラキィも初訪問ということで、まずはロサリドで情報収集することになったのだ。
「しっかし、全然見えてこねぇな、ロサリド」
「あと、百四十七キロはあるわね」
ラキィの言葉を聞いて、ディオウは瞠目する。
「マジか? こんなにのんびり歩いていたら、そこに着くまで何日もかかるぞ」
「エンプロイは辺境だからねぇ~。確かに隣街まで百五十キロ近くって異常よね」
なんて呑気な、とディオウはラキィを一瞥し、無言で歩いているアズウェルに言った。
「アズウェル、飛んで行かねぇと間に合わないぞ」
アズウェルはその声に一瞬足を止めるが、すぐにまた歩き出す。先程よりやや歩調を早めて。
「まだ怒っているのね」
ラキィが残念そうに言う。が。
「……」
「アズウェルゥ~」
ディオウが間抜けな声で名を呼ぶ。が。
「……」
「ねぇ、本当に空飛ばないと間に合わないわ」
ラキィがアズウェルの肩に乗って言う。が。
「……」
アズウェルは肩に乗っているラキィを払い落とし、更に歩調を早める。
「アズウェルゥ~」
再度ディオウが名を呼ぶ。が。
「……」
「相当怒っているわ……」
アズウェルの背を見ると凄まじい怒気が燃え上がっている。
自分だけ置いて行かれるのが余程嫌だったのか、あれからずっと沈黙を守っていた。
「アズウェルゥ~」
ディオウは諦めずに名を呼ぶ。が。
「……」
「アズウェルゥ~、アズウェルってばぁ、なぁアズウェルゥ~」
「………………」
無言、無音、無視。
だが、その程度で諦めるディオウでもない。
「アズウェルゥ~、いい加減口きいてくれよぉ」
尽[ く黙殺されるが、ディオウはアズウェルの黙[ りを破ろうと名を呼び続ける。
「アズウェルゥ~、アズウェルゥ~、アズウェルゥ~、アズウェ」
「うるさい! いい加減にしろっ!」
遂にアズウェルが口を開いた。ディオウはにやりとほくそ笑む。
「やっと口きいてくれたな」
アズウェルはディオウの背に乗ると、その頭を叩きながら怒鳴りつけた。
「気持ち悪い声でおれの名前を呼ぶな!!」
「アズウェルがおれたちを無視するから、ちょっと工夫しただけだ」
ディオウは何とかアズウェルの気を引こうと、わざと高い声で名前を呼び続けていたのだ。
それを間近で聞いていたラキィが、懸命に笑いを堪えて身体を震わせている。
ディオウの言い訳を拳骨で返したアズウェルは、そんなラキィに冷ややかな視線を送った。
「ぅぅ……何も殴ることないのに……」
前足で目頭を器用に押さえたディオウが泣いてみせるが、アズウェルは無反応だ。
「ディオウ、その辺にしとかないとまたアズウェル怒るわよ」
ラキィがぴょんとディオウの頭の上に飛び乗る。
ディオウはラキィの忠告を聞き流し、更に続けた。
「ひどいよなぁ……心配してたっていうのに、おれって不憫だよなぁ……ぅぅ……あぁ、なんて可哀想な聖獣でしょう……」
アズウェルが肩を小刻みに震わせる。
此処もじきに危険地帯だろう。
ラキィがディオウの頭から離れた時。
「いい加減に飛べ っ!!」
怒声と共に、強烈な拳骨がディオウの頭に降ってきた。
「狂暴アズウェル ッ!!」
どす、と鈍い音がディオウの脇腹辺りで生じる。
ディオウの四肢が、砕けた。
踵を落としたアズウェルは、素知らぬ振りをしている。
「今のは……入ったわね……」
溜息をつき、ラキィは酷いと嘆くディオウの後を追った。
ディオウはロサリドに向かってふらふらと飛行中。
アズウェルは未だディオウの頭を叩[ き続けていた。かれこれ、三十分以上経過しているだろうか。
ラキィはそんなディオウを同情の眼差し見つめていた。
怒りを煽った自業自得とも言えるだろうが、心配した結果なのだから確かに不憫だ。
とはいえ、怒りの矛先を向けられたくないラキィは、あえて近づこうともせず、付かず離れずの距離でディオウと並行飛行していた。
「……ごめん」
不意に手を止めたアズウェルが小さく呟いた。
心配してくれたのに。
それは風に消えそうなくらい微かな声だったが、ディオウには届いていた。
どんなに心配されていても、一人でいるのは耐えられない。
もう何もできずに何かを、誰かを失うなんて、心が耐えられない。
ディオウは優しく微笑み、アズウェルにだけ聞こえるように囁[ いた。
「わかっている。耐えられないなら、守ればいい」
小さく頷いてアズウェルはディオウの背に頭を埋[ める。
「動くなら、最後まで足掻けばいい」
アズウェルはディオウの言葉を深く、深く噛みしめた。
目頭が熱くなり、自然と涙が流れる。アズウェルは声を殺して泣いた。
村人が、家族が死ぬとわかっていて助けられなかった、何もできなかった。無力な自分を責めて。
もう、失いたくない。誰も。何も。もう、絶対に失うものか。
アズウェルは自分に強く言い聞かせる。
誰かが泣かなくて済むように。自分みたいな想いをしないで済むように。
その決意は、アズウェルの涙を自然に止めた。
アズウェルは瞳に溜まった涙を拭[ うと、蒼穹を振り仰ぐ。
青く、何処までも青く続いている空。
この下の何処かに、守りたかった人がいる。守りたい人がいる。
陽の光がアズウェルの顔を照らした。蒼の瞳がサファイヤのように煌[ めいた。
「ディオウ、ラキィ」
アズウェルは自分の決意を口にする。必ず、達成するために。
「絶対に、ワツキを守り抜く」
ディオウとラキィは無言でそれを受け止めた。
何も言わない。言葉は不要だった。
他の誰よりもアズウェルの気持ちを。その想いを。
かつて、幼さ故に失った事実だけを伝えられた過去を。
そして、今を ……
知っているから。
黒い短髪を風に流しながら、左目に眼帯をした男は前を歩く少年を見据える。
どこかで転んだのだろうか。男の額には一本切り傷のような痕があった。
「大丈夫ですよ。絶対にばれっこないですから」
主と呼ばれた少年が振り返って男を見上げる。
「〝ボク〟がここにこうやって来ていることも今は知られていないでしょう。この姿だってあいつらは知りませんから」
「確かにそれはそうだが……」
「ボクがキミに頼んだのも、元はと言えば彼女にそれを教えるためでしょう。この地で様々な種族から信頼を得ているスワロウ族を簡単に消されちゃ困るんです。奴らの企みを阻止するには、負けていただかないと後々面倒なのです」
そう簡単にはいきませんが、と少年は笑った。
「それに、奴らが絡んでいなくとも、この戦にキミは手を貸すつもりだったでしょう?」
「そ……それは……」
言葉を濁らせ、視線を
「ルーティング、今は過去のことをうだうだ言っている時ではないでしょう。さ、早くスワロウ族の村に行って監視していてください。スワロウ族の様子と、到着した彼らのことを」
「……御意」
主の言葉は絶対。
数秒
少年は右手の人差指を立てて、更に続ける。
「定期的に報告してくださいね。それと、今度勝手に暴れたら、ボク本気で怒りますからね」
最後の方は
結局弁解などしてはいないが、したところで睨まれるのが目に見えている。
ただ聖獣に誇張表現をされたのは事実であり。
「……肝に、銘じておく」
苦々しげに呟くと、ルーティングは兵士たちを連れて、風と共に姿を消した。
草原に一人佇む少年、シルードは天を仰ぐ。
「待っていますよ、アズウェル」
朝日を浴びたシルードの栗毛が、
◇ ◇ ◇
どくん、と。
突然アズウェルの心臓が跳ね上がった。
また、だ。
シルードの瞳を見た時と、同じ感覚。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「あぁ、そうだな。街の奴らも全員エルジアに連れて来たしな、アズウェル」
ラキィとディオウの声は、アズウェルの耳を素通りする。
彼の耳に響いている音は。
けたたましく主張する己の心音と、耳鳴りに近い高い音。
遠くから聞こえていた高音が、徐々に存在感を増していく。
「ねぇ、アズウェル聞いてる? 眠いの?」
反応のないアズウェルを二人は訝しげに見上げていた。
呼びかけても、アズウェルの瞳は宙を凝視している。
「アズウェル? おい、アズウェルどうかしたのか!?」
ディオウが声を荒げた時、アズウェルの頭の中に言葉にならない悲鳴が
鼓動が、一層激しさを増していく。
名を、呼ばれた。
それは、誰の声なのか、アズウェルは知らない。
思考を強制停止させるように、意識を手放した。
「アズウェル! おい、大丈夫か!?」
「……ん?」
瞼を上げると、瞳にディオウとラキィの顔が映った。
「大丈夫なの?」
「え、うん。平気だけど」
それでも二人は「大丈夫か」と聞き続けた。
ラキィがアズウェルの頬や額を耳でぺたぺたと触れる。
アズウェルは怪訝そうに顔を
「大丈夫だってば、何すんだよラキィ」
「じゃぁ……じゃぁ、何で起き上がらないの?」
「へ?」
どうやらアズウェルはベッドに仰向けになっていたらしい。
ゆっくりと上体を起こすと、見慣れた家具が目に飛び込んできた。
「ここは……」
「おれたちの家だ。出発しようとしたら、お前がいきなりブッ倒れたから連れてきたんだ」
「そっか」
力なく答えるアズウェルを見て、二人は顔を見合わす。
「やっぱり、ディオウの言う通りにした方がいいわね」
「え?」
「アズウェル、お前は少し休んでいろ。おれたち二人で一度マツザワのところに行ってくる」
ディオウの言葉にアズウェルは目を
「な……何言ってんだよ!? おれも行くに決まってるだろ!」
「けど、あんたまた倒れるかもしれないのよ?」
アズウェルは鋭い目付きでラキィを睨みつけた。
「行くったら行くんだ! おれは平気だ、どこも悪くない!」
「アズウェル、わかってるのか? 遊びじゃないんだぞ」
今度はディオウを睨む。
「そんなこと、言われなくてもわかってる!」
アズウェルはベッドから降りると戸棚を漁る。
木箱を一つ取り出し、中から必要なだけ金を財布に移した。
それは、アズウェルが村の面影を維持するための貯金。
誰が、いつ、此処に戻ってきても住めるように。
一度終わらせてしまったエルジアでの続きを、すぐに始められるように。
村をそのまま残しておくために、アズウェルは給料を持ち帰る度に、半分を木箱の中に保管していた。
其処から金を出すということは、この村に見切りを付けるということだ。
無言で自分の行動を見ている二人を振り返ると、怒気を帯びた声で言った。
「とにかく、おれは行く」
二人は反論しようと口を開きかけるが、アズウェルの眼光に気圧されて言葉を飲み込む。
木箱を開けたアズウェルを見れば、彼の意志がどれほどのものかは想像に難くない。
ただでさえ、一度言い出したら誰が何と言おうと聞かないのだ。
いくら正論を並べてもその努力が報われることはないだろう。
アズウェルの暴走を止められるといえば、過去に二人いたが、いずれも今此処にはいない。
くるりと背を向けたアズウェルは、乱暴に扉を蹴り外に出て行った。
二人は深々と嘆息する。
頭を抱えて悩んでいる二人の耳に、外からアズウェルの怒号が突き刺さる。
「行かないならそれでもいい。でもおれは行くからな!」
「ダメだな、もう」
「そうね、フェルスもロウドもいないもの」
がくりと
「仕方ないわ、行きましょう。アズウェルを一人で行かせるのはとぉっても不安だわ」
「まったくだ」
◇ ◇ ◇
真夏の太陽がじりじりと地上を照らす。
その暑さに対抗するかのように、涼しい風が草原を駆け抜けていった。
「スワロウ族の村って……確か、南西だったな」
「ええ、そうね。ここからならさほど遠くはないと思うわ。急いで行けば明日のお昼には着くでしょ」
三人はエンプロイを南に抜け、隣街ロサリドを目指し広大な草原を横断中である。
ロサリドは北と南を繋ぐ大きな街だ。そこにはあらゆる物と情報が行き交う。スワロウ族の村にはラキィも初訪問ということで、まずはロサリドで情報収集することになったのだ。
「しっかし、全然見えてこねぇな、ロサリド」
「あと、百四十七キロはあるわね」
ラキィの言葉を聞いて、ディオウは瞠目する。
「マジか? こんなにのんびり歩いていたら、そこに着くまで何日もかかるぞ」
「エンプロイは辺境だからねぇ~。確かに隣街まで百五十キロ近くって異常よね」
なんて呑気な、とディオウはラキィを一瞥し、無言で歩いているアズウェルに言った。
「アズウェル、飛んで行かねぇと間に合わないぞ」
アズウェルはその声に一瞬足を止めるが、すぐにまた歩き出す。先程よりやや歩調を早めて。
「まだ怒っているのね」
ラキィが残念そうに言う。が。
「……」
「アズウェルゥ~」
ディオウが間抜けな声で名を呼ぶ。が。
「……」
「ねぇ、本当に空飛ばないと間に合わないわ」
ラキィがアズウェルの肩に乗って言う。が。
「……」
アズウェルは肩に乗っているラキィを払い落とし、更に歩調を早める。
「アズウェルゥ~」
再度ディオウが名を呼ぶ。が。
「……」
「相当怒っているわ……」
アズウェルの背を見ると凄まじい怒気が燃え上がっている。
自分だけ置いて行かれるのが余程嫌だったのか、あれからずっと沈黙を守っていた。
「アズウェルゥ~」
ディオウは諦めずに名を呼ぶ。が。
「……」
「アズウェルゥ~、アズウェルってばぁ、なぁアズウェルゥ~」
「………………」
無言、無音、無視。
だが、その程度で諦めるディオウでもない。
「アズウェルゥ~、いい加減口きいてくれよぉ」
「アズウェルゥ~、アズウェルゥ~、アズウェルゥ~、アズウェ」
「うるさい! いい加減にしろっ!」
遂にアズウェルが口を開いた。ディオウはにやりとほくそ笑む。
「やっと口きいてくれたな」
アズウェルはディオウの背に乗ると、その頭を叩きながら怒鳴りつけた。
「気持ち悪い声でおれの名前を呼ぶな!!」
「アズウェルがおれたちを無視するから、ちょっと工夫しただけだ」
ディオウは何とかアズウェルの気を引こうと、わざと高い声で名前を呼び続けていたのだ。
それを間近で聞いていたラキィが、懸命に笑いを堪えて身体を震わせている。
ディオウの言い訳を拳骨で返したアズウェルは、そんなラキィに冷ややかな視線を送った。
「ぅぅ……何も殴ることないのに……」
前足で目頭を器用に押さえたディオウが泣いてみせるが、アズウェルは無反応だ。
「ディオウ、その辺にしとかないとまたアズウェル怒るわよ」
ラキィがぴょんとディオウの頭の上に飛び乗る。
ディオウはラキィの忠告を聞き流し、更に続けた。
「ひどいよなぁ……心配してたっていうのに、おれって不憫だよなぁ……ぅぅ……あぁ、なんて可哀想な聖獣でしょう……」
アズウェルが肩を小刻みに震わせる。
此処もじきに危険地帯だろう。
ラキィがディオウの頭から離れた時。
「いい加減に飛べ
怒声と共に、強烈な拳骨がディオウの頭に降ってきた。
「狂暴アズウェル
どす、と鈍い音がディオウの脇腹辺りで生じる。
ディオウの四肢が、砕けた。
踵を落としたアズウェルは、素知らぬ振りをしている。
「今のは……入ったわね……」
溜息をつき、ラキィは酷いと嘆くディオウの後を追った。
ディオウはロサリドに向かってふらふらと飛行中。
アズウェルは未だディオウの頭を
ラキィはそんなディオウを同情の眼差し見つめていた。
怒りを煽った自業自得とも言えるだろうが、心配した結果なのだから確かに不憫だ。
とはいえ、怒りの矛先を向けられたくないラキィは、あえて近づこうともせず、付かず離れずの距離でディオウと並行飛行していた。
「……ごめん」
不意に手を止めたアズウェルが小さく呟いた。
心配してくれたのに。
それは風に消えそうなくらい微かな声だったが、ディオウには届いていた。
どんなに心配されていても、一人でいるのは耐えられない。
もう何もできずに何かを、誰かを失うなんて、心が耐えられない。
ディオウは優しく微笑み、アズウェルにだけ聞こえるように
「わかっている。耐えられないなら、守ればいい」
小さく頷いてアズウェルはディオウの背に頭を
「動くなら、最後まで足掻けばいい」
アズウェルはディオウの言葉を深く、深く噛みしめた。
目頭が熱くなり、自然と涙が流れる。アズウェルは声を殺して泣いた。
村人が、家族が死ぬとわかっていて助けられなかった、何もできなかった。無力な自分を責めて。
もう、失いたくない。誰も。何も。もう、絶対に失うものか。
アズウェルは自分に強く言い聞かせる。
誰かが泣かなくて済むように。自分みたいな想いをしないで済むように。
その決意は、アズウェルの涙を自然に止めた。
アズウェルは瞳に溜まった涙を
青く、何処までも青く続いている空。
この下の何処かに、守りたかった人がいる。守りたい人がいる。
陽の光がアズウェルの顔を照らした。蒼の瞳がサファイヤのように
「ディオウ、ラキィ」
アズウェルは自分の決意を口にする。必ず、達成するために。
「絶対に、ワツキを守り抜く」
ディオウとラキィは無言でそれを受け止めた。
何も言わない。言葉は不要だった。
他の誰よりもアズウェルの気持ちを。その想いを。
かつて、幼さ故に失った事実だけを伝えられた過去を。
そして、今を
知っているから。
第7記 謎の少年
「ウィアード・スプレイ!」
最後の炎が水に呑まれていく。
シューっという音を立てて、炎は跡形もなく消えていった。
「よっしゃぁ! これで街から出られるぞぉ!!」
アズウェルは両手でガッツポーズをした。
「ありがとな、ルーティング」
そう言いながら、右手をルーティングに差し出す。
「……何だ? この手は」
「握手だよ。知らねぇの?」
目を瞬[ かせるアズウェルを見て、ルーティングが嘆息する。
「あのな、俺が言いたいのはそういうことではなくてだな……」
「ん~っと。じゃぁ、ごめん」
「何故謝る?」
「おれ、誤解してたから」
アズウェルは消火活動中のことを思い起こした。
「え、じゃぁ……お前、スチリディーさんのこと保護しようとしてたわけ?」
「まぁ、そういうことだな。主[ の命令だ。奴らが宣戦布告付きの任務依頼したらしく、仕方なくこんな夜中に来たんだ。スワロウ族の女を呼び出そうとしたのは、主が話したいことがあると言ったからだ。ウィアード・スプレイ!」
これで十三個目だ。一体いくつ火をつけたのだろうか。
終わりの見えない消火活動に、ルーティングは何度目かわからない溜息をついた。
「ふーん。けど、スチリディーさんとこ前から嫌ってただろ? おれたち殺そうとしたしさ」
「別に俺はスチリディーのことを嫌っていた訳じゃない。ただあいつはフレイテジアのくせに、フレイトが造れないなどとふざけたことをほざくから、気に食わなかっただけだ。過去に殴り倒したくなったことはあるが、殺意を抱いたことは一度もない。本家がスチリディーを消しに来るのは予測できた。とにかく一刻も早くこの街から引き離す必要があったんだ」
次の消化場所を探しながら、ルーティングは続ける。
「お前たちを消そうとしたのは、邪魔をしたからだ」
その言葉に、アズウェルは目を瞠[ る。
「邪魔したから……ってそんだけかよ!?」
「それだけだ。元より、主には気絶だけでいいと言われていたし、俺も当面再起不能にする程度のつもりではあったがな」
「でも、結構マジでおれ死にかけたし、ディオウまで消そうとしたじゃんか」
「あの時手加減をしていたら、スチリディーの行方を追えなくなる。結果的にお前が彼女に依頼の真相を明かしていたからよかったが……。野獣は……ギアディスは、千里眼を持っているだろう? 根に持たれて追いかけられたら堪[ ったもんじゃない」
疲れ切った表情で語るルーティングを、アズウェルは無言で見つめる。
「……」
「……何だ?」
怪訝そうに眉根を寄せたルーティングに、アズウェルが笑いかけた。
「おまえってさぁ、すっげぇわかりやすいっていうか……何か単純だなぁーって」
ぴく、とルーティングが片眉を上げる。
単純。
初級魔法程度ではしゃぎ回るアズウェルにだけは言われたくない言葉だ。
「どういう意味だ」
「だってさぁ。普通ディオウがあんなに切れてたら驚くだろ? 全く動じないし。マツザワから聞いたけど、ディオウって何かすっげぇんだろ? それ殺そうとするとか、命令に忠実過ぎるなぁってさ」
ルーティングの瞳が一瞬揺らいだが、アズウェルはそれに気付かない。
「それに、おまえおれとやり合った時、さっき手抜いたら時間がどうのって言ってたけど、実際は少し手抜いてただろ? 魔法だってホントは使えたんだし」
今度も返答は、ない。
「答えないところを見ると図星?」
「……お前、やはり死にたいか?」
真顔でアズウェルに謝罪されたルーティングは、決まりが悪そうに視線を逸[ らせた。
「あの状況なら誤解しても仕方ないだろう」
「はは、おまえ意外と優しいのな」
そう笑った時、アズウェルの頭に拳が降ってくる。
「 ってぇ~。何するんだよ、いきなり」
「……ふん」
頭を押さえて呻[ くアズウェルを尻目に、ルーティングはさっさと屋敷から出て行く。
「あ、おい、待てよぉ。……お!」
「終わったみたいね」
「やっと、か」
屋敷の外にはラキィとディオウがいた。後ろには兵士たちもいる。皆明るい表情をしているが、疲労の色は隠し切れていない。
ディオウが大きな欠伸[ をする。
その横に、アズウェルはどさりと横に座り込んだ。
「流石に徹夜の消火活動は堪[ えたな。眠くて敵わん」
「おれも……眠いけど、早くマツザワのとこ行かねぇと」
アズウェルはそう言いながら目を擦[ る。
「そうよ、しっかりしないと! 街の人たちだってまだ林にいるのよ?」
「もう一頑張りすっかぁ」
立ち上がったアズウェルが、ふらりとよろける。
「おいおい、大丈夫か?」
「大丈夫……だって……」
言葉も虚しく、アズウェルはディオウの背後に倒れ込んだ。
驚いたディオウが、アズウェルを前足で揺する。
「アズウェル! おい、大丈夫か!?」
「ちょっと、あんたしっかりしなさいよ!」
「う~ん。やっぱ……眠い」
心配するディオウとラキィに、アズウェルは苦笑いを浮かべた。
無言で成り行きを眺めていたルーティングが、おもむろに口を開く。
「情けないな。それでよく俺に勝てたものだ。おい、帰還するぞ。お前ら武器を取ってこい」
「了解[ 」
軽く敬礼して、兵士たちは素早く街道を駆けていった。
視界から部下が消えると、ルーティングは宙に印を描く。
「ケア・ダスト」
アズウェルたちの体が淡い光に包まれた。
「何だ、この青白い光は」
「……馬鹿野獣」
前足でその光を払おうとするディオウに、ぼそりとルーティングが呟いた。
「あぁ!?」
聞こえてはいなかったが、反射的にディオウが声を上げる。
「黙ってじっとしていろ。動くと効果が薄れるぞ」
「ディオウ、おれ眠くなくなってきたぜ」
「何だと?」
動きと止めると、徐々に身体の重さが消えていく。
アズウェルの言ったように、眠気も薄らいでいった。
「……どういうつもりだ?」
敵であるはずのアズウェルたちを治療しても、ルーティングに利益はない。
ディオウが眉根を寄せる。
「別に」
短く答えると、ルーティングはくるりと背を向けた。と、その目が大きく見開かれる。
ルーティングは眼前に佇[ む人物を見て、息を飲んだ。
「あ……主!? 何故、ここへ……!?」
「おはようございます、ルーティング! 消火活動ご苦労さまー」
爽やか声色の少年は、にっこりと微笑を浮かべた。
少年は硬直しているルーティングから離れて、アズウェルたちに歩み寄る。
「あ、みなさん、おはようございます~。ボク、シルード・ウィズダムっていいますっ」
誰もシルードの挨拶には答えない。三人とも目の前の人物をただ見据えている。
これがクロウ族の頭かなのだろうか。
十四、五歳に見えるシルードは、まだ顔に幼さが残っている。肩まで伸ばした栗色の髪を後ろで一つに結っていた。
「あれ? 聞こえなかったのかな。おはようございますって言ったんだけど」
シルードは助けを求めるようにルーティングを振り返った。
主と視線が合ったルーティングは、慌ててそっぽを向く。
「……ルーティング。この人たちに何をしたんですか?」
むっとした表情でルーティングを睨み上げる。
「そいつはおれたちを殺そうとしたんだ。まぁ、アズウェルに負けたがな」
「な……そんなことしたんですか!? あれほど、人を傷つけてはいけないと言ったのに!?」
主に批難されて、ルーティングは言葉を詰まらせる。
アズウェルには真意を伝えたが、ディオウに言い訳しても聞く耳を持たないだろう。
「みなさん、本当に申し訳ありませんでしたっ。彼にはボクがよく言っておきます」
ぺこぺこと何度も頭を下げるシルードに、アズウェルが疑問を投げる。
「おまえがクロウ族の族長?」
「いえ、ボクは違いますよ」
アズウェルが話しかけてくれたことが嬉しかったのか、シルードは満面の笑みで答えた。
「ルーティングはおまえのことを主って言ってるけど……」
「あぁ。彼は確かにボクのこと主って呼んでますね。その辺りはあまり気にしないで下さい。大したこと無いですから」
「ふ~ん」
そういえば、とシルードはアズウェルに言った。
「みなさん、これからスワロウ族の村に行くんですよね?」
「え、うん。まぁ」
「じゃあ、族長さんに伝えてくれますか? 総攻撃は三日後の午前十時より開始いたします、と」
数秒沈黙が流れた。
「へ?」
「え?」
「あ?」
シルードの言葉の意味を理解した三人が、揃って声を上げる。
「だから、総攻撃は 」
「いやいや、わかったけど。何でそんなことわざわざおれたちに言うんだ? 言ったら不利になるんじゃね?」
アズウェルの言葉にラキィも頷[ く。
不審感を顕にして、ディオウは吐き捨てる。
「ふん、どうせ罠に決まっている」
「聖獣さん、嘘じゃないですよー。闇討ちなんて、勝った内に入りませんから。クロウ族はフェアがモットーなんです。ね、ルーティング」
「……あぁ」
同意したものの、ルーティングの内心は穏やかではなかった。
敵に情報を流したと知れば、本家はそれ相応の処罰を下すだろう。
少しは自分の立場を考えて欲しい。
眉間を押さえながら、ルーティングは深々と嘆息した時、兵士たちが武器を携えて戻ってきた。
「主……! おはようございます!」
兵士たちはシルードに敬礼する。
「おはよう、みんな。さて、ボクの用件も彼らに伝えたし、還ろうか」
「了解[ 」
「それじゃぁ、みなさんまた会いましょう!」
シルードは極上の笑顔で手を振る。右腕のシルバーブレスレットが、朝日に照らされて煌[ めいた。
それに応じて、アズウェルも手を振り返す。
「おう! まったなぁ!」
「……はぁ。お前わかってんのか? あいつら敵だぞ、敵」
「わかってるよ。けど、おれシルードたちは何か違う気がする。ルーティングだって根っからの悪じゃないみたいだし。悪いのはこの街に火をつけた奴らだと思うなぁ」
アズウェルは遠ざかっていくシルードたちを目で追った。
街道の終わりでシルードはアズウェルを振り返る。
碧色[ の瞳が穏やかに笑みを浮かべた。
どくん、とアズウェルの鼓動が跳ねる。
おはようございますっ
視界が霞み、耳の奥で懐かしい声が聞こえた気がした。
乱暴に目を擦って、再び顔を上げるが、もう其処に彼らの姿はない。
「あいつ……」
「どうかしたの?」
「……いや……多分気のせいだ」
「アズウェル?」
ラキィの呼びかけには応えずに、アズウェルはシルードたちが消えていった方向をじっと見つめていた。
最後の炎が水に呑まれていく。
シューっという音を立てて、炎は跡形もなく消えていった。
「よっしゃぁ! これで街から出られるぞぉ!!」
アズウェルは両手でガッツポーズをした。
「ありがとな、ルーティング」
そう言いながら、右手をルーティングに差し出す。
「……何だ? この手は」
「握手だよ。知らねぇの?」
目を
「あのな、俺が言いたいのはそういうことではなくてだな……」
「ん~っと。じゃぁ、ごめん」
「何故謝る?」
「おれ、誤解してたから」
アズウェルは消火活動中のことを思い起こした。
「え、じゃぁ……お前、スチリディーさんのこと保護しようとしてたわけ?」
「まぁ、そういうことだな。
これで十三個目だ。一体いくつ火をつけたのだろうか。
終わりの見えない消火活動に、ルーティングは何度目かわからない溜息をついた。
「ふーん。けど、スチリディーさんとこ前から嫌ってただろ? おれたち殺そうとしたしさ」
「別に俺はスチリディーのことを嫌っていた訳じゃない。ただあいつはフレイテジアのくせに、フレイトが造れないなどとふざけたことをほざくから、気に食わなかっただけだ。過去に殴り倒したくなったことはあるが、殺意を抱いたことは一度もない。本家がスチリディーを消しに来るのは予測できた。とにかく一刻も早くこの街から引き離す必要があったんだ」
次の消化場所を探しながら、ルーティングは続ける。
「お前たちを消そうとしたのは、邪魔をしたからだ」
その言葉に、アズウェルは目を
「邪魔したから……ってそんだけかよ!?」
「それだけだ。元より、主には気絶だけでいいと言われていたし、俺も当面再起不能にする程度のつもりではあったがな」
「でも、結構マジでおれ死にかけたし、ディオウまで消そうとしたじゃんか」
「あの時手加減をしていたら、スチリディーの行方を追えなくなる。結果的にお前が彼女に依頼の真相を明かしていたからよかったが……。野獣は……ギアディスは、千里眼を持っているだろう? 根に持たれて追いかけられたら
疲れ切った表情で語るルーティングを、アズウェルは無言で見つめる。
「……」
「……何だ?」
怪訝そうに眉根を寄せたルーティングに、アズウェルが笑いかけた。
「おまえってさぁ、すっげぇわかりやすいっていうか……何か単純だなぁーって」
ぴく、とルーティングが片眉を上げる。
単純。
初級魔法程度ではしゃぎ回るアズウェルにだけは言われたくない言葉だ。
「どういう意味だ」
「だってさぁ。普通ディオウがあんなに切れてたら驚くだろ? 全く動じないし。マツザワから聞いたけど、ディオウって何かすっげぇんだろ? それ殺そうとするとか、命令に忠実過ぎるなぁってさ」
ルーティングの瞳が一瞬揺らいだが、アズウェルはそれに気付かない。
「それに、おまえおれとやり合った時、さっき手抜いたら時間がどうのって言ってたけど、実際は少し手抜いてただろ? 魔法だってホントは使えたんだし」
今度も返答は、ない。
「答えないところを見ると図星?」
「……お前、やはり死にたいか?」
真顔でアズウェルに謝罪されたルーティングは、決まりが悪そうに視線を
「あの状況なら誤解しても仕方ないだろう」
「はは、おまえ意外と優しいのな」
そう笑った時、アズウェルの頭に拳が降ってくる。
「
「……ふん」
頭を押さえて
「あ、おい、待てよぉ。……お!」
「終わったみたいね」
「やっと、か」
屋敷の外にはラキィとディオウがいた。後ろには兵士たちもいる。皆明るい表情をしているが、疲労の色は隠し切れていない。
ディオウが大きな
その横に、アズウェルはどさりと横に座り込んだ。
「流石に徹夜の消火活動は
「おれも……眠いけど、早くマツザワのとこ行かねぇと」
アズウェルはそう言いながら目を
「そうよ、しっかりしないと! 街の人たちだってまだ林にいるのよ?」
「もう一頑張りすっかぁ」
立ち上がったアズウェルが、ふらりとよろける。
「おいおい、大丈夫か?」
「大丈夫……だって……」
言葉も虚しく、アズウェルはディオウの背後に倒れ込んだ。
驚いたディオウが、アズウェルを前足で揺する。
「アズウェル! おい、大丈夫か!?」
「ちょっと、あんたしっかりしなさいよ!」
「う~ん。やっぱ……眠い」
心配するディオウとラキィに、アズウェルは苦笑いを浮かべた。
無言で成り行きを眺めていたルーティングが、おもむろに口を開く。
「情けないな。それでよく俺に勝てたものだ。おい、帰還するぞ。お前ら武器を取ってこい」
「
軽く敬礼して、兵士たちは素早く街道を駆けていった。
視界から部下が消えると、ルーティングは宙に印を描く。
「ケア・ダスト」
アズウェルたちの体が淡い光に包まれた。
「何だ、この青白い光は」
「……馬鹿野獣」
前足でその光を払おうとするディオウに、ぼそりとルーティングが呟いた。
「あぁ!?」
聞こえてはいなかったが、反射的にディオウが声を上げる。
「黙ってじっとしていろ。動くと効果が薄れるぞ」
「ディオウ、おれ眠くなくなってきたぜ」
「何だと?」
動きと止めると、徐々に身体の重さが消えていく。
アズウェルの言ったように、眠気も薄らいでいった。
「……どういうつもりだ?」
敵であるはずのアズウェルたちを治療しても、ルーティングに利益はない。
ディオウが眉根を寄せる。
「別に」
短く答えると、ルーティングはくるりと背を向けた。と、その目が大きく見開かれる。
ルーティングは眼前に
「あ……主!? 何故、ここへ……!?」
「おはようございます、ルーティング! 消火活動ご苦労さまー」
爽やか声色の少年は、にっこりと微笑を浮かべた。
少年は硬直しているルーティングから離れて、アズウェルたちに歩み寄る。
「あ、みなさん、おはようございます~。ボク、シルード・ウィズダムっていいますっ」
誰もシルードの挨拶には答えない。三人とも目の前の人物をただ見据えている。
これがクロウ族の頭かなのだろうか。
十四、五歳に見えるシルードは、まだ顔に幼さが残っている。肩まで伸ばした栗色の髪を後ろで一つに結っていた。
「あれ? 聞こえなかったのかな。おはようございますって言ったんだけど」
シルードは助けを求めるようにルーティングを振り返った。
主と視線が合ったルーティングは、慌ててそっぽを向く。
「……ルーティング。この人たちに何をしたんですか?」
むっとした表情でルーティングを睨み上げる。
「そいつはおれたちを殺そうとしたんだ。まぁ、アズウェルに負けたがな」
「な……そんなことしたんですか!? あれほど、人を傷つけてはいけないと言ったのに!?」
主に批難されて、ルーティングは言葉を詰まらせる。
アズウェルには真意を伝えたが、ディオウに言い訳しても聞く耳を持たないだろう。
「みなさん、本当に申し訳ありませんでしたっ。彼にはボクがよく言っておきます」
ぺこぺこと何度も頭を下げるシルードに、アズウェルが疑問を投げる。
「おまえがクロウ族の族長?」
「いえ、ボクは違いますよ」
アズウェルが話しかけてくれたことが嬉しかったのか、シルードは満面の笑みで答えた。
「ルーティングはおまえのことを主って言ってるけど……」
「あぁ。彼は確かにボクのこと主って呼んでますね。その辺りはあまり気にしないで下さい。大したこと無いですから」
「ふ~ん」
そういえば、とシルードはアズウェルに言った。
「みなさん、これからスワロウ族の村に行くんですよね?」
「え、うん。まぁ」
「じゃあ、族長さんに伝えてくれますか? 総攻撃は三日後の午前十時より開始いたします、と」
数秒沈黙が流れた。
「へ?」
「え?」
「あ?」
シルードの言葉の意味を理解した三人が、揃って声を上げる。
「だから、総攻撃は
「いやいや、わかったけど。何でそんなことわざわざおれたちに言うんだ? 言ったら不利になるんじゃね?」
アズウェルの言葉にラキィも
不審感を顕にして、ディオウは吐き捨てる。
「ふん、どうせ罠に決まっている」
「聖獣さん、嘘じゃないですよー。闇討ちなんて、勝った内に入りませんから。クロウ族はフェアがモットーなんです。ね、ルーティング」
「……あぁ」
同意したものの、ルーティングの内心は穏やかではなかった。
敵に情報を流したと知れば、本家はそれ相応の処罰を下すだろう。
少しは自分の立場を考えて欲しい。
眉間を押さえながら、ルーティングは深々と嘆息した時、兵士たちが武器を携えて戻ってきた。
「主……! おはようございます!」
兵士たちはシルードに敬礼する。
「おはよう、みんな。さて、ボクの用件も彼らに伝えたし、還ろうか」
「
「それじゃぁ、みなさんまた会いましょう!」
シルードは極上の笑顔で手を振る。右腕のシルバーブレスレットが、朝日に照らされて
それに応じて、アズウェルも手を振り返す。
「おう! まったなぁ!」
「……はぁ。お前わかってんのか? あいつら敵だぞ、敵」
「わかってるよ。けど、おれシルードたちは何か違う気がする。ルーティングだって根っからの悪じゃないみたいだし。悪いのはこの街に火をつけた奴らだと思うなぁ」
アズウェルは遠ざかっていくシルードたちを目で追った。
街道の終わりでシルードはアズウェルを振り返る。
どくん、とアズウェルの鼓動が跳ねる。
視界が霞み、耳の奥で懐かしい声が聞こえた気がした。
乱暴に目を擦って、再び顔を上げるが、もう其処に彼らの姿はない。
「あいつ……」
「どうかしたの?」
「……いや……多分気のせいだ」
「アズウェル?」
ラキィの呼びかけには応えずに、アズウェルはシルードたちが消えていった方向をじっと見つめていた。